075 安全と休息と
「さて、そういうわけで、僕らはもう行く。ここまで自国の中に入れば敵に遭遇することなんてないとは思うけど、念には念を。くれぐれも気を付けてくれ」
「お前もな。力にあぐらをかいて殺されたりすんなよ」
「ああ、ありがとう。行こう。シェーナ。ツトロウス」
休憩を終え、隊が動き出すごたごたに紛れ、僕らは離脱する。後の指揮はアルフがとってくれるはずだ。
歩き出した僕に、それで、と一拍入れてツトロウスが問う。
「これからどこに向かうんで?」
「そうだなぁ……。王都郊外の離宮はセリファルスの警戒が怖いし。かといって、故郷に……村に帰るのは悪手が過ぎるよな」
「そうですか? 村なら母さまもいますから、敵の襲撃の危険性も減るのでは?」
「敵が【英雄】程度ならそれもアリなんだけどね。もし、王子が全力で【神】を繰り出してきて、そいつをルミスさんが迎え撃つようなことになったら、それはもう内乱だよ。他国にウェルサームの内情が知れる。クリルファシート王国とことを構えてる現状に、さらにナローセル帝国からの侵略を受けたら、王になるどころか国がなくなっちゃうかもしれない。ルミスさんには、万全でいてもらわなくちゃ」
……それに、そんなことになれば、巻き込まれる村の人々はただではすまない。あの、シェーナが拐われた日。何人もの村人が殺された。あんなことを繰り返しちゃいけない。
「ま、何にせよリューネと合流してからだね。ツトロウスを僕らの援軍に寄越せたってことは、彼女は無事なんだろ?」
「あっ!?」
「な、なんだ、ツトロウス、急に」
「……その、王子サマ、怒らないで聞いてもらえます?」
「無理だ。話せ」
「ぐぅ……。あーっと、その、援軍に来てからこっち、戦ったり逃げたりでバタバタしてついうっかり忘れてたんスけど……」
「だからなんだ? いいから用件を言え」
「……実は、あのおっかない【魔】のお嬢ちゃんから、お二人宛に手紙が……」
「はぁ!?」
ツトロウスがおずおずと差し出してきた便箋を引ったくるように奪い取る。
宛名には、レウとシェーナへ、と、裏を返して差出人を見てみれば、リューネ『ヨミ』より、とある。筆跡の真贋までは自信ないが、この綺麗な字はリューネのものに似ている。
……これでもし、窮地に陥ってるリューネからのSOSの手紙だったりしたらツトロウスを殺してやる、と思いながら、シェーナと肩を寄せあって手紙の封を切る。
開いて読めば、内容は以下の通り。
一つに、リューネはアイシャとミリルのいる離宮に無事たどり着き、僕の頼んだ指示を伝えたこと。
一つに、すぐさまとって返して僕たちを助けに行こうとしたが、離宮が【神】に監視されていて動けないということ。
一つに、せめてもの救援としてツトロウスを手配し、この手紙は彼に託したものであること。
最後に、無事に戻れたなら連絡がほしいが、先述の通り離宮が監視されているために無理はしないでくれ、とのことが記されていた。
とりあえず、リューネの無事が確定してひと安心する。【魔】であるリューネのすぐそばに【神】がいるのは危険要素ではあるが、リューネは【魔】の気配を消す魔法を持っているし、実際襲撃は行われていないようである。いかにセリファルスと言えど、アイシャやミリルの居城を大っぴらに襲えば、アークリフからの勘気は免れない。セリファルスの【神】は、【盾の女神】ファルアテネも、【裁断の女神】アスティティアも、【勇気の神】ダイモンも、セリファルスの意向を無視して独断で動くような【神】じゃない。
離宮を監視しているのがそのいずれだとしても、暴走の恐れはない。
「けどそうなると、離宮に行く選択肢は完全に消えたね」
「なら、どちらへ?」
「そりゃもちろん、秘密の隠れ家へ、さ」
◆◇◆◇◆
「うっへぇ、なんスか、ここ!? こんな宝の山……いやはや、なんだかんだ言っても王子なんスねぇ……」
「はっずれー。これは僕が王子として得た財産じゃないよ」
ここは、バークラフトたちと別れた地点から徒歩で二、三時間の地点。ラーネ=ハウリー伯爵領内の、とある森の中の洞窟。その巧妙に隠された隠し部屋の中。
「傭兵団の財産、ですか?」
「当たり!」
「傭兵団? なんスか、それ」
「あれ、知らないの? 君と【風の英雄】が僕らを襲う前、傭兵団の襲撃があったんだよ。あれも第六王子、アンラの手の者のはずなんだけど」
「あー、そういやなんたら男爵の子飼いに襲撃させたとか聞いたような。え、これそいつらの財産なんスか? 多くね?」
「聞いて驚くなよ。これと同じ規模のアジトが六ヶ所ある」
「……マジ?」
「あいつら、王子の【神】とやりあったこともあったみたいだし、相当やり手だね」
「なんでそんなのが男爵の使いっぱやってんスか……」
「雌伏の時、って感じだったのかなぁ、団員は二十人もいないくらいだったし、もっと時間をかけて勢力を大きくしてたらヤバかったかもね。……ああ、それで思い出した。ツトロウス、僕以前君に兵隊集めろって命じたよね? あれ、どうなった?」
「ああ、あれなら馴染みの傭兵に渡りつけましたよ。私兵っつーか、それこそ傭兵でしかないっスけど」
「へぇ、マジでできたんだ、優秀だね、君」
「いや、王子サマがやんなきゃ殺すって言ったからじゃないからスか……」
「僕が言ったのは、逆らったら殺す、だよ」
「俺からしたら同じッスよ。命令を達せなかったイコール逆らった、とか言われたらたまったもんじゃないっスし」
「あー、言われてみれば、その辺の基準って決めてなかったね」
「人の首賭けといて適当な……」
「結果的になんともなかっただろ?」
「あまりにヒデェ……。仲間以外にももうちょっと優しくしてくださいよ……」
「あはは。ま、いいだろ。その分僕は仲間になった奴には優しくするんだから」
「! そりゃあつまり……王子サマってば、俺を仲間として認めてくれた、ってことっスか!?」
「裏切ったら殺すよ?」
「いやぁ、ここまで来たらそんなことしねぇですって! よぉしよし、出世確定ぇ!」
「それも、僕が王になれなきゃご破算だ。だから……」
「だからあんたのために戦え、でしょう?」
言って、ツトロウス『メイ』はげらげらと笑う。
隠れ家で一時の平静を得、改めて喪った仲間に想いを馳せていた僕にはその心底愉快そうな笑い声は耳障りだったが、ツトロウスからしてみれば単身乗り込む羽目になった戦場から生還し、さらには難儀していた主の覚えも良くなった。笑いたくもなるというものだろう。
だから、その笑いを遮ったのは、野暮は言うまいと気を使って口を閉じた僕ではなく、傍らに控えながらじっと黙っていた彼女、シェーナだった。
「……ツトロウスさん。一つお聞きしたいことがあります」
「うん? なんですかい、【神】のお嬢ちゃん」
「私たちはかつて貴方と戦った折、貴方の仲間を、【風の英雄】を殺しました。にもかかわらず、貴方は……レウ様に忠誠を誓えると?」
「おおうなるほど、俺は王子サマだけでなくあんたの信頼も得なくちゃならないってわけッスか。ええ、確かに、ログランの旦那はあんたたち、つーか、あの【魔】の嬢ちゃんに殺されました。旦那とは何度も一緒に仕事をしましたし、飲みにも行く仲でした。しかしまぁ……なんつうんスかね。世の中、王子サマみたいな奴ばっかじゃないんスよ。俺は仲間なんぞより、自分が一番かわいい。俺を動かすのは、俺の利益ただ一つッス。なんで、それが俺にとって利のある存在であるならば、俺は誰であろうと忠誠を誓える」
「……つまり、レウ様から利益を得られなければ裏切る、と?」
「それは王子サマも承知の上での関係ッスよ。ねぇ?」
「そうなったら僕はお前を殺すけどね」
「はは、あんたが一度仲間と認めた相手を殺せるんですかい?」
「ご心配には及びません。その時は私が貴方を殺しますので」
冗談めかして僕をからかったツトロウスに、シェーナが慇懃無礼に鋭く言葉を投げかける。
いかにも彼女らしくないセリフだ、とやはり僕でもそう感じられてしまう。
シェーナはあのヤリアの戦場で闘争の仕方を知った。血みどろの地獄を生き抜くすべを知った。そんなもの、知らずに生涯を終えられるにこしたことはないものなのに。
……いや。
彼女を僕の【神】にすると決めたあのときから、こうなることなどわかりきっていた。闘うか死ぬか、道は二つに一つなのだから。
そして、そのことは他ならぬシェーナ自身こそが最もよく知っていて、彼女はそれだけの覚悟を持って僕の【神】になったのだ。それを僕が悔やむのは筋違いも過ぎる。
「……僕は少し寝る。君たちも休んでいいよ」
「夜通し下山でしたしねぇ。俺もちょいと休むとしますか」
ツトロウスは、アジトに設えられた寝室の一つへと入っていった。
「シェーナも寝る?」
「いえ、誰か一人は起きていた方がいいと思うので」
「ん、そっか。ありがとう。二、三時間したら起こしてもらえる?」
「かしこまりました」
僕はあくびを噛み殺しながら寝室へと向かった。
◆◇◆◇◆
「アークが、死んだ……!?」
「はい。【英雄】二人、及びラグルス少佐も戦死なさいました」
「爺さまもか……」
「ラグルス翁は殿軍を名乗り出た時点で覚悟されていたよ。だから、自分を責めるな、キュリオ。……だが、将来のある若者を何人も死なせたことは、悔やんでも悔やみきれない。すまなかった」
アークたちと別れて王都方面へ向かうことかれこれ半月程が経ったころ。
アークの指示に従って、ヤリアの本隊と合流できた俺たちは、まずアルフ大尉とともに幹部の佐官三人に報告をしていた。……バークラフトは部隊をまとめる必要がある、とか言われて俺が同行する羽目になったのは参ったが。
大尉の報告を聞いたキュリオ少佐はやりきれなさそうに目を伏せ、クントラ中佐が悼むように謝罪した。
疑われている様子はない。当然だろう。報告者のアルフ大尉は、ラグルス少佐の信頼篤い副官。彼が同胞を欺いているなどと、思いもしないのだろう。
報告をしていた大尉から視線を離し、クントラ中佐がこちらを見た。……目が合ってしまった。逸らすにはもう遅い。
「それで……君たち士官候補生も、これから我々と一緒に王都に戻る、とアルフは言ったが?」
「はい。俺たちも同道させていただければ」
「……王都に戻れば、君たちは即時に学校を卒業して尉官として任官されることになる。正式に軍人になる、ということだ。例外はない。私がそうする。私には力が必要だからだ。……けれど、今ならば。君たちを戦死扱いにして故郷へ帰してやることができる。軍も探しはしないだろう。だから、君たちの中にそれを望む者がいるなら、そうしてほしいのだ。私はそれを、追いも咎めもしない」
「わかりました。仲間には伝えておきます。……ですが、少なくとも俺は、中佐の元で働きたいと思っています。それが、あの戦場で散っていった奴らへの弔いになると信じていますから」
「そうか……ありがとう。報告は以上だな? では、隊に戻ってくれ。殿軍部隊の指揮はアルフに任せる」
「はっ!」
敬礼をして中佐の前から去る。
部隊に戻る道すがら、大尉が口を開いた。
「マサキ少尉」
「まだ候補生っすけど」
「君は軍属になるんでしょう? なら、決まったようなものだ。中佐もおっしゃっていたようにね。だからこそ、君はもう少し礼儀や言葉遣いを学んだ方がいいですね」
「え、なんか駄目でした?」
「中佐がお優しい方で良かったと思うことです。君はフレッド少尉の教え子と聞いていますが、彼から教わらなかったのですか?」
「大尉も教官を知ってるんですか? あ、いえ、前にコーラル大尉から教官の話をされて。『隊長』がどうとか……。そういやあのとき、生き残ったら教えてくれる、とか言ってたっけ。さっき居ましたよね、コーラル大尉」
「コーラル大尉……ああ、そういえば、昔共に仕事をしたことがありましたか。まあ彼に聞きに言っても構いませんが、フレッド隊長のことなら私の方が詳しいですよ」
「え、そうなんですか」
「いい機会ですし、話しておきますか。我々のこれからを考えても、知っておいた方がいいでしょうから」
俺たちの『これから』とはすなわち、王子に仕えるならば、という話。
政争に絡むほどの教官の秘密。なんだか無性に気になってきた。
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