062 錦木柾とマリアン『センショウ』と
敵襲を知らせる鐘の音はがらんがらんと鳴り続けている。
隊長であるアークが単身戦場へと向かい、辺りでは兵士たちが慌ただしく迎撃準備を整えるなか、俺、錦木柾が属する第三大隊第五中隊の面々もまた、動き始めようとしていた。
「っと、アークは行っちまったけど……どうする?」
「あいつが居ねぇと俺たちの直属の上官は少佐だからな。少佐に指示を仰ぎにいく必要がある」
「うぇ。マジかよ……。頼んだ、副隊長」
「ったく、都合がいいように使いやがって!」
バークラフトはぶつくさ言っているが、アークから少佐に副官として紹介されている以上、実質的な立場が他の隊員と対等だったとしても対外的にはコイツが動くべきだと言っていいだろう。
と、
「アーク中隊! アーク中隊の副隊長はいますか!?」
「俺がアーク中隊副隊長、バークラフトだ! そちらは!?」
伝令のような男が一人、俺たちを呼びながら駆けている。
バークラフトが呼び止めるように大声で返事を返すと、彼はこちらに歩み寄り、
「第三大隊第一中隊所属、コーラル大尉です。キュリオ少佐より、伝言と命令を預かって参りました」
「大尉っ!? し、失礼しました、コーラル大尉!」
「お気になさらず。まずは伝言から。アーク中尉についてです。中尉はいま、南門で敵の【英雄】含む部隊への応対をなさっています」
「では我々も南門へ向かえば?」
「いえ、それに関して少佐から命令をいただいています。第五中隊は北門にて砦の防備を担当するように、と。部隊の指揮は、一時的に私が預からせていただきます。アーク中尉の代役と思っていただければ」
これは思わぬ指示だ。アークと別の場所で戦えということか。
もともと身内ばかりで半独立的だったこともあるし、不満と呼ぶには当たらない程度の不安のようなものを覚えないではなかったが、軍命にそんないちゃもんをつけるわけにもいかない。バークラフトともども了承の返事を返す。
しかし、大尉にもその辺り見抜かれていたのか、彼は薄く笑みを浮かべて、
「そうは言っても、ぽっと出の指揮官の元ではやりづらいでしょう。アーク中尉もしばしば副官のあなたに指揮を任せていたと聞いています。なので、私もバークラフト副隊長にはおおよその直接の指示を出しますが、実際の部隊の運用は副隊長に任せようと思っています」
「え、いいんですか、それで」
「おい、マサキ!」
思わず口走ってしまった。
バークラフトに咎められ、上官からの命令に対する態度ではなかったと思って頭を下げる。
大尉は、気にしていない、とばかりに軽く手を振り、
「そちらの方が部隊が円滑に動くのであれば、誰が指揮を執るかは些細な問題でしょう。まあ、建前上の立場というものはありますが」
ずいぶんと柔軟な考え方をする人だ。建前も必要なものだと認めながら、本当に重視するのは実質の部分。賢いとは思うが。
しかしまあ、いままで通り見知った仲間の下で動けるという話ならこちらに否やはない。
「……では、副隊長。すぐさま移動を。できますね?」
「は! お前ら、話は聞いてたな! 小隊ごとに整列! 北門に向かうぞ!」
「ほう……。よく統制がとれていますね。さすがはフレッド少尉の教え子というわけですか」
「教官をご存じなんですか?」
「有名人ですよ、彼は。とはいっても、フレッド『教官』の方ではなくてフレッド『隊長』の方ですが。私もフレッド隊長とは一度仕事をしたことがあります」
「…………?」
「ああ、今の人はこの辺りのことは知りませんか。では、これから行く北門を無事に守りきれたら、帰り道にでもお話ししましょう」
他愛ない雑談のつもりで振った話だったが、意外と面白そうな話題に発展してしまった。
しかし、今は場合が場合。悠長に雑談に興じている暇もない。大尉は話題を打ち切り、進むように促した。
「全隊、行くぞ!」
バークラフトの合図に従って、忙しなく人々が行き交う砦の中庭を抜ければ北側の門はもう目の前。
すると、そこの防衛隊の一人であろう兵士がこちらに気づいた。
「ん、君たちは……」
「私たちは第三大隊第五中隊です。本来の指揮官であるアーク中尉が【英雄】として南門で防衛に当たっているため、私、コーラルが一時的に代理の隊長をしています」
「大尉どの! これは失礼を。はい、承りました。私は北門防衛隊隊長、ララン曹長です。では、命令を出させていただきましょう。第三大隊第五中隊は門の内側で準戦闘体勢で待機。何かあれば城壁の上から物見が報告をするので、よくよく気を張っておくようにお願いします。大尉にも今だけは私の指揮下に入っていただきますが、私からの特段の指示がない場合はそちらの判断での行動を許可します」
「了解しました。では、副隊長、お願いします」
約束通り、大尉から丸投げされたバークラフトがみんなに指示を伝えに行く。
大尉と北門防衛隊隊長はそのまま細かい詰めのような話をしているんだろうか?なにやら話し込んでいる。
「マサキ、ボーッとしてんな。小隊ごとにまとまって陣を組むぞ」
「っと、悪い悪い」
みんながすでに動き出している中、俺が一人ボケッと大尉たちのそばで突っ立ったままでいたところをバークラフトにどやされた。
さっきの失言といい、妙に注意が散漫だ。アグリが逝ったのが堪えてるのか? あるいは敵に怯えてる?
「……死を恐れず、さりとて受け入れず、だ」
呟き、両手で自らの頬を張って喝を入れる。
半端な気持ちでいて良いことなんて何もない。最悪、その緩みは死に繋がりさえするのだ。
隊列を組む仲間たちの元に向かおうとしたその時、城壁の物見兵が叫んだ。
「隊長! 何やら不審な物体が城壁の外に!」
「なに!? いつからだ!?」
「わかりません! 今気づいたら、自分の立ってる位置の真下辺りに!」
「外観とサイズは!?」
「黒色で両手の拳を合わせたくらいのサイズの堆積した粉末もしくは塊です! 砂か泥のようにも見えます!」
「ふむ……。サイズ的には死角からスリングか何かで撃ち込まれたセンが太いか……?」
「隊長、その不審物、火薬という可能性はありませんか?」
「む。確かに、あり得ますな。おい! 黒色の砂とは火薬ではないか!?」
「ん……あ、た、確かに! 火薬にも見えます! ですが、壁や門を破壊するほどの量はとても……」
「解せんな。何度も投げつけて量を増やして一挙に爆破する腹積もりか? 量の少ないうちにこちらから発破してしまうか」
「火を落としますか?」
「そうしろ。念のため城壁の上の兵は体勢を低くしておけ」
隊長の指示を受けた兵士は火種を取りだし、手元のわら縄に引火させて城壁の下へと放り捨てた。
その時点で、隊長も、大尉も、他の誰ももうその外の火薬なんかに意識を向けちゃいなかった。
「そうだ、大尉どの。実は、我々の部隊配置に関して、少佐に相談申し上げたいことがありまして。よろしければ今夜にでも少しお話を──」
カッ、と。
真っ先に訪れたのは、城壁の内側から漏れだす一筋の光。
次に俺たちにもたらされたのは、世界そのものが割り裂かれたかのような爆音と爆風……だったのだろうと思う。断言できないのは、その刹那、俺はあまりの音量に一瞬にして聴力を奪われ、あまりの衝撃に一瞬にして意識を喪失していたから。
「い、つ……!」
ズキズキと割れるような頭の痛みで俺は意識を取り戻した。自分が地面に倒れ伏している、と気づくのに数秒かかった。
なかば反射のように痛みの源である額に手を当てると、でろりとした生温かい液体を感じた。
手をみれば、そこには真っ赤な血がべったりついている。ぞっと背筋が凍る。
が、しばらく触診してみると、頭蓋が割れたとか脳みそが飛び出したとかではなく、皮膚を裂いただけらしいことがわかる。頭の怪我は何があるかわからないが、油断はできないが。
ひと安心しながら頭を上げると、
頭がなかった。
「隊長……?」
無意識のまま呟いた自分の声を聞いてはじめて、その目前の、首から上をまるっきり失ったヒトガタがつい数瞬前まで目の前で喋っていた隊長なのだと気がついた。
……隊長、なのだろう。
びゅーびゅーと間欠泉のように首の断面から吹き出す血のせいで階級賞のついた制服は判別もつかない赤色に染まり、本人確認を最も担保するであろう顔面は、頭部まるごとどこかへ吹きとんでしまっていたとしても、俺の目の前に立っていたのは、確かに隊長だったはずだ。
(ッ! そうだ、大尉は……)
もう一人、すぐそばにいたはずの人の姿を探す。
すると、近くに一人、倒れているのを見つける。
「大尉っ!」
「う……マサキ候補生、ですか……。いったい、何が……」
「……わかりません。でも、この状況、城壁が爆破されたとしか……」
体勢を起こした俺の目に飛び込んできたのは、炎と血の赤色に、何人もの死体と、無惨にも崩れ落ちた城壁。硝煙と鈍い鉄の臭いが鼻につく。悲鳴と絶叫がまだ聴力の回復しきらない耳を襲う。
「馬鹿な……話ではそんな量の火薬では……ぐぅっ!?」
「大尉!」
突然大尉が苦悶の声を漏らす。見れば、彼の左の二の腕の辺りに鋭い石が突き刺さっている。
「大尉、その腕を治療します。痛むと思いますが、耐えてください!」
「ええ……お願いします、マサキ候補生」
治療などと言っても大したことはできない。まず、瓦礫の刺さった角度をよく見て、まっすぐに瓦礫を力ずくで引っこ抜く。
「ぐ、ぐぐ……っ!」
抜いた途端、栓が抜けたようにどばどばと血が溢れだす。すぐさま患部を水で流して包帯を巻き、上腕にも締め付けるように強く包帯を締める。
「っ……! ありがとう、ございます」
「いえ。これはただの応急処置です。すぐに衛生科に……」
「アハハハハ、まぁさか自分たちでアレに火をつけるとは! おかげでドカン、だ! ああ可笑しい! ま、どのみち火矢でも射かけて着火するつもりだったけどねぇ」
高笑いする女の声。聞き覚えはない。その源は、いまだ硝煙くゆる崩壊した城壁の向こう側から。
砂を蹴る足音はゆっくりとこちらに近づいてくる。
煙を越え、こちらに姿を現したのは、赤みがかった茶髪をベリーショートに切り揃えた女。面立ちは整っているようにも見えるが、顔面を大きく横に走る刀傷と、獣のような凶貌、それに肩に担いだいかつい大剣のせいでそんな感情は微塵も湧かない。
「お前……クリルファシート軍か!?」
「うん? なんだ、威勢の良い坊主がいるねぇ。あたしがクリルファシート軍属かって? 正確にはあたしは教会の人間だが……ま、今はそう名乗っても良い。クリルファシート軍の【英雄】、【累加の英雄】マリアン『センショウ』ってね!」
「【英雄】……!?」
その女、マリアンとやらはそう名乗った。
【英雄】。それは人を逸脱した超常存在。戦場の死神。ひとたび会えば、ただ蹂躙されることしかできない、天災がごとき厄災。ヴィットーリオ『ロゼ』以外にもう一人【英雄】が居たなんて。
その事実は、強烈な先手を打たれた俺たちからさらに戦意を奪うには十分だった。
だが。
「狼狽えるなっ! 忘れたか! リール大佐との戦いを! あの憎きヴィットーリオ『ロゼ』を! 俺たちは【英雄】を知っている! 【英雄】との戦いかたを知っている! 時間を稼ぐぞ! アークが戻ってくるまでの辛抱だ!」
バークラフトが発破をかける。
絶望しかけていた仲間たちの瞳に、一縷の希望と戦意が戻ってくる。
「そうだっ! 死んでたまるか! 俺の命は、あいつらが遺した命だ!」
「てめぇら、ただで死ぬなよ! 死ぬなら仲間のためにだ!」
口々に、意気軒昂に叫び声を上げる。
それに釣られるように、第三大隊第五中隊以外の兵士たちも、立ち上がって武器を取り始める。
それを見たマリアン『センショウ』は薄く笑い、
「ハハッ! アハハハハハ! 良いねぇ、良いねぇ、そう来なくっちゃあねぇ!」
「散らばれ! 【英雄】相手に固まっても徒に被害を増やすだけだ!」
リール大佐との戦いで学んだこと。
【英雄】は強い。
俺たちが五十人も束になってすら、敵わなかった。
だが、今の俺たちに必要なのは勝つことじゃない。生きること、時間を稼ぐことだ。
ならば、散るほうが得策だ。
【英雄】に襲われる一人は殺される。当たり前だ。まとまってさえ勝てないものが、さらに戦力を減らして敵うわけもない。
だが、その一人以外は生き残る。
ヴィットーリオ『ロゼ』との戦いで学んだこと。
逃げ回るだけなら、【英雄】相手でもそう簡単に全滅はしない。
マリアン『センショウ』が手にした大剣を振るう。
名も知らぬ仲間が一人殺される。
マリアン『センショウ』が手にした大剣を振るう。
ジースが、初めての格技訓練の時に一緒に傷を作った友人が殺される。共に笑いあった仲間が一人殺される。
マリアン『センショウ』が手にした大剣を振るう。
名も知らぬ仲間が一人殺される。
マリアン『センショウ』が手にした大剣を振るう。
エンリコが、テストの時に化学を教えてやって、数学を教えてくれた友人が殺される。共に笑いあった仲間が一人殺される。
マリアン『センショウ』が──
「マサキっ!」
──マリアン『センショウ』が、眼前に居る。
せめてもの抵抗に突きだした剣は一笑に付され、素手で握り止められた。
(ああ、くそ……。死んだな、こりゃ。ごめん、檀。兄ちゃん、帰れそうにねぇわ。親父とかお袋にも、謝っといて……)
マリアン『センショウ』が手にした大剣を振り上げ。
そして。
ドパンッッッ! と。
爆ぜるような衝突音と共に、マリアン『センショウ』の身体が横合いにぶっ飛んだ。
「はっ……?」
「マサキさん、ご無事ですか?」
「え、あ…………?」
「マサキさん、お怪我は?」
「あ、は、はい、大丈夫、です……」
「そうですか。それは良かったです」
いつのまにか現れた彼女は、いつもと何も変わらぬ淡々とした声でそう言った。
──衛生科の制服に身を包んだシルウェさんが、そこにいた。
「シルウェ、さん?」
「はい。……若様がいらっしゃるまでくらいは持たせますから。マサキさんは下がっていてください」
言うべきことがあったはずだ。
聞くべきことがあったはずだ。
【英雄】に挑む気か?
逃げろ! 殺される!
今何をした? あなたがマリアン『センショウ』をぶっ飛ばしたのか?
どうやってここにきた?
どうしてここにきた?
…………でも、そのときの俺は、そのいずれの言葉も問いも発することができなかった。
だって、俺の前に立つ彼女はあまりにも凛々しくて。あまりにも神々しくて。
その姿はまるで、勝利をもたらし、救いをもたらす、そんな。
……そんな、女神様のように見えたんだから。




