077 お姉ちゃんとお兄ちゃんと
「おつかれさん、ボス。どうだった、グリムブル軍部大臣への報告は?」
王宮のそばに作られているウェルサーム国軍本部。今は対クリルファシート戦争の総司令所でもあるその場所で、俺とエヴィルは軍部大臣へヤリアの戦果……というより戦渦か。それを報告に行っているボスを待っていた。
妙に長く大臣の執務室に籠っていてそろそろ心配になってきたころ、ボスが姿を現した。
「お前たちこそどうだった? キュリオ、エヴィル。貴族軍閥への報告を押し付けてしまったが」
「あーだこーだと嫌味を言われはしましたが。ま、大したことは無かったな」
「そうか。すまんな、損な役割をさせた」
「軍部大臣への報告はボスしかできねぇんだから、気にするない」
爺さまがいればもう少し楽だった、という言葉は飲み込む。
情けない話だが、その言葉を軽々口にできるほど俺は強くなかった。
「それより、ボスの方は? わざわざ俺たちの方に話題逸らしたのは、何かあったっちゅうことか?」
「……ま、大したことでは無いんだがな。グリムブル軍部大臣を尋ねたら、ゴルゾーン殿下がいらした」
「第二王子!? そりゃまた、間が悪いこって」
「それが少し違うようでな。殿下に、お前を待っていた、なんて言われたときはどんな顔をしたものかと思ったよ」
「殿下が、ボスに? そりゃ一体……」
「謝罪された。ヤリアにお前たちを編成し向かわせたのは自分だ、などと」
「……ふむ。王族の方からすると目の上のたんこぶである貴族軍閥への対抗として我々の機嫌をとっておきたい、といったところですか」
「察しがいいな。エヴィルの言う通りだろう。我々にとっては都合のいい話だと思っておこう」
この様子では、ヤリアでの敗北を咎められはしなかったのだろう。
現場にいた俺たちからしたらあんな奇襲を予想して対処しろなんて無茶苦茶な難題だ、と思うが、上がどう考えるかなどわからない。
中佐に処分が下るようなことがないかは懸念していた事項の一つだった。
そして、懸念といえばもうひとつ。
「アークの……【英雄】の話はどうだった?」
「報告はしたが、信じてはいないようだったな。何かの間違いだろう、と」
「まあ私が軍部大臣でもそういうでしょう」
「それならそれで構わんさ。私の進退と言う観点では、我々だけで【英雄】から逃げ切った、と評価される方が都合はいい。……彼らの功績を奪い取るような真似は心苦しいが」
「あの【英雄】は自らの素性を最期まで明らかにしませんでした。自らの名が広まることなど避けたがったかと」
「ありがとう、エヴィル。だがそれは、我々の勝手な思い込みだ。それに甘えるわけにはいかない」
「中佐……」
痛ましげに目を伏せてそう言ったボスは、暗くなった俺とエヴィルに気を使うようにことさらに明るく、「ああ」と話題転換をし、
「彼らといえば、士官候補生の任官は私に一任された」
「げ、仕事が増える流れか!?」
「その前に、我々の方の人材の補充もしたいところです」
確かに、ヤリアで副官を失ったエヴィルには多量の書類仕事を捌くのはきついかもしれない。土台一人でできる量ではないが、したっぱに任せられるような仕事でもない。
こういう事務方に強かった爺さまが……もういないというのも、過酷さに拍車をかけているか。
「エヴィルにはとりあえず私の方から人を回そう。人材は時間をかけて育てるしかないな」
「アルフを少佐にできりゃあ楽になるんですが」
「流石に敗戦でそれはな。いくらゴルゾーン殿下の支援があるといっても何らかの手柄はいる」
「ってもすぐさま前線に送るのも酷すぎらぁな」
「彼にはしばらく新米士官の面倒を見てもらうことになるな。……フレッド警邏隊長の協力が得られれば」
「ボス」
「わかっているさ。強いはしない」
肩をすくめてそう答え、歩き出したボスの後を俺とエヴィルが追う。
あの戦場では、たくさんの兵がその命を散らした。将たる俺たちを守るために死んだやつも何人もいる。
その犠牲に報いるのは、今だ。彼らの戦いを引き継いで、この王都で俺たちの戦いは始まる。
俺たちは、彼らが命を賭するに値する将だったことを示してやらなければならないのだ。
◆◇◆◇◆
「暇。ヒマ。ひま。ひーまーだーわー!」
リューネさんが唐突に叫んだ。
同じ部屋で執務をこなしていた私は、驚いて思わずぴくりと肩をはねさせる。
リューネさんがヤリアからこの離宮にやって来てはや半月以上が経った。離宮を監視する【神】──セリファルスお兄様の【神】の中で、【盾の女神】ファルアテネの姿だけがこのところ見えないらしいので監視はおそらく彼女なのだろう──のせいでリューネさんは離宮から出るのはおろか、魔法も不用意には使えず、実質的な軟禁状態にあった。しかも、レッくんとシエラヘレナ様の安否は未だ杳として知れないまま。本来であれば真っ先に彼らを救いにいきたいにも関わらず、先述の制約のせいで動けない。なまじ力があるだけに、それを発揮できないストレスも小さくはないのだろう。癇癪のひとつも起こしたくなる気持ちはわからないではない。
しかし、十を少し過ぎた程度の幼い外見の彼女の体躯では腰かけている大人用の椅子から床に足がついておらず、ぶらぶらと足を揺らしながら叫んでいる様子は本当に子供の癇癪のように微笑ましくて、思わず小さく笑ってしまった。
「……なによ」
「いいえ~、なんでもありません~」
「……アイシャ。貴女は、心配じゃないの? ツトロウスを送りはしたけれど、レウやシェーナのからの連絡はまだない。そもそも、あの【英雄】も信頼できるかわからない。考えたくはないけれど、もしかしたら……」
その続きをリューネさんは口にしない。
最悪の想像を口にしてしまえば、それが現実になってしまわないかと不安でたまらないから。
その彼女の心の靄を打ち払うように、私は毅然と答える。
「心配に決まってます。でも、だからといって塞ぎこんでばかりいてもレッくんの力になれません。現状で私にできる、王女としての務めをこなすこと。それがレッくんの助けになることで、私がすべきことです。だって……私はお姉ちゃんですから~」
「……貴女は強いわね」
「かの【夜の魔】にそんな風に言われてしまっても、正しい返答がわかりませんよ~?」
「本心よ。いくら魔法が使えても、敵を殺せても、何の役にも立てないのを他ならぬ私がいま証明してるじゃない」
皮肉げに、自嘲するようにリューネさんは嗤う。
もちろん、彼女は彼女が言うほど無力なんかじゃない。
二人の安否の確認がとれていないのは事実ではあるが、セリファルスお兄様がレッくんの存在に気づいているという疑惑が濃厚な今、私が不用意に援軍を出してレッくんを死なせてしまうことを防いだリューネさんの活躍は大きい。あの戦場から容易く抜け出し、二日足らずこの離宮までたどり着くことができたのは彼女を置いて他にはいなかっただろう。
けれど、それでは駄目なのだ、とそう思う彼女の気持ちも、確かに私にはわかる。その無力感も、その口惜しさも。
だって、私たちはお姉ちゃんだから。大切な弟や妹を守るためには、それでは足りないのだ。彼らを守る全てを備えていなければ。
気持ちを察するからこそ下手の気休めも言えず、言葉を発しあぐねていた私を助けるように、執務室のドアがノックされた。
「どなた~?」
「私です、姫様」
私の信頼する護衛でありメイドたる【花の英雄】リール『ベリー』の声。その声色は、どこか焦りや逸りのようなものがある。
今何かあるとしたら、もっとも濃いのはレッくん絡み。つい、伝染した焦燥感に追われるような早口になりながら、彼女の入室を許可する。
「失礼します。王都へ放っていた密偵から手紙が。……この砦からも見えたのですが、昨日ヤリア方面軍が帰還したようです」
「ッ! レッくんはっ!?」
「手紙の中身は私もまだ。どうぞ」
リールから手渡された手紙を引ったくるように受け取り、乱雑に封を切る。
椅子から飛び降りて早足で私の横に回り込んだリューネさんが私の手元を覗き込む。……私の王族という立場上、他人の目がある場所であれば許されない行いだったが、ここは私と彼女とリールしかいない部屋だ。それに、事情が事情。こんな些事で彼女を咎めようとは思わなかった。
それよりなにより、手紙の内容に目を通せば、そこには。
「……リール? アーク、ってこれ、レッくんが使ってた偽名で合ってるわよね?」
私の口から出てきたのは、凍えるように冷たい、しかし怯えるように震えた声。
「は。そのように記憶しています。士官学校の同輩からも殿下はそうお呼ばれになっていたかと」
「……『帰還兵の中にアークという男はいない。ヤリアで戦死した、との士官候補生からの報告が上がっている』」
「そん、な……」
リューネさんがすとん、と倒れるように尻餅をついた。ぽろぽろと大粒の涙を溢して、口の中で小さくなにごとか同じ言葉を延々繰り返している。
「ひ、姫様! 手紙は、実はもう一通ありまして」
「もう、一通……?」
「【岩石の英雄】ツトロウス『メイ』からも、同じ頃に手紙が」
「ツトロウス『メイ』……ッ!」
生気を失っていたリューネさんの瞳に光が戻る。憎悪と復讐の炎が灯る。
……戦場ではいろいろなことが起こる。思うようにいかない、なんて珍しいことではないし、だからこそレッくんが……死んでしまったことも、それがツトロウス『メイ』が裏切ったからとも限らない。だから、私はリューネさんほど苛烈にではなかったけれど、しかし役立たずの【英雄】が言い訳か? と冷めた気持ちで手紙を開いた、のだったが。
「……え?」
「アイシャ……?」
手紙を読むうち、様子の変わっていく私をリューネさんが不思議そうに見上げる。
私の瞳からも思わず涙が流れ出す。けれど、先程のリューネさんの涙とは違う。それは、悲嘆と絶望の涙じゃない。歓喜と希望の涙だ。
「レッくんも、シエラヘレナ様も、生きてるって……!」
「ほ、本当っ!?」
リューネさんが飛び起きて私の手から手紙を奪い取る。
ツトロウス『メイ』からの手紙の中身は、レッくんが記したものだった。曰く、士官候補生と士官の一部を勢力として取り込んだから自分が士官学校にいる必要は無くなった、セリファルスお兄様から逃げるためにも死んだことにして行方をくらます、と。
「よかった……! 本当に、本当によかった……!」
ぎゅうと手紙を握りしめてリューネさんが呟く。
その姿を見て、私の体からも力が抜けた。安心したせいか、今更になってかたかたと手足が震えて止まらなくなってしまう。握っていたペンも取り落とし体をがくがく震わせながらも、表情は笑顔から変わらない。
リューネさんと私は、顔を見合わせて二人してくすくすと笑い出した。
◆◇◆◇◆
フレッド教官にああ言われ、バークラフトたち寮組と別れて久々に帰ってきた俺の家……の前。ドアをノックするため手をかざし、そこで俺は動きを止めている。
しかし、せいぜい一月やそこらしか空けていないはずなのに、妙に懐かしく感じる。そもそもこの家なんて、本来の俺たちの家なんかじゃないというのに。
「こりゃ日本の家に帰ったら、俺懐かしさで死ぬんじゃねぇ?」
そんな冗談をひとりごちたのは、情けなくも踏ん切りがつかない自分の手に扉を叩かせるため。
……扉を開けない理由など一つしかない。
心配なのだ、妹が。
ウェルサームにきてから……いや、思い返せば日本にいた頃からか。俺は過保護な兄貴だった。いつでもどこでも檀、檀、と妹の世話を焼いていたように思う。檀は正直うっとおしがっていた部分もあったが、それでもなんだかんだ俺を嫌ったりはせずにいてくれた。
故郷でさえそうだったのだ。こんな知らない土地に兄妹二人放り出された時の俺がどうだったかなんて、語るまでもないだろう。
比喩も誇張もなしに、こんなに長く妹と離れたのは物心ついて初めてだろう。傲慢な物言いを許してもらえるなら、妹を庇護から離したのは、でもいい。
だから、俺は妹が心配でならなかった。
男手が無くなって困ってやいないか。生活に窮してやいないか。悪い人間に目をつけられたりしてやいないか。戦争に行った俺を案じて心を痛めてやいないか。
不安を数え上げればキリがない。
けれど……だからといって、ここで俺が突っ立って檀に会わないでいたって、何かが変わるわけじゃない。これはただの現実逃避と変わらない。
俺がいない間に檀に問題が起こっていたとしたら、むしろちゃんと会わねばそれを解決してやることもできないのだ。
「……よし」
意を決し、俺は自宅の戸を叩いた。
待つこと数秒。
「はーい、どちら様……、ッ! おにい、ちゃん?」
「あー……うん。ただいま、檀」
「…………。……お兄ちゃんの……バカァ!」
「いってぇ!?」
出てきた檀は、なんとも言いねてとりあえず繰り出した俺の挨拶に返事することもなく黙りこくったかと思えば、暴言とともに、バシィン、と思いっきりビンタを振る舞ってきた。
……痛みに悲鳴をあげた俺が文句を続ける間もなく。
檀は勢いよく俺に抱きついて、その胸に顔を埋めた。
胸元に、じわりと暖かさを感じる。
まるで、体温くらいの温度の液体が染みているよう。
「……泣いてんの?」
「うるさい。ばか。お兄ちゃんのバカ」
「ってそれはもう聞いたっての」
「……心配した」
「……ああ」
「お兄ちゃんが行った戦場は大変なことになったって聞いて。みんな死んじゃったかもしれないって聞いて」
「こっちじゃ、そんな話になってたのか」
「だから、もしかしたらお兄ちゃんも死んじゃったかもって、ずっと不安で……!」
時おりしゃっくりあげながら、檀は吐き出すように心情を語る。
言葉に籠る悲痛な感情に、俺はなんと言っていいかもわからない。
「ごめんな、檀。心配かけたな」
「本当だよ! ……でも、帰ってきてくれて、よかった。おかえり、お兄ちゃん」
「ああ。ただいま、檀」
俺はそう、最初の言葉を繰り返した。
ぱっと俺の胸から顔を上げた檀の表情は、目こそ泣き腫らしたように赤くなっていたが、浮かべる笑顔は俺の知る妹のものと変わらななかった。
「さ、早く入って! お家の前で立ってても仕方ないし。ちょうどお昼ご飯を作るところだったの」
促されるまま家に入る。
そこはやはり、一ヶ月前と何も変わっていない。さっきも言ったようにここはあくまでかりそめの家なのだが、家は家。愛着のようなものも、無意識のうちに抱いていたようだ。じん、と心が熱くなる。
「お昼、すぐに作るから待っててね」
「ありがと。……けど、その前にちょっといいか?」
「ん? なぁに?」
……こんなこと、檀に話すべきかは悩んだ。聞いて気持ちのいいことではないし、世の中には知らない方がいいこともある。
けれど……あいつらと檀は面識があった。俺が隠し立てていいことじゃない。檀にはあいつらを弔う権利があって、あいつらには檀に弔われる権利がある。そう思った。
「……檀がさっき言った通りなんだ」
「なにが?」
「ヤリアはひどい戦場だった。仲間も何人も死んだ。……カーターもベイムも死んだんだ」
「え……」
まず、檀はあっけにとられたように息をのみ、それから哀しげに目を伏せた。顔見知りの死を悲しみ、悼みながら、それでも彼女は言葉を選ぶようにしながら、
「こんな風に言ったら、お兄ちゃんは怒るかもしれないけど。それでも、私はお兄ちゃんが帰ってきてくれて良かった。他のだれでもなく、お兄ちゃんが生き残れて良かった、って。そう思っちゃうの」
「檀……」
「ごめんね。お兄ちゃん。……でも、できたらお墓参りとかは行きたいな。カーターさんもベイムさんも、私はほとんど知れなかったけど、悪いひとじゃないってことくらいはわかったから」
「……ああ。そうだな。機会があったら行こう」
あいつらの墓はきっと、王都かヤリアに墓碑として建てられるのだろう。そこには骸も骨もないけれど、想う人がいるならそこを墓だと呼んでおかしなことは何もないはずだ。
料理に戻ろうとした檀は、何かに気づいたようにふと動きを止めた。
そして俺に背を向けたまま、ゆっくりと問うた。
「ねえ、お兄ちゃん。……アークさんは? アークさんは、帰ってこられたんだよね?」
アークは……あいつは生きている。けれど、それは檀には話せない。不用意に秘密を話さないことはアークの身を守るためでもあるし、檀の身を守ることでもある。檀を、政争なんかに巻き込むわけにはいかない。これは俺と仲間たちの問題だ。
「……あいつも死んだ。お前が会った中で生きてるのは俺とバークラフトだけだ」
「……うそ」
呆然と檀が呟いた。
「うそ、そんな、だって、約束したのに! また遊びに行こうって、アークさんは……!」
信じられない、とばかりに檀は訥訥と言葉を紡ぐ。
そこで俺は、檀とアークが一度、デートのようなことをしていたのを思い出した。
……別に、檀がアークに惚れたとか、そういう話ではないのだろう。そういう話ではなくとも……日本で暮らしていた俺たちにとって、死は遠すぎた。
もちろん、名前も顔も知らない誰かの死を聞くことはある。ニュースでも見ていればいつでもやっている。
そういう意味で、檀にとって、カーターやベイムはテレビの向こうの誰かだったのだろう。それを薄情とは思わない。同じ死地に置かれていた身近な兄と比較しての感覚なのであろうし、また、精神的な自己防衛でもあったのかもしれない。
けれど檀は、一緒に街を回って遊んだ相手をテレビの向こう側に押し込めることが出来なかった。
アークの偽りの死は、誰の予想の範疇も越えて、檀を深く傷つけたようだった。
「……檀。今日は、昼飯は外食にするか! ほら、俺の帰還祝いってさ!」
「……ごめんなさい。なんか、私、食欲ない、かも」
「檀……」
「ごめん。ごめんね。すぐに、戻るから……ちょっとだけ、一人にさせて」
ぱたん、と閉ざされた檀の部屋の扉は、錠のついた牢獄のそれのように感じられた。




