070 覚醒と反撃と
ゆっくりと、マリアン『センショウ』が、私に死をもたらす【英雄】が近づいてくる。
殴られ続けたせいだろう、視界は回り、痛みで今にも意識が飛びそうだ。
なのに──
「あつ、い……」
じりじりと、体の内から燃えるような焦燥感が身を焦がす。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
肉体の消耗とは無関係に、息が荒くなる。
死の危機に瀕した私の内から立ち上る灼熱の正体は、今まで私が扱っていたのとはまるで比べ物にならない量の魔力だ。魔力が、私の中から沸き上がる。
けれど、消耗した体と朦朧とした意識のせいで、この魔力をどうすればいいのかもわからない。
マリアン『センショウ』は刻一刻と迫っている。
(もう、仕方ないなぁ。このくらいでグロッキーになっちゃうなんて!)
不意に。
声が聞こえた。
脳裏に響くその声の源は、前後左右、はたまた上か下か、まるで判然としない。
声色は同年代くらいの少女のそれに聞こえるが、まるで聞き覚えがない。
「だれ、ですか……?」
(私はワタシだよ。他に誰がいるの?)
誰が?
……誰もいない。ここにいるのは、ウェルサームとクリルファシートの兵士たちだけ。少女なんてどこにもいない。
「答えに、なってません……」
(えー!? なってるよぅ! って、そんなこと言ってる場合じゃなかった! 貴女、その力使えないでしょ? このままじゃ死んじゃうし……。だから、私が代わりに使ってあげる)
「いきなり現れて、何を……」
(あはは、そう言いたくもなるよねー。でも残念! 貴女に拒否権はありませーん! じゃ、もらうね?)
陽気な声色で、傍若無人にそんなことを言う少女。
不穏な台詞の直後、少女の気配が消え、しかしその時の私はなんの違和感も異物感も感じることはなかった。
けれど、変化は明白だった。
「ぃ、痛ぁ……。うぷっ、痛すぎて吐き気するぅ……」
私の口から独り言が漏れる。けれど、これは私の意思で発せられたものではない。しかしながら、誰かに言わされている、というような感じでもない。言い知れぬ不思議な感覚。
意識も五感も正常に働いているというのに、なぜか身体だけが動かせない。
私の身体が、先程の声の少女に乗っ取られた、と気づいたのに明確な理由はない。そう思った、としか言いようがなかった。
「左上腕と……肋骨が……二本。うわぁ、三本もイってる。痛いわけだよ……」
言いながら、私の身体を乗っ取った声の少女──『私』はひどく複雑な魔法を患部に施す。身体の内側から見てもその構成はまるで読みきれない。
魔法の効力なのだろう、怪我の痛みが嘘のように消え去る。折れたはずの左腕が普通に動かせているのを見るに、痛覚が消えたわけじゃなく傷が治っているようだ。
へたりこんでいた『私』はすっくと立ち上がり、
「さ、反撃開始といこっか!『××加速』」
『私』が呟いたのは、聞いたこともない名前の魔法。
音を置き去りにする、という表現が相応しいだろうか。少なくとも、実際に身体を動かしている(乗っ取られているのにそう言ってしまっていいのかわからないが)私にはそう感じられた。
信じられない速度で、移動した『私』の体はいつの間にかマリアン『センショウ』の背後にある。
それは、私が先程までやろうとしていた『高速』の多重起動とはまったく違う。
『私』が発動した『加速』の魔法は『高速』とはまったく違うメソッドの魔法。その構成はさきの治癒魔法と同じくまったく読めない。ただ、違う、ということだけがわかる。
「五重『衝撃』」
ズドン。
腹の底まで響くような鈍い轟音。何度目かもわからないこの攻撃がマリアン『センショウ』に炸裂する。
が、
「うーん、やっぱり火力が足りないなぁ。『零→無』……は、まだ使えないかぁ。どーしよっか?」
『私』のその発言が独り言だというなら、それは私に向けられた問いなのだろうか。
生憎、状況にまったくついていけないどころか、自分の身体の支配権すら取られてしまった私に返せる答えはないけれど。
「ま、やり方はいくらでもあるよね」
結局、『私』は答えなど聞かず一人で納得すると、起き上がったマリアン『センショウ』の方へとゆっくり歩き出した。
「ぐ……なんだ、今のスピードは……! まだ隠し玉を持ってやがったのか!?」
「うーん、隠し玉、なのかなぁ? でも別に気にしなくていいよ。ほら、大事なのは貴女の勝ち目が無くなったっていう事実だけじゃない?」
「ハッ、雰囲気が変わってもビッグマウスは相変わらずか! あの程度の攻撃魔法であたしが倒せるなんて本気で思ってんのか!?」
「もちろん。私が貴女ごときに負けるわけないでしょ?」
そんな傲慢なセリフを吐いたときには、すでに移動と攻撃が終わっている。
またも目にとまらぬスピードでマリアン『センショウ』に接近した『私』は、またも唯一の攻撃魔法を叩き込んでいた。
しかし、今度はそれだけでは終わらない。過剰に底上げされた身体能力の恩恵か、宙を舞うマリアン『センショウ』がひどくスローモーに見える。
『私』は、鼻唄でも歌い出しそうな軽やかなステップで吹っ飛ぶマリアン『センショウ』を追い抜き、彼女が地面に落ちるより早く先回りすると、再びの五重『衝撃』をいまだ宙に浮いたままのマリアン『センショウ』の身体に叩き込む。直前までと真反対の方向に飛ばされる【英雄】。それをもう一度、同じようにデタラメなスピードで追い抜き、『衝撃』。追い抜き、『衝撃』。『衝撃』。『衝撃』。
それは例えるなら、自分で投げた石に走って追い付き自分でキャッチするようなもの、とでも言えばそのスピードスケールの異常さが伝わるだろうか?
六連続で五重『衝撃』を食らったところで、マリアン『センショウ』は連撃から解放された。彼女は全身のあちこちに殴打痕をこしらえ、ところどころ血も流しながら、しかし、やはり立ち上がる。
ふらついてこそいるが、その目は爛々と輝き、今にもこちらに襲いかからんといった風情だ。
「ありゃ、これでもダメ? タフだなぁ。……しょうがない。こういうやり方は嫌だったんだけど」
『私』は緩慢な動作で掲げた右手をマリアン『センショウ』へと向ける。
また新たな魔法を『私』が編み、施す。それはやはり、私の知らない、高度な魔法。
「『××××』」
ぽつりと呟いた言葉は聞こえなかった。
が、魔法の効力は間違いなく発動している。負傷しながらも戦意を滾らせて私を殺そうと動きかけていたマリアン『センショウ』の動作が凍りついたようにぴたりと止まった。
正確には、止まったのは彼女の首から下。微動だにせず静止した胴体や四肢と対照的に、その表情は驚愕に、動揺に、怒りにと目まぐるしく色を変える。
「っ、ぐぁっ……何を、した、テメェ!」
「知ってもどうしようもないだろうし、教えなーい」
マリアンの怒号もまるで堪えた風なく、『私』はおどけるような笑顔で唇に人差し指を当てた。いかにも私らしくない仕草に頬が熱くなる。……仮にも見ず知らずの相手に肉体を乗っ取られているのだから、もっと思うべきことがあるとは思うけれど。しかし、私の身体を乗っ取っている彼女に、不思議と恐怖や嫌悪を感じないのだ。向こうからの害意や敵意のようなものも同様に感じない。
そんな私の内心の思慮もどこ吹く風、『私』はなおもマリアン『センショウ』に近づきながら、その途中でマリアン『センショウ』が取り落とした剣を拾う。……重い。気づかないうちに『剛力』を解いていたらしい。ずいぶんと度胸のある戦い方に感じる。『剛力』には、強化された自身の膂力の反動で傷つかないための防御力強化がデフォルトでついており、私が【英雄】に殴られたり蹴られたりしても生きていたのはこれのおかげだ。それを解いてしまえば、敵の一撃一撃がすべて致命傷になってしまう。『私』はよほど自分のスピードや魔法に自信があるということか。あるいは、戦っているのは私の身体だからどうでもいいと思っているのかもしれない。
「く……何をするつもりだ!」
「うん、殺してあげようと思って」
「ふざけんなッ!」
「ふざけてないよ。そのまま放置しても貴女は死ぬけど……それはきっと、苦しいから。この剣で、すぐに殺してあげる。だから、抵抗しないでね?」
「くそっ……! 動け……動けっ! なんで身体が動かねぇ!」
「暴れても動けないよ。そういう類の魔法じゃないし」
顔を真っ赤にして悪態を吐くが、マリアン『センショウ』の体はびくともしない。
それどころか、怒りで上気した顔は徐々に青くなっていっているように見える。酸欠だろうか?いや、考えてもわからないだろう。そもそも『私』がマリアン『センショウ』に施した魔法の正体すらわからないのに。
『私』は重い剣を引きずるようにしながらマリアン『センショウ』へ近づいていく。先ほどとは立場がまるで逆だ。つい少し前まで生殺与奪権を握っていたのはマリアン『センショウ』だ。彼女が私の死だった。けれど、今は私が……いや、『私』が彼女の死だ。
「よい、しょっ! さ、あーんして?」
引きずっていた剣を掛け声とともに持ち上げ、マリアン『センショウ』の顔面に突きつけながら、まるで聞き分けのない幼子に言い聞かせるかのような口調で語りかける。口を開けさせてどうするのかは、剣の切っ先が何よりも雄弁に語っている。
もちろん、言い向けられたマリアン『センショウ』が言われた通りにするはずもない。口を固く閉じ、視線だけで射殺さんと私を睨む。
「もー、そんな風にしても自分が苦しんで死ぬだけなのに……。うーん、目から入るかなぁ?」
剣先の狙う標的を口からわずか上方にずらしながら、『私』はいかにも恐ろしいことを言う。それがハッタリでもなんでもないのは、躊躇いなく進められている剣から明らかだ。
その切っ先がマリアン『センショウ』の眼球に触れたか否かの刹那。
「シェーナっ!」
聞こえたのは、私の敬愛する主の声。
瞬間、『私』も弾かれるように彼へ視線を向ける。
「あっ、まずっ……!」
初めて聞いた、焦ったような『私』の声。
それがトリガーになったかのように、ぷつんと私の意識が暗転した。




