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081 敵と危険と

このところ遅れまくりですね。

猛省します。

「さて、バークラフトの言う通りならあの部屋のはずだけど」

「ええ、当たりだと思うわ。魔力を感じる。おそらく【英雄】のものでしょう」

「今さらだけど、大丈夫? バレない?」

「大丈夫よ。夜の私の『隠蔽』や『隠形』を破れるほど魔力の探知に長けた【英雄】なら、私たちがこの砦に近づいた時点で感知されてるはずだわ」


 そんな【英雄】はまずいないでしょうけどね、とリューネは付け加えた。

 確かに、【英雄】は【神】や【魔】に比べると汎用の魔法や魔力の扱いに長けた者が少ない。それに得意不得意以前の問題として、そもそも力の絶対量が、【英雄】は【神】や【魔】より少ないのだ。もちろん、個々人の差が大きい話であるから一概には言えないことだが。


「ふぅん。ま、バレないならいいや。で、どうする? 部屋の外から盗聴する?」

「いえ、折角なら中まで入りましょ。……そんな顔しなくても平気。『隠形』の魔法は姿を透明にする魔法じゃなくて、存在感を消す魔法よ? 堂々と扉を開けて中に入ったって、意識を向けられることすらないわ」


 言うが早いか、リューネは『念動』の魔法で部屋の外から部屋の内側にある扉の鍵のサムターンを回した。

 カチリ、と存外に大きな音がして、背筋が凍る。けれど、その音への反応をみる間もなく、リューネは宣言通り堂々と扉を開く。

 ぎぃ、と古い木製の扉が立てたその音は明らかに部屋の中まで届いただろうが、しかし室内にいた二人の男はいずれもこちらを振り向きさえしなかった。

 室内の男たちはなにごとかを話し合っているようであった。

 片方は、よく肥えたブタのような中年の男。バークラフトたち、軍の士官と比べても一際派手な身なりをしている。おそらくはこいつがラーネ=ハウリー伯爵。

 もう片方は、顔面にいくつもの古傷を刻んだガタイのいい大男。同年代の平均より少し高い位の身長の僕と比べても、頭ひとつ大きい。こちらが【(きず)の英雄】グラディー『コーウェン』だろう。よくよく見れば、掌や袖からわずか覗く腕の方にもいくつも傷痕があるようだ。【疵の英雄】の名の通り、というわけか。

 僕らの侵入に気づかず、顔を付き合わせて話し合っているラーネ=ハウリーとグラディー『コーウェン』を見て、シェーナが呟く。


「なんだか、難しい顔をしているように見えますね」

「何か不都合があったのかもね。それが僕らにとっての好都合だといいんだけど」


 先からの様子を見るに、リューネの魔法は間違いなく作用しているようである。こうして声を出して話しても何も問題はないだろう。


「……例の件。本当に、調査の結果に誤りは無かったのか」

「はい、伯爵閣下。まず、間違いないことかと思われます。……このラーネ=ハウリー伯爵領内に【魔】が現れた、という情報は」


 思わず、吹き出した。


「ちょ、どういうことっ!? なんで僕らのことがバレて……」

「しっ。よく聞きなさい、レウ。ちょっと違うみたいよ」


 動揺する僕を、リューネは宥めながらラーネ=ハウリーとグラディー『コーウェン』が交わす会話へ注意を向けるよう促す。


「ぬぅ……! 【魔】の特徴は!?」

「目撃情報によると、風体は長身の男。仲間などはおらず一人だけのようです。最初の目撃では、不思議な力を持つ剣を操り、三十余人から成る盗賊を皆殺しにした男が、自らは【魔】である旨名乗った、という話でした。……おそらくこの不思議な剣とやらが、その【魔】の魔法なのでしょう」


 グラディー『コーウェン』の語った【魔】の特徴というのは、僕にはまったく心当たりのないものだった。


「……? 長身の男が一人? 魔法の剣? そんなの、僕らは……」

「だから、私たちじゃないのよ。件の【魔】とやらは」

「え?」


 リューネの言葉にシェーナが戸惑いの声をあげるが、リューネはやはりそれ以上を語ることはなくただ二人の話を聞くように促すだけだ。


「その報告はわしも以前聞いた。しかし、【魔】は人間の敵なのだろう!? ならばわざわざ犯罪者である盗賊を殺すなど、おかしな話ではないか!」

「はい。その段階では、こちらもそう考えていました。名乗りは聞き間違いか何かで、通りすがりの【英雄】辺りだろうと。しかしその後、似た風体の人物が今度は無辜の村人を虐殺し村ひとつ滅ぼした、と。これがつい数週間前のことです。今の今まで裏取りを続けていましたが、間違いないと思われます」

「【魔】にとってみれば、善人だろうが悪人だろうが、鏖殺すべき人間には変わりないということか……」


 ラーネ=ハウリーが力なく呟いた。

 彼らの話をまとめると、こういうことだろうか。

 すなわち、僕とリューネの他にこのハウリー伯爵領内には【魔】が居て、そいつはいかにも【魔】らしくニンゲンを殺して回っている、と。


「実際のところ、どうなんですか? 【神】と【魔】の関係と違って、【魔】にニンゲンを殺すような本能はありませんよね?」

「そうね。でもまあ、基本【魔】になるには【神】を殺しているわけだし、その【神】はニンゲンの庇護者なのだから、それをわざわざ殺してるって時点で人嫌いの人殺しって可能性は高いと思うわ」

「でもリューネのような例もありますし」

「あら、私は悪い【魔】よ? 初めて会ったときに言ったじゃない。……まあ、私のことはさておき。そうね、私は私たち以外の【魔】だと【王の魔】ヨミしか知らないのだけど。あの女は、人嫌いというのとは少し違ったかもしれないわね。女王気質というか、なにをおいても自分が一番でないと気がすまなくて、周りの全てが自分に(かしず)いていないと我慢ならない、そんな女だったわ」


 【王の魔】ヨミ。それは、かつての昔にリューネが殺したという悪名高い【魔】の名前だ。

 その能力は、強力な眷属の生成と自らが生んだ眷属に対する絶対支配。

 これらの能力を利用して、【魔】には非常に珍しい軍団を形成し暴虐の限りを尽くしていた、と伝承が伝わっているが、どうやら本人の性格もまた能力にふさわしいものであったようだ。【王の魔】ヨミを殺して力を奪ったのがリューネのような穏健な【魔】で良かったと心底思う。


「権力欲に支配欲か。そう珍しいものでもないね。歴史を紐解けば山ほど見つかるタイプだ」

「そうね。でも、当たり前といえば当たり前なのよ。【魔】でもなんでも、もとは人間なんだから。その欲望や精神性だって、人間の範疇のものよ」

「なら、今回の【魔】も人間のような思考で動いている?」

「さあ? そこまでは私も。アルウェルト『シルウェル』にも聞いてみたら?」

「聞いてはみたんですが、父さまが殺した【毒蛇の魔】シルウェルは今の父さまの姿の通り、大蛇の姿の【魔】だったので。意思の疎通を図ったりはできなかったそうです」

「あー、そういえばヨミもやってたわ。動物に魔力を与えて【魔】にするの。確かに、【魔】の元が人間とは限らないわね」

「流石にレアケースだとは思いますが……。今回の【魔】も人の姿のようですし」


 僕らが微妙に脱線しながらあーだこーだといっているうちに、ラーネ=ハウリーとグラディー『コーウェン』の会話は次の話へと進んでいた。


「なるほど、現れた【魔】については多少わかった。では、その【魔】はどこにいるのだ?」

「最初に確認されたのは、隣のクルマーン侯爵領沿いでした」

「クルマーン侯爵……! セリファルス殿下の傘下ではないか……!」

「それは……今回のことがセリファルス殿下の策略だ、と? いくら殿下でも、【魔】を意のままに操るというのは、流石に……」

「ふん、貴様は知らんか、グラディー。セリファルス殿下は……あの男であれば、そのくらいはやってのけうる。例えば、子飼いの【神】に追わせてわしの領土に追い込むくらいのことは平気でな」

「では、こちらもアンラ殿下に【神】の救援を要請しますか?」

「あのアンラ殿下が虎の子の【神】をわしなどに貸し出してくれるものか。それこそ、【神】を三柱も従えている王子とは違うのだ」


 三柱の【神】……セリファルスのことだろう。ファルアテネ。アスティティア。ダイモン。いずれも強力な【神】をあの男は三柱も従える。

 とはいえ、僕の方も【神】(シェーナ)に、夜であれば最上位の【神】すらも凌駕する【魔】(リューネ)がついてくれている。ルミスさんだって、(アークリフ)の【神】としての立場上、大っぴらに僕に与することはできなくとも、見えないところで助けてくれているのだ。部分的な戦力でいえばセリファルスに勝っている部分もある。そう捨てたものでもない。


「どうなさいますか、伯爵閣下」

「アンラ殿下への救援要請は出さねばなるまいが、しかしそう簡単に戦力を出してはくれまいな。わしですら、眉唾話と思う気持ちが捨てきれん。ゆえに、グラディー。貴様が【魔】に接触し、その正体を探ってこい。貴様ならばたとえ【魔】が強大であろうとも、死なずに帰ってもこれよう?」

「は……。確かに、傷を負っても生きて帰ることにおいては間違いありません」

「幸いこの砦には、新米士官どもがいる。彼奴らから軍部を通しての報告も込みであれば殿下も疑いはすまい」

「しかし、彼らが我々が望む通りの報告をするでしょうか?」

「貴様に同行させよ。我ら貴族と彼奴ら平民が反目しあっていようとも、彼奴ら実際に【魔】をその目で見れば真実を報告するほかあるまい」

「伯爵閣下、恐れながら、このグラディー『コーウェン』を以てしても、得体の知れぬ【魔】相手に五人もの足手まといを連れて行くというのは……」

「一人でよい」

「は?」

「何人連れていこうとも、報告には一人生きて連れ帰れば十分。四人は死んでも構わん。いや、あるいは死んでくれた方が好都合かもしれんな? 彼奴らが居なくなれば、この砦に詰める国軍にわしの実効的な支配が及ぶことになる。先日のヤリアでの合戦で多くの士官を失った平民閥には新たな士官を遣る余裕はあるまい。貴様の準備が整い次第、彼奴ら五人と国軍の兵卒を具して発て」

「は。畏まりましてございます」


 グラディー『コーウェン』はラーネ=ハウリーに厳かに一礼すると、そのまま部屋から退出する。

 唖然としたままの僕の横を、やはり何にも気づかないままグラディー『コーウェン』は通り過ぎた。


「今の話……もしかしなくてもまずいわよね?」

「……ああ。でも、どうしたら」


 いまこの場でグラディー『コーウェン』とラーネ=ハウリーを殺すか? そうすれば、仲間たちが殺されることもない。けれど、下準備はなにもない。こんなところで貴族と【英雄】が死ねば不審がられるに決まっている。それこそ、アンラは間違いなく【英雄】や【神】を派遣する。

 でも、近隣にいるという【魔】を放置することもできない。区別なく人々を殺し回る【魔】など、いつ僕らに牙を剥くかもわからないのだから。グラディー『コーウェン』たちが【魔】を討つなら、それを利用すべきか?

 けれど、アンラへの救援要請がなされて、万一【英雄】が来てしまった日には面倒極まりないことになるのは目に見えている。【神】など論外だ。殺すなら、今しかない。

 唐突に強いられた、仲間の命を天秤に乗せる選択。情けないことに、動揺して思考が定まらない。不安だけが脳内を渦巻く。

 どうする? 殺す? 見逃す? いずれにせよリスクはある。動かなければ、仲間が死ぬ。動けば、シェーナやリューネが、死……


「レウ様。意見をよろしいですか?」

「っ、シェーナ?」

「私は、準備なく動くべきではないと思います。殺すべきでは無いかと」

「でも、このままじゃ!」

「マサキさんたちのことであれば、どうにでもなります。グラディー『コーウェン』が皆さんを連れて【魔】と相対しに行くなら、その時に孤立したグラディー『コーウェン』を私たちで殺してしまえばいいんです。それを【魔】の仕業に仕立てあげてしまうことはそう難しくないはずです」

「……リューネ?」

「そうね、夜ならもちろん余裕だし、私が役立たずな昼でも、貴方たちならやってやれないことはないと思うわ」


 ……確かに、グラディー『コーウェン』がヴィットーリオ『ロゼ』やマリアン『センショウ』といった【英雄】と同等の実力だとすれば、僕とシェーナの二人がかりであれば殺せるだろう、と客観的に思う。


「最悪、王子が【英雄】を派遣してきても大きな問題はありません。士官の皆さんを逃がしてしまえば終わりです。レウ様の部下の皆さんは各地に散っていますし、マサキさんたちが役目を全うできなくとも、致命的ではありませんから」


 滔々と諭され、わずか冷静になる。言われて考えて見れば、シェーナの言う通りかもしれない。僕がみんなを逃がしても、新米士官は【魔】に恐れをなして逃げ出した、とか思われるくらいだろう。怪しまれるほどではない。

 逆に、僕がここでラーネ=ハウリーたちを殺したとき、それを疑って僕の喉笛に手を伸ばしてくるのはおそらくアンラじゃない。セリファルスだ。そしてきっと、奴のその攻撃は僕にとって致命的なものになる。奴こそが、僕の最も手強い敵で、最も恐れるべき敵なのだ。


「……わかった。今は動かない。みんなのところに戻ろう。相談する」

「はい。それが良いかと」


 シェーナは少しホッとしたように微笑んだ。

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