079 再会と信頼と
ツトロウスの能力でトンネルを掘ってリューネと合流することを決めた、あれから三ヶ月。
僕らの生活は多忙を極めた。
綿密に計画を練り、リューネたちとの緻密な連絡を欠かさず、アジトを出立して離宮から五キロ以上離れた森の中に陣取って穴を掘ること、およそ二月が経った、ある真夜中。
人気のない森の中。トンネルの開始地点であり、今は出口である穴からそっと頭を覗かせ、『支配する五感』に反応する者、すなわち僕の見たり物音を聞いている者がいないことを確認して、穴の中へと呼びかける。
「大丈夫、誰も居なそうだ」
ツトロウス、シェーナと続けて穴の中から僕の仲間たちが現れる。
この三月、長かった。とても長かったが、とうとうだ。
数時間前、満を持して僕がこの完成したトンネルに突入したときにはいなかった、三人目の仲間がシェーナの後から姿を現した。
十を過ぎたくらいの、小柄な少女。濃縮した夜をそのまま封じ込めたような昏く冥い、されど妖しく畏ろしいほど美しい、そんな少女。
僕な大切な女の子のひとり。
「……よし。この辺りまでくればもう安心だ。気分はどう? リューネ」
「ええ、悪くないわ。改めて、久しぶり。シェーナ、レウ」
そう、僕らは念願かなってリューネとの再会を果たしていた。
この三ヶ月、ともすればルミスさんによって彼女と別たれていたあの四年間よりも気を揉んだかもしれない。あのときは逆に、リューネはもう死んでしまったのだと半ば以上に諦めてしまっていたから。今回はリューネが確かに生きていて、けれど危機に晒されていると思えばこそ、その心配度合いは並大抵ではなかった。
「ああ、久しぶり。リューネ。君が無事でよかった」
「あら、私を誰だと思ってるの? 【夜の魔】よ?」
「それでもだよ。ファルアテネもそう容易い敵じゃないはずだろ?」
「それもそうね。ええ、ありがとう。私を助けに来てくれて」
「まだですよ、リューネ。見つからないうちに早く隠れ家まで戻ってしまいましょう」
「隠れ家?」
「いま僕らが拠点にしてる場所はラーネ=ハウリー伯爵領内のアジトだ。とりあえずそこまで戻ろう」
「ふぅん。拠点のすぐそばから掘ったわけじゃないのね」
「そりゃ無理な注文さ。これだけのトンネルを掘るのも大変だったんだから」
「いや俺! トンネル掘ったのは俺! 王子サマは横でメイドの嬢ちゃんとイチャついてただけッスよねぇ!?」
まあトンネル掘りなんか僕にできることないし。
悪びれもせずそんな態度の僕を見てリューネはけらけらと笑い、
「貴方もありがとう、ツトロウス『メイ』。私の大事な義弟たちを守ってくれて」
「そりゃあもちろん、俺は王子サマに忠誠誓ってるッスから」
いかにも白々しいツトロウスの台詞に、シェーナが冷ややかな目で彼を睨む。
僕としても素直に認めるのもしゃくな話でもあるのだが、僕はもうツトロウスを仲間として認めてしまっていることは否定できない。つくづく身内に甘い僕は、一度認めた仲間は疑えない。
けれど、ツトロウスに僕への忠誠心なんてものはありもしないこともまた、わかっている。この【英雄】が僕のもとに居るのは、偏にそれが最も利があるというだけだ。
だから、そのツトロウスを僕の代わりにシェーナが疑い続けてくれているのはとてもありがたかった。
「って、すぐにここを離れるんだったわね。ごめんなさい、行きましょうか」
脱線しかけた話の流れを引き戻してリューネが言う。
夜のリューネの感知に触れない以上、差し迫った危険は無かろうが、それは安全を担保するものではない。敵に僕の存在がバレたらそれだけでもうダメなんだから。
頷いて、急いでその場を去るため走り出す。
「それで、これからの予定は?」
「ああ、僕らのいまの拠点、さっき話したハウリー伯爵領だね、その近くに赴任した士官学校の仲間たちがいるから、彼らと合流する予定だよ」
「そうね、貴方の権力基盤は軍なのだし、離れてばかりいるよりいいとは思うわ。四人で、かしら?」
「いや、ツトロウスは別行動」
「初耳なんスけど!?」
「君には君の仕事を頼むから、さ。僕の周りの戦力はシェーナとリューネが居てくれれば十分だろうし」
「はぁ……。まあそれもそうッスかねぇ。で? 仕事ってのは?」
「一つは今やってもらってること。つまりはアイシャや他の地に散った仲間たちとの連絡の仲介だ。使いっぱしりみたいだけど、君が王子に気取られたらすべてが終わる。重要な仕事さ。で、もう一つは、元々頼んでたことの続き」
「元々、ってなんでしたっけ?」
「兵だよ、兵。国軍を専横するのがメインプランではあるけど、やっぱりそれとは別に私兵も欲しい。君が渡りをつけたっていう傭兵とか、そいつらでも別の奴らでもいいけど。僕の兵を用意しろ」
「はー、まあまあ真っ当な仕事ッスね。そういう話なら、いくらか先立つものが欲しいんスけど」
「金? いいよ、あのアジトにある財宝は好きなだけ使っていい」
「お、太っ腹ぁ! 王子サマのそういうところは流石ッスねぇ!」
「レウ様、いいんですか?」
「いいさ。あれだけの財宝を無為に貯め込むのはそれこそ宝の持ち腐れってやつだからね」
「いえ、そうではなく……。この【英雄】を別行動させてしまってもいいんですか? 近くに置いて見張る方がいいのでは……」
「うん? うーん。ツトロウス」
「なんスか?」
シェーナに忠告を受けた僕が、ツトロウスへと差し出した右手。夜の森を駆ける足を止め、彼に握手を求める。
戸惑いながらも握手に応じたツトロウスはその手を握った。
瞬間。
「侵せ」
「ちょっ!?」
ぞわり。
魔力を励起する。
『支配する五感』、視覚、聴覚、触覚。三感で以て侵す。
流した魔力は瞬く間にツトロウスの肉体に染み込み、その意思を制圧して支配する。文句を言う暇も与えない。
「命令だ。正直に答えろ、ツトロウス。『君は僕を裏切る気があるかい?』」
「まさか!そんなつもりはさらさら無えッスよ」
だ、そうだ。
僕の支配には抗えない。正直に言え、と命じた以上その言葉に偽りはない。
少なくとも、いまこの時点でツトロウスに翻意が無いことは彼を信用するための条件をある程度満たしていると言える。シェーナもしぶしぶながら頷く。
そうこうしているうちに、僕らはアジトの近くまで来ていた。シェーナは身体能力はニンゲン並みなのに、魔法込みだと僕よりはるかに速かった。
「ああ、アジトはすぐそこだ。シェーナ、リューネを案内してあげて」
「構いませんが……。レウ様は?」
「もう少し夜風を浴びていくよ」
「……? 分かりました。ついてきてください、リューネ」
「ええ、案内お願いするわ」
普段の僕では言わないようなことを言ったからか、シェーナは不思議そうにしていたが、特に何かを言うこともなく僕のお願いに従ってくれた。
彼女たちが夜闇に消えたのを見計らってツトロウスは、
「……で? お嬢さんがたを追い払って、俺に何かご用で?」
「追加の質問だ。『君、僕に忠誠を誓ってる?』」
「まさか。俺があんたを裏切る気はないって言ったのは、単にそれが最も利のある判断だってだけっスし。……って、それ聞いちゃいますか。やっぱり、別行動はやめて、俺を殺しときます?」
「ははは。それこそまさか、さ。分かりきってたことだろう、そんなの」
本音を引きずり出され、全身を緊張させていたツトロウスが、僕の言葉にふっと表情を緩める。
安堵したような、呆れたような雰囲気でツトロウスが一言、
「あまっちょろ」
「あ、やっぱ殺そっかな」
「いやぁ、流石は王子サマ! 器が大きいッスねぇ! 流石ッスよ! こりゃもう俺も忠誠誓うしかないッスねー!」
「あはは。ま、今はいいよ。君の忠誠も今はいらない。利害の一致で十分だ。今は、ね」
「……利害が一致しているうちは裏切らない。それは本心から約束できますよ」
「ああ。その点は君を信頼してるよ。だから、君も信じろ。僕は必ず王になって、君の求めるものをくれてやる」
「ええ、せいぜい期待させてもらいましょうかね」
どこからどこまでが彼の本心なのかはわからないが。
ツトロウス『メイ』は笑顔でそう言った。
「ところで、王子サマがたはいつアジトを発つんで?」
「明日」
「はやっ!?」
◆◇◆◇◆
「あー、ったく、あのクソ伯爵、あーだこーだ嫌味ばっか言いやがって!」
「お前がそんな荒れてんのは珍しいな、バークラフト中尉」
「その呼び方はよせ。荒れもするっての。戦争前の、士官学校でユリウス=グラスなんかとやりあってた頃を思い出すぜ」
ヤリアでの戦争を経て、正式に士官に任官された俺が数人の仲間と共に任地として選ばれたのは、ここ、ラーネ=ハウリー伯爵領内の砦だった。
ダヴィドが言ったように、俺はヤリアでの中隊の連中の中で唯一、中隊の指揮が評価されて俺だけが中尉で任官された。他の奴らは少尉だ。喜んだのもつかの間、中隊のころと同じ、隊長だの責任者だのと厄介ごとを押し付けられるだけだと気づくのはすぐだった。候補生のころと違って給金に差があるのがせめてもの救いか。
そして、前線にはほど遠いこの砦で最も階級が高いのが、本来は中尉の俺なのだ。
……本来は、というのがミソで。
この砦、実は国軍のものではない。ここは、この土地の領主であるハウリー伯爵が軍に善意で提供しているものらしく、実際に砦を仕切っているのは国軍の士官ではなく、ハウリー伯爵とその側近たちだった。
どうせこの砦もただのキャリアの中継点。こんなところでの立場にこだわるつもりはない。ない、が……。厄介なのは、ここの実質的支配者であるハウリー伯爵が平民への強い差別意識を持つ手合いだったことだ。
任官前、教官たちからその辺りのいびりだの権力闘争だのの話も聞いていたが、いい年して士官学校の学生と大差ないような精神性の大人を見ていると腹立たしいやら呆れかえるやら。それが国の政治を担う貴族だと言うのだから、言葉もない。
「……はぁ」
「お疲れみたいだなぁ……。ま、本当に参りそうなら、俺もマサキもフリッツもハーレルも話聞くよ」
「サンキュー、ダヴィド。んじゃ、また明日」
「おう、また明日」
慰めてくれる友人に礼を言って、自分に宛がわれた部屋に入る。
学生時代と違って個室を与えられているのは幸せだ。疲れをゆっくり癒せるし、疲労からくるイライラでルームメートと下らない諍いになることもない。
「あー、今日もとっとと寝ちまうか」
「おっと。その前に僕の話を聞いてくれよ、バークラフト」
「ッ、誰だッ!?」
俺だけしかいないはずの部屋で声をあげたのは、部屋のすみに立つ、フードを目深にかぶった一人の男だった。
俺はその存在に声をかけられるまで全く気づかなかった。
いつのまに入ってきた?
カギはかかっていた。
開けられた?
あるいは、いま俺が開けてから入ってきた?
複数の思考が脳裏を走る。
何もわからないままとりあえず、常に腰に下げている剣に手を伸ばしながら、仲間を呼ぶために大きく息を吸う。
が、
「はい、そこまで」
男がそう言った瞬間、俺の体が固まる。手は微動だにせず、声も出ない。
「ひどいなぁ、たった数ヵ月あけただけなのに、君の仕えるべき主のことも忘れちゃったのかい?」
アルジ。
主。
……主?
言われてみれば、目の前の男、その声も。
覚えがある。それは確かに、主と呼ぶにふさわしい、俺の仲間で御旗ともいえるあの男のもので。
「……お前、レウルートかっ!?」
「せいかーい! ていうか、レウルでいいよ、バークラフト」
ぱっ、と男が自らの顔を隠すフードを取り払う。
貴族特有の金髪。どこか子供っぽさを残しながら無駄に整った顔立ち。
それは確かに、俺の仲間であり主、レウルート=オーギュストその人だった。
「おま、なんでこんなところに!?」
「なんでっていうと……偶然近くに居たから?」
「仮にも王子が、んな適当な……」
「あはは。ま、軍での勢力拡張を君たちに投げっぱなしってのもなんだしね。ってわけで少し話をしておきたいんだけど。ここには君以外にマサキとハーレル、ダヴィドにフリッツが居るって聞いてるけど」
「ああ。あいつらを呼んでくりゃいいのか?」
「うん、お願い」
「はいよ。んじゃここで待ってろ」
レウルに頼まれ、疲れた体に喝を入れてもう一度歩き出す。
ハウリーのブタオヤジにやらされているのと大差ないような使いっぱしりだが、これも貴族どもへの俺たちの反撃の第一歩だと思えば、なかなかどうしてそう悪い気もしないのだった。
どこかのタイミングで過去の話の校正をしてしまいたいのですが、誤字報告などいただければ幸いです。




