084 【疵の英雄】と【夜の魔】と
【魔】討伐軍の夜営地点からしばらく離れた林の中、夜闇に包まれた私は、一人襲撃の準備を整えていた。
「『幻影』で姿を変えて……長身の男だったわね。声も男性の声にしなくちゃ。『幻聴』でいいかしら。念のため、『隠蔽』もしときましょうか」
私の体から溢れた闇色の魔力が全身を包んだかと思えば、私の姿は十二歳の少女のそれから、倍近い身長の偉丈夫に変わっていた。
「あー。あーあー。うん、こんな感じかし……あー、こんな感じか? おーし、行くぜっ!」
……我ながら、男らしさのイメージの貧困さに辟易する。
しょうがないのだ。私は百年以上を生きる【魔】とはいえ、その年月のほとんどは【神】や【英雄】から逃げるために人里を避ける生活をしてきた。自分で再現できるほど明確なイメージが記憶の中にある成人男性など、遥か昔に命を落とした父親とレウくらいのものだ。
「ああ、ならレウみたいにすればいいのかしら。……うん、こんな感じかな? よしよし、これならいけそうだ」
演技の調子を整えて準備完了といったところだ。
と、忘れてはいけないものがもう一つ。
「件の【魔】は剣の魔法の使い手って話だったね。不思議な剣、とか言われても困るけど……まあ、適当でいいか」
魔力を肉体から放出させ、それを剣の形に固める。
普段は投げたり振ったりする際に取り回しのいい槍の形にするのだが、今回は目撃された【魔】の設定に沿わなくてはならない。
「収束せよ、剣へ」
形作った魔力の剣を握りしめ、潜んでいた林を飛び出す。
灯りが焚かれている夜営の陣営は煌々と光り、遠くからでもよく見える。
(って言っても、このままあそこに魔法を叩きこむわけにはいかないわね。流石に無駄に兵士を殺すのも悪いし)
とん、と音もなく、三十メートルほど上空に跳び上がる。陣容を窺うには高所が一番いい。
見えた。
陣営の中の空白地帯。人もおらずテントも立っていない空間。あの辺りであれば、魔法を爆発させても平気だろう。
手にした魔力の剣の握りを逆手に変え、槍投げのように振りかぶって、下方へ投げ放つ。
「やっ!」
気合とともに飛んでいった剣は、目標地点への着弾とともにその内部に蓄えた魔力を爆発力へと変じさせる。
ドゴォォォォン!
炸裂した魔力は爆音とともに砂煙を巻き上げる。その音を聞いて、周囲からわらわらと兵士たちが出てくる。
上出来だ。これでグラディー『コーウェン』もすぐに姿を現すだろう。
再び魔力を体外で剣の形に固める。
爆発から遅れること数分、部下を伴って、傷だらけの大男──グラディー『コーウェン』が姿を見せた。
レウたちはまだ来ていないが……まあ、先に始めてしまってもいいか。
わざと気配を殺さないまま、物陰から飛び出しグラディー『コーウェン』へ襲いかかる。
「何奴!」
「名乗る義理はないね」
魔力の剣を【疵の英雄】へと袈裟に振るう。
が、仮にも【英雄】。
不意も討たない剣戟で傷を負うほどやわではない。私の魔力の剣に自らが手にする大剣を下方から振り上げるように叩きつける。
鍔迫り合いの格好になるが、夜の私は膂力でもそこらの【英雄】に後塵を拝することはない。
とはいえもちろん、本気でやる気もない。
グラディー『コーウェン』を殺すのはここではなく正体不明の【魔】に当ててから、というのがレウの方針だからだ。力量の知れない【魔】に対して、敵の敵であるグラディー『コーウェン』を最大限利用してやろうという彼の腹積もりは、リスキーではあるがわからないではない。
「ぬ……ぐっ、貴様が件の【魔】か!」
「いかにも、僕は【魔】だ」
貴方が思っている【魔】とは違うでしょうけど。
しかし、考えてみると、初手の投擲でわざと被害が出ないようにしたのは悪手だったかもしれない。件の【魔】は人間を殺戮する者であるというし、容赦や加減などしそうにない。
しょうがない、グラディー『コーウェン』の片腕くらいは覚悟してもらおう。戦力は下がるだろうが、【英雄】ならば死にはすまい。
この私が残酷な【魔】である、という印象づけを優先した方がいい。
「爆ぜろ、剣」
剣を構成する魔力を用いて発動したのは、『爆裂』の魔法。
私が本気で放てばこの陣営をまるごと吹き飛ばすことくらいは容易い魔法だが、今は剣に込めたわずかな魔力だけで、相応の規模でもって行使する。
カッ!
閃光と轟音を伴いながら、私の手元の剣が炸裂し、辺りを爆風が吹き飛ばした。
発動の仕方は、先ほど投げた剣が炸裂したのと近いが、少し違う。
無軌道に全方位に爆発させた先ほどと違い、今回は指向性を持たせ、剣を握る私の方には爆風も爆炎も影響なく、グラディー『コーウェン』だけを爆発の威力に巻き込む。
「ぐあぁぁああっ!」
全身を火傷で焦がしながら、爆風の衝撃に全身を打ちのめされて吹き飛んだグラディー『コーウェン』へ、すかさず追撃をかけんと魔力の剣を生み出した私は、しかし二の足を踏んだ。
「……どうした? 来ないのか、不詳の【魔】よ」
私が動きを止めたことで、体勢を立て直す時間を手に入れた【疵の英雄】は、起き上がるとこちらに茶々を入れてくるが、そんなあからさまな挑発に乗りはしない。
いや、あまりにもあからさますぎるし、わざと警戒させてこちらの動きを止めようとしている可能性も無いではないが……。
それでもやはり、その選択肢の蓋然性を下げるだけの理由はあった。
……おかしいのだ。
記憶と違う。
グラディー『コーウェン』はここまでの【英雄】だったか?
これほどの魔力を内包していたか?
答えは否。
明らかに、この男の魔力量が先ほどより増えているのだ。
「臆したか、【魔】。わざわざそちらから不意を討って仕掛けておいて、その程度か?」
再びの挑発。
宣うだけ宣えばいい。
私はグラディー『コーウェン』を殺す必要はない。なんなら、殺してはいけない。
むしろ、この【英雄】の能力を探る方がよほど重要だ。
すなわち、なぜ魔力が増えたのか、である。
ヒントはやはり、この男の【英雄】としての称号にあるだろう。すなわち、【疵の英雄】。傷を負うほど強くなる、というのはわかりやすい仮説ではある。
(それを確認するのに最も手っ取り早いのはもう一撃入れることなのだけれど……。さて、どうしましょう)
力を増したこのグラディー『コーウェン』が脅威である、なんてことはまるでない。夜の私であれば、多少強化された程度、ものともしない。
懸念するのは、もう一撃入れた結果、グラディー『コーウェン』がさらに強化された場合。それでもやはり、私が遅れをとるとは思わないが、周りを巻き込む危険性は高まる。
真の脅威たるのは未だ姿の見えない【魔】の方であって、そのために利用する戦力をこんな前座で消耗させてしまうのは本末転倒にすぎる。
思考を走らせながら、つい、と視線を辺りにやると、
(あ、レウ)
私とグラディー『コーウェン』の戦いの周りに集いだした兵たちの中に、レウとシェーナの姿を見つけた。
シェーナの『隠形』は間違いなく効いているし、周りの人間はおろか目前の【英雄】すら、その姿も音も感知できていないだろうが、この私には通じない。
と、そのレウがこちらにまっすぐ視線を向け、口を開いた。
「やっていいよ。気にせず、存分に。僕の仲間はこっちで守るから」
その彼の声も私とシェーナ以外には届いていないわけで。
すなわち、私に向けられた言葉であることに疑いはない。
自然と頬が緩み、薄い笑みを形作る。
私の王から許しが出た。であれば、躊躇う理由は最早ない。
『御意に、我が王』
一方的に彼に『念話』を繋ぎ、言って、切る。
ああ、愉快だ。彼の役に立てる。私がここにいる意味であり、私の存在意義と言ったっていい。しかし、当たり前を当たり前に為すだけのことがこうも愉快だとは。
「くく。はは。あはははは!」
「【魔】め。何が可笑しい!」
「何が? 何が? ふふ……言うまでもないよ」
「ッ!? な、なんだっ!? どこへ……」
『転移』の魔法。長距離を移動するには目印が必要だが、短距離であれば準備も何もない魔力のごり押しで十分。
突如敵の姿を見失った【英雄】が目をしばたたかせる。いかにも愚かしい隙。
グラディー『コーウェン』が私の返答を聞くその時には、私はすでにこの【英雄】の背後で魔力の剣を振り下ろしている。
「ぬっ……!」
「遅い」
回避も防御も遅きに過ぎる。
振り抜いた刃に一瞬遅れ、ぼとり、と何か重い物を落とした、鈍い落下音。
肩先から切り落とされたグラディー『コーウェン』の左腕が地面に落ちた音だ。
「っ、ぐぁぁぁぁあああッ!」
四肢のひとつを欠損する痛みと喪失感には、さしもの【英雄】といえど苦悶の悲鳴を堪えられない。
ばしゃばしゃと豪雨の日の雨どいのように血を撒き散らす傷口。鬱陶しいことにその血は私や辺りに集まる兵たちにも降り注ぐ。
ずぐん、と。
無意識のうちにとある魔力の脈動を感じた。
その正体を探るより早く、異変は起こった。
「ぎゃぁぁああああああ!」
再びの悲鳴。
大人の男性が痛みに悶える声であるのは同じだが、グラディー『コーウェン』のものではない。
その声の主は、私たちの戦いを見守っていた討伐軍の兵の一人だった。顔面を押さえてのたうち回る彼を見れば、手と顔の皮膚がぐずぐずと焼け爛れている。侵食は深そうだ。あれでは助からないだろう。
むろん、私の攻撃ではない。
その原因と覚しきは、血液。先ほど吹き出した、グラディー『コーウェン』の血だ。それを彼は頭から浴びていた。
そして、それはこの私も同様に。
ずぐん。
思索に耽っていたのは数秒にも満たぬ間。もう一度、さきと同じ魔力の感触。
その正体はすでに知れた。
呪詛だ。
私が頭から被ったこのグラディー『コーウェン』の血液が、触れたものを焼く呪いとなって私の身を蝕もうとしている。
呪詛としては極めて単純で基本的な、身体を傷つけるタイプのもの。この程度、抵抗するのはわけない。
同時に、そもそもの目的である分析も忘れない。
(……ふむ。やっぱり、グラディー『コーウェン』の魔力も増大しているわね。ダメージに反応する、というのは正しいみたい。それに加えて、呪いを撒き散らすこの血。本体が使用する魔力量が増えれば呪詛も効力を増すわけだし、合わさるとそこそこ厄介ね。一番わかりやすい攻略は……)
「ぬぅぅぅううんんんん!」
私の思考を阻害するように、隻腕になった【英雄】は残る右腕でもって大剣を握り、気合とともに横合いから凪ぎ払う、
魔力の剣の切っ先を地へ向けるよう縦に構え、受ける。その威力は鍔迫り合いの時よりも重い。
「へぇ、魔力だけでなく膂力も。意外といい能力だな。ま、それでもまだ僕より弱いけど」
「承知の上よ!」
ずるるり。
聞いたこともないようなおぞましい音とともに、失われたはずのグラディー『コーウェン』の左腕がにょきにょき生えてくる。
これには流石の私も絶句するほかない。
「その首、へし折ってくれる!」
まさか、切れた腕が生えるとは。トカゲの尻尾じゃあるまいし。
こちらの首へと伸びる左腕は私の意識の外からの攻撃。想定もしていなかった。
が。
するり、と。
【英雄】の腕は空を切る。
私はいま、本来の少女の姿に偉丈夫の影を『幻影』で重ねた状態。外から見える姿に沿って首筋に手を伸ばしても、そこには何もない。
「はっ!?」
必殺の一撃がなぜか素通りしてしまったグラディー『コーウェン』が驚愕と困惑の声を漏らす。
……不覚を取った。
首を折られかけたことじゃない。
そも、たとえ【疵の英雄】の、巨岩をも粉砕するだろう手指が私のこの細く白い首筋に届いたとしても、私を害することなど叶わない。骨を折るどころか、指痕をつけることさえできまい。
そうではなく……私がいま見せている外見が真正のものではない、というのを知られたのが不覚なのだ。
情けない。レウの役に立てるとあって少しばかりはしゃぎすぎてやいなかったか。
……ともかく、この辺りが潮時だろう。
「爆ぜろ、剣」
『爆裂』。
再びの爆発がグラディー『コーウェン』を弾き飛ばし、土埃を舞い上げる。
「ははははは! また会おう、【英雄】! なに、すぐ会えるさ! 楽しみに待っていてくれよ!」
視界を遮る土煙の中、それらしい捨て台詞を放って『隠形』で姿を隠す。これでもう私を見つけることはできない。その場を離れ、レウとシェーナの方へとゆっくりと歩き出す。
直前まで私がいた虚空に向けて何事か叫んでいるグラディー『コーウェン』に最早用はない。
これにて命令完了だ。
さあ、レウに結果報告に行くとしよう。




