094 帰還と邂逅と
「ッ……! い、つつ……。あれ、僕……」
痛む頭を押さえながら、ゆっくりと体を起こす。
どうやら、僕は眠っていたようだ。しかし、意識を失う直前の記憶がまったくない。とりあえず、とまずは辺りを見渡す。
……死屍累々。
真っ先に浮かんできた感想がそれだった。
死体のように倒れ伏す仲間たち。マサキ。バークラフト。ハーレル。ダヴィド。フリッツ。誰一人として意識を保っているものはいない。
それはまるで、あのヤリアの戦場のような、あるいはあの【剣の魔】との戦いの直後のような凄惨な有り様で。
だから僕は、思わず叫んだ。
「酒くっっっっっさ!」
……宴会の後はまったく酷いものだった。
誰も彼もが正体を無くして酔いつぶれたのだ。いい年した軍人が揃いも揃って情けない。……まあ、それは僕もなんだけど。いやはや、自分だけは冷静なつもりでいたが、僕も【剣の魔】を討って興奮していたらしい。仲間のブレーキになるどころか、勧められるまま流されて、ついには一緒に騒いで潰れてしまった。
……と、いうか、この際それはいい。いや、良くはないんだけど、まあいい。それよりも、僕は目覚めた瞬間から嫌な予感がしていた。寝起きの僕がこんなに明瞭に理性を保っているなど、尋常ではない。たぶんだけど……寝過ごした。
おそるおそる、天幕の外に出る。
……ああ、やはり。見上げた太陽は中天を指し示している。真昼だ。
「やっらかしたぁ……」
「レウ様。お目覚めですか」
「っ、シェーナ?」
「はい、おはようございます。……あの、何かついてますか?」
僕より早く目覚め、すでに何かしら作業をしていたシェーナが、天幕から出てきた僕に声をかける。
きょとんと首をかしげ、僕が見つめている頬のあたりを撫でるその様子は、いつものシェーナと何も変わりない。
昨日の、朗らかだがどこか不穏な気配の彼女ではない。
「いや、その……シェーナ、昨日の記憶はある?」
「あ……昨日ですか。すみません、バークラフトさんからお酒を勧めていただいたところまでは覚えているんですが……。酔いつぶれた私をレウ様が運んで下さった、とリューネから聞きました。ご迷惑をおかけしました」
「ううん、気をしないで。普段は僕の方が君に世話して貰ってるんだから。でも、そうか。覚えてないのか……」
「……もしかして、私なにか変なことを言っていましたか?」
「ん、変といえば、まあ……」
「ど、どんなっ!?」
「どんな? どんなって、それは……」
「まさか、は、恥ずかしいことを……?」
「へ? 恥ず……? いやいや、そうじゃなく……あ」
昨日のシェーナが言っていた『今は殺さないであげる』とかいう物騒なセリフのことばかり考えていた僕の頭からはすっかり消えていたが、そういえば昨日のシェーナは、『大好き』とか言って僕に抱きついてきたっけ。
頬を紅潮させて僕に迫るシェーナの様子を見るに、彼女が心配しているのはつまりそういう言動のことか。
「ああ、まあ、多少は?」
「た、多少というのは……?」
「僕に抱きついて、大好き、って言ったり」
「それは多少ではありません! あ、ええと、そ、それは、つまり、その……!」
さらに頬の朱を色濃くしてあわあわと慌てて、弁明しようとするシェーナに、僕は安心させるように微笑みかけ、
「ああ、大丈夫だよ、シェーナ。酔っぱらってる時なんてみんなそんなもんさ。ほら、僕だってお酒が入ったらその辺の女の子に、大好き! とか愛してる! とか言うし。だから、本気になんてしてないよ。大丈夫、大丈夫!」
「最低です。レウ様と一緒にしないでいただけますか」
「あれぇ!?」
さっきまで恥ずかしそうでこそあったものの、楽しくやり取りしていたはずが、一瞬のうちに絶対零度の視線が僕を突き刺している。
お、おかしい。自分の実体験を例に挙げて共感していることをアピールする完璧なフォローのはずだったのに!
しばらく無言のまま冷たい目でちくちく僕を責めていたシェーナだったが、小さくため息をついて、
「もういいです。レウ様がそう思われたなら、それで。それより、体にお酒は残っていませんか? お水を用意してますが」
「あ、ありがとう。いただくよ」
差し出された水を受け取り、嚥下する。澄んだ水の喉ごしが気持ちいい。
頑丈な【魔】の体ゆえ、それなりにアルコールにも耐性があるつもりだったが、体重が同じならそれは関係ないのか、あるいはその耐性すらも上回るほど飲んだのか。仲間たちは眠っているだけで死んではいないようだから、そこまで大量に飲んでいたのは僕だけだとは思うけど。
「とりあえず、みんなを起こすか……。っと、そうだ、リューネは?」
「私が起きるまでは起きていたんですが、レウ様が起きられるまで寝る、と言って寝てしまいました。なので、今から起こしてきますね」
「うん、お願い。……さて。おい、みんな! 起きろっ! 朝、っていうか、もう昼だぞ! 起きろーっ!」
「う……いつつ……あー、んん? 朝ぁ?」
「やっべぇ、飲みすぎ……ぎもぢわる」
「あ、おいこら、吐くなよ、ダヴィド!」
「……寝過ごした」
「うっげ、マジかぁ……。くそぉ、立てといた予定が……」
五者五様、みんなバラバラに起き上がってくる。一晩明け、酒が深く残っているやつはいないようだったが、それでもみんな頭を押さえたり吐き気をこらえたり、少なくとも素面とは言いがたい。
リューネを起こして戻ってきたシェーナが、みんなに水を配っている。
「あー、すんません、シエラさん」
「お気になさらず。お互い、お酒には気をつけましょう」
結局、待つこと一時間ほど、ようやくめいめいが調子を取り戻し動ける態勢になってくる。
「すまん、レウル」
「いいよ。潰れてたのは僕も一緒だし。けど、砦に着くまでに酒は抜いておけよ。内実はどうであれ、表面上くらいは死者を悼む必要がある」
「ああ、わかってる。任せとけって!」
あの醜態を見た後だといまいち安心しきれないが……。しかしまあ、これはそもそもバークラフトが書いた筋書きなのだし。彼に任せるのが一番か。
「頼んだ。僕らはアイシャたちに連絡を取るから、近くの町に寄って、昼頃にはそっちに合流する……って言いたかったけど、今がもう昼だしね。たぶん合流は日没後か、遅ければ夜中になる」
「りょーかい。ヘマするなよ」
「君たちこそ」
こつん、と拳と拳を打ち付けあってお互いを鼓舞し、僕らは一旦別れることとなった。
◆◇◆◇◆
「んじゃ、俺らも行こうぜ、バークラフト」
シエラさんとリューネさんを連れて離れていくアークを見送り、こちらも行動を始めよう、と上官に提案する。ただでさえ、寝坊で遅れているのだ。ここでだらだらするわけにはいかない。
「おう。騎兵の馬で生きてるのが居たから、そいつを拝借して行こう」
「う、乗馬か……。砦に来てからこのかた事務仕事と訓練指揮ばっかだったし、ちゃんと乗れっかな……」
不安そうにダヴィドが呟く。そういえばこいつは騎乗の成績がそんなに良くなかったっけ。
「……こっちの後ろには乗せない」
「う……わかってるって! なんとかすりゃあいいんだろ、なんとか!」
半ばやけっぱちのように叫んで馬に跨がったダヴィドだったが、しかし乗ってみればなんだかんだ乗れている。これもフレッド教官の地獄トライアスロンの成果だろうか?
砦からここまで、行きは日中丸一日ほど費やした距離ではあったが、それは徒歩の兵と足並みを揃え、さらに来る戦いに備えて消耗も抑えての行軍だ。今の俺たちのペースなら、およそ半分ほどで着けるだろうか。
「よし、砦に着いてからの流れを復習するぞ。まずは戦果の報告だ。当たり前だけどな。【剣の魔】ギルガースを討ったが、討伐軍は【疵の英雄】グラディー『コーウェン』も含め、俺たち以外全滅した、って話だ。けどま、このあたりはさほど演技の必要もないだろ。レウルにも言ったが、あいつらなら特に問題なく受け入れるだろう。その程度の根回しは終わってる。問題は、その後だ。ラーネ=ハウリーを殺すことを考えれば、外部には情報を漏らしたくはない。戦勝としてにせよ、戦敗としてにせよ」
「戦敗を伝えたくないのはわかる。砦の主導権がこっちに握られたことがバレたらラーネ=ハウリーは警戒して砦に来なくなるかもしれないからな。戦勝もか?」
「勝ったのにグラディー『コーウェン』から何の連絡も無かったら不審がるだろ」
「なるほど、確かに」
「ってわけで、次にラーネ=ハウリーが砦に来るまで、一週間ほどか。その間、箝口令を敷く。後は、戦場の後片付けだな。リューネ『ヨミ』がある程度はやってくれたが、隠滅しきれてない証拠もある。こっそり兵を引き連れて秘密裡に済ませたいとこだ。物資の類いは回収しないと砦の経営がちょっとマズいってのもあるしな」
そう、今現在、ハウリー伯爵家からは定期的に砦に物資や金銭が送られてきている。ただし、それはあくまで砦の事実上の支配権をラーネ=ハウリーが握っているからであって、奴を殺したらそれは当然止まる。クントラ中佐に頼めばある程度は融通してくれるだろうが、節制に越したことはない。
「オッケー、大筋はわかった。そうすると……」
事情を知らない平民閥の上官、すなわちクントラ中佐たちとの連絡など、作戦の細かい部分を詰めながら、馬を駆けさせる。
そのまま、かれこれ半日ほど。辺りが薄暗くなり始めた黄昏時に、砦が見えてきた。おおよそ予想通りの時間だ。
「見えてきたぞ! ……おい、ダヴィド、大丈夫か?」
「ケツが、ケツが割れる……!」
「ケツが割れてねぇやつの方がおかしいだろ。ったく、ヤリアの激戦に、【剣の魔】との戦いまで生き延びた男が情けない」
「うるせぇっ! 苦手なものは苦手なんだ!」
「なんでもいいが、そろそろ悲しそうにしておけ。一応は犠牲を悼んでるって体なんだろ?」
ハーレルの忠告を受け、多少演技らしいこともしてみるが、なかなか簡単ではない。役者じゃないんだ、泣けといわれても泣けるもんか。まあバークラフトも演技は適当でいいとは言っていたが。
そんなことを考えているうちに、本格的に砦に近づいてきた。
「……ん?」
「マサキ? どうした?」
「いや……なんか、衛兵の様子が変だな。妙に……緊張してる、のか? あれは」
つい昨日、【英雄】となった俺は、魔法の扱いこそまだ慣れないものの、身体能力についてはすでに人間のそれを凌駕していた。かつてであれば、表情を窺うなどとてもできなかったであろうこの距離であっても、今は衛兵の様子がつぶさにわかる。
「なんだそりゃ?」
「ま、討伐軍が負けりゃ次に矢面に立つのはあいつらだし。緊張もしようってもんじゃねぇの?」
「んー……そういうことなんかなぁ? いやぁ、でもなんか……」
「いずれにせよ、行けばわかることだ。そうだろう?」
「ハーレルの言う通りだな。どのみち行くんだ」
バークラフトが言うように、今さら馬の足を止めている暇はないのは事実だ。時間が経てば経つほど、情報は流布しうるし、流出も防ぎにくくなる。先手をとって砦の兵を押さえる必要がある。
と、衛兵が馬で駆けてくる者がいると気づいた。けれど、まだ俺たちであるとはわかっていないらしい。いささか以上に緊張した様子で槍を構えている。それはどうにも過剰に見えた。
……やはり、おかしくはないだろうか。
「な、何者だ! 部外者が砦に近づくんじゃないっ!」
「待て待て、俺だ、ウマル」
「……? あ、ダヴィド少尉! では……バ、バークラフト中尉! これは、失礼を致しました!」
「いや、気にするな。それより、ウマル。砦の中の兵たちに伝えてくれ。【魔】を討った。【剣の魔】は討ち滅ぼされた、と」
「ほ、本当ですか! 【魔】を、本当に討たれた!?」
「ああ。マサキが殺した。喜べよ、ウマル。平民閥の【英雄】だぜ」
「良かった、良かった……! おい! 待機中の兵員に伝えてくれ! マサキ少尉が【魔】を討伐なさった!」
ウマル、と呼ばれたダヴィドの部下が、門の外から砦の中へ叫ぶ。
伝言はざわざわと砦の中に伝わっていき、そのうちに歓声も聞こえてくる。
「それにしても、どうして皆さまだけが砦に? 本隊から先行したのですか?」
「いや、討伐軍は俺たち以外全滅だ。【疵の英雄】グラディー『コーウェン』も含めて」
「……え? それ、は、本当に……?」
「おい、どうした、ウマル? お前、貴族派には恨みがあるんだろ? 親しい奴もいないって、言ってたじゃんか」
バークラフトの一言を聞いた途端、正体を無くしたようにウマルは震えだした。
まるで、途方もない何かに怯えるかのよう。
「そんな、そんな話ではないのです、少尉! 私のことなどどうでもよい! 今、いま、この砦にはお客様がっ……!」
「客? ラーネ=ハウリー伯爵か? グラディー『コーウェン』を喪ったことで、勘気を買う心配ならいらないぞ。考えがある」
「違うのです! グラディー『コーウェン』すらどうでもいい! 問題なのは、国軍の兵を二百弱も喪ってしまったことです! 陛下からお預かりしている兵を! ああ、今だけは! 皆さま、今すぐお隠れに──」
「ふむ」
発狂したように喚くウマルの声は、ただ一言の感嘆句に遮られた。よく通る男の声。
「あ、ああ、あああああ……!」
瞬間、押し黙り、意味のない悲鳴を小さく垂れ流すだけとなったウマルが、倒れるように跪いた。その相手は、上官たる俺たちではない。声の主に向けて、だ。
見れば、そこには一人の男が立っている。輝くような金の髪。嫌味なほど整った面立ち。能面のように張り付いた表情。微笑を浮かべながらも、どこか底冷えするような不気味さを見せるその男。金髪を見るに、貴族であるらしいが。
側には、法衣のような真黒なローブで身を包んだ女を連れている。その美しい銀髪を断っていないところを見ると、女神官ではないようだ。戦士のように腰に剣を差しながら、貴婦人のように扇で口元を覆い隠す様子はなんだかちぐはぐである。扇のせいで容姿はよく見えないが、扇の隙間から覗く目元はいかにも美人らしい。
(それにしても、この男、なーんか見覚えがあるか? 明らかに初対面なんだけど……)
誰か、知ってやいないだろうか。ちら、と横目で仲間の様子を伺い、驚愕する。
「あ、あ……そんな、まさか。まさか、貴方は……貴方様は……」
震えている。バークラフトが、がたがたと恐怖に身を震わせている。他の面々も。彼ほどではないにせよ、驚愕と動揺を色濃く表情に見せる。
なんだ? なんだというんだ、この男が。
「ふむ、ふむ。君たちがこの砦に詰めている国軍の平民士官か? 聞けば【魔】を討ったとのことではないか。おめでとう、と言わせてもらおう」
明らかに異常な様子のウマルやバークラフトを気にも留めず、男は不気味な微笑をわずかも崩さずそう言った。側の女は何も言わず佇んだままだ。
「さて、【魔】を討ち【英雄】になったマサキ少尉というのは誰だ?」
「……私がマサキです」
「君が。ふむ」
貴族に無駄に逆らっていいことはない。素直に名乗り出た俺を、貴族の男は無言でじっと見つめる。
視線を合わせるべきか、外すべきか、決めかねながら男の周囲にさ迷わせていると、ふと、気づいた。
アークだ。
この貴族の男の美貌は、どこかアークのそれに近く思われる。あいつの朗らかで人懐っこい笑顔と、この男の冷徹で超然とした微笑ではまるで違った印象を受けるが、それでも。似ている。間違いなく。
「アスティティア」
「ええ。間違いありませんことよ。この者がつい近々に【英雄】になったというのは過たないでしょう」
……いや。待て。どういうことだ。この男がアークに似ているということ。それは、つまり、まさか。
そうだ。男の側に立つ、アスティティアと呼ばれた女を見る。初めて口を開いたそいつが気になったからじゃない。その内容もどうでもいい。
大事なのは、その女の容姿。
顔じゃない。体じゃない。服飾でも、武器や小物でもない。
髪だ。燦然と輝く銀の髪。あの人と同じ、銀の髪!
「あ、貴方の……お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「マサキっ!」
「構わないとも。私を知らない不敬も、あまつさえその名を問う非礼も私は不問に付そう。──私の名は、セリファルス。ウェルサーム王国第一王子、セリファルス=ウノ=ウェルサームだ」




