表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/112

071 犠牲と遁走と

「それで? どうするんスか? 二人がかりであの【英雄】を殺す?」

「いや、逃げる。着いてこい、ツトロウス」

「へっ? 逃げ……あの【英雄】、仕留めなくていいんスか?」

「お前がヴィットーリオを瞬殺できるっていうならやらせるけど」

「瞬殺は流石に……。でも、俺と王子サマの二人がかりなら勝ち目は十分……」

「それじゃダメだ。その時間がない。仲間が死ぬ」


 仲間を助ける、という一点にのみ主軸を置くならば、僕とツトロウスが全力を挙げてヴィットーリオを殺すより、そこそこの労力でやつを押さえ込みながらクリルファシートの雑兵を処理していく方が効率がいい。


「へぇ。意外ッスねぇ。あんたがそんな仲間想いだとは」

「無駄口叩いてる暇があったら少しでも多く手柄を挙げて見せろよ」

「【英雄】討伐なんていう大手柄の機会を奪いながらよくもまあ。ま、命令には従いますよ」


 有言実行、とばかりに、ツトロウスは自らの魔法で大地を形作る岩石を槍のように変ぜしめ、立ち並ぶ敵兵を串刺しにしていく。


「アーク!? 誰だ、そいつ!?」

「ハーレル、悪いけど説明はあとだ。逃げる」

「逃げ……って、待てよ! まだ他で戦ってるやつらが!」

「彼らは僕が救いにいく。だから、君は逃げろ。……いや、やっぱり途中までついてきてもらおうか。シェーナたちと合流しよう。彼女とアルウェルト『シルウェル』に君たちを任せるから、彼女たちと一緒に逃げろ」

「……それは上官としての命令か?」

「もちろん」


 もちろん……嘘だ。

 上官として、ヤリア方面軍の中尉としてはあり得ない命令だ。殿軍がその任務を放棄して逃げ出すなんて許されるわけがない。

 そこに思い至らないハーレルではなかっただろうが、わずか黙り込んで頷いた。


「撤退だ! 退くぞ!」

「ツトロウス、後ろは僕らで抑える。ああ、それと、さっきの【英雄】……ヴィットーリオ『ロゼ』には僕の能力が効かない。お前がなんとかしろ」

「なんとかってなんスか」

「なんとかはなんとかさ。行くぞ!」

「相も変わらず無茶苦茶ばっか言いますねぇ。ま、やれるだけはやりましょう!」


 ツトロウスは叫び、瞬間、大地から無数の杭がクリルファシート兵の体を貫いて生え立つ。

 凄惨な殺戮の様は、敵の心に恐怖と躊躇を生み、僕らを追うその足をわずか緩めさせる。戦場では、致命的な停滞だ。恐怖で戦意が鈍り足がすくむ。そうして止まれば恐怖に呑まれる。それは、いずれ死に至る悪循環。


「手慣れてるね」

「【英雄】ッスから。戦場に居たこともあったんスよ」


 そんなものか。

 僕やシェーナはもとより、リューネですら大人数が殺し合う戦争の経験はない。僕の身近な人だとルミスさんは国境の防衛に際してそういう経験もあるらしいが、細かいことは僕らも聞いたことはない。

 一方、このツトロウス『メイ』はいかにも典型的な【英雄】で、力こそあれ経験に偏りがあった僕らに欠けていた要素を持っている。

 ツトロウスを仲間にするのはリスクの大きい行為ではあったが、そう考えると、


「……意外と悪くない買い物だったかも」

「? 何の話スか?」

「なんでも。それよりほら、前向けよ。来たぞ」

「逃げんな、クソッタレ【英雄】ども!」


 叫びながら全速力で追ってくるのは、このヤリアでずいぶん因縁深くなった【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』。

 こちらに新たな【英雄】という増援が来たにも関わらず、こちらに向かってくる戦意は敵ながら流石と言ったところか。


「おー、アレ、さっきの【英雄】ッスよね?」

「だね。今は仲間を生かして退かせるのが最優先だ。だから、殺せそうだったら殺そう」

「ほーいほい。じゃ、適当にあしらってぶっ飛ばしましょうかねぇ!」


 地面から突き出す幾本もの岩槍が、ヴィットーリオへ殺到する。

 【岩石の英雄】の名に恥じぬ強力な魔法。

 しかし、ヴィットーリオは手にした『累加』の剣を振るうと、いとも容易くその槍を切り裂いた。


「うえっ!? なんスか、あれ!」

「ああ、言い忘れてた。あれ、魔法剣だ。切れ味の強化だの軽量化だの施されてる」

「そういうの、先に言って欲しがったんスけど」


 不満げにツトロウスはそう言い、けれど直後に一言を付け加えた。


「ま、いいっスけど。あれ本命じゃないんで」


 その言葉をキーにしたかのように、ヴィットーリオの足元が勢いよくせり上がる。

 先程の槍とは違い、奴の足元の地面が丸ごと、だ。それはまるで、射出機のように。高速で持ち上がった地面は、その勢いのままに上に立つヴィットーリオを弾き飛ばす。

 流石の魔法剣でも、自身の何倍もの体積と質量を持つ岩盤を切り裂くことはできず、ヴィットーリオははるか後方へ向かって打ち出されていった。


「っ、くそっ、なんだこれは、ぁぁぁぁあああああ!」

「おーし、こんなもんで良かったッスかね?」

「いやぁ、やるね。優秀優秀。さ、仲間に追い付こう」

「ほーいさ」


 ヴィットーリオがいとも容易く追い払われるのを見たクリルファシート兵は、僕ら【英雄】二人に向かってくるほど無謀ではなく、混乱したようになりながら足を止める。

 普段であれば反攻したくなるくらいの無防備さではあるが、今はそうはいかない。ツトロウスとともに先に逃げたハーレルたちを追うため、身を翻した。

 駆けることわずか、すぐに仲間たちに追い付く。

 しかし、彼らはなぜか、逃げるでもなくその場に突っ立って何かを見ていた。彼らたちのそばでは、シェーナの援軍に向かったと聞いていたマサキたちも、また同じように呆然と何かを眺めていた。

 視線を追えば、やはりというべきか、その先にいたのは僕の幼馴染みの少女。【累加の英雄】と相対しているシェーナだったが、ぴたりと固まる【英雄】に剣を携えてゆっくりと歩み寄るその様子を見る限り心配の必要は無さそうだった。

 けれど。

 その彼女の姿を見た瞬間、なぜだか僕の背筋がぞくりと粟立った。戦闘に注力しているせいかところどころ素の銀色が覗いている髪も、所作の節々から感じる普段と解離した雰囲気ももはや問題にならない。

 僕が今彼女に感じているのは、まぎれもない恐怖だった。理由はわからない。いや、僕がシェーナに恐怖する理由なんて、あるわけもないのに。

 恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。

 得体の知れない怖気が僕の心を震わせる。

 その恐怖に突き動かされるように、僕は彼女の名を呼んだ。


「シェーナっ!」


 反応してこちらを向いたシェーナの表情は、珍しいことに分かりやすい驚愕に彩られている。

 そのまま小さくなにごとかを呟くように口元を動かした直後、彼女は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 その場の誰が動くより早く、アルウェルト『シルウェル』が地面に激突する前にシェーナの体を受け止めた。

 慌てて彼女に駆け寄り様子を伺うが、呼吸や脈に特に異常は伺えない。どうやら気絶しているだけのようだ。先ほどまで感じていた彼女への恐怖も跡形もなく消えている。なんだったんだろうか?

 次に、しゃがみこんでげほげほと咳き込んでいる【累加の英雄】を見る。相当グロッキーなようで、僕らが逃げる障害にはなりえないだろう。ここで【英雄】を一人始末できるか? と少しばかりの欲が首をもたげる。


「……いや」


 冷静に考えて、僕らが【累加の英雄】を攻撃すれば、敵の兵は自国の【英雄】を討たれまいと死に物狂いで抵抗してくるだろう。もたもたしていては後方に吹っ飛ばしたヴィットーリオも戻ってきてしまう。ここは手柄は諦めて退くしかないか。


「マサキ、点呼は終わってる?」

「俺たちの方は死者も重傷者もゼロだ。その白い大蛇のおかげだな」

「そうか! よかった。ありがとう、アルウェルト『シルウェル』」


 仲間の命を助けてくれた恩人に礼を言う。

 彼の返答は今までと同じ、漏れ出すような吐息だけだったが。


「で、これからどうすんだ? 闇雲に戦っててもじり貧だぞ」

「そうだね」

「そうだね、ってお前、他人事みたいに……」

「いやぁ、そんなつもりはないけど。そうならないために、今から逃げ出すんだし」

「ふーん、逃げるのか。……逃げる!?」

「無駄死には嫌だろ?」

「そりゃ、そうだけど……。……戦ってる仲間が」

「僕にとって本当の仲間は君たちだけさ。ていうか、ことがここまで来たからにはぶん殴ってでも従ってもらわなくちゃならないけど」

「……あー! わあったよ! で!? 逃げるって、具体的には!?」

「砦に引き返して山道を下っていく。整備されてる麓への参道で一番近いのはあそこだからね。途中でバークラフトやカーターたちを回収して……」

「アークッ!」

「っと、噂をすれば。や! バークラフト、ナイスタイミング!」


 マサキと話していたところに、遠間から僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

 呼び声の主たる、こちらへ駆けてくる男たちの顔はよく知ったもので、僕は先頭を走る一人の名を呼び返した。

 しかし、彼我の距離が縮まってくるにつれ、彼らの様子が平常とはとても言えないようなものであるのがわかる。青ざめた顔は恐怖と悔恨に歪んでいるように見えた。


「……どうした? 何かあったかい?」

「アーク……! 砦が、砦が……!」

「砦? 砦がどうしたって?」

「砦が落ちた! クリルファシートの別動隊が居たんだ! 兵士はもうほとんど逃げたあとだったけど、残ってたわずかな連中は皆殺しにされた! …………カーターも。あいつも、殺された」

「なッ……!」


 その言葉を聞いて絶句したのは僕だけではなかった。同じようにそばにいた仲間はみな、どんな言葉を発してよいのかもわからず、ただただ息を呑んでいた。


「いや、違う! カーターは、俺が殺したんだ! 俺が敵に怯えなければ、あいつ一人くらい救えたかもしれない! 俺が逃げさえしなければ……!」

「……それは。とにかく、一旦落ち着け、バークラフト」

「落ち着けるわけないだろ! 俺が殺した! 俺のせいであいつは死んだのに」


 両の瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢しながら、やけっぱちのような笑みを浮かべてバークラフトは慟哭する。彼と共に僕の命じた任務に従事していた三人の仲間たちもまた、自らを無言の刃で切りつけるかのように押し黙り、ただ涙を流し続けている。

 そんな彼らの様子をただ見ていることはできなかった。

 それは部隊の命を預かる隊長としても、彼らの仲間としてもだ。


「気にするな、バークラフト。カーターの命を奪ったのは君じゃない。僕だ」

「は……?」

「カーターに言われてたんだ。あいつ、怪我した自分は足手まといだから切り捨てろ、って。……だから、僕はそうするつもりだった。君が助けてこようがこまいが、どこかで僕はカーターを切り捨ててた。だから、君の行動は関係ない」

「……嘘を吐けよ。お前がそんな簡単に仲間を切れるはずがねぇだろ。いや、よしんばお前の言う通りだったとして、あいつを切り捨てたのは俺だ! お前じゃない!」

「なら、どうすんだ? 絶望してここで死ぬのか?」

「マサキ!」

「アークは黙ってろ。……なぁ、答えろよ、バークラフト!カーターの命を使ってまで生き延びたお前がここで無為に死んで、それでお前は満足か!?」

「っ、それは……」

「お前の気持ちもわかるさ。俺だって、お前の立場だったら自分を蔑んで閉じ籠るかもしれない。だけどな、ここは戦場のど真ん中で、お前は俺たちの副隊長だ! お前が腑抜けてたら、お前だけじゃない、俺たちだって死ぬ。ベイムや、トヴィや、カーターたちが繋いでくれた俺やお前の命を、お前はここで投げ捨てるのか!? それで、カーターが喜ぶとでも思ってんのか!?」

「…………」

「バークラフト。僕がさっき言ったけど、カーターは切り捨てられることを望んでた。……いや、正確には少し違うね。彼は、自分が切り捨てられてでも仲間が、君や僕が生きることを望んでた」

「……そう、か。はは、あいつらしい。馬鹿みたいな考えだ。あいつだけじゃない! どいつも、こいつも、自分を犠牲にして仲間を生かして……!」

「……そうだな。だからこそ、遺された俺たちは、あいつらを救えなかった俺たちは、あいつらのことを想えばこそ生き残らなくちゃならない」

「くそ……くそっ……! ああ、わかったよ! 嘆くのも悔やむのも後だ! 今はここを生き延びる!」


 ……半ば、空元気のようなものではあるのだろう。それでも、いつもの調子を取り戻したバークラフトに、僕は安堵のため息を吐く。


「しかし……砦が陥ちてるとなると、あそこの山道を下ることはできないね。どうしようか」

「アーク、現状をかいつまんで教えてくれ」


 想定していた逃げ道が潰れ、どうしようかと考えていたところ、戦場の状況を知らないバークラフトからそう言われた。

 かくかくしかじか、と大雑把に現状を説明すると、彼は少し考え込んで、


「つまり、大雑把には二つだな。このまますぐ道なき山林に足を踏み入れて下るか、今から敵のただ中を突破して他の山道に向かうか」

「だね。前者はできれば避けたい。遭難の危険が高いからね。かといって、後者で行くには戦力に不安が残る」

「……殿軍本隊の方にはまだ俺たちが裏切って逃げようとしてるのはバレてないんだよな?」

「その直前状況が今だからね」

「なら、本隊と合流ってのはどうだ? 彼らだって別に死にたいわけじゃない。時間が稼げればいいんだ。なら、お前たちが敵の【英雄】を一時的でも戦線離脱させた今、ラグルス少佐も撤退の提言を受け入れてくれるかもしれない」

「なるほど……。でももし、提言して受け入れられなかったら?」

「……その場で少佐を殺して指揮系統が乱れたところを逃げる、とか」

「ははは! なんだそりゃ! 君、なんか僕みたいなこと言うようになったな! よし、決まりだ。それでいこう!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ