009 想いと旅立ちと
翌日の早朝、僕とリューネは旅装で村の端で佇んでいた。
名残惜しげに村と森を眺めるリューネにいい加減、と声をかけた。
「そろそろ行こうか。……どうしたの? 何か思い残しでもある?」
「……いいえ、別に。貴方こそ、別れを告げたりしなくていいのかしら?」
「あはは、それは昨日たっぷりやったじゃないか」
昨日、村のみんなに挨拶回りをしているうちに、なぜだがいつの間にやら僕の送別パーティーをやろうとかいう話になり、一晩中飲めや踊れやの大騒ぎだったのだ。
みんな笑っていたが、その心情は様々だろう。建前通り、僕の出立を惜しみ、祝福してくれる人。なんでも理由をつけてみんなでドンチャン騒ぎたい人。そして、少しでも明るく過ごすことで大切な人を亡くした悲しみを忘れたい人。
結局、僕から彼らにしてあげられることは何も無くて、ただ一緒に笑って騒いでいただけなのだけれど。それが僅かでも彼らの慰めになっていることを祈った。
「……レウ? なぁに、考え事?」
「え? ……ああ、いや、ごめん、なんでもないよ。早く行かないと。時間が無いのは本当なんだから」
と、迷いを振り切るように村から目線を外し前に一歩を踏み出そうとした、まさにその瞬間だった。
背後から僕を追うように聞き慣れた声が聞こえた。
「レウ様っ!」
「……シェーナ? どうしてここに……。もしかして見送りに来てくれたのかな? 別によかったのに。だって昨日あんなに……」
「違います」
「え? えっと、じゃあ……あ、忘れ物? 僕なにか……」
「それも違います。ねぇ、レウ様。本当にわかりませんか? どうして私がここに来たのか」
「…………連れてけ、っていうのはナシだよ」
「わかってるじゃありませんか」
そう言って、いつもの澄ました表情のまま彼女はゆっくりと僕の目の前まで歩いてくる。
よく見れば背中には大きな荷物を背負っているし、どうも見慣れない服だと思ったらフードのついたマントを羽織っていた。完璧な旅装だ。
綺麗な碧玉の瞳には自信と期待、それに少しの不安が揺れている。
この様子からすると、ルミスさんの許可は取ってあるのかもしれない。横目でリューネを見遣るに、どうも彼女も反対している風には見えない。
根回しは十分というわけか。
「ダメだよ。理由は言わなくてもわかるだろう?」
「危険だから、ですか? 私はこの村に居ても襲われましたけど?」
「あれはルミスさんが居なかったからの例外中の例外だよ。次の定期報告は例年通りシェーナが従者としてついていけばいい。ルミスさんがいる限りは絶対に安心だ」
「本当にそうですか? 安全性の話をするなら、この村には母さま一人で、守らなきゃいけないのは村人みんな。二人についていけばレウ様とリューネの二人で、守らなきゃいけないのは私一人。本当に安全なのはどっちでしょう? ……それに、私だってただ守られるつもりはありません」
チャリ、とシェーナが白い牙を加工したネックレスを持ち上げて僕らに見せる。
「シ、『シルウェルの顎』っ!?」
「母さまにいただきました。……あれ、どうしてレウ様がこれのことを?」
「あ、いや、昔ちょっとね。あはは……」
これは『英雄の遺物』。すなわち、【英雄】が死に際して自らの力を縁の品に遺すことで生まれる、超常の力を秘めた器物のことだ。
シェーナが持っているのは、彼女の父親である【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』の力が込められた遺物だ。
過去、ルミスさんにも黙ってこっそりこれを持ち出した前科のある僕は、後ろめたさでつい目を反らしてしまう。あの時はこっそり元に戻しておいたが、怒られもしなかった辺りバレなかったのだろう。
横目には事情を知っているリューネがくすくすと笑っているのが見えた。
幸いにもシェーナは、僕が独自に調べていたとか以前にルミスさんから聞いてたとか、きっとその辺の穏当な想像をしたらしく、別段の追及もなかった。
と、それに安堵した次の瞬間、リューネの言葉に僕は鈍器で頭をぶん殴られたような衝撃を覚えた。
「そうそう、レウが気づかないみたいだから私から言うけど、シェーナはわりと後戻りできないところまで来てるわよ」
「……やっぱり、リューネにはバレてしまいますか」
「なんだって? 一体、どういうことだ?」
「『神性』にかけられてた封印が解かれてる。じきに彼女も本物の【神】に覚醒するわ。そうなれば、人間の中では生きづらいんじゃない?」
どうしてそんなことを、と叫びかけてすんでのところで口をつぐむ。
そんなの問うまでもない。
僕らと生きるために、彼女は人間を捨てたのだ。果たして当の僕がそれを放り出していいものか。
しかし、僕の葛藤を遮るようにシェーナが心配げに口を挟む。
「あの、それはあまり気にしないでください。私がレウ様についていきたいって言ったのは、それが理由じゃありませんから」
「何か理由があるのかい?」
「昔、母さまが言ってたんです。この国の王子はみんな、自身の権威と力のために【神】を一柱従えてるって。それを聞いた時はなんとも思いませんでしたけど、今ならわかります。十年前のレウ様は、母さまが欲しくてこの村に来たんですよね?」
その通りだ。
かつて僕は、自分の力としてルミスさんを利用するためだけにこの村にやって来た。出来ることならシェーナには知られたくなかった最低の事実が今更ながら暴かれたことで、僕の体が緊張に強張る。
しかし、シェーナは柔らかい微笑を浮かべ、僕の頬にそっと手を当てて、
「そんな顔をしないでください。別にそれを責めたいとは思ってません。……私は悔しいんです」
「悔、しい?」
「はい。どうして、レウ様は私より母さまを選んだんですか?」
「え? だ、だってその当時のシェーナはまだ全然子供で。そもそも僕もルミスさんには娘がいる、くらいにしか知らなかったし……」
「そうですよね。そんなこと、わかりきってます。でも、私は悔しかったんです。私は、母さまの何倍も何十倍もレウ様の【神】になって力になりたいと思ってるのに、レウ様は私を欲しがってくれない。それで、思ったんです。それならいっそ、私の方から押し掛けようって。私を貰ってください、ってずっとレウ様についていけばいいんです。だから、今も。私はレウ様と一緒に行きたいんです」
碧玉の瞳を情熱で燃やし、真摯に僕に訴えかけるように彼女は言葉をぶつける。
ここで、僕は考える。
彼女のいった言葉の意味と意図を、順番に。
まず安全性について考えてみれば、目的地の王都があの兄たちのお膝元なのは間違いないが、彼らの舞台で闘う術を心得ている僕の側とその方面はほぼ素人のルミスさんの側のどちらが安全かは疑問がある。もちろん、シェーナの言う理屈もその通りだ。
次にシェーナが本当に【神】になると言う話。本人はああ言うが、僕はそれに甘える気にはとてもなれない。僕が【魔】になったとき彼女が自身のせいかと問い僕が彼女のためだと答えたのと同じ、彼女が【神】になるのはきっと僕とリューネのためなのだ。そのリューネが連れていきたいのだし、僕も責任はとらなきゃいけない。
最後に、彼女自身の想いについて。これはとても単純で端的。僕は彼女の想いに応えたい。
これらを総合すれば、
「連れていくしかない、か……」
ぼそりと呟いた瞬間、視界の端ではシェーナとリューネが勢いよくハイタッチしていた。仲のいいことだ。
旅立ちの初っぱなからうきうき気分の二人には悪いが、もう少し気を引き締めてもらいたい。
僕は意識して硬くした声でそんなようなことを言った。シェーナはすぐさま、すいません、と謝って荷袋のベルトを握る手に力を込めた。この素直さはシェーナの美徳だと思う。
対してリューネは、
「って言っても、私たちは一体どこに行くの? 旅の計画くらいは教えてくれてもいいんじゃない?」
「ん……そうだね。当然ながら最終目的地は王都だ。半月と少しくらいだね。で、とりあえずの行き先は隣町のオクターヴァ。この辺一帯を治めるレイノ子爵の領地の中でもまあ大した町ではないけど、ここよりは大分発展しているよ。ここからだと歩いて半日くらいかな」
「すいません、私のせいで行程遅れてしまって……」
「僕とリューネだけの方が速いのは確かだけど、全体からいえば誤差みたいなものだから気にしないでいいよ。どうせ途中の町で馬車を買うつもりだからね」
「馬車? 貴方、そんなにお金持ってるの?」
「多少アテがね。ま、その時が来たらわかるさ」
リューネは誤魔化すような僕の物言いに胡乱げな表情を浮かべたが、わざわざ根掘り葉掘り聞くほどのことでもないと思ったのか特段の追及はなかった。
僕の目論みをシェーナが聞けば眉をひそめるだろうし、ツイていた。
◆◇◆◇◆
「お、見えてきたね。あれがオクターヴァの町だよ。……少し休むかい?」
「へい、平気、です……! わた、し、には、気を使わないで、大丈夫、ですから……」
「無理したっていいことはないわよ。休みましょう」
「でも、行程が……」
「貴女が倒れたりした方が遅れるのよ?」
「リューネの言う通りだね。どうせ町に入る前に二人に話があったしちょうどいいよ」
シェーナの返事も聞かずに道から少し外れた草むらに座り込む。
シェーナはしばらく困ったような申し訳なさそうな表情で立っていたが、僕らがすぐには進むつもりがないと悟ると、大人しく腰を下ろした。
やはり素直さは彼女の美徳だ。息も絶え絶えになりながら進んでも仕方ないことはわかっていたのだろう。休むときは休まなきゃいけない。
「で、私たちに話っていうのはなんなのかしら?」
「ああ、そうだった。二人といっても特にシェーナなんだけど。町での注意を少しね」
「私ですか?」
「うん。町とか人目のあるところでは、できるだけマントのフードを被るようにして欲しいんだ」
「フードを?」
「要は髪を隠してくれってこと。僕も同じなんだけどね」
と、ここまで説明してもシェーナは要領を得ていないらしく、疑問符を浮かべている。しかし、あの村はルミスさんが治めていることで【神】が異常に身近だった特異な場所だ。わからないのも仕方ないかもしれない。
反対に、リューネは僕の意図するところを察したらしく、代わって説明をしてくれた。
「つまりね、貴女のその蒼みがかった銀っていう髪の色は普通の人間にはあり得ないのよ。【神】特有なの。レウも同じっていうのは、金髪も貴族や王族にしかない髪の色だから。でしょ?」
「そういうことだね。ま、貴族の金髪はともかく、銀髪が【神】だけっていうのを知ってる人は少ないかもしれないけど、珍しい色なのは間違いないんだ。変に目立つのは避けたいんだよ」
オクターヴァ程度の辺境ならともかく、これから王都に近付けは近付くほど【神】のことに詳しい人も増えるし、正体がバレた時に王子に報告が行く可能性も高くなる。
今のなんの準備もできていない僕が兄たちに見つかればすぐさま殺されておしまいだ。僕が注目されうる情報はできるだけ出さないようにしなければいけない。
「でも、目立つって話なら私もあまり良くないんじゃないかしら? 男女二人旅ならいくらでも言い訳は効くにしても、そこに半端な年の少女は少し怪しいわよね?」
「……わざわざそんな風に言うってことは、何か案があるのかな?」
「ええ。見ててちょうだい。『隠形』」
魔法が、発動する。
すると徐々にリューネの輪郭がぼやけはじめ、ただ真っ黒な闇のようになったかと思うとその闇は大気に溶け込むみたいにすぅと薄れ、消えてしまった。後にはリューネの影も形も残っていない。
「凄いな。こんな魔法もあるのか」
「暗殺なんかにはとっても便利よね?」
声は背後から耳元に囁くように聞こえた。こっそりと位置を移動していたらしい。
びっくりして思わず肩がはね上がる。
悪戯が成功して嬉しいのか背後からはくすくすと笑い声が聞こえた。しかし振り返っても姿のない笑い声はなかなかに怖い。
「存在自体の認識しやすさを操作する魔法よ。今は貴方たちなら声はギリギリ聞こえる、くらいのレベルで使ってるわ」
「便利だなぁ。そういうの僕にも教えてくれよ」
「うーん、別に教えるのは構わないのだけど……」
「けど?」
「レウにはたぶんあんまり才能がないわ」
「えぇ!?」
「貴方は格のわりに固有能力が強すぎるのよ。だからきっと他のどこかが【魔】として劣ってる。膂力に問題はないから固有以外の魔法だと思うのよね」
「そっか……」
「あんまり気を落とさないでください。レウ様にできない部分は私がやりますから」
「あら、それは名案ね。シェーナはルミスヘレナの娘だから素質は十分だし。よかったわね、レウ。貴方の【神】は優秀で」
確かに嬉しいは嬉しいがなんとも複雑な気持ちだ。
気を取り直すようにため息をついた僕は、シェーナもそろそろ落ち着いたかと確認してから立ち上がって二人に出発を告げた。