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063 マリアン『センショウ』とシエラヘレナ=アルウェルトと

「クソ、なんだ、テメェ……!」


 私の『衝撃』を受けてすっ飛んだクリルファシートの女【英雄】は、すぐさま起き上がると私を睨み付けた。

 恐ろしい。背筋が震える。足がすくむ。膝が笑いそうになる。許されるなら、いますぐにでも逃げ出してしまいたい。

 でも、逃げられない。逃げるわけにはいかない理由がある。

 昨日の夜、私はレウ様から託された人を救えなかった。それまでも、私の力不足ゆえに、この戦場で何人も、何十人も、何百人も死んでしまった。ここにいたのが私でなく母さまだったなら、きっと誰も命を落とすことなどなかったのに。

 今だって、そう。私がもっと早くここに駆けつけていれば、私にもっと力があれば、あの【英雄】にレウ様の仲間が何人も殺されはしなかった。

 これ以上、私の弱さの犠牲者を増やしたくない。

 だから私は、腰を落とし、リューネから教わった付け焼き刃の構えを取ると同時に、魔法を編む。


「そうか、アンタが、ヴィットーリオの言ってた『閃光』の【英雄】か?」


 クリルファシートの【英雄】が誰何する。

 が、敵の質問にわざわざ答える義理はない。

 というか、なんの話をしているのかわからない。ヴィットーリオ、というのは敵のもう一人の【英雄】の名前だったと思うが……『閃光』の【英雄】? いったい誰のことだろう。


「ハッ、だんまりか! マアいいさ! ここでとっとと殺せば良いだけのことだからねぇ!」


 先手を取られるのはまずい。

 土台、私は【神】として未完成で、特に素の膂力はニンゲンに毛が生えた程度でしかない。

 とはいえ、私がレウ様の【神】になってからはや数ヵ月。その間、なにも遊んでいたわけではない。

 自慢ではないが、魔法に関して言えば、ほんの少しばかり……自信がある。


「『高速』『剛腕』」


 まず発動したのは、身体能力の不足を補う二種の魔法。それぞれ、私のスピードとパワーを補正してくれる。

 魔法の発動を感じたのか、【英雄】はぴくりと眉根を寄せる。


「なんの魔法かわかんねぇが……余計なことをする前に叩っ切って終いだッ!」


 こちらが動くのを遮るように、【英雄】は手にした大剣を肩に担ぐような奇妙な構えのまま、驚くべきスピードで私の目前へと迫り、全身のバネでもって、首切り役人のように大剣を振り下ろし、私を両断せんとする。

 その一撃は、あまりに重く、あまりに鋭く、あまりに速い。魔法で伸ばした程度の私の身体能力では、反応は間に合わない。一瞬のうちに脳天から股まで唐竹に割り切られてしまう。

 だが。


「なっ……! ど、どうなってやがる……!?」


 狙い通り私の身体を両断したはずの【英雄】が驚愕の声を漏らす。

 それもそのはずだ。きっと、今の一撃にはなんの手応・・・・・えもなかった・・・・・・だろうから。


「『幻影』は私が最も使い慣れた魔法ですから」


 動揺するクリルファシートの【英雄】のすぐ横で、『隠形』した私は独り言のように呟いた。いや、『隠形』のせいでこの言葉も向こうには聞こえていないだろうから、独り言そのものか。

 そのまま私は掌底の形に開いた手のひらをこの【英雄】の脇腹の辺りに添えるように触れさせると、


「五重『衝撃』」

「ッがあああああッッッ!?」


 攻撃のための魔法を発動した。

 これは、今の私が使える唯一の攻撃魔法。『衝撃』は魔力を一方向への運動エネルギーに変換して放出する魔法だ。

 レウ様との手合わせで使った時の三重並列起動では彼への決め手になり得ず、反撃を許してしまった。だからあの後、私はさらにこの魔法に改良を加えていた。

 それがこの、五重『衝撃』。すなわち、同一の魔法の五重の並列起動。これにはなかなか骨が折れたが、しかし『衝撃』は数ある魔法のなかでもかなり単純な構造のものだ。やってやれないことはない。

 直撃を食らった敵の【英雄】は再び数メートルも宙を舞って瓦礫の中に突っ込み、私も魔法の反動に押され数歩後退った。

 少し考え、一旦『隠形』を解く。

 多少の手傷を負い、先程よりいくぶんか焦りの表情を浮かべた【英雄】も瓦礫の中から起き上がった。

 視線を交わし、睨み合う。


「ぐぅ……! なるほどねぇ……! さっきあたしが斬ったあんたは魔法で生み出された『幻影』で、本物のあんたは『隠形』して潜んでたってわけか……!」


 してやられた、とばかりの憎々しげな声色で【英雄】が言った。やはりこのくらいの小細工は一度で看破されてしまう。

 だが、と彼女は勝ち誇ったように嗤い、


「魔法を解くのがちょいとばかり早かったんじゃねぇかい? 驕ったか? テメェごとき、姿が見えてりゃ殺すのは造作もねぇ!」

「……確かに、失策だったかもしれません。貴女を買い被りすぎていたようです」

「あん?」

「同じ相手に同じ魔法が二度も三度も通じるわけはない、と思って解いたのですが。クリルファシートの【英雄】はその程度でしたか」

「ッ! このアマ……!」


 小さくため息を吐きながらそう言った私を見て、クリルファシートの【英雄】は頬を紅潮させ、ぎりりと歯を強く食い縛った。

 気にせず、私は言葉を続ける。


「まあ、どちらでも良いことですね。どのみち、貴女の攻撃が私に通るわけではないのですから」


 言って、編んだ魔法を解き放つ。

 私たちの戦いを観戦していたウェルサームの兵たちから息を呑む気配がする。

 現れたのは、無数の。数は大体二十をやや上回る程度だろうか。もちろん、シエラヘレナ=アルウェルトが複数人いるわけもない。先程と同じ、『幻影』の魔法で生み出した虚像だ。欲を言えばこの倍くらいは出したいところだったが、直接戦闘用の魔力を残せばこのくらいだろう。


「さあ、どうぞ。当たり・・・を引き当てて見せてください」

「舐め腐りやがってぇぇぇえええ!」


 【英雄】は咆哮し、最も手近にいたの一人を切りつける。

 生憎と、それは『幻影』のうちの一体だ。振り下ろされた大剣が手応えなく空を切る……だけではない。

 剣が『幻影』に触れた瞬間、私の姿は掻き消え、巨大な炎が立ち上る。

 これは、『幻影』ではなく『発火』の魔法。ほんの少しの魔力でほんの少しの炎を生む『発火』は私がはじめて使った魔法。それを『幻影』の中に仕込み、『幻影』が攻撃を受けた際に『幻影』に注いだ魔力を消費して発動するようにしたのだ。

『発火』はたいした魔法ではない。火種の代わりにするくらいがせいぜいの魔法で、実際いま敵の目の前で発動した『発火』も、半ばハッタリのようなものだ。立ち上った巨大な炎はものの数秒も維持されず、あっという間に吹かれて消える。【英雄】の体を焦がし炙るほどの火力にはほど遠い。

 しかし、ただの一瞬とてその光と熱は紛れもない本物。【英雄】がほんのわずか怯み、隙が生まれる。

 それを突くように【英雄】の背後から駆けるもう一人の


「見えてんだよォ!」


 だが、【英雄】は恐るべき反射速度で剣を翻し、このをも切り裂く。

 ごう、とまたも一瞬だけ立ち上る炎。これも『幻影』。

 本命は、そのすぐ横。横なぎに振るわれた大剣に危うく『幻影』もろとも切られかけたところをとっさに屈んで事なきを得た、『隠形』状態の私。その姿は、【英雄】からは見えない。

 そっと手を添え、五重『衝撃』。


「ぐぁぁぁあああ!?」


 三度、【英雄】を瓦礫の中に叩き込む。

 五重『衝撃』を計三発ももらっておきながら、【英雄】は立ち上がる。ダメージは確実に溜まっているように見えるが、戦闘不能にはまだ遠そうだ。少し【英雄】のタフネスを甘く見ていたかもしれない。


「馬鹿な……! さっきの動いた・・・テメェが、『幻影』だと!?」

「あら、まさか『幻影』は動けないと思っていたんですか? 像を投影してそれきりなんて、そんなわけがないでしょう?」


 原理は簡単、フリップブックと同じだ。ほんの少しずつ『幻影』をずらしていけば、まるで動いているように見える。【英雄】の動体視力は人間よりも優れているだろうが、かの【夜の魔】には及ばない。


「クソ……ウェルサームの二人目・・・がここまでだなんて聞いてねぇ……!」


【英雄】が苦しげに呟くのが耳に届く。

 良い傾向だ。向こうが私を過大評価して恐れてくれる。そうでなくては勝ち目がない。

 私も表面上は余裕ぶってはいるが、内心は不安でたまらない。なにせ、私は【英雄】の一撃を喰らえば問答無用でおしまいだ。たった一発を耐えることすらできない。だというのに、向こうはこちらの唯一最大の攻撃魔法を三度叩き込んでなお戦えるというのだ。対等に戦っているように見えて、その実、力の差は歴然としている。

 このまま『幻影』と『隠形』で翻弄して『衝撃』のダメージの蓄積で倒す、というのも無理だろう。

 理由は単純。私の魔力がもたない。

 向こうも剣や武装を何かしらの魔法で強化しているようではあるが、先程からばんばん魔法を使っている私より魔力を消耗している、というのはありえない。長引けば先に底が見えるのはこちらだ。


(結局……切り札・・・に頼るしかない、ということですか)


 となれば、あとはどうやってその札を切るか、という話だが……。

 無難なのは待つことか。受け身で敵をいなしながら、タイミングを図る。あわよくば、レウ様が増援に来てくれれば最良だ。


「おい、どうしたよ、『閃光』の【英雄】。来ないのかい?」

「貴女こそ、立っているだけではこの砦は落ちませんよ?」

「ハハハ、そいつはどうだろうねぇ?」

「はい?」

「あたしはあくまで切り込み役だ。砦の壁を壊して、中を荒らす。後半の方はあんたのせいで上手くいってないが……しかし、まあ、大事なのはそこじゃあない。わかるだろう? あたしが先発なら、この後すぐに、後発の本命部隊がやってくる。城壁の崩れた砦を陥としにね。ああ、そうそう、金髪の【英雄】を頼みにしてるなら、無駄だって教えといてやろう。あいつは今、向こうでヴィットーリオとお楽しみさ」

「ッ!」


 まずい。

 この状況で敵の増援が来たらどう考えても支えきれない。ハッタリの可能性も薄い。そもそも、南側に敵の軍勢が布陣していたのはわかっているのだから。

 ……誘われてる、というのはわかる。魔力切れの弱点が見抜かれたかはわからないが、少なくともこちらが決め手を欠いていることには気付かれた。

 おそらく、この【英雄】はもう攻めてこない。受けに徹し、私がボロを出すのを待つ気だ。

 有効な手だろう。私は戦いの経験に乏しい。攻めることを強要された状態で、心理戦だの駆け引きだのをする羽目になれば、歴戦の【英雄】には一歩も二歩も劣る。最悪、『隠形』も『幻影』も読みきられて殺される。

 ついでにいえば、それがさっきまで私自身がやろうとしていた手だというのも皮肉な話だ。

 しかし、無視はできない。相手の意図に乗るしかない。……これ以上、誰かを死なせるわけにはいかないのだから。

 もう一度、『隠形』でいったん姿を消してから『幻影』に紛れ込むと、数人のげんえいを伴って、攻勢に出る。

 まずは、と囮に放った一人を【英雄】は大剣ではなく、拳で貫いた。

 その攻撃に反応して『発火』の魔法が……発動しない。


「やぁっぱり! あんたの『幻影』が炎に変わる条件! 触れたら、じゃないねぇ。コレ、あたしが剣に込めた『累加』の魔法に反応してるんだろ? 魔法に触れたら、この『幻影』は炎に変わる!」


 【英雄】は勝鬨のように叫び、腰に下げたポシェットから指先ほどの小さな球を取り出した。私が警戒する間も無く、【英雄】は何かの魔法をその球に込め、地面に叩きつけた。

 瞬間、どぱんッ、とものすごい轟音が炸裂した。脳みその奥までしびれるようなその音を聞いて、あの球が、火薬を加工したクラッカーボールだったのだとわかる。

 しかし、それにしても音が大きすぎる。大砲の発射音もかくや、という具合だ。もしかすると、これがさっき、【英雄】が球に込めていた魔法の効果で──


(魔、法……? ッ! しまった……! 魔法の込もった! これを私の『幻影』が浴びたら……ッ!)


 未だ二十弱の数を保っていた私の『幻影』、そのすべてが炎へと変わって消える。

 そうして残るは、本物の私一人だけ。


「見ぃつけたぁぁああ!」


 大剣を構えながら弾丸のような速度でこちらに迫る【英雄】。

 横合いに跳んでその一撃を辛うじて躱すが、慣れない速度域での動きに足をもつれさせて転んでしまう。

 はっと顔をあげれば、そこには嗤いながら剣を振りかぶる【英雄】の姿。

 ……ああ、駄目だ。これは躱せない。防御に使えるような魔法もない。攻撃魔法で対抗することもできない。

 追い詰められ、ここまで頼りにしてきた魔法はもはや通じない──


「あばよ。死ね、ウェルサームのクソアマ」


 ──と、クリルファシートの【英雄】は思うことだろう。

『高速』も、『剛腕』も、『隠形』も、『幻影』も、『発火』も、『衝撃』も、今まで見せてきた魔法のいずれも有効でないこの状況。敵からすれば、必殺のシチュエーション。勝利に酔い、眼前の敵を殺すことしか考えられない。

 そのわずかな慢心と油断こそ、私が狙い続けてきた千載一遇の好機。

 仕込みはもう全部済んでいる。

 必要なのは一言の呼び掛けだけ。

 すなわち、


「『シルウェルの顎とうさま』っ!」


 私の胸元、服の下に仕舞い込むように下げられた牙のペンダントが熱を持つ。

 顕現までに要する時間は一瞬にも満たない。

 端からはまるで、私の中から生えてくるかのよう見えたかもしれない。そうして現れた白い巨大な毒蛇がクリルファシートの【英雄】を襲う。


「ぎィッ……!」


 その柔らかそうな首筋に突き立てられようとしていた牙は、その【英雄】が差し出した左腕に遮られた。

 しかし、その腕も父さまの驚異的な咬合力の前には枯れ枝のようなものだ。

 ミシバキボキ、とえげつない音をたてながら、牙は肉を裂き骨を砕く。

 恐ろしい痛みがあるだろうに、【英雄】は歯を食いしばって剣を父さまの頭に向ける。

 父さまは噛み砕いた【英雄】の左腕をあっさり解放すると、地面に座り込んだままの私を尻尾で巻き上げ、しゅるしゅると【英雄】から距離をとった。


『大丈夫か、シエラ』

「お陰さまで。ありがとうございます、父さま」

『気にするな。しかし、致死毒で片付けるつもりだったが、意外とタフだ。抵抗レジストされた』

「それでよかったかもしれません。あの人が生きていないと敵の後続部隊に撤退命令を出す人がいませんから」

『生きて帰すのか?』

「この状況でクリルファシート軍が攻めてきたら大きな被害が出ます。私もだいぶ消耗してしまいました」

『……ま、レウルの奴を頼れない以上、致し方ないか』


 クリルファシートの【英雄】は、私と父さまが襲ってこないとみると、すぐさま背を向けて全力で逃げ出した。

 気が抜けて倒れそうになるところを父さまが支えてくれた。

 私の元に、すぐそばで避難していたマサキさんが駆け寄る。


「シルウェさん! だ、大丈夫ですか!?」

「マサキさん。私は大丈夫ですから、城壁の崩れていない部分に登って敵の様子を見てきていただけますか? できれば、こちらの指揮権のある方と一緒に」

「は、はい! 大尉! 敵の様子を見に行きましょう!」


 あとは敵の部隊が攻めてくるか引いていくかが問題だ。

 不安な気持ちのまま、私はゆっくりとため息を吐いた。

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