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093 宴会と成長と

夜も深くなりだした時間帯。いつもだったら就寝の準備を始める頃合いだろうか。

しかし、今日の僕らは少しばかり遅寝になるようだ。

騒がしい天幕の中で、僕とシェーナは見つめ合っていた

「レウさまっ! こっひをちゃんとみて!」


子供のように舌足らずに、シェーナは僕に言う。

言われた僕はといえば、もちろん真摯に、彼女の望む通りその綺麗な碧玉の瞳を見つめて応える。


「ああ。どうしたの、シェーナ」

「ひがーう! わらひをみるの!」

「だから見てる。見てるよ、シェーナ」

「みてなぁぁぁぁぁい!」


……駄目だ。べろんべろんだ。酔っぱらいには話が通じない。

ていうか、そもそも、


「ああもう、誰だ! シェーナに酒飲ませたのは!?」


マサキ、バークラフト、ハーレル、ダヴィドの四人が一斉に目を背ける。

【剣の魔】ギルガースを、結果的には大きな損害もなく──国軍の貴族派の兵が【魔】に一掃されたのは損害ではない。むしろ利益ですらある──討った僕らは、人気のなくなった本陣で他人が持ち込んだ酒食を用いて宴会を催していた。


「君らは揃いも揃って……!」

「い、いや、だって、こんな時までシエラさんに給仕をしてもらうわけにはいかないだろ!?」

「で、だから俺たちでお互いに酒を()いでたら、シエラヘレナ様は物欲しげにこっちを見てるだろ!?」

「そもそも、今日の俺たちはシエラヘレナ様の助力が無かったら死んでいたわけだ! 大恩がある!」

「しかも普通、酒ってのは目下が目上に注ぐもんだし! 俺たちは人間、シエラヘレナ様は【女神】!」

「「「「そりゃあもう注ぐしかないだろ!」」」」

「馬鹿か十六だぞこの子は!」


いや、ツッコミどころがそこで良かったのかはわからないが。こいつら、四人揃っての言い訳に余念がない。

ちなみに、フリッツがこういう悪ノリに加担しないのは知っていたが、できればみんなを止めてほしかった。


「リューネも、ちゃんと見ててあげてくれよ……」

「シェーナが飲みたがっていたから、つい。ごめんなさいね。『浄化』してあげてもいいけれど……むしろ今のうちにお酒で失敗しておく方がこの子のためかしら?」

「まったく……。僕はシェーナを寝かせてくるから、君たちもあまり飲み過ぎるなよ」

「「「「ほーい!」」」」


誰も彼も赤ら顔のくせに返事だけは威勢がいい。

僕はため息を吐く。

だがまあ、彼らとて酒は始めてではない。マサキは別だが、他の面々は塩梅も心得ているだろう。


「ほら、行くよ、シェーナ」

「はーいっ!」


酔っ払いの返事の威勢がいいのはこちらもだ。いつものシェーナからは想像もつかないテンションの高さ。

しかし彼女はなかなか素直に立ち上がろうとしない。


「シェーナ?」

「だっこ!」

「え」

「はこぶならだっこして!」

「えぇー……」


両手を僕にまっすぐ伸ばし、幼子のようにねだるシェーナ。流石にこの年でそれはいささか恥ずかしい。

……とはいえ、酔っぱらいに逆らうほど無為なこともないだろう。このくらいの要求なら呑んでおく方がよいか。そうでなくとも普段から彼女には負担をかけてしまっていると思うし、今くらいは甘やかしてもバチは当たるまい。

彼女の背と脚に手を回し、姫抱きに抱え上げる。


「よい、しょっ」

「おもくなーい?」

「全然」

「えへへー!」


可愛い。

……いや違う。そうじゃない。

にへら、と照れくさそうに口角を下げるシェーナには確かに普段とはまた違った愛らしさがあるが、そうじゃない!

ぎゅうぎゅうと僕に強く抱きついて、胸板に頬擦りするシェーナはマジに可愛いんだけど、そうじゃない!

僕の方も微妙に冷静さを欠きながらも、折角だし設備も整っているであろう指揮官用の天幕を目指す。

その道すがら、珍しいことにずいぶんと甘えてくるシェーナの可愛さに悶えながら、けれどほんの少しだけ不審にも思う。本当に珍しいのだ、こんなにテンションが高いシェーナは。子供の頃からどちらかといえば落ち着いている子だった。

まあそれでも、お酒が入ればこんなものなのかもしれないが……。


「珍しいね」

「えー?」

「君がそうやってころころ笑うのはさ」

「そーおー? えへへ、そうかもーっ!」


……うん、やっぱり酔ってるだけかな、これ。

僕の気にしすぎかもしれない。リューネも特段気にする風もなく、シェーナに屈託なく甘えられている僕を恨めしそうに睨んでいるだけだし。

そう気を抜いた矢先、


「でもねー、いまのわたしはちょっと【神】よりだからかなー?」

「ッ!? い、今なんてっ……」

「レウさまっ!」

「えっ? な、何? っていやそうじゃなくて、【神】寄りってどういう……」

「レウさまは、いまのわたしといつものわたし、どっちがすき?」

「えっ……」

「どっち? ねぇ、レウさま……」


シェーナは先程までとは打って変わって深刻そうな調子で問う。思い詰めたような彼女の真剣さに思わず、僕は自分の疑問を引っ込め、彼女の質問を考える。

どっち。どっち、ときたか。

いつものクールでしっかり者だけどたまに抜けてたり奔放だったりするシェーナと、今の表情豊かで甘えん坊だけどどこか危うさの垣間見えるシェーナ。どっちが好きか、って?

そんなの、問われるまでもない。答えなど決まりきっている。自信満々に僕は答える。


「もちろん、どっちも好きだよ。だってどっちも僕の可愛いシェーナだろ?」


それを聞いた腕の中のシェーナは、ぽかんと数秒ほど僕の顔を見上げてから、ぱあっと表情を華やがせた。


「レウさまっ! だいすき!」

「わ、わ、暴れないで! バランス崩れる!」


僕にぎゅうっと強くしがみつきながら、足をばたばたさせて喜びを表現するシェーナ。

僕はといえば、彼女の告白に喜ぶよりも彼女を落としてしまわないかという心配が先に立つ。

そもそも、酔っぱらいの言う『好き』なんて大した意味はないだろう。酩酊状態の言葉を正直に捉える方が間違っている。……それでも、嬉しくない、とは言わないけど。


「はは、そっか。ご満足いただけたなら何よりだよ」

「うん! うれしかった! だからいまはころさないであげる!」

「あはは、ありが……はっ!? いや、殺っ、えっ!? シェーナっ!? …………シェーナ?」


ド級の混乱とともに、問い詰めるように彼女の名を呼ぶ。

……が。

すぅ。すぅ。すぅ。

詰問への返答は規則正しい吐息だけ。

突如繰り出された衝撃的な発言を問い詰める間もなく。穏やかな寝息を立ててシェーナは寝入ってしまった。


「えぇー……。シェーナ。ねぇ、シェーナ」


呼び掛けても起きる気配はない。

かといって、まあいいかと忘れてしまえるほど軽い言葉でもない。


「リューネ。君はどう思う?」

「……ずるい」

「は?」

「ずるいわ、貴方だけ! シェーナに、大好き、なんて言われて!」

「そこ!? そうじゃなくて、君も聞いてただろ!?」

「ええ、聞いたわ! この耳でばっちりと! シェーナがレウに、レウだけに、大好き(はーと)って!」

「だから大好きの(その)話じゃなくて!」

「ずるい、ずるい、ずるいっ……!」


駄目だこりゃ。

リューネも酔ってるんじゃないかってレベルで話が通じない。まあリューネは昔からこうなることはしばしばあったけど。

そうこうするうちに、天幕に到着する。流石は指揮官、簡易ベッドを持ち込んでいるとは、好都合。適当に組み立て、シーツを敷き、シェーナを寝かす。

今日は途方もなく疲れた。本当は、僕もこのまま一緒に寝てしまいたいところではあるのだが……、


「あいつら……随分騒いでるな……」


それなりに距離もあるはずなのだが、バークラフトたちの笑い声がこちらまで届く。

別に隣家もないし、騒いでいてもいいといえばいいのだが、しかし明日の朝に動けなくなるほど飲まれても困る。


「向こうを見に行くの? シェーナなら私が見ておくから、行ってきなさいな」

「ん、ありがとう、リューネ」


以心伝心、僕の心を読んだかのようにリューネが言ってくれた。

僕は素直に厚意に甘え、仲間たちの元へと向かった。


◆◇◆◇◆


「レウは行ったわよ、シェーナ。狸寝入りはまだ必要?」


レウが天幕から出ていき、十分離れたのを確認してから、私は簡易ベッドで眠るシェーナに声をかけた。

数秒の間を置いて、躊躇いがちに返事がある。


「……なんでわかったの?」

「わかるわよ。お姉ちゃんだもの」

「説明になってないよ……」

「ふふ。お酒は抜けてきた?」

「……まだちょっとくらくらする」

「これに懲りたらお酒はほどほどにしておきなさいね。……それで、さっきの話だけれど」

「ねえさま、わたし眠くなってきちゃったなぁ?」

「可愛く言っても誤魔化されないわよ。……ええ、誤魔化されませんとも」

「ぶー」


唇をつきだして露骨に不平を表すそのさまは、普段のシェーナであればまずしないであろう仕草。

その普段のこの子とのギャップは、いっそわざとらしさすら感じさせるようなこの仕草ですら、とても愛らしく思わせる。


「可愛い。……じゃなくて。さっきレウにしていた話。今の貴女が【神】寄り、って言ったのは、どういう意味?」

「……ないしょ」

「あら、いじわる。でもまあ、わかるのだけど。『神性』が肥大してきたのね? きっかけはあの【剣の魔】との戦いかしら。強力な【魔】の存在が呼び水となった」

「しってるなら、きかなくてもいいじゃないですか……。リューネのいじわる」

「あは、ごめんなさい。一応、確認もあって。……ああ、そう。なら、さっき貴女が眠ったのは……。ふぅん、狸寝入り、って言ったけど、それもあまり正しくはなかったかしら」


シェーナの様子をこうやって言葉を交えながらよくよく観察してみれば、なんとなく状況も読めてくる。これ(・・)ならさほど心配することはないかもしれない。

けれど、私が一人で勝手にあれこれ察してしまうのもシェーナには面白くなかったようで。


「……もうねる!」

「あはは。ええ、おやすみなさい、シェーナ」


ばさりと掛け布団代わりのタオルを頭の上まで引き上げて、私に背を向けながらシェーナは少しだけ不貞腐れた様子でそう言った。

しばらくの沈黙が天幕の内側に満ちる。

すると、ぽつりと、不安げな様子でシェーナが呟いた。


「……リューネは、いまのわたしでもいいんですか?」

「レウが言ったのとおんなじよ。どちらも貴女だわ。ふふ、あの子は私と違って何もわかってないのにああ言えちゃうんだもの。すごいわよね」

「……ありがとう、姉さま」

「っ、シ、シェーナ、今のもういっか……! ……あら、寝ちゃった」


さきほどのような演技ではなく、本心から私を姉と呼んでくれた彼女に、もう一度、とねだろうとしたが、シェーナは今度こそ本当の意味の眠りについてしまった。

まあいいか。これからもこの子とはずっと一緒にいるのだから。またいつか、そう呼んでくれることもあるだろう。

私は、可愛い義妹(いもうと)の髪を優しく撫でながら、その安心しきった寝顔を夜闇が晴れるまでずっと眺めていたのだった。

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