065 軍議と密議と
クリルファシートの【英雄】、マリアン『センショウ』の襲撃があった日からはや三日が経ち。その夜。
俺はほとんど日課と化しているヤリア方面軍の幹部会議に出席していた。
俺の他にボス、爺さま、イヴィル、それに、このヤリアの最重要戦力といっても過言ではない【英雄】アークも。
「キュリオ、今日はどうだった?」
「昨日、一昨日と同じだぜ、中佐。軽くちょっかい出してくるばっかりだ」
「やはり狙いは防壁の構築を妨げることか。であれば、本命はこの後に来る」
「おそらくは、敵方の【英雄】の傷が癒え、万全の体勢が整うタイミングじゃろ。それがいつかはわからんがの」
「中尉、君の見立てを聞いても?」
「私も【累加の英雄】との戦いの場に居合わせたわけではないので確たることは言えませんが」
「構わない。それでも我々よりは敵のことをよくわかっているだろう」
「では、私見を。【累加の英雄】の治癒までは、長く見積もっても一週間、短く見れば……今日明日にでも攻めこんでくるおそれはあります。あれの魔法がもたらす回復力はそれほどです」
「猶予は一刻もない、か。翁、例えば明日襲撃があったとして、どうか?」
「勝てるか、と?」
「いや。何日もつ?」
「ほ。まあ流石にそこまで楽観的ではないか。そうさのう……今現在、こちらの抱える戦闘要員は八百ほど。あちらはおそらく千八百前後じゃろ。もはや砦の守りも期待できぬとなれば、もって二、三日といったところかの」
「……ボス。逃げるってのは、アリか?」
「ほぉ、坊、お前がそれを言うか?死んだ仲間がどうのとわめいていたくせに」
「意地悪いこと言わんでくれよ、爺さま。死んだ仲間に拘らって生きた仲間を殺すなって説教垂れたのはそっちだろい?」
「ほ。言いよる」
「私はキュリオが言うように、砦を放棄して逃げる手は十分あると思う。しかし、それにも容易くはない」
「逃げると言えば見逃してくれるような相手ではないと思われます。むしろ、一兵たりとも逃すまいと激しい追撃が予期されるかと」
エヴィルの言う通りだった。そも、このヤリア自体、本来戦略目標になる場所ではない。そんな場所に攻め込んできている以上、クリルファシートの目的、挙げるべき戦果など、俺たちの命のほかに無いのだ。そう易々と逃がすわけがない。
「負傷してる兵も問題じゃの。クントラ、お前は彼らを切れんじゃろ?」
「当然だ。負傷兵だけをこの砦に残して我々が逃げれば、残った彼らがどんな目に遭うかなど想像するに易い」
「ならば、やはり逃げられんの。戦うしかない」
「おいおい、それは無理筋って話だったろ」
「そうじゃな。だが手がない。無い袖は振れん」
「……例えば。半数を切る、という手はあります。半数が決死隊として砦に残り、時間を稼げば……」
「エヴィル! それは結局仲間を殺すってことだろうが!」
「しかし、手がない! ラグルス少佐のおっしゃる通りでしょう! 現実を見なければ……」
と、そこでぱんぱんと手を叩く音で、ボスが俺たちの会話を遮った。
「その話はすぐには結論が出そうに無いな。だから、中尉。君はもう休んでいい。明日すぐにも襲撃があるというなら、最重要戦力たる【英雄】をこんなことで疲弊させるわけにもいくまい」
「は。それでは失礼します」
「おう、お疲れさん」
俺は直属の上官として、席から立って扉の前まで出、退出するアークを見送る。
アークが廊下の先の階段を降りて行くのを見届けてから再び室内に戻り、自身の席につく。
数秒の間、沈黙が室内を支配する。
そしてゆっくりと、ボスが口を開いた。
「……さて。ではキュリオ。例の調査の報告を」
「ああ。三日前にクリルファシートの【英雄】を追っ払った奴のことがわかった。間違いなくこちらの【英雄】だ。もちろん、アークじゃあねぇ。あいつがずっと南門に居たのはわかってっからな」
「ふむ、それで? その謎の【英雄】の正体は?」
「その時の現場に居合わせたやつはどいつもこいつも口が固かった。口止めされてたんだろうな。が、幸運なことに俺の副官がちょうどその場にいた。おかげでたどり着けたぜ」
「判ったなら早よう言わんか。勿体をつけるな」
「急くなよ、爺さま。……その【英雄】は、女だ。衛生科の民間募集の人員で、名前はシルウェと呼ばれていたらしい」
「民間募集か……。それでは身元はわからんな……」
「ま、そうだ。王都なら採用時の資料なんかもあるかもしれねぇが、ヤリアじゃあな。……だが、ボス。ここで一つだけ、耳よりな情報がある」
「うん?」
「その女、アークの部下、ないし仲間だ」
「ほう……!? そこが繋がるとはのう!」
数日前、あれはアークと初めて会った日のことだったか。アークはあの女を家政婦だなどと言っていたが、あの気配の消し方はただ者ではないと思っていた。
……まさか、その正体が【英雄】だとまでは思っていなかったが。
「謎の【英雄】がアーク中尉の部下……。そうなると、結局問題は我々が一番はじめに抱いた懸念に帰結するわけか」
「つまり、あの【英雄】、アーク中尉が信用できるのか、という点ですね」
「アークを信用するならば、自動的にその女も戦力に加算できる。勝つのは無理でも、このヤリアから逃げ出すくらいの算段は立てられらぁな」
「が、あの【英雄】がわしらの敵であったなら、【英雄】二人に依存しきった我々はろくな抵抗もできずに死ぬ羽目になる」
「キュリオ、君の印象を聞きたい。彼は信用できるか?」
「俺は……俺の印象じゃ、あいつは味方だ。戦場でのあいつは仲間のために戦っていた……ように見えた」
それは俺の偽らざる想いだった。たった一度ではあるが、同じ戦場に立った。クリルファシートの【英雄】と刃を交えるアークの姿は、とても俺たちを害そうという二心を抱く者のそれには見えなかった。
……それに、アンデルの最期を伝えてくれた、あの会話の時も。
「わしもそこは疑っとらん。そも、奴がわしらを滅ぼしたいだけなら今と言わずもっと前に裏切っておけばよい。現実はそうなっておらん。なれば、奴はウェルサームの人間。それは間違いないじゃろう。が、奴は貴族だ。クリルファシートという共通の脅威が無くなったとき……さて、奴はどう動くのかのう?」
「く……それは……」
「エヴィル、君は?」
「私はキュリオ少佐を支持しましょう。ラグルス殿のおっしゃることもわかりますが、キュリオ殿の人物評はわりと当たるので」
「はは、なるほど! キュリオの人物眼か! それはいい!」
「むぅ……まったく、若いのが揃いも揃って適当なことを……」
爺さまは呆れたように愚痴を溢しながらも、エヴィルとボスの言いようにそれ以上反対しようともしない。
……ん?なんだ、こりゃ。俺の人物眼とやらはそんなに評価が高いのだろうか。いやいや、まさかそんな。それこそ爺さまが言うように適当な直感でしか無いのだが。
「ま、どのみち【英雄】の力が無ければ逃げることもままならん。せいぜい利用してやるとするわ」
「そういえば、ラグルス翁はアーク中尉の正体には心当たりは思いつかれないか?」
「知らんの」
「おいおい、俺らの中で一番貴族に詳しいのは爺さまだろ」
「買い被るな。わしの貴族に関する知識なぞお主らに毛が生えた程度じゃ。年食っとるぶん多少余計に知っとるに過ぎん」
「しかし、【英雄】を二人も擁すとなれば低く見積もっても伯爵クラスでしょう。かなり絞れるのでは?」
「絞れたところで情報がない。姓もわからん、領地もわからん、名すらおそらく偽名じゃろ。どうしたって無理筋よ」
「なんだ、爺さまの年の功もそんなもんか」
「ほ。そんな大口は自分があれの素性を明かしてから言ってみい」
爺さまでもアークの素性はしれないらしい。
もとより、ボスもダメ元で言い出したことだろう。知らないなら知らないで仕方はない。
が、まあそれはそれとして軽く煽ってはおく。俺と爺さまのいつものコミュニケーションだ。
「よし、およその方針は決まったな。二人の【英雄】を利用して私たちはこのヤリアから逃げる。エヴィルは負傷者の数の把握と安全な撤退のための手配を。ラグルス翁は殿部隊の編成を。キュリオには、【英雄】の動員を頼みたい。手段は問うな。できるだけ多くが生き残るために、すべてを使え!」
「「「了解!」」」
カタン。
そんな小さな音が聞こえた気がして背後を振り返ってみたが、そこには当たり前のように閉じられた会議室の扉があるだけだった。
◆◇◆◇◆
蝋燭の小さな灯火だけが薄く光を放つ、深夜の暗く静まった砦の廊下。
その中を、カツン、カツンと規則的に響く音がある。
しかし、その音──私の足音は、たった二人を除いて砦の誰にも聞かれることはない。魔力を持たないニンゲンに、『隠形』した者が発する音を認識することはできないから。
目当ての部屋の前に立ち、その扉を軽くノックし、名を名乗る。
「どうぞ、入って」
返事があった。
今のノックも名乗りも、普通のニンゲンには認識できない。
それを認識し、返事を返せるのは、他ならぬ私自身と、私の主たる彼だけ。
「失礼します、レウ様」
「おかえり、シェーナ。それとお疲れさま。中佐たちの会議は無事盗聴できたかな?」
「はい。レウ様が退室された後の会話は聞いて記憶してきました」
そう、それが私がレウ様から与えられた仕事。『隠形』で気づかれることなく会議室に居座り、その内容を盗聴することだ。
「うん、上々上々。向こうも僕らの盗聴の可能性くらいは考えてるだろうけど、そのタイミングも方法もわからなきゃ防ぎようもないよねぇ。さて、何から聞こうか。まずは上層部の方針かな?」
「レウ様のおっしゃっていた通り、中佐は抗戦ではなく撤退を決定しました。負傷兵も含めて、だそうです。ですが……」
「その矢面に僕らが立たされる?」
「はい。明日の朝一にでもキュリオ少佐がここにいらっしゃるかと」
「ま、だろうね。僕ら抜きで撤退なんて無理だし」
「殿軍を編成する、とは言っていましたが……」
「チッ、やっばりそうなるか。僕の部隊──平民科五組が組み込まれそうだ。……シェーナのことは?どのくらい割れてた?」
「ヤリアでの身分はほぼ全て。レウ様の配下という部分まで」
「あはは、ま、つい数日前にキュリオ少佐に言っちゃったしね。流石にそこまでバカじゃない。で、そうなると気になるのは僕の評価だけど」
「意外にも好評でした。キュリオ少佐がレウ様の擁護に回ったのですが、他の幹部の方も皆さんそちらに傾いてしまって。ラグルス少佐は比較的懐疑派でしょうか」
「お、それは嬉しい誤算。裏切るには好都合」
にんまりと笑ってレウ様が言う。
その言葉は、なんとなく意外に感じられた。レウ様が別に聖人君子でないことくらいは大昔から分かっていたのだけれど。
「裏切るのですか?」
「必要ならね。少佐たちには悪いけど、僕にとっちゃ彼らより君や部隊の仲間のほうが大切だ。彼らの犠牲で僕らが助かる時には裏切るよ」
「なるほど」
それはとてもレウ様らしい理屈に思えた。レウ様にとっての身内とそれ以外の差は大きい。納得できる話だ。……私のことを大切だ、と言ってくれたのが嬉しかったから納得したのではない。断じて。
「それで」
一通り、軍議のことを聞き終えたレウ様は、ゆっくりと、恐れるようにためらいながら、もう一つの話題を切り出した。
それは、今の私たちにとって、致命的とも言えるほど、目下の懸念事項として存在している問題だった。
「…………リューネからの、連絡は?」
「……いいえ、まだ、何も」
くそ、と小さく吐き捨て、レウ様が唇を強く噛む。
リューネが戻ってくると私たちに約束した五日は、既に過ぎた。だが、リューネはそうそう約束を破るような人じゃない。むしろ、一度交わした約束は、無理をしてでも守ろうとする方だ。
やむを得ない事情で遅れているとか、足止めをされているとかなら、別にいい。
でも、もし。
道中で何か致命的なトラブルがあったのだとしたら。
もし、リューネが……既に、死んでしまっているとしたら。
一瞬沸き上がってきた最悪の想像を慌てて振り払う。
「レウ様……」
「ッ! だ、大丈夫。大丈夫だよ、シェーナ! きっとリューネは少し遅れてるだけだ! 心配ない! 彼女が来るまでの僕らのほうがよっぽど心配さ!」
それが私を慰めるための虚勢であるのは明白だった。それを取り繕いきれないほどまで、レウ様は動揺している。
レウ様の精神的な支えとしてのリューネの存在の大きさを知らしめられるだけでなく、それほどの支柱を失ってなお、レウ様にとっての私は、慰め、守るべき存在なのだと分からされる。
それに気づいたとき、私の中で悔しさと、つらさと、腹立たしさと、悲しさが沸騰するように込み上げてきて。
私は思わずレウ様を胸元に抱き締めていた。
「っ!? シ、シェーナ!?」
「何も言わないで。少しだけ、このままでいてください」
そう言って、彼の頭を抱く力をほんの少しだけ強くする。
レウ様の身じろぎが弱くなって、私の胸元に静かに頭を預けた。
わずかでもレウ様の抱える悩みや苦しみが消えるように。
そう願いながら、私はレウ様を抱き締め続けていた。




