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087 【疵の英雄】と【剣の魔】と 2

「ちょっと、まずいかな……」


 【剣の魔】を侮っていた。

 今まで、シェーナのもリューネのも、『隠形』の魔法は破られることがなかった。それはたとえ【英雄】が相手でも、だ。それゆえ、僕は少しばかりこの魔法を過信していたようだ。

 【剣の魔】が僕を視覚で認識している以上、魔力のラインは相手に繋がっているが、グラディー『コーウェン』のあのレベルの呪詛を抵抗(レジスト)するほどの相手だ。一感ではとても侵せないだろう。

 それに、そのグラディー『コーウェン』も無視できない。【魔】とか【神】とか正直に名乗るのは論外としても、知らぬ間に戦場に居た【英雄】など怪しいことこの上ない。グラディー『コーウェン』とギルガースの相討ちによる漁夫の利を狙っていたはずが、このままじゃ三つ巴の最悪のパターンになる。

 辺りを伺いながら頭の中で状況を整理する。

 【剣の魔】ギルガース。僕らの存在に気づいている。殺さなければならない敵。【疵の英雄】グラディー『コーウェン』。ギルガースと敵対しており、僕らにも警戒している。殺したい敵。国軍やハウリー伯爵私兵団の兵士たち。今のところ蚊帳の外。死んでいても生きていてもいいが、僕らの存在を知られるとまずい。バークラフトたち、士官学校の仲間たち。信頼できる仲間。絶対に死なせる訳にはいかない。

 ……やむを得ない。


「シェーナ、『隠形』を解いて」

「いいんですか?」

「苦肉の策だけどね。グラディー『コーウェン』と手を組む」

「わかりました」


 ぱちん。

 シェーナが指を一つ鳴らすと魔法が解ける。僕らの姿が衆目の前に露になる。視覚による認識に晒され、『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』が多数の人間と接続する。

 兵士たちがざわざわと囁き始める。無理もない、いきなり虚空から人が現れるのを見たら、混乱も困惑もしよう。グラディー『コーウェン』もまた、驚愕に目を見開き、僕らに誰何する。


「ッ……! 何者だ、貴様ら!」

「狼狽えるなよ、【疵の英雄】グラディー『コーウェン』。僕は【侵奪の英雄】アーク=オーギュスト。軍の【英雄】だ。といっても、正式な部隊じゃない。クントラ中佐の子飼いさ」

「その金髪……貴族が、平民中佐の手下だと?」

「貴族も一枚岩じゃないってことだ。考えてもみろよ。【英雄】の助力もなしにあのヤリアから帰ってこられると思うか?」

「む……」

「ハウリー伯爵の砦に赴任してる平民の士官がいるだろう? 彼らから、【魔】が現れたと聞いてね。中佐は僕らを派遣したってわけだ」

「……ならば、なぜ今まで身を隠していた?」

「僕らの存在は秘密なんだよ。中佐の極秘戦力だ。本当は、お前が一人でその【魔】を殺してくれたら何も問題は無かったんだけど。……まあ、それはいいさ。ことここに至って、貴族も平民もないだろ? 【剣の魔】を殺すのが最優先だ。手を組むぞ、グラディー『コーウェン』」


 グラディー『コーウェン』は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、しかし不承不承ながらもゆっくりと首を縦に振った。僕の嘘っぱちをとりあえずは信じたのだろう。やむを得ないことだ。こんな場所では真実を確かめることもできない。

 それに、【魔】を殺さなくてはどうにもならないのは奴も同じなのだから。


「よし。……待たせたな、【剣の魔】ギルガース」

「なに、構わん。貴様らが手を組もうが反目しようが好きにするといい。どのみち、我輩に全員殺されるだけゆえな?」

「思い上がるなよ、【魔】が……!」

「思い上がり、なぁ。そう思うなら、試してみるか?」


 鷹揚に、あるいは驕慢に、僕らが手を組むのをみすみす見逃した【剣の魔】も万を持して動き出す。

 威勢のいい【英雄】の叫びに応え、【魔】は自ら攻勢に回る。地を駆け、【英雄】へと迫る。


「遅い!」

「知っているとも」


 身体能力においては、傷だらけになった【疵の英雄】は【剣の魔】をも上回る。

 切りかかってきたギルガースの一撃を容易く躱したグラディー『コーウェン』だったが、しかしそれもギルガースの予想の範疇であったようで。


「『柵のごとき剣』よ」


 ギルガースの足元から十を越える数の剣が生え、グラディー『コーウェン』の腹や腰の辺りを目掛けて雨後の筍と言わんばかりに伸びる。

 しかし、【疵の英雄】は頓着しない。自らを狙う剣の一切を無視して、握った大剣を振り上げる。攻撃を躱され体勢を崩した【剣の魔】の隙を見逃さない。

 お互いが回避を捨て攻撃に動く相討ちのモーション。

 ……いや。


「『我が身護る剣』よ!」


 先程も見た、鎧のごとき剣。それがギルガースの頭部から産まれ、その身を唐竹に割り割かんとしていた大剣を受け止めた。先程の右腕を覆ったものを籠手と呼ぶなら、今度の剣は兜のごとく。

 一方のグラディー『コーウェン』も、幾本もの『柵のごとき剣』に腹を貫かれながらもぴんぴんしている。傷を負った先から再生していく。むしろ、傷口から吹き出した血液がギルガースを襲う。ジュ、と肌の焼ける音が聞こえる。ギルガースは一進一退の攻防に興奮したように少し笑いながらも、冷静に呪詛を避けて足を下げる。抵抗(レジスト)にだって魔力は使うし、そもそも極大に強化された【疵の英雄】の呪詛を弾ききれるとも限らない。

 だから、ここだ(・・・)


「魔力よ、侵せ!」


 視覚と聴覚。二感。

 予想通りと言うべきか、グラディー『コーウェン』の呪詛すら弾くギルガースの魔力に、生半可な魔法は通用しない。その大部分を抵抗(レジスト)される。けれど、僕の『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』を完全に防ぐことなどできはしない。猛毒が滲んで体内に染み込むように。僕の魔力はほんの少しずつでも確実に対象を侵す。


「ッ……! なんだ、これは!?」


 下した命令は単純。動くな、とただそれだけ。注げた魔力の量が少ないから複雑な命令や高度な命令は出せないし、こんな簡単な命令ですから五秒もてばいい方だろう。

 それだけあれば十二分。


「グラディー『コーウェン』!」

「応!」


 グラディー『コーウェン』は僕が作った隙を逃さず、全力で大剣を横凪ぎに振るう。

 だが、なお、足りなかった。


「『剣』よ!」


 ほんの一小節。おそらくそれが僕の命令に逆らえる最大範囲だったのだろう。産み出されたのは、なんの特殊能力も持たない、刃引きされた直剣。

 それをギルガースは、自らに迫る大剣の刃の軌道を遮るように現出させる。

 もちろん、中空にただ置いた(・・・)だけの剣だ。抵抗としては皆無に近い。

 しかし、そんなものでも意味がないわけじゃない。刃と体の間に遮蔽物を置くだけで、少なくとも剣による斬撃は遮蔽物による打撃へと形を変え、その殺傷力を減じる。

 メキメキメキィ!

 と、【剣の魔】が産み出したその剣は、グラディー『コーウェン』の大剣に押し出されるようにして、作り主たるギルガースの肉体に音を立ててめり込んだ。

 強化されたギルガースの膂力は相当なものだったのだろう。骨が軋む音がする。ギルガースは痛みに顔を歪め、さらに殴られた勢いのまま宙を舞う。

 ……だけど、それだけ。奴の胴体は真っ二つにはなっていないし、意識を失ってすらいない。

 勢い良く吹っ飛ばされたことすら、ギルガースにとっては望み通りだろう。言い換えればそれは、ギルガースとグラディー『コーウェン』の距離が開いたということでもある。なんといっても、【疵の英雄】は遠距離を攻撃できる飛び道具を持たない。それに反して、当のギルガースにはあの剣がある。


「『天駆ける剣』よ──」


 そう、それはすでに何度も見た、高速で翔ぶ魔法の剣。大剣に殴られ飛びながら、【剣の魔】は魔法を唱える。

 それはその場にいた全員の予想の範疇であり、そして続いた言葉は【剣の魔】と相対する誰もが予想していなかった。


「──(とお)と一つ、在れ」


 宙に現れた、十一本の刀剣。それはこれまでの諸刃の直剣ではなく、柄のないナイフとでも言うべき見慣れない形状をしていた。おそらくは防御を難しくするための小型化なのだろう。魔力を節約する意味もあるのかもしれない。

 ともかく、現れた十一本の剣は全て、グラディー『コーウェン』へと切っ先を向ける。いかに【疵の英雄】とて、頭蓋をかち割られ脳をかき回されたら生きてはいられないだろう。十一本の剣、そのうち一つでも防ぎ漏らしたならば、その悲劇は想像でも予測でもない現実となる。

 ギルガースが、剣を発射しようと腕を軽く振るより、わずか早く。


「……収束せよ、槍へ」


 動いた者がいた。

 さっき。ギルガースが十一本の『天駆ける剣』を産み出したとき、だれも予想していなかった、と言ったのは誤りだった。

 きっと、彼女はそれを察知していた。昨夜、リューネが使うのを一度見ただけで、その魔法をコピーして覚えてしまうほどの天才的な魔法能力がきっと、彼女にそれを察知させていた。

 僕らの誰より早く動いていたのは、シェーナだった。

 彼女は魔力を固めた槍をその手に握り、ギルガースが『天駆ける剣』を発射しようとするその時にはもう、奴のそばで槍を振り上げていた。


「チッ、邪魔だ、娘!」


 直前でギルガースも敵がそばまで迫っていることに気づき、十一本の剣のうちその大半とも言える量、八本もの剣の照準をグラディー『コーウェン』からシェーナへと変える。

 発射。

 グラディー『コーウェン』に向かった三本は、一つは大剣にて叩き落とされ、二つはわずか首を曲げるのみで躱され、三つは防御のため差し出された左の手のひらを貫くに止まった。

 シェーナへ向かった八本もまた、


「『加速』」


 急激にスピードを上げたシェーナの姿を見失い、あらぬ位置に突き刺さった。


「ッ、なかなかに、疾い!」

「お褒めいただき、どうも」


 至極どうでもよさげに応えたシェーナが魔力の槍を振るう。

 ギルガースが手にした剣で槍を受けた止めた瞬間、


「爆ぜよ」


 槍が、爆発する。

 その爆発は自然のものとは違い、明確な指向性を持っている。すなわち、その熱と爆風はギルガースだけを襲う。


「『爆裂』……! あれまで見ただけで覚えたの!?」


 さしものリューネも唖然としたように呟いた。

 シェーナの発動した『爆裂』にギルガースを殺せるほどの威力はない。それでも、ギルガースは手にした剣を取り落とし、体勢を崩す。


「収束せよ!」

「『剣』よ!」


 双方がすぐさま失った得物を作り出し、交叉させる。

 疾いのは、シェーナの方。

 けれど、槍が【魔】の首筋を薙ぐのは、ほんの一瞬だけ遅かった。

 ギィン!

 ギルガースの首筋が鈍く光を反射する。奴の首を覆うそれは、『我が身護る剣』。奴が魔法を展開するのがギリギリで間に合った形。


「危うい危うい。危うく首と胴がおさらばするところだったよ。だが、ま、死ぬのはお前の方だったようだがな?」

「ッ……!」


 槍と交叉するように振るわれた剣は、もちろん止まらない。

 シェーナの胴体を真っ二つにする軌道。

 そのタイミングは槍による防御や回避が間に合うものではなく、その威力は『剛力』に付随する防御力強化程度で耐えきれるものではない。

 必殺の一撃。

 スカッ。


「……む?」


 空振り。

 ギルガースが怪訝そうな声を出す。

 さもありなん、必殺であったはずのその刃が振るわれた時には、そこにはもうシェーナはいないのだから。


「今のは、胆が冷えました……」


 つい数秒前までギルガースと刃を交わしていたシェーナは、いつの間にか僕のすぐそばで冷や汗を流している。

 『転移』だ。

 予めここに打ってあった目印(アンカー)目掛けて咄嗟に跳んできたのだ。その体には傷一つない。とはいえ、紙一重のタイミングだったようではあるが。


「今のは、『転移』か。なるほど、そっちの男ともども、厄介な魔法を使ってくれる。しかし……ふ。【疵の英雄】、と言ったか? 貴様の方は底が見えたな?」

「……なんだと?」

「はは、この我輩が気づかぬとでも思ったか? 貴様の傷に比例する強化、無尽蔵に為される訳ではないようだ。現に、腹を抉ったにも係わらず、まるで力が伸びていないではないか?」


 それは、衝撃的な事実だった。

 グラディー『コーウェン』の能力は、ダメージによって増えた魔力で受けた傷を癒す行程を幾度も繰り返すことで真価を発揮する。延々と繰り返せば、即死以外の負け筋を無くしつつ、いつかは敵を討ち果たすことができる。

 けれども、それに限界があるとなれば話は違ってくる。限界まで傷つけられても勝てない相手には、おおよそ勝てないということになるからだ。


「リューネ」

「……私たちにとっては参ったことに、たぶん正しい見立てだわ。少なくとも、あの腹部の傷のとき、魔力の増加が感じられなかったのは事実。それが敵を油断させるための偽装ならいいけれど……」


 可能性は高くない。そんな出し惜しみをする余裕はあいつにだってないのだから。


「……言いたいことはそれだけか」

「うん?」

「やはり貴様は、思い上がることも甚だしいな! 先までの私の責めを凌いだ程度で勝ち誇られては困る!」


 露骨に侮りを見せるギルガースに怒りを滾らせたグラディー『コーウェン』は一声叫ぶと、懐から小さな得体の知れない丸薬のようなものを取り出した。


「軍の【英雄】ども! 貴様らは秘密がどうの言っていたが、【魔】を前に隠れていたのはお前たちではあの【魔】を殺せないからでもあるだろう! ならば、お前たちは私の援護に回れ! 【剣の魔】を殺せるのはこの【疵の英雄】を除いて他にない!」


 そう、僕らに指示を出すと、グラディー『コーウェン』は手にした謎の丸薬を一息に飲み込んだ。


「う、ぐぅッ、ぎィ、ガぁああああああああああああ!」


 グラディー『コーウェン』が放ったのは、ある意味で最も、戦場にも、あるいは【疵の英雄】の称号にも相応しいもの。

 そして、今まで一度も奴が見せなかったもの。

 それは──耳を覆いたくなるほどに鮮烈で無惨な、痛みに悶える【英雄】の悲鳴だった。

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