092 継承と称号と
そうして、陽が落ちる。訪れる、夜。リューネ『ヨミ』が力を取り戻す。【夜の魔】として恐れられる彼女の本領。
自らの負傷も一瞬のうちに癒やし、彼女は僕のもとへ寄ってくる。
「リューネ!」
「ええ、わかってるわ。そこの彼の腕を治せばいいのよね」
しゃがみこみ、ハーレルの身体に手を触れ、
「あ、そうだ。ねぇ、ハーレル。腕はある方がいいわよね?」
「はっ?」
「だから、貴方の腕。無いよりある方がいいでしょう?」
「そりゃあ……」
「じゃ、生やしてみましょう。『欠損再生』」
気楽に言ったリューネの体内で、途方もない量の魔力が励起する。
鈍い僕でも感じることができるほどの、大魔法。
「う、お、ぉぉぉおおおおっ!?」
ハーレルの切断された右腕の断面がぼこぼこと膨れ上がっていく。その圧力でマサキが結んだ糸も切れてはらりと落ち、膨れ上がった肉は瞬く間に腕の形に成形される。
「なんだっ!? なんだ、これっ!」
「グラディー『コーウェン』の魔法よ。ま、ちょっとアレンジしたけど」
数秒の後。
ハーレルの腕は完全にその姿を取り戻していた。傷跡さえも見当たらない。
「あ、リューネさん。病気の対策も頼みたい。たぶんハーレルの体内にはいろんな病気の原因箘が入っちまってるから」
「ゲンインキンっていうのは、病の元の毒素みたいなもの? なら『浄化』ね」
今度はヴィットーリオ『ロゼ』の魔法。それをリューネは、見ただけどころか話に聞いただけで再現してしまう。正確には、僕らの話を元に新たな魔法を作ったのであっておそらくヴィットーリオの『浄化』とは根本的に異なるもの、と本人は言っていたが、同じ効果を発揮できるなら原理や過程など些細なものだろう。
さぁっ、と清浄な風が僕らの身体の中を吹き抜けていく。ヴィットーリオの『浄化』は忌々しくて仕方なかったが、リューネのこれは心地いい。起こってる現象としては同じだからようは気分の問題なんだけど。
『欠損再生』と『浄化』、二つの魔法によって、死線を彷徨うような重傷からあっという間に健康体になったハーレルは、戸惑い混じりに何度か再生した手を開いたり閉じたりを繰り返していたが、そのうちに動きのぎこちなさも消える。
「お、おお……。動く……」
「そ。それは何より。でも『欠損再生』の魔法はいまいちね。コスパ悪すぎ。まあ固有魔法なんて普通に使ったら大方がそんなものなのでしょうけど」
ハーレルの感動に満ちた呟きにも、リューネは何でもないことのように適当な返事を返し、むしろぶつくさと自らの魔法に文句をつける。これほどの成果を上げてすら彼女の満足には足らないらしい。
「それにしても……改めてアレ、マサキがやったと思うとスゲェな」
ふと、バークラフトが【剣の魔】ギルガースの死体を眺めて言った。
「だろ? だろ! いやぁ、流石バークラフトはわかってる! もっと言え、もっと!」
「ああ。まさか人間が【魔】を討てるなんてな。本当にスゲェよ、マサキ」
「お、おう……。さんきゅ」
「素直に誉められたら照れるんじゃねぇか!」
ははは、とハーレルが笑う。
バークラフトに続いて、ダヴィドやハーレルまでマサキをすごいすごいと誉めそやし出した。
軽口を叩いたり茶化したりされるのは馴れていても、誉め殺しというのは経験がなかったらしい。
マサキは決まり悪そうに顔を背け、仲間たちから逃げるように距離をとった。
僕も仲間たちとともに笑い合いながら、とにかく一段落、と気を抜いて地に腰を下ろした。
と、そこで思い出したようにリューネが口を開いた。
「ああ、そうそう、マサキ。貴方、たぶんそろそろクるわよ」
「は? クる、って何が……ッ、ッッッ!? う、ぁぁぁあああッ!?」
その直後、突如、ぽつねんとギルガースの亡骸を見つめていたマサキが胸元を押さえて倒れ込むように地に膝を突いた。
「マサキ!?」
「っ! うぐっ……! が、あああっ!」
息を荒げ、苦悶を漏らすマサキに駆け寄り、彼の背をさする。
「っ、はっ、あ……く……! っ……これ、はっ……! なる、ほど。アーク、だい、じょうぶ、だ。魔力が、流れてきてるだけ……ぐっ!」
「レウも味わったことがあるでしょう? ニンゲンが超常存在に変質するときの負担は小さくないわ。【英雄】になるときに死んだニンゲンの話は聞いたことがないから平気だとは思うけれど」
マサキが慌てる僕を諭し、リューネが落ち着いた様子で説明してくれる。
そうだ。【剣の魔】ギルガースを殺したのはマサキ。彼はその力を喰らい、【英雄】となる。
でもそういうことだと、マサキに僕がしてやれることはない。はらはらと彼を見守ることしかできない。
しばらく苦痛に喘いでいたマサキだったが、次第に落ち着き、全力疾走した後のようにぜえはあ言ってこそいるものの、致命的な障害は無いようだった。
「大丈夫?」
「ああ……。っあ、うぐ……」
とりあえずの返事くらいはできるようだが、それでも得たばかりの【英雄】としての力を持て余し気味なマサキを見ながら、何か気が紛れるような話題を、と探して一つ思い出す。
「そういえば、あのときの魔法はやっぱりシェーナが?」
「あのとき?」
「ほら、君が叫んだら【剣の魔】が動きを止めたじゃないか。助かったよ。あれが無かったら死んでた」
「……あれですか。あれは……はい。私が。『凍結』の魔法です」
「【剣の魔】ほどの使い手の動きを止める魔法か! 凄いじゃないか!」
「動きを止める……というより、あれは」
「シェーナ?」
難しい顔をして自らの胸に手を当てて黙りこくるシェーナ。
「……いえ。そうですね。『凍結』は物体を停止させる魔法、なのだろうと思います」
その歯にものが挟まったような返答はいささか違和感も感じさせる物言いではあったが、シェーナはこれ以上その話を続けるつもりはないようで。
彼女はあからさまに話題をそらす。
「ところで、レウ様。今後の予定は決まっていますか?」
「とりあえずはラーネ=ハウリーを殺す。【疵の英雄】グラディー『コーウェン』は処理できたから、奴が砦にやって来る次の水の曜日に【英雄】を伴っていなければ、そこで殺そう」
「あー、そういやそんな話だったな……。まあレウルの魔法があれば事故や自殺に見せかけるのも簡単か」
「とは言っても、伯爵クラスを殺すとなると少なくともアイシャとミリルに報告くらいは入れておきたいかな。ああ、それとツトロウスも呼び戻しておこう」
正直、戦力を分散したのは失敗だった。
まさか【魔】と戦うはめになるなんて思ってもいなかったからシェーナとリューネがいれば十分だと思っていたが、イレギュラーはいつだって起こりうる。【英雄】を遊ばせる判断は迂闊だった。
「なら、お前は一旦近場の町から手紙でも出しに行くのか? 俺は砦に戻るつもりでいたんだが」
「それなんだけどさ。この、兵士どころかグラディー『コーウェン』まで死んだような中で君たち五人だけ戻るってめちゃめちゃ怪しくない? いっそのこと、討伐軍は全滅したことにして逃げるって手もあるよ? 潜伏先の工面くらいならどうとでもなるしさ」
「いや、砦に戻るに不都合はない。算段はついてるからな。いま砦にいる国軍の兵士はそのほぼ全てが平民閥の支持者だ。パワーバランスだったり各々の感情だったり、支持の理由は様々だけど、ともかく、たとえ不審に思っても彼らは俺たちを受けいれる」
「へぇ……! バークラフトはこの状況を予期してたってこと?」
「まさかこんな、マジに全滅するとは思ってなかったけどな。お前が証拠隠滅のために皆殺しにするくらいは想定してたよ」
「あはは、なるほど。そういうことならそれでいこう。【英雄】ともなれば軍内部でも下にも置かぬ扱いだろうし。権力を握るには間違いなくそっちの方がいい」
「うぇ。俺、もしかして出世させられるのか?」
「そりゃそうさ。【花の英雄】リール『ベリー』なんか大佐だったろ。ま、リールに関してはアイシャの側近っていうのもあるからそこまではいかないだろうけど、少なくとも君が少尉のままっていうのはないだろうね」
「ははは、クソめんどくさい事務処理の世界へようこそ! 【剣の英雄】サマよ!」
「くっそぅ……そういうのは全部バークラフトに押し付けるはずが……。ってか、その呼び名は確定なのかよ?」
「呼び名?」
「【剣の英雄】ってやつ。確かにギルガースにはそう名乗れって言われたけど」
「いや、俺も知らんが……。レウル?」
「や、僕も知らない。自分が殺した【魔】の称号を名乗ってる【英雄】が多い気はするけど。リューネ?」
「名乗り? 好きにすればいいんじゃない。別にこうしなきゃいけないとか決まってる訳じゃないし」
「あれ、そうなのか。俺はてっきり【英雄】には名乗りにルールがあるんだとばっかり……」
「無いわよ、別に。あ、ウェルサームの法律は知らないけど。自然状態での話」
「法律の規定は無いようですね。ただそれでも、殺した【魔】の名を名乗るのがほとんど、と父さまが」
「ふぅん……。そういや、アークのそういう名乗りって聞いたことないな」
「あ、いや、僕は……」
「それはそうでしょう。レウは【英雄】じゃなくて【魔】なんだから」
「あっ」
「はあっ!?」
「あら? ……もしかして、言っちゃダメだった?」
「いや……」
リューネが何の気なしにぽろりと溢したそれは、いつか言わねばならないことだとはわかっていたが、なんとなく言い出すタイミングがなくてなあなあになっていた話。
リューネはもう疾うに話したと思っていたのだろう。実際、今となっては特段隠すようなことでもないのだし。
「あー、うん。つまりは、まあ、そういうことで。ごめん! 嘘ついてた!」
しかし、これもいい機会といえばいい機会だ。素直に頭を下げて白状する。
告白を聞いた仲間たちは何も言わない。
おそるおそる顔を上げると、みんなはいささか戸惑ったような、あるいは困惑したような表情をしている。少なくとも恐怖したり怒っているようではないが。
代表するようにバークラフトが僕に問う。
「……それを、なんで長らく黙ってた?」
「なんとなく言い出すタイミングが無くて」
「それだけか? なんか隠し事とかしてんじゃねぇの?」
「ないけど……」
「そうか! ならいいさ」
僕の返答を聞いた瞬間、意外にもバークラフトは笑って僕を許した。
「え、いいの?」
「お前がいまさら俺たちをのけ者にして隠し事なんざしてたらぶん殴るつもりだったけど。ああ、お前が【魔】だってことなら、それ自体は別にどうでも。お前がリューネ『ヨミ』を連れてきた時点でいまさらだろ」
「そっか……。ん、ありがと」
「しっかし、そうするとなんだ? アークの正しい名前は、【侵奪の魔】レウルート=オーギュスト、ってなるのか?」
「だね。称号はリューネにつけてもらったものだし、家名はばあや……僕をずっと世話してくれてた人のを勝手にもらったんだけど」
「あら、別に変えてもいいわよ、称号」
「え? いいの?」
「言ったでしょう? 別にルールがある訳じゃないの。各人が好きなように名乗ればいい。レウ、私が貴方を【魔】にしたとき、私は貴方の力を見てその名をつけたわ。けれど、いまの貴方はあの頃よりはるかに成長しているもの。そうね、奇しくもあの【剣の魔】が言った通り。貴方は最早、侵し奪うどころの【魔】ではない。貴方の力は、侵すも殺すも奪うも、あるいは力を与えるも自由自在。貴方の手の中には全てがあると言ってすら過言じゃないかもしれない」
「それは……流石に持ち上げすぎだよ」
「そうかしら? 私は本気だけれど。【剣の魔】を殺すほどの力をニンゲンに与えたのは驚いたわ。まあでも、決めるのは貴方よ。変えるも変えないも、変えるならどんな名前にするかも、貴方の自由」
称号、か。
いままで考えたこともなかった。なんとなく、リューネに貰ったものをそのまま名乗っていたし。
しかし、改めて僕自身が決めるとしたら、どうするだろうか。いや、別に必ずしも変えなきゃならないわけじゃない。ない、が……。
もしも。
もしも、僕自身で自らの力を名付けるなら。
それは、侵す力であり癒す力。殺す力であり活かす力。奪う力であり与える力。
それは即ち、人間と【英雄】と【魔】と【神】と、その全てを統べることであり、言い換えるならばそれこそが王の王たるもの。
僕が目指すそれは、すでにここにある種の完成を見ていた。
故に、名付けるならば、
「……【王権の魔】」
「え?」
「王の王たるもの。即ち、王権。ならば、僕の名は【王権の魔】だ。それこそ、僕の手にした力の名にふさわしい」
「……そう。いい名だと思うわ」
リューネは微笑んでそう言った。
同じく、僕の話を微笑みながら黙って聞いていたシェーナは、もう一人に水を向ける。
「マサキさんは、どうするかお決まりになりましたか?」
「……俺は、【剣の英雄】マサキ『ギルガース』を名乗ろうと思います。ギルガースは紛れもなく俺の敵でしたけど……けど、俺があいつの『剣を継いだ』のは事実ですから。名前くらいは、あいつが望んだように」
「……そうですか」
彼のそれは、不思議な感慨だった。
時に、持ち主のレゾンデートルにすらなりうる【魔】の力。それを、殺し奪った時、その力は新たに生まれた【英雄】のアイデンティティーとなる。そこに抱く不思議な感傷を外から推し量ることはできないのかもしれない。
ちらり、とリューネを横目で見遣る。
「ん? ……言っとくけれど、私は違うわよ」
「へっ?」
「私が【王の魔】ヨミを名のうちに入れているのはあの女を慮ってるわけじゃないってこと」
「え、違うんですか?」
「シェーナまで……。アルウェルト『シルウェル』ね? 貴方たち【英雄】と私のような【魔】の感覚は違うのよ。私は単に、この名で世間に流布してしまったから分かりやすくこう名乗ってるだけ。むしろ業腹ですらあるわね」
まあ確かに、リューネが殺して力を奪ってきた【英雄】や【魔】は【王の魔】ヨミだけではあるまい。【風の英雄】ログラン『キョーガ』を殺したときも特段感慨を抱いているようには見えなかった。
「さて。そんじゃマサキも落ち着いてきたみたいだし、動き出すとするか!」
「砦に戻る……のは明日にすべきだね。もう辺りは真っ暗だ。とりあえず今夜は夜営かな」
「幸い陣も物資もあるからな。一晩どころか十日だって余裕だろ!」
「お、なら今日は戦勝の宴でもやるかっ!?」
「……酒を持ってきた兵士がいるのを知ってる」
「ほぉ、いいなそれ。言っとくが、俺はかなり強いぜ?」
「さ、酒? 俺、未成年だぞ」
「バッカ、今日の主役が何言ってる! お前の故郷じゃどうか知らんが、ウェルサームじゃ十八で成人だ!」
「ええ!? いや、うーん……。……ま、いいか」
はしゃぎ回る仲間たちの背中を見つめていると、そっとシェーナが僕の横に寄ってくる。
「レウ様」
「ん?」
「私たちが村を出てからいろいろありました。本当に、いろいろあって……。……いろいろあって、今があります。今のレウ様は、幸せですか?」
……僕は多くのものを失ってここにいる。だから僕は絶対に王にならなくちゃいけない。それまでは、どんなに楽しくとも、幸せでも、そこで足を止めるわけにはいかない。
……ああ、でも。
僕はもう一度、士官の仲間たちを眺める。はしゃぐ彼らは、確かに僕が紆余曲折を経たから得ることの出来た仲間たち。
その彼らを眺め──
「うん、なかなかどうして、悪くない」
「それは何よりです」
応えたシェーナの声音は、例えようもなく喜色に弾んでいた。




