088 【疵の英雄】と【剣の魔】と 3
「う、ぐぅッ、ぎィ、ガぁああああああああああああ!」
つんざくような絶叫。
丸薬を飲んだ瞬間にグラディー『コーウェン』が上げたそれは、戦意を湛える咆哮ではない。怒りを放つ威嚇でもない。
それは、耐え難い痛みに震える悲鳴だった。死の足音に怯える慟哭だった。
すなわちそれは、およそ戦場であげてはならぬ声。勝利を諦め、敗北を受け入れるがごときもの。
けれど。
「ッ……! なに、あれ。どういうカラクリ?」
「【疵の英雄】の魔力が、爆発的に……!」
魔力感知に疎い僕ですら気づけた。
あの飲み込んだ薬物の作用なのだろうか。
頭打ちになっていたはずのグラディー『コーウェン』の魔力が増加する。それも、一挙に溢れ出るような勢いで。
「ギァァァァァアアアアアア!」
噛み殺し切れぬ悲鳴を上げ続けながら、グラディー『コーウェン』は獣のような俊敏さでギルガースべ飛びかかる。
薬物による強化は、反面、彼の理性になんらかの制限をかけているのか、その動きは機敏だが無駄が多い。いや、あるいは、あれは思考を失っているというよりは、暴走した感覚に振り回されているかのように見える。
「ッ! 『柵のごとき剣』よ!」
「ァァァアアッ!」
しかし、知性のかけらも見られない動きであっても、その力は本物。
それまで幾度となく僕らの歩みを阻み傷つけてきた『柵のごとき剣』が発動するも、地面から立ち上がるそれをグラディー『コーウェン』は大剣で以て、薄紙を破るように叩き壊した。
「『留め塞ぐ剣』よ!『我が身護る剣』よ!」
薬物でグラディー『コーウェン』の力が異常に増大した時点で、ギルガースもこれを予感していたのだろう。『柵のごとき剣』も含め、奴が咄嗟に編んだ三つの魔法はいずれも自らの身を守るものだった。
続く『留め塞ぐ剣』はグラディー『コーウェン』ではなくギルガース自身の周りに展開し、剣の檻にその身を閉じ込める。それは裏を返せば、頑強な檻に守られているということでもある。
しかしグラディー『コーウェン』は止まらない。やはり、振るった一太刀で檻はひしゃげ、二太刀で儚くも崩れ飛んだ。
檻を破壊した勢いのままギルガースに迫る大剣。最後に控えるは、元々守りに特化した『我が身護る剣』。
それを纏った両腕をぴたりとくっつけ合わせ、胴体の守りとする。
みしり、と異音を出しながらも、『塞ぎ留める剣』を破砕したことで勢いを失っていた剣を辛うじて受け止める。
「ガァァァアアアアアア!」
しかし、グラディー『コーウェン』は止まらない。
力任せにギリギリと大剣を押し込んでいく。ミシミシ、と軋む音が大きくなり、
バギャン!
ギルガースの腕を覆う何本もの剣。そのうちの一つが砕け散った。
「く……!」
ギルガースが苦悶の吐息を漏らす。
……苦悶?
いや、あれは……笑っている?
【魔】の身に纏われた剣に食い込んだ大剣は押し込まれ続け、じわじわとその守りを破壊しつつある。。
が、グラディー『コーウェン』の理性が減じているのを【剣の魔】は見逃さない。
技巧を失ったその大剣の勢いを巧みに受け流すように地面に転がったギルガース。腕を切り落とされかけていた苦境から脱する。
「くく……! ははははは……! 善い! 善い! 素晴らしい! お前か!? お前がオレの剣を継ぐ者か!?」
「オオオォォォオオオオオ!」
脱した勢いのまま、満面の笑みのギルガースが興奮気味に訳のわからないことを捲し立てるが、グラディー『コーウェン』は吼えるばかりで返答の一つもない。
いや、あるいは振るわれる刃こそがある種の返答であるのかもしれない。すなわち、【魔】と交わす言葉などない、と。
「ははは! まあなんでもよいか! 『金剛不壊なる剣』よ!」
ギルガースが未知の剣を生み出し、戦術もなく乱雑に振るわれた大剣を受ける。
『柵のごとき剣』を紙くずのように吹き飛ばしたグラディー『コーウェン』の膂力でさえ、その剣にひびをいれることさえできない。金剛不壊の詠唱は伊達じゃない。
それでも、グラディー『コーウェン』は強い。大剣を受け止めた程度では足らない。
ぐぐぐ、と力任せに大剣が押し込まれる。【剣の魔】とて真正面からの力比べでは敵わない。
「ぐ……、ぐぅぅぅううう!」
じりじりと僅かずつ押されていくギルガース。
「シェーナ!」
「はい」
僕らが手を出さないでギルガースを討てるならそれが最も手っ取り早い、というのは変わらないが。それでも、これが絶好の好機であることには疑い無い。ならば逃すべきじゃない。
傍らの【神】に呼び掛ける。長々とした言葉はいらない。ただ彼女の名を呼ぶだけで、僕の意図は通じる。
二人同時に飛び出した。もちろん、速いのはシェーナ。
僕より数歩分先に、【魔】へと迫り行く。
「収束せよ、槍へ」
「『塞ぎ留める剣』よ!」
魔力の槍を生み出したシェーナに、ギルガースは檻の剣でその行動を封じる。素早いシェーナを確実に捕らえるためだろう、随分範囲の広い檻だった。けれども、檻は檻。この場合、ギルガースに近づけなければ同じこと。シェーナも足を止めざるをえない。
それなら、とばかりにシェーナは檻の中で槍を振りかぶり、投擲する。
「『天駆ける剣』よ!」
鍔迫り合っているグラディー『コーウェン』からは一瞬も意識を離さぬまま、ギルガースは宙を翔ぶ剣を産み出しシェーナの槍を迎撃した。
槍と剣が空中で衝突し、シェーナの槍が『爆裂』する。爆風で『天駆ける剣』もその勢いを失って、くるくると回転しながら明後日の方向へ飛んでいった。
シェーナは小さく息を吐いて閉ざされた檻の中から『転移』して逃げる。目印は先まで僕らが立っていた位置に置いてあった一つのみ。ふりだしに戻る、だ。
けれども、それで十分。その時にはもう、僕が追い付いている。
「ギルガースっ!」
声を発する。奴の聴覚を侵す。
必然、奴が僕にちらと視線を向ける。視角を侵す。
二感。けれど、ギルガースの抵抗精度を考えるとまだ足りない。せめてもう一つ。残る三覚の中なら狙い目は触覚だろう。
「ふん、貴様か。厄介な『支配』の魔法の使い手。今、貴様にちょっかいを出されるのは困るなぁ?」
『柵のごとき剣』。
防ぐどころかむしろ僕を逆に仕留めるくらいの勢いで現れる何本もの剣に、僕も手にした剣をぶつけて受け止める。それでも、その勢いばかりは殺しきれない。押し出されるように地面を削りながら後ずさる。
「くっ……!」
触れることはおろか、近づかせてすらもらえない。
「貴様は【疵の英雄】の後に殺してやる。大人しく待っていろ!」
そう叫んだギルガースが片手に新たな剣を産み出しグラディー『コーウェン』へ振るおうとした、まさにその瞬間。それこそが好機。
「リューネ!」
「ええ」
突如として、リューネ『ヨミ』が虚空から姿を現す。
僕から見ると、ギルガースを挟んで反対側。こちらに意識を割いていた奴の背面を突く形。
「何ィ!?」
「身を隠すのは『隠形』ばかりじゃない。貴方、汎用の魔法を使うのは不得手なのね」
槍を携えたリューネが言う。
彼女が消えていたのは、『幻影』の効力だ。自らの姿の上に背景と同じ『幻影』を被せ、姿を見えなくしていたのだ。『隠形』と違って音や気配は消せないが、グラディー『コーウェン』に僕やシェーナまで相手取っていたギルガースに、そこまで細かな注意を回すことはできなかった。
防御用の剣を産むのも間に合わない。リューネの魔力の槍を、ギルガースは大きく仰け反るような形で、無理矢理に体を捻って回避する。奴の頬を魔力の槍がかすり、血の線が走る。
殺せなかった……が、問題はない。
そんな無理な体勢でリューネの攻撃を躱したばかりのギルガースは隙だらけだ。もちろん、そんなものを見逃してやるほど【疵の英雄】は甘くない。
「死、ネェェェエエエエエ!」
豪、と凄まじい勢いでグラディー『コーウェン』は剣を振り下ろす。
殺った。確実に致命傷になる威力とタイミング。
……そう思って、気を緩めたのは失敗だった。あそこでまださらなる攻撃を仕掛けていれば、多少のダメージは与えられたかもしれなかったのに。
グラディー『コーウェン』の必殺を妨げたのは、ぽつりと呟かれたギルガースの詠唱。
「『金剛不壊なる我が身守る剣』よ」
大剣の着地地点、ギルガースの胸のド真ん中から剣が生える。
複数本の剣が絡み合って胸当てのようなシルエットを形成したそれが、鋼すらも断ち切る【疵の英雄】の一撃を防ぐ。
衝突の勢いまでは防ぎきれず、ギルガースの足が二十センチも地面に沈み込むが、それはむしろ衝撃を地面に逃がしたから。奴に大きなダメージはない。
「その魔法、複合できるのか!?」
「応とも。相応に魔力は食うがな。そして、こいつで終いにしてやる。『【英雄】を殺す剣』よ!」
不穏な詠唱。
ギルガースの右手に新たな剣が生まれる。
「ッ、まずっ……!」
飛び出したのは、リューネだった。
ギルガースの背後から奴の行動を封じようと襲いかかる。
だが、【剣の魔】には見えていた。
「退け! 小娘が!」
昼のリューネでは、身体能力でギルガースに及ぶべくもない。増してや【剣の魔】、その剣速がリューネの槍のスピードに劣るわけもなく。
攻撃も防御も間に合わず、ギルガースの振るった刃が、リューネを肩口から逆袈裟に直撃した。
「リューネッ!」
思わず、叫ぶ。
ギルガースの『【英雄】を殺す剣』に打たれたリューネは、勢いのままに吹き飛び、地面を跳ね、転がり、やがて止まった。
そのままぴくりとも動かず、起き上がる気配がない。
「む……? 手応えが……?」
斬ったリューネはすぐに意識からはずし、不思議そうに小首をかしげながら、手元の剣を矯めつ眇めつしているギルガースに、僕は怒声と共に斬りかかる。
「ギルガースゥゥゥウウウウ!」
「はっ、吠えるな、優男」
怒りのままに遮二無二繰り出した剣を、ギルガースは右手の『【英雄】を殺す剣』と左手の『金剛不壊なる剣』を巧みに操って難なく捌き、
「ほれ、死ね」
カキン、と奴の剣が僕の剣は跳ねあげたと思った時には、もう一本の剣が僕の頭上で振りかぶられている。
「ガァァァッ!」
けれど、その剣が僕を襲うことはなかった。
横合いからグラディー『コーウェン』が飛びかかったからだ。
【疵の英雄】の大剣を『金剛不壊なる剣』でギルガースは捌くが、やはり身体能力の差はいかんともしがたいようで、パワーとスピード、その両方で圧されている。
じわじわとペースがグラディー『コーウェン』の方へ移る。
「『塞ぎ留める剣』よ」
檻の剣。
グラディー『コーウェン』ではなく、ギルガースを閉じ込める守りの剣。
『金剛不壊なる剣』の複合もないそれは、グラディー『コーウェン』から身を守るには不足。
ガシャァン!
一太刀浴びせれば、檻はひしゃげる、
ガシャアン!
二太刀でもって、切り裂かれその機能を喪失する。
「『塞ぎ留める剣』よ」
間髪いれず、さらなる守り。
ガシャアン!
またも一太刀、檻はひしゃげ──
「む、ぐ、うぅッ……!」
──二太刀目が振るわれない。
見れば、グラディー『コーウェン』の様子が少しおかしい。
いや、おかしい、という言葉遣いは間違っているかもしれない。
戻っている。
先までのいわば暴走状態とは違い、その瞳には理性の光が見える。
そして、それに伴って、おそらくあいつの力も……。
「やはりな。貴様が飲んだ薬の得体は知れんが、理性をトばすほどの副作用のある強薬、そう長くは持つまい。そろそろであろうと思っていたよ」
どこかつまらなそうにそう言ったギルガースが、右手に携えた刃をグラディー『コーウェン』へ振るう。
その刃の名は、『【英雄】を殺す剣』。
スゥ、と。
擬音にするならばそうなるだろうか。
それまでの派手で騒々しい戦いが嘘のように、その一閃は音すらも立てず。
それはまるで、熱したナイフをバターに通すかのように、なんの抵抗も感じさせない自然さで、グラディー『コーウェン』の体躯を……腹から上下真っ二つに切り分けた。
「あ、ィ、が、ごふっ……!」
「ふぅむ、やはり我輩の剣に不具合はないな。すると、あの小娘は……?」
腹に収まる内臓のほとんどを引きちぎられ、目を見開いたグラディー『コーウェン』が逆流した血を吐き出す。
一方のギルガースは目前の敵に完全に興味を失ったようで、手元に剣に触れてなにやら呟く。
「ま、殺してから確かめればよいか。さて、次は誰から死にたい?」
僕、リューネ、シェーナと順繰りにギルガースは視線を迷わせる。
「くそったれ……!」
策もなく僕が吶喊したところで容易くあしらわれて殺されるだけ。それはわかっている。わかっているが……!
他にどうしたらいい!と半ば自棄になりながらがむしゃらに突っ込もうとしたその時。
「待ってください! レウ様、下がって!」
シェーナの声。
反射的に足を止め、バックステップでギルガースから距離をとる。
その僕と行き違うように、後方から魔法が飛んでくる。
『爆裂』。
鮮烈な光と音を伴って、魔力が弾ける。
「ふん、今さらこんな目眩ましが……」
「目が眩むなら十分です」
「ッ!」
声はギルガースの足下、正確には右前方下寄りから。
ギルガースがそこに刃を突き刺す。
「シェー……」
「静かに、レウ様」
僕の真横から聞こえた声に、びっくりして心臓が飛び出るかと思った。
ギルガースに攻撃していたはずのシェーナは、僕のすぐそばで手を握っている。
「あれは『幻聴』です。『転移』で一旦距離をとります」
「なら、グラディー『コーウェン』も!」
「! わかりました」
理由も問わず、シェーナは僕の手を引いたまま駆ける。
『高速』と『加速』の二重起動。ギルガースですら対処しきれないそのスピードで、シェーナは千切れたグラディー『コーウェン』の上半身に駆け寄り、触れ、
「『転移』!」
三人で跳ぶ。
ギルガースとグラディー『コーウェン』の攻防の間に目印を増やしていたようで、『転移』先はギルガースに吹っ飛ばされたリューネのもとだった。
「リューネ!」
遠目からではわからなかったが、近くで見ると胸板がゆっくりと上下している。
生きている!
「……大、丈夫。死にはしないから、よそ見はやめなさい。敵を見て」
「ああ! 君も、あまり喋るな。安静にしててよ」
そして、生きているのはリューネだけではなかった。
「ぐ、ぅ、ふ、ぅぅううう……!」
「驚いたね、グラディー『コーウェン』。体が真っ二つになっても生きてるとは」
「わ、たしが、死んだら、力が、奪われる、だろう……!」
「確かに。これ以上ギルガースが強くなったら手がつけられない。だから、教えろ、グラディー『コーウェン』。さっきお前が飲んだ薬はなんだ? あれは僕たちも使えるものか?」
「あ、れは、ただの麻薬、覚醒剤、だ……。私の能力、が、あって、初めて、力になる」
「ちっ、そううまい話もないか。なら、次の質問だ。その傷、治るまでどのくらいだ?」
「この、レベル、は、数日だ……。最短でも、半日は、要る。この戦いは、離脱だ……」
その返答を聞いて、僕は自らの指先を小さく切って血を出し、グラディー『コーウェン』の口を開かせた。
「僕の血を飲め。治癒が促進される」
もちろん、そんなのは真っ赤な嘘。僕はそんな魔法は使えない。
けれど、なにも知らないグラディー『コーウェン』は、疑うこともなく血を飲む。まあ拒まれたら無理矢理飲ませるだけだったけど。
「どうだい?」
「どう、も、何も、血の、臭いと、味が、するだけだ……」
にぃ、と嗤う。悪辣な笑みを浮かべる。奴の体に触れながら、
「そうか。臭いと味がするか」
「!? なん、だ……!」
「侵せ」
『支配する五感』。視覚。聴覚。触覚。嗅覚。味覚。五感。グラディー『コーウェン』はその全てで僕を感知した。僕の能力、その完全なる形が発揮される。
あの【光輝の女神】ルミスヘレナ=アルウェルトですら恐れた最大出力は、瞬く間にグラディー『コーウェン』の肉体を汚染し、意思を制圧する。
「『魔力を寄越せ。一滴たりとも余さず、絞りカスになるまで全部』」
命じる。
怒濤のような勢いで、負傷に負傷を重ねて増強されつくした【疵の英雄】の膨大な魔力が流れてくる。
「お、おおお、おおおおお!? なぜ、なぜ! う、裏切った、のか!?」
「あの【魔】は僕たちが殺しといてやる。だから、安心して死ね、【疵の英雄】」
「く、あ、あ、ぁ、ぁぁぁ……」
魔力を失い、傷の治癒もできなくなって息絶えたグラディー『コーウェン』にはもう興味はない。
今大事なのは、あの【英雄】から奪ったこの大量の魔力。
これだけあれば、戦える。
三十メートル先のギルガースを睨み付ける。
「さあ、反撃開始といこうじゃないか」
そういえば、先々週の月曜日投稿の日、見てくださった方がいつもより少し多かったようなのですが、見てくださる方はいつごろの投稿が都合が良いのでしょうか?




