076 帰還と教官と
「秘密? いえ、それほど大層なものでもないですが。彼も別に隠しているわけではないでしょうし。彼は……フレッド少尉はかつて、王都警邏隊隊長だったんですよ」
「「「ええっ!? け、警邏隊隊長!?」」」
王都に向かう道すがら。
俺たち、元第五中隊の面々はアルフ大尉から教官についての話を聞くことになった。
いったいどんな秘密が、とかぶりつきになって話を促す俺たちに、さらりと言い放たれたのは、やはりとんでもない教官の経歴だった。
王都警邏隊、というのはこの国の中心である王都を警護する警察機構の名前だ。王都は国で二番目に人口が多い大都市であり、しかも貴族や果ては王族までもが住む場所であるがゆえ、その治安や平穏は何をおいても守らねばならないことである。だからこそ、警邏隊には『隊』の名にはあまりふさわしくないほどの多くの人員と強大な権力が与えられている。
フレッド教官はそこの隊長だったのだ、という。
軍属の俺たちからすると、『隊長』というのは部隊を率いる指揮官を指す言葉で、ただ『隊長』とだけ呼ぶときは小隊か中隊くらいの規模の指揮官を想定しがちなような気がする。が、警邏隊の隊長は違う。警邏隊の名の通り、隊長とは読んで字のごとく隊の長。すなわち、警邏隊の全てを治める総指揮官のようなものに当たる人物を指す呼称だった。
俺の知識の中で言うなら、首都警察の全てを統べる組織の長……警視総監、というのが最も近いだろうか。
「ええ。今でも彼は警邏隊にかなり影響力がありますよ。彼が現役の頃は組織の内部はフレッド派一色でしたから。現在もフレッド派一強、くらいの力はあります」
いまでも現役の警察にとても顔が利く元警視総監。
そう考えれば確かに、政治的には非常に重要なカードだろう。
それが俺たちにとってこれほど身近な存在であるならば、なおさらに。
「ひぇぇ……。……でもそれなら、どうしてそんな人が軍で……しかも士官学校の教師なんか? 少尉なんて低い地位、って言うと語弊があるかもしれませんけど、でも警邏隊隊長の次の職にしては流石に……」
「そこはまあ、政治ですかねぇ。きっかけは、我々が追っていた事件にある貴族の圧力がかかったことです。ある殺人事件で……拷問されて殺された男の死体が出てきた、という事件でした。被害者が貴族を暗殺しようとしたヒットマンかなにかだったのか、はたまた戯れでいたぶられて殺されたのかは、捜査も打ち切ってしまった今ではわからないことですがね」
話を聞いて、そうか、と一人得心する。だから教官はあんなに貴族を毛嫌いしていたのか。
それでも、なんだかんだ教官としてアークの面倒は見ていたあたり、彼の人となりを察することができる。
「我々が追っていた、っていうのは……」
「ええ、まあ、私も元は警邏隊の人間でした。君たちの教官の元部下になります。……貴族の圧力、みたいなことはその事件の前からも幾度となくあったんですよ。その度に貴族に逆らって対立して、でしたからね。もともと仲は悪かったんです。もちろんその時も、フレッド隊長は圧力など無視して捜査を続けていたんですが……部下が闇討ちに遭いまして」
「それで、教官は警邏隊隊長を……」
「自ら辞した、というわけです。私も含め、何人かの警邏隊の隊員は隊長と同時に辞めたのですが、それをクントラ中佐……当時は少佐でしたか。彼に拾ってもらって、今に至ります」
「でも、教官はどうして教官に? アルフ大尉は大尉にまでなったのに、教官は少尉のままじゃないですか」
「本人の希望ですよ。その理由はなぜ、と問われると、それは本人にしかわからないことですが……疲れてしまったのですかね。クントラ中佐の元で働くというのは、すなわち彼の元で貴族と戦う政争をする、ということになりますから。隊長は、そんなのはもうこりごりだったのかもしれません。……ああ、今のは私の勝手な想像に過ぎないので、話半分に聞いておいてください。ほら、見えてきましたよ。王都の城壁だ」
話を打ち切って、アルフ大尉が前方を指差した。
そこには確かに、見覚えのある城壁がそびえ立っている。
「戻ってきた……! 戻ってこれたぞ……!」
「は、はは……生き残った……俺は生き残ったんだ!」
「ナル……アイナ……! 父ちゃん、帰ってきたぞ……!」
それを目にした兵たちがにわかに騒ぎ始める。安堵と興奮を滲ませた歓喜の声が口々に漏れる。
クリルファシート軍から逃げ切れた時点でもう生き残ったも同然ではあったし、彼らもそう思っていたろうが、しかし本拠地をこうして自分の目で実際に見ればこそ、その実感が湧いてくるというものなのかもしれない。
しかし、俺たちの顔色は彼らほど優れない。アークに仕えることを決めた俺たちにとって、ある意味王都こそが敵地なのだから。
「固いですね、マサキ少尉」
「大尉……」
「笑え、とまでは言いませんが、せめて平静を保ちなさい。ここからが我々の戦いだというなら、なおさらに」
「……そっすね」
俺は意識して、少しだけ口角を上げた。
軍隊の先頭が城門に差し掛かった。集う軍勢に面食らいながらも、門番の衛兵が誰何を飛ばす。
「止まれ! ウェルサーム軍属と見受けるが、そちら相違ないか!?」
「ウェルサーム国軍、ヤリア方面軍総司令官、クントラ中佐だ!」
「ヤリア……!? クリルファシートの奇襲を受けて壊滅したヤリアの生き残りか……?」
「そうだ。開門を要求する」
「りょ、了解した! 大門、開け!」
ギギギ、と普段は閉鎖されている多人数用の大門がゆっくりと動く。
巨大な門が開いていくその迫力に圧倒されながら呆けてそちらを見ていると、
「……というわけです。……聞いていますか、マサキ少尉」
「へっ? あー……すんません、聞いてなかったっす」
「まったく……」
「一般兵士は軍の宿舎か自宅で待機、俺たち士官候補生は学園に戻って教官の指示に従えってさ」
「さんきゅ、ハーレル。了解です!」
「バークラフト候補生の苦労が忍ばれますね、これでは」
大尉にちくりと嫌味で刺される。
いま話を聞いていなかったのも、普段からバークラフトにあれやこれやと迷惑をかけているのも事実なので、こればかりは言われるままでいるしかない。
「では、行きましょう」
「あれ、大尉も一緒に?」
「中佐から、報告に同行するのはキュリオ少佐とエヴィル少佐だけでよい、と言われているので。貴方たちの面倒を見ろ、ということでしょう。それに、君たちにあんな話をしたからですかね。久々に隊長に会っておきたくなりまして」
そう言って、大尉は俺たちを先導して王都へと入っていく。
門を潜ると、王都の人々の視線を感じる。
ざわざわと何事かを噂しあっているのも感じるが、どちらかといえば感触は好意的に見える。正直、敗軍なんて石でも投げつけられるんじゃないかと思っていた。
どうやらハーレルもまったく同じことを思っていたようで、
「……結構普通ですね。石とか投げられるかと思ってましたけど。負けて逃げ帰ってきてもこんなもんですか?」
「戦争全体ではウェルサームの方が優勢ですからね。特に王都は戦闘地域からは遠いですし、民衆にも軍人を思いやれる程度には精神的余裕があるんでしょう。それに、この辺りは平民が住む区画ですから。彼らはもともと我々贔屓なのですよ。登城のために貴族区画を通らなければならない少佐や中佐はご苦労されると思いますが」
「なるほど……。てか、全体では勝ってるんですか?」
「緒戦では苦戦していたようですが、ガルアー平原の決戦で大勝した、と。その第一報が届いたのがつい数時間前らしいですから、民衆の気持ちが明るい一因でしょうか。全滅濃厚と言われていた我々がこうして戻ってきたのもむしろ吉報のように思われているのかもしれません」
「大尉はそんな話いつ……」
「今さっきですよ。聞いたのは王都についてからです」
「耳が早ぇー……」
ずっと俺たちと一緒にいたはずなのに、いつのまにやら戦争の経過をずいぶん詳しく把握している大尉に感嘆する。
大尉はなんでもないような顔で、
「このくらい貴方もできるようになってください。情報こそ全ての出発点なのですから。……まあこれは私がフレッド隊長から学んだことなのですが」
「教官が?」
「諜報は彼の十八番ですよ。その様子だとそのあたりの手管は教わっていませんか。彼はもっとゆっくり君たちを育てるつもりだったのでしょうね。……こんなことにさえならなければ」
……戦争さえ起こらなければ。
だが、そんなもしもに意味はない。戦争は起こった。仲間は死んで、俺たちはもう、軍人になることを決めた。アークに仕え、富と名声を得る。それこそ、死んだやつらの無念を弔うことだと信じて。
感傷に浸りながらとぼとぼと王都の通りを進んでいるうち、士官学校へとたどり着く。
その校門の前には、俺たちの帰還を知ってのことだろう、平民科一組から五組まで、全員の担任教官が一列に並んで迎えてくれていた。
ぱらぱらと、自分の教官のもとへと駆けていく生徒たち。学園の大部分を占める寮生にとってみれば、教官はある種の親代わりともいえる。泣いているやつも少なくない。
「念のため言っておきますが、殿下とのことはフレッド隊長を含め、誰にも言わないように。彼の現状は、危ういバランスの上でかろうじて成り立っているものです」
同様に教官のもとへ向かおうとする俺たちに、大尉が言った。
もちろんわかっている、とめいめいに頷く仲間たち。
話によれば、王子の中には百を越える【英雄】を従える者までいるという。ヤリアで相対した、あの絶大なる【英雄】たちを百人も、だ。もちろんそれは王子個人がそれだけ従えているのではなく、ある王子の派閥に属する貴族たちが抱える全ての戦力を合わせれば、ということではあるが、それにしたって到底太刀打ちできない戦力であるのは変わらない。
そんな連中に付け狙われているアークだ。少しでも情報や隙を相手に与えようものなら瞬く間に殺されてしまうかもしれない。俺は教官の人となりを信用しているが、これはそういう問題じゃない。
「もちろんわかってますよ、そのくらいは」
「念のため、ですよ。では行きましょう」
とん、と大尉に軽く背中を押され、俺たちもフレッド教官の元へ走り出す。
教官は俺たちの姿を認めると、ゆっくりと全員を見渡しつらそうに表情を歪めた。
「教官!」
「マサキ。お前は生き残れたか。……二十と少し、か。……減ったな」
「お久しぶりです、フレッド隊長」
「! ……お止めください、アルフ大尉。今の私は少尉にすぎません。そんな風にかつてのように話されるのは……」
「うわ、気持ちわる。なんですか、その口調。似合ってませんよ、隊長」
「…………。だから、その『隊長』というのは……」
「なら、昔のようにしましょう。フレッド。それならいいでしょう?」
「……まったく、お前は相も変わらず。だが、お前が生きていて良かった、アルフ」
「ええ、まあ。おかげさまで。……ただ、アンデルは死にました」
「ッ……! そうか……。あいつが」
大尉が言った、アンデル、という名には聞き覚えがあった。
あのヤリアで俺たちがアークの麾下に入る前、クリルファシート軍の襲撃を受ける前に属していた、本来の第三大隊第五中隊の指揮官。俺たちが、中隊長、と呼んでいたあの中尉の名前だった。
彼は襲撃を受けてすぐに俺たちを逃がし、自身はアークと共にあの場に残って俺たちが逃げるための時間を稼いで、そして死んだ。
彼もまた大尉のようにかつての教官の部下だったのだろうか。
「……教官。今ここにいる俺たちは、中隊長が……アンデル中尉が命を賭して戦ってくれたおかげで、生きています! だから……」
「ガキがいらん気を使うな。……お前が、そう思っているならそれだけでやつはもう報われている」
ぽん、と俺の頭に手を置いて、教官は非常に珍しいことに優しげに微笑んだ。
むしろ、気を使わせてしまっただろうか。
「よし。お前ら、今日のところは自室に戻れ。今後のことを考えるのは明日からだ。今日はもう休め」
そう言われてみれば、急にぶっ倒れそうな疲れが全身を襲った。そも、無理を押して逃げてきていたのだ。途中に挟んだ休憩程度で癒えるようなものじゃない。改めて指摘されてはじめて自覚する、というのがいかに疲れているのかを逆に表しているかのようだ。
みなそうであったようで、どいつもこいつも疲れを自覚して眠そうにしだした。
「マサキ、お前は確か王都に家族がいたな。どうせまだ顔も見せてやっていないんだろう? 早く帰れ」
そうだ、檀。
自分が死ぬか、仲間が死ぬか、なんて状況ばかりだったせいで、妹のことまでもがすっかり抜け落ちていた。
ヤリアの惨状は王都にも伝わっていたようだし、心配させているかもしれない。
俺は教官に一言、礼を言うが早いか、すぐさま自宅へと駆け出した。




