086 【疵の英雄】と【剣の魔】と
昨日投稿しなければいけなかったのですが、すっかり忘れていました。申し訳ありません。
「さて、あとはバークラフトが上手くやってくれば……」
グラディー『コーウェン』との交渉に赴いたバークラフトたちを見送り、士官用の天幕でだらけていた僕らに、突如異変が訪れた。
真っ先に気付いたのは、シェーナだ。
びくん、とシェーナが大きく体を震わせ、ぱっと北東の方角を睨み付けた。もちろん、天幕に遮られ、視線の先には何も見えないはずだ。
「シェーナ? どうしたの?」
「ッ……これは……まさか。でも、そんな」
「シェーナ?」
「……【魔】です」
「は?」
「【魔】の気配です、これは! 間違いありません!」
「なっ……まさか、本命が来たってこと!? このタイミングで!?」
「元々近くにはいたのかも。昨夜、派手にやり過ぎたかもしれないわね!」
言いながら、リューネがシェーナに魔法を施す。
「『隠蔽』したわ。以前よりは強くなったとはいえ、シェーナの【神】としての気配はまだ薄弱。向こうに先に気付かれた可能性は低いと思うわ。で、どうする? 打って出る?」
「バークラフトたちの方に回ろう。僕の仲間は全員そこにいるし、グラディー『コーウェン』もそっちだ」
「兵卒の方は……」
「いくらかは死ぬだろうね。仕方ない」
「……わかりました。行きましょう」
痛ましげに表情を歪ませながらもシェーナは頷く。
シェーナが感知している【魔】の気配から遠ざかるように僕らは陣営の最奥に向かっていく。
総指揮官の天幕の前に一人立つマサキを見つける。シェーナが施してくれていた『隠形』を解いてもらい、
「マサキ! みんなは!?」
「中だ、アーク! 全員何事もない!」
マサキの叫び声を聞いた仲間たちがぞろぞろと天幕から出てくる。確かに、みんな怪我も何もない。
「グラディー『コーウェン』は?」
「【魔】の方に向かった」
「チッ、行き違いか。まあいいや。君たちは……」
「逃げろ、なんて言うんじゃねぇぞ? 仲間だろ、俺たちは」
「……。わかってるよ、ハーレル。もちろん、協力してくれ、って言うつもりだったさ」
「のわりには変な間があったが。ま、それはさておき、どう動きゃいい? 部下を率いてグラディー『コーウェン』の増援に、でいいか?」
「戦力の確保といつでも動ける体制は整えてほしいけど、あの【英雄】はまだ助けなくていい」
「いいのか?」
「どうせ最後には殺すしね。最善は相討ち、そうでなくとも【魔】の力を削って死んでくれれば上々だ。どうにも役に立たなそうなら、僕らが横合いから手助けして、って感じかな。ニンゲンの兵卒は使い潰していい。どうせ【魔】には勝てないから。ただ、君たちは死ぬな。僕が力を分けられるのは、僕が信頼する人間だけだ」
「了解。お前は……」
「僕らは【魔】の方に向かう。グラディー『コーウェン』だけじゃ、【魔】を殺すには足らないだろうから」
「そうか。……死ぬなよ」
「はは、当たり前だろ。僕も仲間も、誰一人死なせないさ。……もう、二度と。行こう。シェーナ。リューネ」
再び『隠形』を身に纏い、いよいよ【魔】の気配の方向へ進んでいく。
「ッく……は、ッ……」
「シェーナ? 大丈夫?」
「ッ……。大、丈夫です。【魔】の気配にアテられただけ、なので」
息を荒げ、頬を紅潮させながらシェーナは言う。
そういえば、かつてリューネと初めて会った時もこうなったことがあった。あのときは今よりもはるかに酷かったが。
「無理はしちゃダメよ」
「はい、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」
確かに、今回は【魔】を討つのだから【魔】への敵意が邪魔になることはないだろうとも思うが。
【魔】の方へ近づくにつれ、悲鳴が聞こえてくる。助けを求める声。赦しを乞う声。痛みに苦しむ声。死に怯える声。絶望に狂乱する声。幾人もの人間の悲劇と嘆きが音となって伝播する。
「ぬぅぅぅうううん!」
その中で一際力強い叫びがあった。
数多の声たちの中でただ一つ、恐怖に飲まれぬ怒りと戦意を内包している。
【疵の英雄】グラディー『コーウェン』だ。
だけれど。
「ッ……! あれは……」
「あら、まあ。これ……ちょっと不味くない?」
そこにいたのは、全身を傷だらけにし、いかにも痛ましい姿を晒しているズタボロの【英雄】が一人。
【疵の英雄】の特性を鑑みれば、不利どころかむしろ傷による力の増強を得たグラディー『コーウェン』のほうが本来はよほど優勢なはずであったが、しかし相対する長身の男は強化されているグラディー『コーウェン』を前にしながら、涼しい顔で立っている。
それはまさしく、異常事態であり、非常事態であった。
「あれが、【魔】……」
シェーナがぶるりと体を震わせながら呟いた。
グラディー『コーウェン』に対峙しているのは、前情報通りの長身の男。襤褸と見紛うようなみすぼらしい衣を体に巻き付け、長く伸びた髪はざんばらでまともに手入れされているようには見えない。
まるでスラムの浮浪者のような身なりに似合わぬのは、その自信に満ち満ちた表情と、野生の猛禽のような鋭い眼光、そして離れた距離からでも一目で分かる、業物の剣が一振り、その右手に握られている。刀身まで真白に塗られた細身の直剣だ。
「くそが……昨夜とは随分戦い方が違うな、【魔】め……!」
「昨夜? 昨夜……昨夜なぁ。くく、生憎我輩にはまるで思い当たることがないが?」
「戯れ言を……!」
もちろん、昨夜現れた【魔】の正体はリューネであり、剣持つその【魔】の返答はまったく正しいのだが、そもそも僕らの存在さえ知らぬグラディー『コーウェン』からしたら侮られ、とぼけられたようにしか感じられなかったのだろう。
絞り出すように毒づいたグラディー『コーウェン』は、力強く大地を蹴って【魔】へと襲いかかる。
「ふむ、確かにその身体能力は我輩にとってすら脅威ではあるが」
グラディー『コーウェン』が大きく踏み込んで切り下ろしたその大剣を、【魔】は右手一本で握った白い剣で器用に刃筋を合わせて勢いを受け流す。
「『剣』よ、来たれ」
【魔】が呟いた瞬間、空の左手に新たな剣が現出する。右に握っていたそれと瓜二つ、真白の業物。
魔法だ。虚空から剣を産み出す魔法。リューネが使っていたものとは違い、魔力を固めたものではなく実際に質量のある本物の剣。
産み出したそれを、グラディー『コーウェン』の心臓を貫かんと鋭く突き出す。
「ぬ、ぐぅぅううッ!」
されど、傷による強化を経たグラディー『コーウェン』は凡百の【英雄】には収まらない。流された大剣を恐るべき速度で引き戻したその【英雄】は、今にも命を奪わんと迫る剣の切っ先を体の外側へ弾き出す。
そのまま流れるような機敏さで、逆風の切り下ろし。
【魔】は迷わず右に握った剣の一本から手を離し、その腕で大剣を受けるかのように側頭部でかざす。
そして、
「『我が身護る剣』よ」
詠唱とともに、右腕を金属の鎧のようなものが覆っていく。
……いや、違う。あれは剣だ。【魔】の右腕から生えた何本もの剣が絡み合うように腕を覆い、まるで籠手のように見えているのだ。
【英雄】の大剣が【魔】の剣に激突する。
ギャイイィィィン!
まるで断末魔のような甲高い衝突音が響く。
【魔】の生やした剣がグラディー『コーウェン』の一撃を受け止める。
「『塞ぎ留める剣』よ」
トン、と【魔】が左足で地面を軽く叩くと、地から五本の剣が生え、檻のようにグラディー『コーウェン』の退路を塞ぎ、周囲を囲う。
しかし、身の回りを完全に覆われてしまうより早く、【疵の英雄】は跳び退る。
もちろん、その下がった方向にも剣は生えてきている。けれど、グラディー『コーウェン』は二の腕がざっくりと裂けるのも厭わずに退避した。おそらくは、退路を塞がれてからの【魔】の致命的な一撃を恐れたのだろう。死に至らない程度の傷であればあいつにとってはむしろ受けたいくらいなのだし。
「『天駆ける剣』よ、来たれ」
剣の間合いから脱してなお、【魔】の追撃は緩まない。
新たに産み出されたのは、中空に浮かぶ不思議な剣。その切っ先は、まるで照準を合わせる銃口か鏃のようにグラディー『コーウェン』を捉えている。
【魔】が小さく手を振り下ろした瞬間、猛烈なスピードで剣はグラディー『コーウェン』目掛けて飛翔する。
その剣を、グラディー『コーウェン』は躱すでも剣で弾くでもなく、右手を伸ばしがしりと掴みとる。柄ではない。刀身を、だ。
ギャリギャリギャリギャリ!
剣によって掌の骨が削れる音だろう。一生のうちでもそう耳にすることのないであろう異音。聞いているだけで怖気が走る。けれど、剣の突進力より【英雄】の握力が勝ったようである。剣はその脳天を貫く直前で前進を止める。
「ぐ、ぅぅぅ……」
痛みに表情を歪めながら、握り止めた剣を放り捨てたグラディー『コーウェン』の掌は見るも無惨なことになっていたが、裂いた二の腕ともども傷口がぼこぼこと隆起し、すでに再生を始めているようである。
それでも、【魔】の自信に満ちた笑みは消えない。
「ふむ、ふむ。やはり、な。【英雄】。貴様では我輩には勝てんよ」
「薄汚い【魔】が! 調子に、乗るな……!」
「別段、調子に乗っているつもりはない。単なる事実だ、【英雄】。いやいや、なるほど確かに、貴様の、受けた傷に応じて身体と魔力を増強し、傷を再生するその魔法、悪いものではない。しかし、それを操る貴様がその体たらくではなぁ」
「フン。【魔】が、【神】の殺害者ともあろうものが、安い挑発をするのだな」
「貴様はその強化された肉体で動くことに慣れていないな? その力、もて余しているだろう?」
「…………」
「図星か? だろうなぁ。【英雄】ともなれば、そうそう傷を負う状況もあるまい。されば、その魔法も宝の持ち腐れというものだ。それで我輩を、この【剣の魔】ギルガースを討とうなど、くく、何かの冗談か?」
「黙れ……!」
【剣の魔】。あの【魔】は、そう名乗った。つまりは、そういうことなのだろう。先程から奴が見せる様々な剣を産み出す魔法。あれこそがこの男の固有魔法。前情報の、不可思議な剣、という話はそのままこの【魔】の本質を示していた。
「レウ様、どうしますか? 【疵の英雄】を援護しますか?」
「どうしようかなぁ。でも【魔】の魔力も無尽蔵ではないし、このままあの【剣の魔】を消耗させて死んでくれればそれで……ん?」
ぴり、と何かよくわからない感覚が半秒にも満たないほんの一瞬、僕を刺激する。
なんだろう、初めての感覚ってわけじゃない。覚えのある何かなのだけれど。
「レウ様?」
「ん……ああ、いや、なんでもない。とりあえずこのまま観戦でいい。あの【剣の魔】が隙を晒したら襲おう」
「賛成。【疵の英雄】も、まだ手札を使いきったわけじゃないみたいだし」
リューネが向かい合う【英雄】と【魔】を指し示す。
見れば、グラディー『コーウェン』は大剣を器用に取り回し、自身の手首を掻き切った。動脈まで達した刃によってびちゃびちゃと血が溢れ出し、得物の大剣を濡らしていく。
「自傷か? ふむ、貴様の魔法ならば有効なアクションかもしれないが」
……そうだ。さっき【剣の魔】が【疵の英雄】の魔法に言及したとき奴は強化と再生、二つの魔法にしか言及しなかった。
つまり。
グラディー『コーウェン』が血に塗れた大剣を振りかざし、【剣の魔】ギルガースへと駆ける。
「『柵のごとき剣』よ」
ギルガースが足先で地面を叩く。
先の『塞ぎ留める剣』のように地面から剣が生えてくる。二、三十本はあるだろうか。それらが複雑に交差しながら馬防柵のように鋭い切っ先を向け、グラディー『コーウェン』の進路を阻む。
グラディー『コーウェン』は走る勢いを殺さぬまま、地を蹴って柵を飛び越える。
「『天駆ける剣』よ、七振り、来たれ」
ギルガースの周囲に、七本の浮遊する剣が現れる。
すでに一度見た『天駆ける剣』であったが、同時に何本も産み出せるなどというのは聞いてない。
グラディー『コーウェン』の驚愕を嘲笑うかのように、産み出された剣は空中で身動きのとれぬ 【英雄】へと猛スピードで殺到する。
一本、二本、三本、四本。
大剣での防御が間に合ったのはそこまでだった。
五本目の剣が【疵の英雄】の肩口を浅く切る。六本目の剣が【疵の英雄】の右腿に深々と突き刺さる。七本目の剣が【疵の英雄】の左肘から先を切り飛ばす。
……【疵の英雄】が、にィ、と嗤った。
その傷口からは血が勢い良く吹き出す。【疵の英雄】の血が真下にいるギルガースに振りかかる。
呪いが込められた【疵の英雄】の血が、【剣の魔】へと振りかかる。
「ッ!? な、んだコレは! 呪詛だと……! 馬鹿な、こんな隠し玉が……!」
じゅうじゅうと、呪われた血がギルガースを焼く。グラディー『コーウェン』の傷はリューネとの戦いの時よりも深く、それだけ呪いの効力も増しているがゆえ、抵抗 しきれなかったのだろう。血に濡れた顔面を覆い悶えるその様は、いかにも無防備だ。
今だ。この期に乗じて【剣の魔】を討つ。
そう判断し、一歩を踏み出したその瞬間。
ぴりり、とある感覚が僕の中を駆け抜けた。肌感覚じゃない。耳や鼻で感じたものじゃない。
わずか考え、察する。
これは僕の『支配する五感』が反応しているのだ。何者かが視覚でもって僕を捉えている反応。
馬鹿な。今の僕は『隠形』している。一体、誰が。
目が。
目があった。
顔面を覆うその指の隙間から覗く猛禽のような眼が僕を射抜く。【剣の魔】の瞳が、僕を見据えている。
「なッ……!?」
突如、妙に視界がスローモーになる。ギルガースの口がゆっくりと詠唱を紡ぐのが見える。その傍らでは浮遊する剣が徐々に形を為している。
ただ知覚と思考だけが加速して、僕の体は凍ったように動かない。僕の命を奪わんとする剣が目に見えているのに、回避も防御もままならない。
これがまさか、走馬灯とかいうやつなのだろうか。
ふとそんなくだらないことが脳裏に浮かんだ瞬間、世界のスピードがもとに戻った。
「『天駆ける剣』よ!」
「レウ様っ!」
完全に油断していた僕を飛翔する剣から救ってくれたのは、頼れる僕の【神】だった。
『高速』と『加速』、二種の魔法の同時起動、なんて彼女は言っていたか。魔法に疎い僕にはその二つの違いもよくわからないのだけど。
ともかく、尋常ならざる速度で動き、僕を押し倒したシェーナと二人、地面を転がった僕らの頭上ぎりぎりを剣は通り過ぎていった。
「あ……っぶなぁ……。あ、ありがと、シェーナ」
「ご無事でなによりです。それより」
「ああ……」
間違いない。『隠形』が見破られている。
もう【剣の魔】はこちらに気づいていることを隠しもせずに視線を向けてくる。
「ふぅむ、今のタイミングなら確実に殺れると思ったのだが。三本くらい放っておくべきだったか?」
【剣の魔】がいささか不満そうにそう言った。
直前まで呪詛に悶えていたはずが、今はなんてことなさそうにぴんぴんしている。よくよく奴を観察してみれば、皮膚を焼かれてこそいるがその傷はせいぜい表皮にとどまる程度の浅いものだ。はじめから僕に隙を作らせることが目的の演技だったというわけか。
突如あらぬ方向に攻撃した【魔】を見て、左腕が生えきらない【疵の英雄】も胡乱げにこちらへ警戒の視線を飛ばす。
……もしかするとこれ、ちょっとまずい状況なんじゃ?
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