068 マリアン『センショウ』とシエラヘレナ=アルウェルトと 2
しれっと遅刻しました。
申し訳ないです。
「ハハハ、男連中はずいぶん楽しそうだねぇ。あたしらも女同士、楽しくやろうじゃないか!」
【浄化の英雄】とレウ様の戦いの様子はこちらからは正確には伺えない。激しい剣戟の音が聞こえるくらいだ。
妙に上機嫌な【累加の英雄】のセリフを無視して、私は父さまに話しかける。
「……父さま、周りの人間の兵士の相手をお願いしてもいいですか?」
『いいのか? 俺があの【英雄】の相手をする方が……』
「私はレウ様と違って多人数を相手にするのが得意じゃありませんから。父さまもどちらかと言えば同じかもしれませんが……」
『お前よりはマシだろうな。この……シルウェルの体の分、人間の相手は容易い。オーケーだ。……死ぬなよ、シエラ』
「父さまも、油断しないでくださいね。……さて、お待たせしました。始めましょうか、マリアン『センショウ』」
「ぶつぶつと独り言の多いやつだ。ま、死ねばそれも言えなくなる! 今のうちに好きなだけくっちゃべってりゃいいさ!」
「申し訳ありませんが、貴女を殺します。……約束した以上、私は貴女を殺してあの人に証明しなくてはいけませんから」
「ああ? 訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
「独り言です。お気になさらず。……どうせ、貴女は死ぬのに、話したって無駄でしょう?」
「ほぉ、可愛い顔して達者な言葉を吐くもんだ。あたしゃ好きだねぇ、そういうの。ああ、首から千切って持ち帰りたいくらい大好きだ!」
「私は貴女の首はいらないので、ここに捨てていきますね」
叫んで、飛びかかってきたマリアン『センショウ』は、宣言通り私の首を刎ね飛ばすように大剣を横薙ぎに振るう。
こちらもすでに『剛力』と『高速』の魔法で身体能力をブーストしていたお陰で、飛び退って危なげなく回避に成功するが、この一瞬だけで、私の身体能力が彼女より劣っていることがわかってしまう。魔法でブーストしてこのざまとは、自分の【神】としての未熟さに思わず歯噛みするが、しかしここで私が嘆こうと【神】として覚醒できるわけではない。
必要なのは、考えることだ。
マリアン『センショウ』との前回の戦いと同じようにしていたのでは、魔力の消耗が激しすぎる。火力が足りず、ジリ貧だ。
だから、目指すのは短期決戦。しかし、そうなるとやはり、私の魔法では決め手に欠けるという問題が立ちはだかる。
他の敵と戦っている父さまやレウ様には頼れない。自分でどうにかしなければいけないのだが……、
「さて。どうしましょう?」
「オラ! 避けてばっかか!? こないだのやる気はどうした!」
マリアン『センショウ』の攻撃を紙一重でなんとか躱しながら呟いてみるが、もちろん誰かが答えてくれるわけもない。
魔法は多用できないが、使わなければ殺される。攻防の要所要所で使っていくしかない。
「『転移』!」
「っ!? 消え……」
「五重、『衝撃』」
ドパンッ!
『転移』──私のそれはまだ使いなれておらず、長距離を移動することはできないが、しっかり『転移』先に目印さえ打っておけば、短距離の『転移』はできる。近接戦闘におけるそのアドバンテージは言うまでもない。マリアン『センショウ』の背後に回った私はすかさず、自身の持つ最大火力を叩き込む。
が。
「チッ……。まぁた面倒な魔法を……。瞬間移動か? ま、次は食らわねぇが。移動先をぶち抜いてやる」
何食わぬ顔で起き上がってきたマリアン『センショウ』は、無傷とは言わないが、大きなダメージを負った様子もない。
やはり、相手に致命傷に近いダメージを与えられる何かが必要だ。
(『衝撃』をどうにかもう一つ重ねて六重に……いえ、ダメですね。一.二倍程度の威力では全然足りません)
こんなことなら、リューネからもっと攻撃用の魔法を習っておけば良かった……なんて今更言ったって仕方ない。
せめて私の【神】としての固有の魔法が使えれば。と、これも意味のない泣き言だ。たらればなんて言うべきじゃない。
(無難なのは……『高速』『剛力』あたりのフィジカルブーストを重ねて、速度やパワーで圧倒する、でしょうか)
方針を決め、魔法を編む。
しかし、割合あっさりと魔法の改造や多重起動に成功した『幻影』や『衝撃』と違って、そう簡単にいきそうにはない。
なんといっても今の私は殺し合いのまっ最中。【英雄】の攻撃から逃れながら複雑な魔法を改造するなんて、上手くいくほうが驚きだ。
要所要所で『転移』や『幻影』を織り混ぜながら、戦ってはいるものの、明らかに積極性に欠ける私の動きに、マリアン『センショウ』も不信感を抱いたらしい。
攻撃の手を緩め、警戒するように数歩分の間合いをとった。
「一向に反撃してこねぇなぁ。手も足も出ないだけか? いやァ、そんなタマじゃねぇだろ、【英雄】? 何を企んでやがる?」
「さて? 当ててみてはいかがですか?」
「フン、その必要はねぇな。考えるまでもなく吹き飛ばしゃあいいだろ?」
そう言って、マリアン『センショウ』は身に付けた雑嚢から酒瓶らしきものを取り出した。素早い動作で火種を瓶の口に詰められた布に引火させた。
その瓶を投げるように振りかぶるのを見て、こちらも身構える。あれを投げるつもりだろうか。今更その程度で私へのダメージになるかはわからないが。
飛んでくる瓶を叩き落とすために私は『衝撃』を起動し……、
「シルウェさん! ダメだ! その瓶は割ったら燃え上がる!」
「っ!?」
遠くから飛んできた声に、反射的に前に出て、瓶をキャッチする。危ういところで瓶を受け止め、着火された火を吹き消したが、慌てて動いたせいで体勢が崩れた。
「隙あァァァりィ!」
「ッ! て、『転移』!」
マリアン『センショウ』がその僅かながら明確な隙を逃してくれるわけもなく。切りかかってくる相手に、この体勢では通常の回避運動は間に合わない。
咄嗟に解き放った『転移』の魔法は、目印を用意できず、仕方なく先の『転移』の時と同じ場所に移動せざるをえない。
「そこかァッ!」
「な、読まれっ、あぅぐっ……!?」
しかし、その『転移』先もマリアン『センショウ』には見えていた。
私の『転移』の瞬間にどんぴしゃりで合わせるように放たれた右足を、戦い慣れぬ私がどうこうできるわけもなく、胸元に鋭く刺さった【累加の英雄】の蹴りが私を吹き飛ばした。
「っ、ぐ……うぅ……っは、げほっ、げほっ!」
肺を強く圧迫されたせいか、数秒ほど止まった呼吸を、咳き込むようにして無理矢理再開させる。
ダメージを受けた胸は痛むが……どうだろう。骨は折れてはいないくらいだろうか。
「あー、くっそ、惜っしいなぁ! あと二秒、や、あと一秒早けりゃ、言った通りそのキレーな髪ごと素っ首落としてやれたのになぁ?」
言われ、初めて私は自らの首もとを見遣る。すると、前に垂らしていた左髪の
一房がすっぱりと切り落とされている。
ぞっとした。マリアン『センショウ』の言うように、あと一秒でも『転移』が遅れていれば、私の命は無かったかもしれない。
……だが。
「ううん? なんだ、案外怯えねぇなぁ? 命のやり取りとか、慣れてねぇように見えたがねぇ」
怯えるわけがない。
いや、正確にはそれは嘘だ。もちろん、私だって死ぬのは怖いし死にたくない。まだやりたいこともやるべきこともたくさんある。生きるべき理由もある。
けれど。
命や未来やその全てが失われてしまう死というものへの恐ろしさよりも、私の大切な人たちが……レウ様やリューネが傷つき斃れることの方が、よほど恐ろしい。
それに、今の死の危機はすでに去った。後に残ったのは、二枚の手札。
そのうちの一枚こそ、さきほどの私への助言の主。
「全隊、突撃! 【英雄】には近づくな! 目標は人間の兵だけだ! あの白い大蛇を援護しろ! ……シルウェさん、大丈夫ですか!?」
「お陰さまで。先程の助言はありがとうございました、マサキさん」
「シ、シルウェさんの助けになれたならよかっ……」
「ですが、ここもすでに敵の【英雄】の間合いです。危険ですから、どうか下がっていてください」
「あ、はい……」
そう、ウェルサームの殿軍が到着したのだ。
こちらに駆け寄ってくるマサキさんに離れるよう促しながら周りを伺えば、彼らアーク中隊の面々だけでなく、数百人規模の軍が入り乱れて刃を交わしている。
「へぇ、思ったより多く戦力が居るもんだねぇ。いや、思ったより多く戦力を切り捨てた、って言うべきか?」
「なんとでも。ここで私に殺される貴女には、関係ないこと、ですッ!」
「はっ、よぉやくやる気になったか! そうじゃなくちゃ張り合いがねぇよなぁ!」
そして、もう一枚の手札は、この瓶。マサキさん曰く、割れば燃え上がる、と。火種は要るのだろうが、それはどうとでもなる。ともすれば、私が欲して止まないマリアン『センショウ』への有効な攻撃になるかもしれない。
瓶を手にしたまま、マリアン『センショウ』へ迫る。
振りかぶった瓶の殴打はすんなり躱され、反撃の大剣が唸りをあげながら、私の体を両断した。
……いや。
「っ!? しまっ……」
両断されたのは、『幻影』の私。前回の戦いで多用した、『幻影』と『隠形』の会わせ技。今回の戦いでは、わざとここまで一度も使わずにいたのだ。全ては、この有効な一撃を確実に浴びせるため。
ガシャァァン!
『隠形』したままマリアン『センショウ』の背後に回った私は、瓶を彼女の後頭部に叩きつけ、叩き割る。
それ自体は【英雄】には大したダメージにはなっていないようだが、瓶の中にたっぷりと詰められていた液体がマリアン『センショウ』の全身をしとどに濡らす。
私の指先にもわずか付着したその液体。粘性の高いその感触ですぐに気づいた。
油だ。
そして、この油からは魔力も感じる。おそらくは、『累加』の魔法。マサキさんが言っていたのは、こういうことだろう。『累加』によって燃焼力を高められた油に火がつくと、爆発的に燃え上がるのだ。なぜそれをマサキさんが知っていたのかはわからないが……変なところで博識な人だ。どこかで見ていたとか、そんな感じだろう。
ともかく、私の思惑通り、この一瞬の攻防の間、『幻影』と『隠形』の存在がすっかり頭から抜け落ちていたようであるマリアン『センショウ』は大量の油を頭からひっかぶる羽目になった。
「いけませんね? 敵の手札はいつでも意識しておかなくては。ですが、喉元過ぎれば熱さも忘れる、と言いますし。少し、思い出させて差し上げましょう。熱さというものを」
『発火』。
元々は、最も簡単な魔法として、初めて魔法を使ったときにリューネが教えてくれたものだった。その後も、焚き火や料理に使ったり、この間の戦いでは相手の注意を引くための小細工に使ったりもしたが、まさかそれをこんな決めの一手に使うことになろうとは。
私の指先から飛び出した小さな炎は、油にまみれたマリアン『センショウ』まで一直線に進み──
ごう、と。
真っ赤な火柱が立ち上った。
その燃焼力は私の想像を越えてすさまじく、生じた爆風で私も弾き飛ばされる。
「あああァァァァァああああああッ!?」
響くマリアン『センショウ』の悲鳴。肉の焼ける音。
そのいずれも決して愉快なものではなかったが、決着はついた、と私が一息吐いた、まさにその瞬間。
しゅぽん、と何かが弾ける間の抜けた音とともに、マリアン『センショウ』から石墨のような真っ白な粉が溢れだし、瞬く間に彼女を包み込んだ。
もくもくと、煙がマリアン『センショウ』を包んでいたのは、数秒か、数十秒か。とにかく、そう長い時間ではなかったように思う。
不意に、煙の中から声がした。
「あーあー、これ息できなくなんのかよ。生き物に使ったこと無かったから、知らなかった」
マリアン『センショウ』の、声。
慌てて迎撃体勢を取るも、遅い。
煙の中から弾丸のごとく飛び出してきたマリアン『センショウ』の拳が、私の腹部に突き刺さった。
「あぐぅっ……!」
「やってくれたなぁ……! 全身痛くて痛くて敵わねぇ! 首を落とすのは、やめだ! テメェのその顔が二度と見れないくらいぐちゃぐちゃになるまで殴り潰して殺してやるッ!」
憤怒と憎悪を声に滲ませるマリアン『センショウ』の様子を見れば、全身を火傷で蝕まれ、ところによっては爛れている部分もある。そのダメージは小さくないのは明白だが……それでも、向こうはまだ戦える。
「行くぜぇ……オラ、オラ、オラァッ!」
「っ、は、くっ、『転……」
マリアン『センショウ』のラッシュを辛うじて捌くが、これ以上はキツい。近接距離では不利だ、と魔法で距離を取ろうとしたが、しかし、
「遅ぇっ!」
「ぐぅあっ……! ……っあ、はぁ、はぁ……」
「休んでる余裕があるか?」
「ッ!? う、あぁっ……!」
鳩尾に突き刺さった膝蹴りに思わず膝をついてしまう。
しかし、もちろんマリアン『センショウ』が私に休憩時間をくれるわけもない。私の頭を吹きとばすように繰り出された回し蹴りに、ガードの腕が間に合ったのは奇跡のようだった。
それでも、蹴りの威力をこらえることはできず、吹き飛ばされる。
……頭がぐらぐらする。視界が安定しない。ゆっくりと、こちらに向かってくるマリアン『センショウ』の輪郭だけが見える。
「シルウェさんっ!」
「来ないで、ください……!」
マサキさんの声がした。駄目だ。来たら死んでしまう。レウ様の大切な仲間が、また一人、私のせいで死んでしまう。それだけは、絶対に駄目だ。
動かない喉を無理矢理に動かして、言葉を振り絞る。それが正しく聞こえたかはわからないが。
「おーおー、健気だねぇ。仲間を救うために自分が死ぬ、って?ああ、なら望み通り、殺してやるよ!」
マリアン『センショウ』が何かを言う。言葉の意味を考える余裕すらない。
ずどん、と体がばらばらになるような衝撃が走り、またも私の体は蹴鞠のように吹き飛ばされる。
「ははははは! 終いだ! 終いだ! あたしの勝ちだ! あとはあんたをなるたけ無様な死体にしたら、それで全部終いだぁっ!」
……ああ、私の体はあと何発もつだろう。一発?二発?少なくとも、十発今の打撃を受ける前には、死んでいる。
……死ぬ。私が死ぬ。【神】として覚醒もしないまま。彼の力にもなれないまま。私は死ぬ。
……それは、嫌だ。私はレウ様の【神】なのに。
ずぐん、と私の体の奥底で、何かが疼いた。




