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064 ヤリアと離宮と

 北門にたどり着いた僕が見たのは地獄そのものだった。

 死体。死体。死体。見知らぬウェルサーム兵のものだけじゃない。よく知った、士官学校の仲間たち。ジース。エンリコ。瓦礫に身体をずたずたに引き裂かれて息絶えているあの死体はジャンに違いない。頭をなくしたり、全身を真っ黒に焦がして人定もままならないであろう死体もいくつもある。

 絶望に言葉を失い、呆然とただ立ち尽くす僕の意識を引き戻したのは、白い大蛇とその側に立つ幼馴染みの少女の姿だった。


「シェーナ!」

「……若様」


 僕の声にこちらを振り返った彼女は、安堵したようにわずか顔をほころばせた。


「あ……! 若様、頬がひどく腫れてます」

「ああ、いや、大丈夫。口の中を少し切ったくらいだ」

「そうですか……。ご無事で何よりです」

「ありがとう。それより……もしかして、戦った? 君が、クリルファシートと」

「はい。……若様は私のことは隠そうとなさっていたのに、勝手に動いてしまって申し訳ありません」

「いい。謝らないで。君は身を賭して僕の仲間を救ってくれたんだから」

「……申し訳ありません。私は力不足でした。私のせいで、何人も死なせてしまって……」

「シェーナ」


 唇を強く噛み、後悔と自戒を滲ませながら、まるで自傷するかのように責を負おうとするシェーナの台詞を、彼女の名を呼んで遮る。


「君は気負いすぎだ。君のお陰で、何人も助かったんだ。謝らないで、って言っただろ? 君の力で助かったやつらのことを、他ならぬ君自身が否定しないでくれ」

「……はい。ありがとう、ございます」


 シェーナはうつむきぎみにそう答えた。

 辺りを見渡して無事だった仲間たちの姿を探していると、砦の中からマサキが出てきた。


「マサキっ!」

「アーク、来たか! 無事でよかった! シルウェさんのおかげで、俺たちもほとんど無事だ! 怪我人はもうみんな衛生科の方に運び終わった。これから、助からなかったやつらを中に運んでいく」

「そっか……。……何人死んだ?」

「五人だ。ジャンとアルマとガルドラは最初の爆発で殺された。ジースとエンリコは【英雄】に……【累加の英雄】マリアン『センショウ』に斬られた」

「……爆発っていうのは、あの城壁?」

「ああ。城壁外のほんの少しの火薬を発破しようとしたら、いきなり城壁が吹き飛んで……」

「それはあの【英雄】の魔法だと思います。『累加』の魔法、と呼んでいたのでおそらくあれがあの【英雄】の固有能力かと」

「どんな魔法?」

「一言で説明するなら……性質の誇張、でしょうか。強調、でも構いませんが」

「ええと……?」

「物体の持つ特徴や特質を伸ばし、増加させる。そういう魔法です。私も構成を大雑把に読み取っただけなので予測混じりになってしまいますが」

「ってことは、城壁を崩したのは黒色火薬っていう物体の性質……つまり、爆発力を強化した結果ってことですか?」

「はい。正確には物質ではなく、物体です。材料が同じものでも用途によって強化の方向性は変わるはずです。例えば、物質が同じ鋼鉄でも、物体が盾であればその硬度が、物体が剣であればその切れ味が『累加』されることでしょう」

「なるほど、あのかんしゃく玉がバカでかい音だけで爆風とかは皆無だったのはだからか」


 納得したようにマサキが頷く。

 僕はもう一人の【英雄】はヴィットーリオの傷を癒し、回復なんかに長けた後衛向きの【英雄】だと思っていたために現状との齟齬のようなものを感じていたのだが、


「性質の誇張……その魔法はもし、包帯や薬に施したなら」

「治癒力が上がるのではないでしょうか」

「やっぱりか。くそ、それは汎用性が高い能力だな……」

「ですが、一部抵抗レジストされたとはいえ、【累加の英雄】には父さまの致死毒を打ち込んであります。最早そうそう満足に動くことは……」

「いや、毒は駄目だ。ヴィットーリオの『浄化』ならたぶん全て祓える」

「あ」


 忘れていた、というようにシェーナが声をあげた。

 本来なら、強力な毒で殺しきれなくとも、残存する毒でじわりじわりと敵を追い詰めていくのが【毒蛇の英雄】の戦い方なのだろうが、敵方に【浄化の英雄】なんてものがいるせいでそれが通用しない。多少の手傷は【累加の英雄】が回復力を高めて癒してしまう。

 僕の『支配する五感ルール・ザ・フィフス』も奴には通じない。どこまでも相性の悪い厄介な手合いだ。


「っと。そろそろこいつらも中に運んでやらないと」

「ああ、手伝うよ。シェーナは衛生科に行くかい?」

「こちらの手が足りているようでしたら」

「なら、シルウェさんは衛生科お願いできますか?今あっち、ぜんっぜん人足りてないんで!」

「わかりました」


 こちらに一礼してシェーナは建物の中へと向かい、僕らも遺体を運びはじめる。

 彼らもアグリと同じように弔ったら、少佐のところにいって次の対応を相談しなくちゃならない。

 仲間を喪った哀しみに暮れる間も無く、身体を動かし、先々のことを考えなければならないのは、果たしていいことか悪いことか。


  ◆◇◆◇◆


「マリアン!」

「ぐ……ヴィットーリオか……ゲホッ、ゲホッ!」


 砦の北側を単身で攻撃していたマリアン。もとより応用の効く強力な魔法を操り、戦場の経験も豊富な彼女が、向かわせた増援の到着まで待てず撤退を余儀なくされるという時点で並々ならぬ事態であることは予測できたことだったのだが。

 とんぼ返りの形となった援軍の兵たちに抱えられるように撤退してきた彼女の様子は予想以上にひどいものだった。

 まず目についたのは、まるで巨大な獣にぐしゃぐしゃに噛み砕かれたかのような左腕。上腕部をきつく縛って血を止めてなお、傷口に巻かれた包帯は深紅に染まり、その傷の深刻さを物語っている。

 それだけじゃない。マリアンは俺の姿を認めて弱々しく名前を呼びながら、苦しげに表情を歪めて咳き込むように吐血した。


「ッ! どうした!?」

「毒だ……。抵抗レジストしきれなかった」


 聞いて、すぐさま『浄化』の魔法を施す。手応えを確かに感じる。ひどく粘ついた、おぞましい地獄の底の泥のような不浄。マリアンを侵す毒は、あらゆる類型の中でも最もたちの悪い一つであるように感じた。

 それでも、【浄化の英雄】の名は伊達じゃない。それがおよそ毒だの呪いだのに類するものであるなら、浄め祓えないなどということはない。


「っ……! ぁ、はぁ、は……。助かったよ、ヴィットーリオ」

「なに、気にするな。しかし、あんたがそこまで手酷くやられるとは……何があった?」

「ウェルサームの【英雄】だ。二人目の。お前さんが言ってた『閃光』の【英雄】だろう」

「そいつがあんたをここまで? ……すまん、ならそいつは俺の読み違いだ」


 あの『支配』の【英雄】を仕留め損なったとき、救援の『閃光』の【英雄】は消耗した俺と対峙せずに奴を逃がすことしかしなかった。だから大した【英雄】ではないのだろうと思い込んでいた。


「お前さんが謝ることじゃないよ、ヴィットーリオ。そっちの予測も聞きはしたが、その上で一人でいけると判断したのはあたしだ。その責任はあたしにある」

「……わかった。それで、その『閃光』の【英雄】はどんな奴だった?」

「女だ。腹が立つくらい顔立ちの整った、表情の乏しい女。長い茶髪を頭の後ろで団子にしてたな。それと、なぜか他の兵士とは違う格好をしてた。ありゃ多分、衛生兵だの輜重兵だのって非戦闘員の服装だ」

「そりゃあ妙な話だな。こっちを油断させるためか? まあ服装なんぞは次にはどうなってるかもわかんねぇが……。戦い方はどうだ? どうしたらあんたがそこまで……」

「あれは固有以外の魔法に優れた【英雄】だ。あたしが見ただけで六つか七つは魔法を使ってやがった」

「そいつは悪い知らせだな……。汎用の魔法を操る手合いは戦いとなると引き出しが多すぎる」


【英雄】をはじめ、【神】や【魔】といった超常存在の能力は、概ね三つの指標で評価できる。すなわち、身体能力、固有魔法、固有以外の魔法の三つだ。個々人によって得て不得手があり、この三つの平均が高いほど高位の超常存在と言える。

 固有以外の魔法を得意とするタイプは【英雄】の中ではかなりレアで、むしろ【魔】や【神】に比較的多いタイプだと聞く。ほとんどの【英雄】は身体能力と固有魔法にその能力が割り振られている。


「中でも一番警戒すべきなのは、大蛇の魔法だ。この傷もそれにやられた」

「大蛇?」

「ああ。白い大蛇を操る……いや、具現化か? 詳細はわからないけど、奴の体から生えるように大蛇が現れた。そいつに不意を突かれてこのザマさ。毒を流し込んだのもあの大蛇だろうね」

「となると、それが固有魔法か?あんたにそこまでの傷を与えられる上にあのレベルの毒まで操るとなると、汎用の魔法じゃあ無ぇだろう」


 さしずめ、【白蛇の英雄】だとか【毒蛇の英雄】みたいな名前だろうか?

 あいにくと聞いたことがないが。ただでさえウェルサームは【英雄】が多い国なのだ。


「かもねぇ。で、逆に付け入る隙があるのは身体能力だ。そこにつけちゃあ、あれはニンゲンと大差ないレベルかもしれないよ。魔法で強化してもあたしより遅いくらいだったからねぇ」

「なるほど。覚えとこう。で、これからどうするかだが……その怪我ではすぐには動けねぇよな? 治るまでどんなもんだ?」

「『累加』をフルに使って五日……いや、四日あれば使えるくらいにはなる」

「了解。なら、お前の完治まではこれまでのような大規模な攻撃はしない。せいぜい崩した城壁の修理をさせないくらいに留める」

「ほう? となるとあたしが治った後に総攻撃かい?」

「ああ、そこで陥とす。すでに彼我の兵力差は倍近い。北の城壁が崩れた今、責めて落ちない道理はない。そうだろう?」

「いい加減、時間もかけすぎたしねぇ。元々の予定では一日二日で皆殺しにして終わりのはずが、あたしがヘマしたせいで一週間以上か。こりゃ説教じゃすまないかねぇ?」

「処分を受けるときゃあ俺も一緒だから安心しろよ」


 などと軽口を叩いて見せるが、実際予定が大幅に狂っているのは事実だ。

 ウェルサームの上層部のなにがしの裏切りのおかげで、僻地に送られた三千の敵を一網打尽にできる絶好の機会のはずが、思わぬ【英雄】の出現で話が変わってしまった。

 そもそも、こんな僻地に長々と時間をかけるわけにはいかない。ただでさえ行き来に時間もかかるのだ。俺たちがここでちんたらしている間に主戦場で負けました、なんて笑い話にもならない。

 こうなれば、可能な限り早くこの戦場にケリをつけるのは当たり前。ウェルサームの【英雄】の二つの首をもって帰らねば割りに合わない。

 改めて、俺はあの【英雄】を殺す決意を固めるのだった。


  ◆◇◆◇◆


 唐突に、目が覚めた。


「ん……」

「あら、リューネ『ヨミ』様、起きましたの? あいにく、日が落ちるまではもう少しありそうですわよ」


 私の枕元で本を読んでいたらしいミリルが、すぐに気づいてそう声をかける。

 しかし、今の私はそれどころではない。

 起きた瞬間気付いた、背筋を這い上がる怖気。咄嗟に、自らに『隠蔽』の魔法を施す。『隠蔽』は私が編み出したいくつかあるオリジナルの魔法の一つで、自らを覆う膜のようなもので魔力を隠す魔法だ。『隠蔽』の中では魔法を使っても気づかれないだろうし、魔力をキーにした探知魔法なんかにも引っ掛かることはないだろう。多くのケースで役に立つ魔法と言える。

 しかし、本来想定していた用途はそれらとは別に明確にある。

 それはすなわち、【神】に対する【魔】の気配の隠蔽。

 かつて【王の魔】ヨミを殺して以来、多少なりとも名が知れてしまったせいで放浪生活を余儀なくされていた私はあるとき、人目を避けてある森に住み着いたことがあった。……その森が最上位の【神】の一柱、【光輝の女神】が管理する場所だなんて知っていれば近づかなかったのに。しかし気付いた時にはすでに遅し。その凄烈なまでの【神】の気配に、【女神】の管理地に入り込んでいたことに気付いた私は、悩んだ末、逃げるのではなく隠れることにした。その時編み出したのが、【神】と【魔】の相互感知をすりぬけるためのこの『隠蔽』の魔法だった。

 翻って今。

 私がこの魔法を使ったのにはもちろん理由がある。

 というか、【神】から逃れるための魔法を使う理由など、決まりきっている。

【神】の気配を感じたのだ。

 向こうから気づかれては……いないはずだ。

 ミリルの言うように、今はまだ昼。昼の私はすこぶる弱い【魔】であり、その乏しい魔力を感じるには相当近付かねばならない。


「リューネ『ヨミ』様? どうかなさいました?顔色が悪く見えますが……」

「……ミリル、念のため聞きたいのだけど、貴女やアイシャが【神】を従えてるってことはないわよね?」

「はぁ……? ええ、もちろんですわ。【神】を従えてるのはお父様とあにさま以外のお兄様方だけですもの。あ、いえ、今はあにさまにもシエラ様が居ますわね」

「そうよねぇ……。じゃあ悪いのだけれど、アイシャを呼んでもらえる?」

「あねさまに何か?」

「相談が。貴女にも聞いてもらうから、安心しなさい」


 起き抜けにいきなりそんなことを言い始めた私に、ミリルは若干不審そうな様子を見せたものの、すぐに呼び鈴を鳴らし、メイドにアイシャを呼んでくるように申し付けた。

 しばらく待っていると、ドアがノックされ、


「ミーちゃん~?」

「はい、あねさま。今開けますわ」

「いえ、私が開けますので、ミリル様はどうぞそのままで」


 お姫様にも関わらず、立ち上がって自ら扉を開こうとするミリルを制し、扉の向こうからリール『ベリー』が言った。

 今気付いたが、この部屋の中にはメイドがいない。私というあまり公にすべきでない存在のために気を使ったのだろう。申し訳ないことだ。

 扉が開き、入ってきたのはやはりアイシャとリール『ベリー』だった。


「あら? リューネさん、おはようございます~。疲れはとれましたか~?」

「ええ、お陰さまでね」

「それは何よりです~。それで、ミーちゃん、お姉ちゃんになにかご用~?」

「あねさまをお呼び立てしたのはリューネ『ヨミ』様ですわ」

「リューネさん? どうかしましたか~?」

「単刀直入に言うわ。今、この近くに【神】がいる。心当たりは?」

「【神】!? いいえ、まったく。リール?」

「私も伺ってはいません」

「ならやっぱり、王子の【神】なのでしょうね、これは」

「偶然居合わせただけという可能性は?」


 リール『ベリー』が問う。

 その可能性も無くはないが……しかし、少なくともさっきからこの近くに止まったまま動いていない以上この辺りに用があるのは間違いないだろう。それがこの離宮でないなんて、どうして断言できようか。


「……この状況で【神】を放ってくるとしたら、セリファルスお兄様しかありえません。目的はこの離宮の監視でしょう。レッくんの想像通り、セリファルスお兄様がレッくんの存在を意識しているなら、私たちのことも頭に浮かぶでしょうから」

「リューネ『ヨミ』、相互感知は効いていないのか?」

「私の魔法で無効化してるわ。気づかれてはいないはず」

「そうなると、問題はリューネ『ヨミ』様がここを出られるかですわね。いかがですの?」

「微妙なところね。夜になってから『隠形』と『隠蔽』を使って出るのも、一か八かの感はぬぐえないわ」

「ならリューネさんは出せません。見つかれば全てがご破算です」

「でも、それじゃあレウが!」

「もちろん、できる手は打ちます。リール、調査を。ただし、相手にこちらが調査していると悟られてはいけません。普段の行動の範囲内で行いなさい」

「は。了解致しました」

「では、わたくしは明日にでも王宮の方へ行って参りましょう。このところ行ってませんでしたし、そう不自然でもないはずですわ。それに、もしかしたら監視の【神】がわたくしのほうに着くかもしれませんもの」


 この状況にできることは多くない。彼女たちは彼女たちでやれることをやろうとしている。

 私も、何かないだろうか。レウとシェーナのためにできることが、何か!なんだっていい。物資でも、情報でも、戦力でも、


「あっ」


 それ(・・)はまるで天啓のように落ちてきた。

 正直、半ば忘れかけていたそれ。


「ねぇアイシャ、手紙の出所をここだと知られずに出すことはできる?」

「そのくらいであれば……。どちらに?」


 すわ起死回生の一手か、と期待のこもった瞳でこちらも見つめるアイシャには悪いが、これは分の悪い博打のようなものだ。およそ頼るべきものではない。

 けれど、ほんの少しでも可能性があるなら。

 私は私にできることをするのだ。

ふと読み返してみたらかれこれ二十話もヤリアに居ることに気がつきました。

うわっ…私の小説、進まなすぎ…?

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