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083 出立と襲撃と

 ハウリー伯爵領内に【魔】が現れたということを知ったあの日からちょうど一週間。

 ついに、この時がやって来た。

 ラーネ=ハウリーからバークラフトたち国軍の仕官へと【魔】の討伐へ向かうよう命令が下ったのが三日前。その後、全ての準備が整ったのが今日の午前。

 そして、今。グラディー『コーウェン』を総隊長とし、ウェルサーム国軍とハウリー伯爵家の抱える私兵団にわずかばかりの傭兵を加えた、総勢二百人ほどの軍勢が、砦からまさに出発するところであった。

 僕とシェーナとリューネも『隠形』で随行しているが、昼のリューネの『隠形』であっても気づかれる様子はない。

 その二百人プラス僕らの前にそびえる砦の外壁の上にラーネ=ハウリーが姿を現すと、奴はいかにも仰々しく演説を始めた。


「勇敢なる諸君。よくぞこの場に集まってくれた。君たちも知っての通り、これは人類の宿敵たる災厄を打ち払う軍勢! すなわち【魔】を討ち滅ぼすための軍である! 【魔】との戦いは熾烈を極めるだろう。にも関わらず、これだけの勇者が各々の意思で集ってくれたことをわしは嬉しく思う!」

「よく言うよ。テメエが砦の権利握ってるのをいいことに、無理矢理国軍を動員したんだろうが。貴族による軍の私的利用は統帥権法違反だろうがよ」


 周囲の仲間にだけ聞こえる程度の小声でハーレルが毒づいた。

 まあ、そういうことだ。ラーネ=ハウリーが砦の所有権を持つ以上、バークラフトたち国軍の軍人はやつに対してどうしても立場が弱くなる。

 また、【魔】というものがラーネ=ハウリー個人だけでなく、国そのものにとっても危機と呼ぶに相応しいレベルの存在であることから、その討伐は軍の協力を得るに十分な大義名分である。それゆえ、今回はラーネ=ハウリーの完全な私的利用とまでは非難しがたいこともあって、バークラフトたちはハウリー伯爵家からウェルサーム軍へと出された要請を断れなかった。……実際、ラーネ=ハウリーにどんな思惑があるかなど、お構いなしに。

 そして、ラーネ=ハウリーの私兵団がやつの命令を断れないことは言うまでもなく、本当の意味で自らの意思で参加しているといえるのは、わずか集まった傭兵のみと言えるだろう。

 しかも、大枚叩いたにも関わらず、その傭兵もわずかしか集まっていないという時点でこれからの戦いがいかに無茶無謀な戦いかがよくわかる。


「しかし、【魔】との戦いにあるのは危険ばかりではない。一つには、栄誉! 【魔】を打ち倒したとなれば、その名声はとどまることを知らず、国中にその名が轟くであろう! 二つに、富! 【魔】と戦い、打ち倒した暁には、このラーネ=ハウリーがその者を側近として任官することを約束しよう! もちろん、その給金に関しても、現在の諸君らのそれとはまさしく桁違いの額だと考えてくれたまえ!」


 確かに【魔】を討ち、【英雄】となった暁には、一大ニュースとしてウェルサーム国内はおろか、隣国のクリルファシート王国やナローセル帝国、山脈の向こうのティーリア王国までその名が知れ渡ることだろう。それは、周辺国の中でも特に多くの【英雄】を擁し、国内全体でその数は五百人に迫るとも噂されるこの国であっても例外はない。まあ、その栄誉とやらが命と引き換えにしてまで求めるものなかのかは僕には疑問だが。

 二つ目の、ハウリー伯爵家への任官とやらは、誰のツバもついてないまっさらな【英雄】を手に入れたいだけだ。恩着せがましく言うことじゃない。むしろ、伯爵家程度であれば、むしろ【英雄】の方からいくらでも仕官先を選べるはずなのだが、その辺りの『相場』を知らない、成り立ての【英雄】がコロッと騙される場合もないとは言えない。


「そして三つ! それはすなわち、力! 【英雄】としての力である! グラディー!」

「は」


 ラーネ=ハウリーが高らかに【英雄】を呼ぶ。

 演説を聞いていた兵たちの視線がラーネ=ハウリーからグラディー『コーウェン』へと向く。

 グラディー『コーウェン』が巨木のような片腕に抱えていたのは、兵練で使う、人間を模した丸太にウェルサーム軍に制式採用されている鎧を被せたものだ。

 奴はその標的を目前に据えると、傍らで二人がかりで抜き身の大剣を持っていた兵士から、その刀身の分厚い大剣を受け取った。

 【疵の英雄】はゆっくりと大剣を大上段に振り上げる。


「ぬぅん!」


 気合一閃。

 【英雄】の振り下ろした刃が、鎧ごと標的を叩き切った。

 集った兵士たちの口から、圧倒されたようなどよめきが漏れる。

 そう驚くことでもない。【英雄】ならこのくらいできるだろう。僕だってできるし、魔法による肉体の強化をすればシェーナや昼のリューネだってできる。

 ヤリアでヴィットーリオ『ロゼ』やマリアン『センショウ』といった【英雄】と実際に相対したことのあるバークラフトたちも、グラディー『コーウェン』の下らないパフォーマンスに冷ややかな目を向けている。


「【魔】を討ち果たした暁には、この【英雄】としての力が諸君らのものになる! 栄誉を、富を、力を、自らの望むものを望むだけ、存分に求めたまえ! 幸運にも諸君らはその全てをも手にしうる好機に恵まれたのだから!」

「「「オオオオオオォォォオオオ!」」」


 ラーネ=ハウリーの演説に、兵たちは熱に浮かされたように吼え猛る。

 この二百人も【魔】への当て馬程度にしか考えていないラーネ=ハウリーたちからしたら、本命のグラディー『コーウェン』を生還させるためには雑兵たちが手柄を求めて熱狂してくれる方が都合はいいのだろうが。


(……まあそれは僕らも一緒か)


 【魔】と戦うに当たって、仲間たち以外を切り捨てる気でいるのは奴らも僕も変わらない。奴を非難する資格などない。

 それに、兵が【魔】と積極的に戦ってくれる方が好都合であるという点でも僕とラーネ=ハウリーの利害は一致している。

 今の、なにも知らない兵を死地へ追いやるためだけに為された下らないパフォーマンスも、僕らの利益になったと思えば多少は割り切って考えられる。

 ラーネ=ハウリーが演説を終え、兵たちの興奮も冷めやらぬ中、総隊長たるグラディー『コーウェン』が全隊へ出発の命令を下した。

 心なしか足早に進み出した討伐軍の後を追いながら、ふと僕はグラディー『コーウェン』が叩き切った鎧に目をやる。

 奴が力に任せて無理矢理切ったのだということを示すような、歪んで潰れた切断面。やはり、このくらいのことは大したことではない、という感想は変わらない。

 けれど……もし、この鎧を抵抗なく鋭い断面で切断出来ていたのなら。


(もし、グラディー『コーウェン』がそこまでの【英雄】だったら、少し恐ろしかったかな)


『レウ? 何してるの? 置いてかれるわよ?』

『ああ、ごめん。すぐ行くよ』


 リューネに繋がれた『念話』で呼ばれる。

 グラディー『コーウェン』の実力の程度はすでに知れた。もし、なんて考える必要もない。

 むしろ考えるべきは、これから相対する【魔】の方だろう。

 僕は止まっていた足を再び動かしながら、来る戦いに備えて思考を回し始めた。


  ◆◇◆◇◆


「レウル?」

「ああ、いるよ」


 【魔】討伐軍が出立した初日。

 グラディー『コーウェン』は最新の目撃情報を頼って【魔】の居場所を探しているようだったが、この日は【魔】を見つけることはできず、あっという間に訪れた夜に、夜営と相成った。

 夜営の天幕の中は僕の仲間である仕官たちしかいない。だから、僕の名を呼んだバークラフトの前に姿を現すこともできた。


「どうでもいいけど、その現れたり消えたりする魔法、便利だな」

「『隠形』の魔法だね。ま、僕は使えないからシェーナかリューネに施してもらうしかないんだけど」

「シエラヘレナ様とリューネ『ヨミ』もここに?」

「シェーナはいるよ。シェーナ」

「はい、レウ様」


 きょろきょろと辺りを見渡していたバークラフトだが、『隠形』はそんなことでは見破れない。

 僕が名前を呼ぶと、シェーナも自らに施した魔法を解いて姿を現した。


「おお……。やっぱりすごいな……」

「『隠形』は高度な魔法だから、誰でも彼でも使えるものじゃないけどね。超常存在、なんて一口に言ってもいろいろいるってことさ」

「なるほど……。今回の【魔】とグラディー『コーウェン』はどうなんだ?」

「【魔】の方は情報が無いからなぁ……。一般的には、【英雄】より手強いやつが多いね。地力が高い傾向があるし、【魔】によっては単一の固有魔法に留まらず、多様な魔法を扱う手合いもいる。シェーナみたいなタイプ、って言えばわかるかな?」

「そうか、シエラさんは姿を消したり分身したり、炎を出したり大蛇を出したり、色んな魔法で戦ってたな」


 マサキが言ったのは、ヤリアでシェーナがマリアン『センショウ』と戦った時の話だろう。大蛇については、アルウェルト『シルウェル』の『遺物』であって、シェーナの魔法とは厳密には異なるが、細かいことは割愛。


「そうそう。で、グラディー『コーウェン』の方も詳しいことはわからないから、やっぱり一般論になっちゃうけど。【英雄】は【神】や【魔】に比べると固有魔法しか使えないってことが多い」

「あー、お前もそのタイプか?」

「だね。僕も『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』以外はショボい魔法が少し使えるだけ。ただ、そうは言っても、僕の魔法が『支配』にも『強化』にも応用が効いたり、あのマリアン『センショウ』の『累加』みたいに異常に汎用性が高かったりする例もあるからなんとも言えないのが本当のところかな」

「ってそりゃ何もわからないってことじゃねぇか」

「あはは、そうだね。だから、グラディー『コーウェン』の能力は今から・・・調べようと思う」

「へっ?」


 ダヴィドが疑問の声を上げたその瞬間、折よく天幕の外から悲鳴が聞こえた。


「なんだっ!? 何があった!」

「慌てるなよ、バークラフト。【魔】が襲ってきただけさ」

「っ……! バカな! 向こうに先手を取られたってことか!? くそ、もしかしたら、昼間から相手はこっちの様子を伺ってて……」

「だから、落ち着けって。平気だよ、何も気にすることはない」

「はぁ!? なに言ってんだ、お前! これが気にせずに……」

「……なるほど。理解した」


 ぼそりと、フリッツが呟いた。

 寡黙な彼は普段の会議やら議論やらでもめったに口を開かないが、論理的な思考に長け、頭の回転も早い。


「フリッツ?」

「レウルート。僕らは、何をすればいい?」

「んー、適当に部下を率いてグラディー『コーウェン』の救援に行ってくれればいいかな」

「了解」

「って、一人で納得して出ていこうとすんな!どういうことだよ、フリッツ!」


 一人、僕の命令をこなそうとするフリッツをハーレルが呼び止める。

 いかにも面倒臭そうに振り返ったフリッツは、さらに面倒臭そうにぼそぼそと喋り出した。


「……さっき、レウルートが、シエラヘレナ様『は』ここにいる、と言った」

「……? っ! そうか、リューネ『ヨミ』!」

「そういうこと。リューネにグラディー『コーウェン』を襲わせた。ここいらで奴の実力を測っておこうじゃないか」

「おいおい、大丈夫なのかよ、それ! あのリューネ『ヨミ』だってそりゃ強いんだろうけど、相手だって【英雄】だぞ! 万一のこととか……」

「あはは、ないよ。夜の彼女に限って言えば、万が一も億が一もない。ま、気楽に見物してくるくらいのつもりで行ってくるといいさ」

「自信満々に言い切りやがって……。わあったよ! 信じるからな! 行くぞ、お前ら!」


 半ばやけっぱちのように叫んだバークラフトが、他の仲間たちを連れて天幕から出ていく。


「さ、僕らも行こうか、シェーナ」

「あまり、近づき過ぎないでくださいね。私の『隠形』では【疵の英雄】に気づかれるかもしれませんし、戦いに巻き込まれる危険もあるんですから」

「うんうん、わかってるわかってる!」

「……ちょっと心配ですけど。『隠形』」


 微妙に僕を信頼してないような顔で、シェーナは僕に魔法をかけた。

 さあ、リューネの活躍を存分に楽しんでくるとしようじゃないか!

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