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067 決断と決戦と

「おっ、来たか、アーク。カーターとなに話してたんだ?」


 カーターと別れ、再び軍務に戻った僕を出迎えたのはバークラフトだった。

 彼の問いにどう答えようかと少し思案して、結局適当にはぐらかした。


「……ん、ちょっとした雑談だよ。それよりみんな、準備は済んだ?」

「まとめられる荷物はまとめたぜ。っても、俺らまだ次の作戦指示聞いてねぇからな?」

「ああ、そっか、ごめんごめん。次の作戦は、撤退だ。ヤリアは捨てる」

「あー、マジか。しかし、ま、荷物まとめろって、夜逃げの準備みてぇなこと言うってそういう話だよな。で? 行動はいつ?」

「今すぐにでも、だそうだよ」

「うわ、マジで夜逃げじみてきたな」

「あはは、今は真っ昼間だけどね? それに、残念ながら僕らは殿軍だからスタコラ夜逃げってわけにはいかないんだな、これが」

「え、マジ? 殿(しんがり)? 俺たちが?」

「マジもマジさ」

「死ぬじゃん、それ」

「普通は、ね」

「? どういう意味だ?」

「んー、本当はみんなにまとめて話したいけど……ま、いっか。君には先に話しちゃおう。僕は、本隊を裏切るつもりだ。殿軍の任務は放棄して、本隊を囮に僕らの部隊だけで逃げのびる」

「……マジで言ってんのか?」

「マジもマジ、ってこれさっきも言ったね。君がマジマジ言ってるから僕にも移っちゃったじゃん」

「いやいやいや! んな冗談言ってられるような話じゃねぇだろ!? 裏切……」

「しー。静かに。バレたら最悪処刑だよ?」

「……裏切りなんて、正気か!? 仲間を殺すことになるんだぞ!?」

「僕が本当の意味で仲間だと思ってるのは君たちだけだよ。バークラフト、君もそうだろ?」

「っ……! けど、ウェルサームを裏切るわけには……」

「国のためなら死ねる? 国のためなら仲間が死んでも平気? 違うね。君はそんな愛国者じゃあない。……観念しろよ、バークラフト。僕が部隊の連中の中で真っ先に君に話したのは、君が一番口説きやすいって確信してたからだ。マサキよりも、ウィシュナやフリッツや、他の誰よりも」

「……んなこと、ねぇよ」


 弱々しく吐き出されたその台詞が虚勢であるのは一目でわかった。彼が本当に軍に忠誠を誓う忠義者であったなら、この場は適当に僕に頷いて流し、すぐさま密告に行けばいいだけのことなのだから。

 悩むことそれ自体が、僕の見立ての正しさを物語っている。

 あと一押し。一言でバークラフトは落ちる。

 そう思って、口を開こうとした瞬間、大きな鐘の音が響いた。

 がらん、がらん、がらんというこの腹に響く鈍い音は、つい数日前にも聞いたもの。


「敵襲っ……!? チッ、早すぎる! バークラフト! 悪いけど、選択の時間は無くなった。今すぐ決めてくれ。僕に乗るなら、今から三、四人連れ出して、薬と水を盗んでこい。乗らないなら……密告でもなんでも好きにすればばいい!」

「お前はどうするんだ!?」

「いま僕が出なかったら敵が止まらないだろうが!」

「っ……! ああ、くそっ!」


 悪態を吐きながら、バークラフトは僕に背を向け駆けていく。彼の心のうちを読むことは僕にはできないが、しかし彼がどう動くかは、見ないでもわかる。信じている、と言い換えてもいい。

 ああ、そうだ。バークラフトがいないなら、部隊の指揮を誰かに預けなくては。ハーレル……は、まだみんなと付き合いが浅いし、避けるのが無難か?


「ああ、マサキ! いいところに! 君でいいや!」

「あ!? なんだ、いきなり!」

「僕は先行して出る! 部隊の指揮は君に任せる! 指示はキュリオ少佐に仰げ!」

「はぁ!? なんで俺! バークラフトは!?」

「知らない! 見当たらない!」

「いや、ついさっきまでそこに……あれ、居ねぇ!? どこだアイツ!」

「バークラフトが合流したら彼に指揮権を渡して。彼の命令に逆らわず従ってくれ。いいか、絶対だ」

「指揮官の命令に絶対服従なんて今更言われるまでもねぇって」

「……それもそうだね。じゃ、任せた!」

「ああ! 死ぬなよ!」

「君たちも!」


 お互いにそう言い向け、僕は敵が真っ先に狙うであろう、崩れた北門へと一心不乱に駆ける。

 駆けながら、


「シェーナ。いるね?」

「はい。ここに」


 僕の真横をいつの間にか彼女が並走している。ずっと僕に『隠形』で着いていたのだろう。なんらかの魔法で身体能力を強化したシェーナは、並みの【英雄】や【魔】に比肩するレベルの速度で走る。

 ……これから戦場に向かう僕は、彼女に問わなければならない。それは、僕が腹をくくるということでもある。


「シェーナ。これを言うのは最後だ。僕は君を戦わせるのは嫌だ。危険に晒したくない」

「レウ様。これを言うのは最後です。私は貴方が傷つくのを見ているだけは嫌です。貴方の力になりたい」

「……君がそう言うなら。これ以上は何も言わない。力を貸してくれ、僕の【神】」

「ご随意のままに、我が王」


 言った通り、これが最後の確認だ。

 こんな言葉のひとつで、僕の気持ちが変わるわけじゃない。大切な人が危険な目に遇う可能性なんて、無くせるものならなくしてしまいたい。

 でも、もう僕ばかりそんな甘えたことは言っていられない。シェーナは、とうの昔に心を決めていたのだ。だから、これから僕はこの気持ちを抱えたまま、彼女を戦場に連れ出すのだろう。何度も何度も。それこそ、彼女が望むことなのだから。

 そうこうしているうちに、僕らは北門に辿り着いた。そこにはすでに四、五百人の兵が集結している。ずいぶん集めたな、といった印象だ。ヤリアに残る戦闘要員の半分ほどだろう。

 さらに、彼らだけでなく、キュリオ少佐とラグルス少佐、ヤリア方面軍の四人の幹部のうち、二人までも。


「アーク! 来てくれたか!」

「お待たせしました、キュリオ少佐」

「ん……? お前と、シルウェ衛生兵だけか? 部隊は?」

「申し訳ありません。敵襲が思いのほか早く、部下への伝達が間に合いませんでした」

「何やってんだ! ったく、仕方ねぇ! 俺が行く。()さま、あとのことは……」

「任せい。わざわざ言われるまでもないわ。お前より何年長く軍人やっていると思っておる!」

「はいはい、悪うござんした!」


 シェーナによれば、会議のときはなんだかんだと長々言い合っていた二人らしく、言い争いを始めたが、この緊急事態にそれをするほど彼らは能天気でもない。一言二言ですぐに切り上げた。

 キュリオ少佐が去って、ラグルス少佐が何かを説明してくれるものかと思っていたが、彼はこちらに水を向けたりはしない。では、とこちらから尋ねる。


「ラグルス少佐。キュリオ少佐がおっしゃていた、あとのこと、というのは……?」

「うん? んなもん、この殿軍の指揮のことに決まっておろうが」

「殿軍の指揮!? 少佐自ら!?」

「こんな老いぼれが身を賭するだけで意味があるというなら、いくらでもやってやるわ。むしろ、貴様こそいいのか、【英雄】。若くして、人間としての栄華を極めたその命、こんなところで潰えても」

「……軍命であれば。それに、どのみち私に拒否権はないのでしょう?」

「ま、そうじゃな。貴様には是が非でもわしと共に戦ってもらう」


 軽口を叩いてコミュニケーションをとりながら、僕は内心焦りにまみれて困り果てていた。

 そも、本来の予定では殿軍なんて、ほとんど形だけのもので機能するとは思ってもいなかったのだ。死ぬと決まっている兵がまともに戦えるわけもない。最初の合戦で死んだ六百人のような兵士ばかりではないのだ。だからこそ、裏切るその瞬間の具体的行動は特に計画しなかった。その必要もなく達成できると思っていたから。

 だが、少佐自ら指揮を執るとなれば話は変わってくる。殿軍の士気は上がるし、それによってまともな軍になってしまう。これの前で部隊ごと逃走などしようものならむしろ彼らはこちらに向かってくるのではないかとすら思う。

 ……しかし生憎と、長々と作戦を立てる暇はない。変わってしまった状況は状況のままに、どうにかしなければ。


「ラグルス少佐。我々は先に出ます」

「おう。出し惜しみをせずに殺せるだけ殺して来い。敵の【英雄】に当たる前に力尽きたらわしらが盾になってやる。だから、恐れるな」

「……ええ。その時は、お世話になりましょう。シェーナ」

「はい。お供します」


 殿軍の連中を後にして、僕らは崩壊した城壁から外に出る。

 砦の北に薄く群生する木々を抜けると、こちらに近づいてくる二千人近い軍勢が数百メートルほど先に見えた。


「あー、いるねぇ、わらわらわらわらと」

「どうなさいますか?」

「一緒に行こうか。固まってた方が戦いやすいだろうし。敵の【英雄】を各個撃破できれば御の字だ」

「わかりました」

「……ねぇ、シェーナ」

「はい?」

「君は、僕のために戦いたいと言ってくれた。その気持ちを疑いはしない。けど、一つだけ、君に言っておかなくちゃならないことがある」

「……何でしょう」

「君は、ちゃんと敵を殺せるか? 質問してるんじゃない。君は、殺せなくちゃいけないんだ。哀れまず、躊躇わず、人を殺せなくちゃいけない。それが、君にできるか?」


 強い口調で、答えの決まった問いを、まるで咎めるかのように尋ねる。シェーナは、顔を伏せ、数秒ほど俯いていたが、決意を固めるようにばっと顔をあげ、強烈な意思を感じる瞳で僕を射抜いて、


「できます。いままで、何度も人の死に立ち会ってきました。最初は、弱い私の変わりに父さまが殺してくれました。次は、レウ様の殺人に当事者として同席するだけで精一杯でした。でも、この戦場で、私は傷つく人を見ました。苦しむ人を見ました。命を落とす人を、見ました。そうして、四日前、私は殺すつもりで敵と戦いました。だから、できます。レウ様。貴方のためなら、私は人間だって……殺せる」


 【女神】──【神】というものは、人間の擁護者だ。誰に言われたわけでもない。背く【神】もまれにいる。けれど、【神】の根本は人を守るもので、未熟なれどその一柱である彼女が、私欲のために王になると言って憚らない僕のために人を殺すと決意するのは、覚悟のいることだっただろう。とりわけシェーナは、ルミスさんのような、人を守り、人を生かす、そんな真っ当な【女神】に憧れていたから。

 だから、これ以上問い詰めることはしない。彼女の決意を執拗に確認するような真似はしたくないし、それにここは戦場だ。下手にシェーナの気持ちを揺さぶって、もし彼女が惑ってしまえば、それはシェーナ自身の生命に直結する。


「わかった。それじゃ、行こうか。心の準備は?」

「いつでも」


 返答は簡潔。落ち着いているのとは違うが、動揺しているふうではない。むしろ高揚しているかのように見えた。

 すぅ、と大きく息を吸う。

 敵は二千、こちらは二人。流石に笑えてくる。にぃ、と表情を笑みに歪め、僕は地を蹴って駆け出した。振り返らなくともシェーナがついてきているのはわかる。【魔】と【神】の相互感知は便利なものだ。


「オオオおおおおぉぉぉぉおおおおッッッ!」


 叫ぶ。

 声を聞かせる。

 視線を集める。

 何十人もの目と耳が、僕の姿を捉える。

 魔力のラインが繋がる。


「魔力よ、侵せぇぇぇえええ!」


 『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』。

 【浄化の英雄】の存在などお構いなしに能力をぶち上げる。

 『浄化』されても構わない。いや、むしろ『浄化』してくれればやつの居場所がわかる。ヴィットーリオと僕の実力はほぼ拮抗しているが、今の僕にはシェーナがいる。二対一で戦えればやつを殺せる。

 しかし残念ながらと言うべきか、『浄化』はされず、五十人ほどの人間を支配し、反逆させる。

 向こうも僕の能力を事前に知らされてはいただろうが、やはり突然に仲間が裏切るというのは効くようで、パニックを生じさせている。


「飛び込むよ、シェーナ」

「はい」


 混乱に乗じ、敵の軍勢に突入した。敵味方の区別すら危うい一団は僕らの迎撃に意識を割くこともほとんどできず、敵軍の渦中に飛び込んだとは思えないほどあっさりと僕らは敵の懐に入り込む。

 支配された兵とそうでない兵が見分けられない敵と違い、こちらは術者自身である僕と、【(ぼく)】の魔力を感知できるシェーナだ。

 僕らは的確に支配されていない兵だけを倒していく。懸念していたシェーナも、宣言通り躊躇わず敵をなぎ倒していく。

 残る心配は、本命たる【英雄】に当たるまで僕らの魔力がもつかだが……、


「若様! あちら、騎乗している女性が見えますか?」

「女? あの重武装の……【英雄】か?」

「はい。あれが【累加の英雄】マリアン『センショウ』です」

「オーケー、なら次の目標はあれだ。二人がかりなら簡単に殺せ……」

「ッ!? わか、っ、『シルウェルの顎』っ!」


 頷こうとシェーナがこちらを向いた瞬間、彼女は表情を強ばらせ、父の形見たる『遺物』を解き放った。

 現れた白い大蛇が、僕の首の辺りに飛びかかるような勢いで真横をすり抜けた直後、ガキンと硬質な衝突音がした。

 見てみれば、今にも僕の首を刎ね飛ばそうとしている剣を、アルウェルト『シルウェル』の牙が噛み止めていた。


「チィッ、イイ勘してやがる!」

「ヴィットーリオ……!?」

「よぉ、殺しに来たぜ、ウェルサームの【英雄】! マリアン、こっちだ! 敵の【英雄】を見つけた! 二人セットで居やがるぞ!」


 刃の持ち主は、【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』だ。いつもの士官用らしい軽鎧ではなく、一般兵と同じ革鎧を纏っている。

 さらに、ヴィットーリオの呼び声でマリアン『センショウ』の視線がこちらに向いたことを、『支配する五感(のうりょく)』が僕に教えてくれた。


「シェーナ! こいつは僕がやる! 君は【累加の英雄】を!」

「わかりました。ご武運を」


 混戦の中、僕らは二手に別れた。

 彼女を逃がさんと追うように、『浄化』の魔法が僕に侵された兵たちを癒していく。混乱はすぐには収まらないが、それも時間の問題。最低限、ラグルス少佐たちが来るまでは持ちこたえなければ死ぬしかない。


「……僕らの不意を突くためにあえて『浄化』しなかったのか」

「あの女のせいで失敗したけどなァ。クク、いやァしかし、そっちの女【英雄】は聞いてた以上にイイ女じゃねぇか。決めたぜ。テメェを殺したら、あの女は生かして捕らえて慰みものにしてやる!」

「ハッ、黙ってあの世でマス掻いてろ、童貞坊主」


 仮にも聖職者とは思えないヴィットーリオの言い種に、僕も口汚い罵倒で返す。


「言うねぇ……、ガキがァッ!」


 怒号とともに降り下ろされた刃をいなし、返しの下段払い。しかし、軽い跳躍で躱された。

 このヤリアで幾度となく繰り広げれた僕とヴィットーリオの戦い。その最後の一幕はこうして始まった。

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