072 老人と若者と
出来上がり次第投稿します、とか言っておきながら一週間経った私の不甲斐なさをお許しください……。
殿軍本隊との合流は、驚くほどあっさりといった。
まあ無理もない。こちらには僕とツトロウス、二人の【英雄】がいる。彼我の距離がさほど開いていなかったことも幸いだった。
「ラグルス少佐! ご報告が!」
「おう、【英雄】。生きておったか。どうした?」
「いい報告と悪い報告、どちらから聞きたいですか?」
「ふざけとる場合か。どちらからでもいいからとっとと話せ」
「これは失礼しました。では、いい報告から。敵の【英雄】は、現在一時的な戦線離脱状態にあります」
「ほう、それは僥倖。……悪い方が聞きたくなくなるの」
「砦が陥ちました。クリルファシートの別動隊の仕業で、負傷者を含む数十人の兵が犠牲になったようです」
「っ! ……そうか。それは……いや。それで、用はそれだけか?」
「いえ。少佐に進言に参りました」
「ほう。ま、聞くだけは聞いてやるが」
「撤退を。南側……砦の方の山道から下山するのはもはや困難です。が、ここから敵を突破してさらに北側に進めば、そちらの山道から下ることはできるでしょう。もちろん、我々の部隊と少佐の部隊が足並みを揃えなければできないことですが」
「撤退? 逃げろというのか、貴様は。仲間のために殿軍としてわしらがその務めを放って逃げると?」
「務めを放るわけではありません。事実、我々は一時的とはいえ敵の【英雄】を退け、敵の本隊をこうして抑えています。クントラ中佐たちやキュリオ少佐たちが率いていった仲間たちももうある程度の時間を、距離を稼げたことでしょう。……それは決して、十分なものと言いきることはできないかもしれません。事実、我々がここに留まれば、もういくぶんかの時間が稼げるであろうことは否定しません。ですが、それをすれば我々は死ぬ。私も、貴方も、今こうして我々と並ぶ仲間たちはみな死ぬ。私にとっては、先に逃がした仲間も、いま共に戦っている仲間も同じ仲間です」
「……ふむ」
「あちらとこちら、併せて最も多く救えるタイミングは、今です。これ以上ここに留まっても、犠牲に反して稼げる時間は限られるでしょう。そのうちに敵の【英雄】も戻ってくるのですから」
「……ふん。まあよいだろう。乗ってやる。撤退だ。とはいえ、敵の真っ只中を突破するのを撤退と呼んでよいものかわからんがな」
「ありがとうございます、少佐」
「理がある策と思ったから採った。それだけよ。礼を言われる筋などないわ。が、貴様の進言だ。矢面には立ってもらうぞ」
「ええ、もちろん。それは我々にしかできない仕事ですので。ツトロウス」
「ほーいほい。仰せのままに」
「……ところで、その男はなんだ?」
僕の傍らに立つ見覚えのない男を指して少佐は問うた。
「私と彼女に続く、もう一人の【英雄】です、少佐」
「今初めて聞いたわ、そんな話。まったく、あと幾つ秘密を隠し持っておるやら」
「私の残る秘密など、そう大したものはありません」
「そこは嘘でも秘密などないと言わんか、阿呆」
「これは失礼をば。では、私は秘密など抱えてはおりません、少佐」
「貴様、思ったより生意気だな? まあよいわ。行け、【英雄】」
「了解。来い、ツトロウス」
ツトロウス『メイ』と共に、北側へ、敵の中へと突入する。
背後から、軍に指示を出す少佐の声が聞こえる。
ふと、ツトロウスがこちらを見て口を開いた。
「ところで、王子サマ」
「なんだい?」
「あんた、結構いっぱいいっぱいでしょう。魔力なんてもうどの程度残ってるんスか?」
「……どこでわかった?」
「どこってこともないんスけど。なんか得意なんスよ、魔力探るの」
ツトロウスの指摘は的を射ていた。雑兵といえど、支配にはそれなりの魔力を要する。一人や二人ならどうということもないが、数十人やもっととなれば当然に消耗する。さらにはそこからヴィットーリオとの連戦だ。体力、魔力ともに余裕はなかった。
初めて僕らとツトロウスたちが邂逅したとき、街に入るなりこちらの存在に気付かれていたのも、ツトロウスの魔法の賜物だったということなのだろう。
「現在、あんたの【神】は戦闘不能で、あのおっかない【魔】のお嬢ちゃんも今は別行動。となりゃあ、ここでのあんたの命運は俺の働きにかかってるって言っても過言じゃないッスよねぇ?」
「そうだね。だから、行け。ツトロウス」
「御意に!」
にやりと笑って、気合い一閃、大地から無数の槍衾が眼前を塞ぐ大量の敵兵を串刺しにし、弾き出して道を開く様子は、まるで海が割れるかのよう。
彼らに襲われたあの時はこの【岩石の英雄】に加えて、彼と同等かそれ以上の力を持つであろう【風の英雄】までもがいた。リューネが居なければ本当に死んでいた、と今更ながらに身震いする一方で、今はその【英雄】は僕の配下だ。頼もしいことこの上ない。
メインの働きは彼に任せ、僕はツトロウスの討ち漏らしを掃討しながら、前へ前へと道を切り開いていく。時折背後を確認してみるが、ほとんど包囲されているような状態にも関わらず、みな戦意も高らかに周囲の敵を薙ぎはらって僕らにしっかりとついてきている。
「王子サマ! 前、見えますかい!?」
急に呼び掛けられ、ツトロウスへ、というより彼が示した前方へと視線を向けてみれば、分厚い壁のようだった敵の群れの先に、一筋の切れ目が見えた。距離にして、五十メートル弱か。
敵陣の突破などという無茶苦茶も、やってみれば案外なんとかなるものだ。もちろん、【英雄】という戦力ありきのことではあるが。
とはいえ、抜けたら次は背後から襲い来るクリルファシート軍との戦いになるのだ。まだまったくもって気は抜けない。
深呼吸を一つ。
気合いを入れて、両足に力を込め、駆ける。手掌で岩石を操っているツトロウスの横をすり抜け、三歩前、立ちふさがる敵を吹き飛ばすように切り払うと、周囲二十人ほどの視線を集める。
「侵せ、魔力よ!」
自らを鼓舞するように叫んだ。
なけなしの魔力を励起させ、『支配する五感』を起動させる。支配できたのは二十三人。十分だ。こんな敵陣の後方末端にいるような連中は士気も戦闘力も大したものじゃない。僕の能力を知っていても、突然仲間が裏切れば簡単にパニックになる。
彼らはきっと、新兵なのだろう。改めて僕が斬ってきた連中をを見れば、年若く、僕らとそう変わらないような者ばかりだ。けれど、剣を振るう僕の手は緩まない。支配した奴等に下す命令も緩まない。ただただ、淡々と殺すのみ。
正面の一人を切り殺す。右から突かれた槍を躱して切り殺す。僕を狙う矢を頭の動きだけで避ければ、背後にいた敵の頭を貫いて殺す。流れ矢で仲間を殺して動揺してる敵に拾った剣を投げ刺して殺す。殺す。殺す。殺す。何人も殺して、殺して、そして。
「抜けたッ!」
視界が大きく開けた。
開けた視界の中には一人として敵の姿はない。敵陣の突破に成功した。僕らが目指していた下へと下る山道も、もう見えるくらいの距離だ。
が、歓んでいる暇はない。一瞬で反転して、再び敵と向かい合いながら叫ぶ。
「ツトロウス! 開けた穴を維持するぞ!」
後から追ってくる仲間が通れるように、彼らが着くまで開けた道を保たなくてはならない。できれば、広げられたら御の字だ。
「了解! ですが、その心配はいらないんじゃないッスかねぇ!?」
ツトロウスの言う通りだった。
振り返った僕の目に飛び込んできたのは、敵を蹴散らしながらこちらへと一目散に殺到する仲間たちの姿。僕と彼らの距離は十数メートルも開いていない。【英雄】の本気の速度で先行して血路を開いていたつもりだったが、その速度に彼らはほとんど遅れずに追随していたのだ。
隊の先頭で騎乗しながら老齢に見合わぬ鋭さで槍を振るう少佐が、敵陣をぶち抜いた風穴と僕の姿を認め、
「【英雄】!」
「そのまま駆け抜けてください! 敵の追撃は私とその【岩石の英雄】が抑えます!」
「応!」
そのすぐ後ろに続くのは僕の友人にして部下たち。その中心で守られるように囲まれているのは、シェーナを乗せたアルウェルト『シルウェル』だ。
「アーク!」
「僕は最後に行く! 君たちは気にせず先に!」
「絶対来いよ!」
「もちろん!」
僕を案じてくれているのは言葉にせずとも自然と伝わった。また、僕なら生きて彼らに合流できるだろう、という信頼も。それを裏切るわけにはいかない。
続々とウェルサームの兵が僕とツトロウスの横を駆け抜けていく。その間も、味方に害を成さんと迫る敵を、押し止め、跳ね返し、切り裂いて仲間を守る。
そうこうすること、数分。
長らく続いていたウェルサーム兵の列が終点を見せた。
「【英雄】がた! 我々で最後です! 共にお退きを!」
「ツトロウス! なんか足止めできるか!? ていうか、やれ!」
「もちろん、御意に!」
操った十一人の敵兵──減った半数強は同士討ちで死んだ──を敵に押し付けながら、ツトロウスに命じる。
やや理不尽な命令も、ツトロウスは一息に承諾すると、地に手をついてなんらかの魔法を起動させた。
「行きますよ、王子サマ!」
ツトロウスが施した魔法の正体はすぐに知れた。
逃げる僕らを数歩遅れで追おうとした敵兵の足元が突然陥没したのだ。その範囲はかなり大きい。直径二十メートルほどの巨大な落とし穴だ。
勢いつけて駆け出そうとしていたことが仇になったのだろうか、かなりの人数が落ちたように見える。
指揮系統を保ったままあの大穴を迂回し追撃するだけでも数十秒、もし仲間の救助などを始めればもっと。
前者だとしても、それだけあれば弓の射程から逃れることができる。
「走れっ! 全力で敵から距離を取るぞ!」
疲労と怪我が蓄積した体に鞭打って、ウェルサーム兵たちは必死に逃げる。
鎧を捨て、武器も捨て、少しでも身を軽くして逃げる。
逃げ続ける、が。
「くそ……! 一向に距離が開かない……!」
僕らを追う敵を、目視で認められる程度の距離から離すことができない。
それどころか、彼我の距離はじりじりと詰まっている。
仕方のないことだった。こちらは殿軍任務からすぐに敵陣の只中を抜けてきていて、誰も彼も疲労は限界に達し、負傷しているものも少なくない。
対して、敵はそもそも戦ってすらいない、ぴんぴんした連中がまだまだ残っている。砦が落ちた以上、そちらに戦力を割くこともない。
行軍の速度に差が出るのは当たり前だった。
「ツトロウス、あの落とし穴は?」
「使えて、あと一回ッスかねぇ……。さっきからちょくちょくブラフ挟んでますが、奴さんらも慣れてきたようなんで、そろそろ使い時かと」
言って、さっきからちょくちょくそうしていたように、地面に手をついた。さっきまではそのフリだけだったが、今度は本当に魔法を施している。
「すんません、こいつで俺もすっからかんッス」
この落とし穴で果たしてどれだけ時間が稼げるか。次はない。
最悪の場合は、マサキも、バークラフトも、ハーレルもウィシュナも誰も彼もみんな切り捨てて、僕とツトロウスとシェーナだけで逃げるしか──
「……ん? なんだ? なんで止まってんスか?」
「え?」
戸惑い混じりのツトロウスの声。
思考を切り、前方を見れば、確かに先を走っていた集団が止まっているように見える。
休憩だろうか?そんな悠長にしている余裕がないことくらい、先頭集団もわかっているはずだが……。
「……いや。止まってるのは一部だけじゃないか? ほら、もっと先は普通に走ってる」
「ホントッスね。生きるのを諦めた奴らが居るってことスか? 一体どいつがそんな……っ、待った! アレ……指揮官の爺さんに見えませんかい?」
「嘘だろ? ……本当だ。少佐が!? どうして……」
立ち止まっていたのは六人ほどのグループ。その先頭に立っているのは、間違いなくラグルス少佐だ。
さらに距離が近づいてくれば、もう少し様子がしっかり見えてくる。
彼らは、自分達より後からくる仲間を先に進むよう促しながら、しかし自分達は止まったまま動こうとしない。
ついに、最後尾の僕らまでもが彼らに追い付いた。
「少佐! これは一体!」
「おう、【英雄】。さっきはよくやった。助かったわ。貴様も……【岩石の英雄】と言ったか? 感謝する」
「そんな話は今はどうでもいい! 何をしているんですか! 早く逃げなければ……」
「応、貴様らは、はよう逃げろ。わしらはここに留まる」
「は……? 何を言ってる!? 死ぬ気か、貴方たちは!?」
「そうだ。わしらはここで死ぬ。敵を食い止めてな」
「無茶苦茶だ! たった五人でか!」
「たった五人とて、射掛ければ先頭を来る数人は殺せる。追ってくる奴らは新兵だ。必ず恐怖する。死を恐れず殺到すれば蹂躙できるとわかってはいても、自分が死ぬかもしれんとなれば二の足を踏む。先頭が足を緩めれば、二番手も三番手も足を緩めざるを得ない。さすれば、追撃軍全体の足が緩む。それを、十回。五人一組で十回、しめて五十人の犠牲でかなりの時間が稼げる」
「な……」
「すでに人選は決まっておる。この先では、次の五人が弓矢を携えて待っている。その先ではさらに五人。その先……は、まだ目標地点についておらんかのう?まあ、ともかく十回、五十人だ。ああ、安心しろ。貴様の部下、というか、士官候補生からは一人も選んどらん。みな、わしの部下だ」
「本気で死ぬのか……? 何のために!?」
「もちろん、貴様らのためさ、若人。この老骨どもの命で若人が生き残るならば、何も不満などあろうはずがない」
「ふざけるな!僕に、仲間を見捨てて生きろっていうのか!?」
「はっ、あまり笑わせるな、【英雄】。貴様はハナからわしらを仲間だなんて思っとらんだろうが」
「ッ……! どうして……」
「わしとて無駄に年食っとらんわ。そのくらい気付く。キュリオの坊はやはり、この辺りが甘いの」
「違う! ならどうして、自分の命を擲ってまでそんな僕を救おうとする!?」
「貴様がウェルサームの若者だからじゃよ。貴族だろうが、非情なやつだろうがな。わしの守るべき若者だからだ。……なぁ、【英雄】。わしはもう十分生きた。この戦争が起こった時点で、わしはもう死ぬつもりでいたよ。クントラがいる。キュリオも、エヴィルもいる。あとを託せる奴らがいる。貴様らまでもがそこに加わるのなら、それは望外の喜びだ」
ズドォン、と爆音が背後から聞こえた。
ツトロウスが先ほど設置した落とし穴が作動したのだろう。
……もう時間がない。
最後に、彼に何か言うとしたら。
「…………それは。それは……このヤリアの戦いが僕のせいで起こったものだと言ってもか?」
「うん? ……ほう。それは、初耳だ。が……まあ、貴様ならそのくらいの秘密は持っていてもおかしくはないな。何も変わらんよ」
「ッ……!」
「貴様がそれでも罪悪感を抱くのなら、残った者共を、ひいてはこの国さえも、貴様が救え。【英雄】は使い潰すより生きていたほうが都合がいい。な?」
「…………わかった。任せろ。僕がみんなを救う。だから、安心して……死ね」
「応。アルフ」
「は」
「アルフ大尉。わしの副官だ。【英雄】、貴様につける。残る部隊の指揮は貴様ら二人で取れ。最高指揮官は、貴様がやるか?」
「いえ、階級通り、大尉に」
「そうか。ならばそれでよい。行け!」
「ああ……! 大尉、失礼、抱えさせて頂きます。ツトロウス。行くぞ」
「了解」
大尉を抱え、【英雄】の速度で駆け出す。
振り返りはしない。
声も、音も、全て遮断して駆ける。
前とは大分離されてしまっているはずだ。急がねば。他のことに意識を割く暇などない。
走っていると、次の五人が山道を塞ぐように広がって立っていた。
「【英雄】殿、ご武運を!」
「ッ……君たちも!」
クソッタレ。
クソッタレだ。
僕にもっと、力があれば。
死に行く未来が決まった兵たちの横を通りすぎながら、僕は自らの無力を呪い続けた。
ではコミケに行ってきます!




