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085 分析と対立と

「とんでもないな……リューネ『ヨミ』。【英雄】の腕を切り落とすとか……」


 リューネとグラディー『コーウェン』の戦いが終わってすぐ。

 グラディー『コーウェン』は逃げた【魔】を討伐軍に追わせることなく解散させたため、再び天幕の中に戻ってきていた僕やシェーナと新米士官の仲間たち。

 ふと、ダヴィドがわずか声を振るわせながら興奮と畏敬の入り交じった声音で呟いた。

 無理もない、あのリューネの圧倒的な力を目にしたら、複雑な気持ちを抱くのは想像に易い。

 【英雄】すらも赤子の手をひねるように弄べる【魔】など、ニンゲンが恐怖を抱かぬはずはない。

 けれど、しかし。

 あれほどの力に憧れや羨望を抱かずにいられる人間がどれだけいるだろう。あの力があれば、とそう思わずにいられるほど無欲な人間がどれだけいるだろう。

 恐ろしくも惹かれずにはいられない。それはまさしく、暗い昏い夜闇の誘惑のよう。【夜の魔】の持つ魅惑の魔力だ。


「あいにく、腕は生えてきたけれどね。正直気持ち悪かったわ」

「うわぁっ!? い、居たのか……」

「そりゃいるわよ。私はレウの臣下だもの。別命ない限り、この子のそばにいるに決まってるでしょう?」


『隠形』を解いて姿を現したリューネが、抱きつくように僕の首に腕を回して身を寄せながらそう言った。


「……前々から気になってたけどよ、レウル」

「ん?」

「お前とシエラヘレナ様とか、お前とリューネ『ヨミ』ってどういう関係なんだ? 俺たちと出会う前からの仲間なんだろ?」

「そうだね。シェーナとはかれこれ十年来の付き合いだし、リューネも初めて会ったのは、えっと……八年前? くらいだから付き合いは長いよ。ううん、関係、関係ね……どう説明するのがいいかな」

「私はこの子たちの姉よ」

「「「ええっ!?」」」

「実の、じゃないよ。念のため」

「あ、だ、だよな……」

「リューネには長らく面倒を見てもらってた時期があってね。それこそ、僕ら三人、姉弟姉妹のように毎日一緒にいたから。まあそんな感じ」

「なるほどなぁ……」


 三人でいた数年間は僕にとっては言葉にしがたいほどに濃いものだったが、簡単に説明すればこんなものだろう。

 さて、と一段落した話題を切り替えるようにリューネは手をぱちんと打ち合わせ、


「それじゃ、グラディー『コーウェン』と戦った所感を報告すればいいかしら?」

「あ、待ってくれ、リューネ『ヨミ』。先に俺からレウルに聞きたいことがある」

「私は別にどちらが先でもいいけれど」

「いいよ、バークラフト。なんだい?」

「聞きたいのは、これから俺たちがどうすりゃいいか、だ」

「ん? どう、とは?」

「おいおい、失念してたとは言わせないぞ。グラディー『コーウェン』の目的は【魔】の討伐じゃなくて、俺たち軍の士官に【魔】の実在を確認させることなんだろ? なら、リューネ『ヨミ』を問題の【魔】だと思っている奴からしたら【魔】の確認は済んだわけで、これ以上ここにいる必要はない。すぐに引き返そうとするはずだ。そのまま行きゃあ、アンラ王子からの増援が砦に来て、お前の身の安全はまずいことになる」

「おー、鋭いね。こういうのも慣れてきたかい?」

「はぐらかすなよ。……それとも、それでいいのか? ラーネ=ハウリーと王子からの援軍に【魔】の討伐は任せて、お前はここを去る、とかか?」


 それも考えはした。【魔】は討伐すべきだが、それは必ずしも僕がやらなければいけないわけじゃない。他の王子がやるというならそれでいい。

 ただ、ラーネ=ハウリーのスタンスを鑑みれば、ここに残ることになるバークラフトたちの安全は決して保証されているとは言い難い。王子からの増援があってなお、もう一度捨て駒として【魔】にぶつけられる可能性が十分ある。この選択肢は取れなかった。


「いいや、そうじゃないよ。けど大丈夫だ。グラディー『コーウェン』はまだ帰れない。あいつは君たちの意見を無視できないからだ」

「俺たちの意見?」

「そうだ。考えてもみなよ。あいつらは君たちの少なくとも誰か一人には【魔】の存在を上に報告してもらわなくちゃならない。君たちにヘソを曲げられたら困るんだ、あいつらは。本来の予定じゃ、【魔】に仲間を殺させることで目的意識を共有するはずだったんだろうけど」

「ってことは、俺たちは次にグラディー『コーウェン』が出すであろう撤退命令に、四人全員で反対すればいいのか?」

「ああ。理由は何でもいいよ。適当にそれらしいことをでっち上げてくれれば」

「了解。んじゃ俺らの方で口裏合わせとくから……」

「あ、ちょっと待って。グラディー『コーウェン』の戦力分析、貴方たちも聞いていきなさい」

「俺たちも? まあレウルの力を借りて【英雄】と戦うってなら必要か」

「それに、能力を聞いておくだけでも死ににくくなります。もし、【累加の英雄】マリアン『センショウ』の能力が初めから割れていたら、あのときあれだけの被害は出ませんでした」


 シェーナの言葉に、マサキが苦しげに歯噛みする。


「ッ……。そう、だな。シエラさんの言う通りだ。教えてくれ、リューネ『ヨミ』さん」

「ええ。まず、グラディー『コーウェン』の基礎能力は凡百の【英雄】と変わらないわ。そうね、【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』と同格、【花の英雄】リール『ベリー』には届かないくらい、って言えばわかるかしら?」

「……リール大佐の時は言うまでもなくぼろ負けだったし、ヴィットーリオ『ロゼ』にすら俺たちじゃ歯も立たなかった。【英雄】って時点で、その力は俺たちの想像の範疇を越えてるな」

「かもね。それに、グラディー『コーウェン』は少しばかり貴方たちと相性が悪い」

「それは、奴の魔法が?」

「そ。私と【疵の英雄】との戦いはそばで見ていたでしょうからわかるかもしれないけど、あの男の固有魔法はそのままずばり、『疵』に反応するものよ。その能力は、大別して三つ。一つに、ダメージを受けると発動する、膂力と魔力の強化。まあ固有魔法としてはそう珍しいものではないわね」


 条件付きの基礎能力の底上げ。リューネの『夜』と同じタイプの魔法だ。彼女ほどの強化幅は全然無いようだが。


「二つ目は、血を呪いに変える能力。体外に出た【疵の英雄】の血液は身を焼く呪詛に変化するわ。当人には効かないみたいだけど、その効果のほどは……説明するまでもないわよね?」


 先の、顔面のほとんどを爛れさせて死んだ兵士の姿を思い出したのだろう。バークラフトたちは青い顔でうなずく。

 第一の魔力強化と第二の血呪詛はリンクしている。第一の強化が働けば働くほど、呪いの出力は増していく。

 ……なるほど、リューネがバークラフトたちでは相性が悪い、と言った理由が理解できた。


「第三は、欠損の復元再生。あの腕が生えてきた奴ね。切断した四肢すら戻るってことは、ほぼ全ての欠損は治癒すると思っておいた方がいいでしょう。再生にも魔力を使う以上、無尽蔵に、ってことはないでしょうけど、第一の能力とのリンクも考えれば、長期戦は避けたいわね」

「……要約すると、あの【英雄】を傷つけても再生する上呪いを撒き散らしながら力を増してく、ってことか? そんなんどうすりゃいいんだよ? 攻撃するだけこっちが不利じゃないか」

「あら、簡単よ。即死させればいいの」

「簡単に言いやがって……」


 ハーレルが苦々しげに不平を漏らす。

 そう、リューネが言った、相性が悪い、とはすなわちそういうこと。一発で殺さないとグラディー『コーウェン』は倒せないが、ヴィットーリオと戦った時がそうであったように、僕の能力による『強化』を受けるだけでは【英雄】を即死させられるほどの力は手に入らない。仲間を『強化』して数で押す戦法は逆効果だ。

 僕が力の全てを誰か一人に注いでやればあるいは、といったところか。それなら僕が戦う方が効率的という話である。


「夜のリューネなら一撃で仕留めるのも難しくないはずです。問題は……」

「ええ、あの【英雄】を始末するタイミングが都合よく夜に訪れるとは限らないことね。それとも、予定は変更して【疵の英雄】は今すぐ殺す?」

「いいや、変更はなしだ。だってほら、今の話を聞く限り、【疵の英雄】にとって僕は天敵と言ってもいいレベルで最悪の相性だろ?」


 簡単なことだ。

 僕の『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』なら、相手に毛ほどの傷も負わせることなく戦闘不能に追い込める。グラディー『コーウェン』がヴィットーリオと同等の力量だというなら、打ち合いながら『支配』までもっていけるだろう。


「そうね。見立ては正しいと思うわ。でも、逆に言えば、あれに切れるカードは貴方だけよ。彼らはもちろん、シェーナでも【英雄】を即死させるには火力が足りないもの」

「そこは、ま、僕を信頼してくれよ。大丈夫、グラディー『コーウェン』の力量はすでに知れたんだから。むしろ危険なのは未知の【魔】の方だ」

「そう。わかったわ。貴方がそう決めたなら、私は判断に従う」

「ありがと、リューネ。それと……バークラフト。マサキ。ハーレル。ダヴィド。フリッツ。君たちにはリスクを背負ってもらうことになる。それでも……」

「いいさ。あの【英雄】はお前が倒してくれんだろ? なら、ああ。心配はいらないな」


 僕の確認を遮って、バークラフトはためらいなくそう言った。

 心から僕を信じてくれた仲間に、僕も覚悟を込めて頷きを返す。

 生死の境すら共にした仲間たちとの無条件の信頼。十年前の、王宮にいた頃の僕が無価値と軽んじていたものだったが……なかなかどうして、悪くない。


  ◆◇◆◇◆


「……というわけだ。討伐軍は撤退する」


 【魔】の襲撃の翌朝。私はすぐさま国軍の新米士官たちを呼び出し、撤退の提言をした。

 提言などと言っても実態は命令に近い。この討伐軍も雑兵こそ国軍が過半数を占めているが、戦力で言えば【疵の英雄】たる私を擁する伯爵の私兵団の方がよほど大きい。

 これまでの道中、私が実質的な総指揮官として指揮を振るっていても、特段文句も言わなかった彼らだ。加えてあの絶大なる【魔】の力を見た後ともなれば、この命令にも逆らうことはない、とそう踏んでいたのだが。


「断固として反対します」

「……なに?」

「反対する、と申し上げました。我々の目的は無辜の民を脅かす邪悪なる【魔】の討伐。何故、撤退するなどと仰るのか、全く理解しかねます」


 予想に反し、頑強な抵抗に遭う。

 彼の名は、たしか、バークラフトとか言ったか。ヤリアの戦場で士官候補生ながら部隊を率いて【英雄】相手の撤退戦を成功させた功績を評価され、候補生から一足飛びに中尉任官を受けた優等生だと聞いている。

 しかし、彼らが砦に赴任してからこのかた、伯爵に明確に反抗するようなことはなかった。内心に貴族への不信や不満を抱いていることは知れていたが、それならそれで上手く転がせばよい、と伯爵が仰る程度の男だと思っていた。

 だが、今。


「……あの【魔】の恐ろしさはそちらも見たはずだ。撤退し、伯爵にご報告申し上げる。そうすれば援軍の当てもある」

「その間にいくらの民が犠牲になることか! 我々軍は陛下の剣であると同時に民の盾でもあるのです! どうして【魔】ごときに怯えていられましょうか! そも、昨晩の一戦は【英雄】殿の方が【魔】を圧倒し、退かせたではありませんか! なにを臆病風に吹かれてらっしゃる!」


 私が、あの【魔】を圧倒? どんなタチの悪い冗談か。

 がしかし、彼は皮肉でもなんでもなく、本心からそう言っているらしい。

 私がなすすべもなく腕を切り落とされたのを見ていなかったのだろうか? 生えたからよし、などと思っているのかもしれない。だとすると、恐るべき目利きの悪さだ。


「……話にならない。君ではなく、他の士官と話させてもらおう」

「あいにく、我々五人の士官は全員意見を同じくし、私はただその代表としてこの場に立っているだけです」


 驚いて倒れそうになった。信じられない。国軍の士官というのはここまで馬鹿ばかりか? よしんば、超常存在の力量差を測ることが困難だとしても、ラーネ=ハウリー伯爵の部下たる私に、延いてはあの砦を牛耳る伯爵本人に逆らうことの愚を知らぬというのだろうか。


「バークラフト中尉。そちらがそのようなことを言うのであれば、こちらとしても砦の提供について考え直さなくてはならない」


 切りたくない札ではあったが、虎の子の脅しを使う。あの砦を取り上げられれば、ハウリー伯爵領は軍のいない空白地帯になる。防衛の上でも、利権の上でも、それは軍としては避けなければならないはずだ。

 しかし、バークラフト少尉はむしろ顔を真っ赤にして言い募る。


「なッ……! 本気で言っておられるんですか! 軍と貴族、双方の協力あってこそ、民の安全を守れるというものでしょう!」

「その民の安全のために退くべきだと言っている。生半可な戦力で【魔】に挑んで返り討ちに遭えば、むしろ民の安全は遠退く」

「これまた【英雄】のお言葉とは思えない! 【英雄】がいらっしゃる討伐軍が生半可? 手を抜くのも大概にされよ! それとも、【神】でも用意しろと言うのか? 理想論が過ぎる!」


 感情論のみで話す馬鹿に言われたくない、と切って捨てたいところだが。

 今の言葉で少しだけ、彼の感覚を理解する。

 恐らく彼は、【英雄】に過剰な幻想を抱いている。信仰、と言ってしまってもいいかもしれない。ヤリアの戦場でクリルファシートの【英雄】とやらに相対したせいだろう。その、ニンゲンからすれば圧倒的な力の印象を臓腑の奥の奥まで刻まれてしまったのだ。それを上回る【魔】が存在するなどと想像することもできないほどに。


(厄介な……。これでは、本当に他の四人の士官も中尉と同じ意見なのだろう)


 彼らはみな、同じ戦場を生き延びたのだという。その価値観も共通化されているはずだ。

 いざとなれば中尉を気絶させてでも帰るつもりだったが、士官全員がこんな風に考えているとなると、その意見を封殺するのはまずい。ここで私が彼らと対立すれば、軍上層部へ正しい報告が行くかはわからない。その報告が無ければ王子からの援軍も危うくなる。

 どう説得したものかと頭を悩ませていると、矢庭に、天幕の外から絶叫が聞こえた。


「なんだっ!?」


 中尉が叫んだ瞬間、外に控えていた士官の一人が天幕の中に飛び込んでくる。彼の名前はなんといったか。


「敵襲だ!」

「敵襲!? 賊か何かか?」

「違う! 【()()!」

「「はぁっ!?」」


 中尉と私の驚きの声が重なった。


「【魔】が現れて、兵士を殺しまくってる! ……【疵の英雄】グラディー『コーウェン』殿!」


 すがるような目で私の名を呼ぶ士官。誰のせいでこんなことになったと思ってる、と怒りに任せてそう叫びかけ、そんなことを言っている場合ではないと思い直す。

 私は愛用の大剣をひっ掴むと、天幕から勢いよく飛び出した。

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