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060 葬送と再戦と

遅れて申し訳ないです。

 あの後、泣き続けるシェーナを部屋まで連れていき、結局そのまま二人して抱き合って眠ったのだ、ということをはっきり自覚したのは翌朝になって目を覚ましてからだった。

 僕の方もなんだかんだ参っていたらしい。一度落ち着いてしまえば、眠りに落ちるのはすぐだった。正直、昨日の寝しなの記憶は薄い。

 寝起きのぼんやりとした意識のまま、隣で眠る少女の髪に触れる。『幻影』の魔法で色こそ変わっているが、その絹のように流れる心地いい手触りは変わらない。

 手櫛で梳くように指を通しながらしばらく彼女の髪の感触を楽しんでいると、シェーナが小さく身じろぎをし、薄く目を開いた。


「ん……あ……レウ様?」

「おはよう、シェーナ。よく眠れた?」

「はい……。……!?」


 寝起きのシェーナはとりあえず僕の言葉に頷いてから、驚いたように、僕の背に回していた自らの両腕を引っ込め、起き上がった。

 その頬が薄く朱に染まっているのは、わんわん泣いていた昨日の夜のことを思い出したからか、あるいは僕を抱いて眠っていたことに気づいたからか。


「寝坊してしまったようで、申し訳ありません」

「いやぁ、僕も今起きたばっかだから。……でも、そろそろ時間かな」

「時間?」

「アグリのお見送りをね。そろそろみんな集まってる頃だろうから」

「あ……」

「シェーナも来るかい?」

「……申し訳ありません、私は……」

「ん、わかった、気にしないで。昨日も言ったけど、君が責を負うようなことは何もない」

「……ありがとうございます。もう、すぐに出られますか?」

「の、つもり。シェーナはいつも通り衛生科だろ? 僕はいいから、行ってきて」

「お気遣い、ありがとうございます。失礼させていただきます」


 まあ普段から着替えの手伝いなんかをさせている使用人であればこうはならないのだろうが、もちろん僕はシェーナに脱ぎ着の世話をしてもらうことはない。特に仕事がない以上、ここに引き留めておくのも非効率的だ。

 シェーナはぺこりと小さく礼をして、部屋から退室しようとする。

 ふと、その彼女の背中に見ていると、言い知れぬ不安が沸き上がってきた。アグリも、ベイムも、トヴィもシャガも。今まで死んでいった僕の仲間たちは、誰も彼もその僕の手が届かない場所で、僕が知らないうちにその命を散らせていた。

 それに気づいたとき、僕はこの目の前の少女もそうなってしまうのではないかと想像した。何の根拠があったわけでもない。僕という【魔】に予知みたいな能力が備わっているわけでもない。人は得てして悪い想像をしがちなものだ。こんなこと、真面目に考えるだけドツボにハマる。でも。それでも。

 僕はその不安を払拭するために、立ち去ろうとする彼女に言葉を投げかけざるを得なかった。


「シェーナ」

「はい?」

「今日もきっとクリルファシートの連中は攻めてくる。この砦を落とされる……なんて、そんなつもりは毛頭ないけど、それでも戦場のことだからね。万が一っていうのは起こりうる。だから、もしそうなったら君は自分のことを第一に考えてくれ。他は何もかもほっぽって逃げるんだ。もちろん、僕もおんなじように逃げるから」


 だから、僕はシェーナにこう言った。心優しいこの少女は、自らの身に危険が降り注ごうと誰かを助けようとしてしまうと思ったから。

 言われたシェーナは、数秒ほど目を伏せて、躊躇うように言葉を紡いだ。


「……レウ様は、それで後悔しませんか?」

「え……」

「……いえ、すみません。わかりました。万一の時には私は自分の身の安全を優先します。その代わり、レウ様もちゃんと言った通り逃げてくださいね」

「あ、ああ、もちろん」

「それでは」


 シェーナは再びお辞儀をすると、今度こそ部屋から出ていった。

 ……先程の彼女の言葉が僕の心にささくれのような小さな傷を生んでいた。

 もし、そのような危機的な状況から逃げ出した結果、シェーナと僕だけが生き残るようなことになったら?

 後悔なんてするわけがない。僕にとって一番大事なのはシェーナとリューネ。その次に僕自身だ。なら、シェーナと僕が無事であるその想定は何の問題もない。

 ……でも。マサキは死ぬ。バークラフトは死ぬ。カーターは死ぬ。他の仲間たちも、少佐たちだって死ぬ。中隊長やヴィットーリオに殺されたウェルサーム兵たちが自らの命を擲ってでも守ろうとしたものの全てが喪われる。

 そうなったとき、生き残った僕は本当に後悔は無いと言って笑えるのだろうか?

 どうでもいいものと大切なものを分けるのは上手いが、大切なものに優先順位をつけられない。それは、いつだったか、リューネが僕を評して言った言葉だ。

 結局、自問に対する答えを用意することはできなかった。


           ◆◇◆◇◆


「お、やっと来たな、アーク」

「ごめんごめん。僕が最後?」

「ああ。ま、仕方ないっちゃ仕方ないさ。昨夜の戦場で一番働いてたのはお前だし、あの後もほとんど明け方まで少佐たちと会議とかしてたんだろ? 多少の寝坊くらいは誰も何も言わねぇよ」


 アグリの火葬を見送るために砦の中庭に集まった第三大隊第五中隊のみんなはきれいに整列しており、僕が一番遅れてきたようだった。

 僕を迎え入れながら、バークラフトは僕の肩にポンと手を置いたかと思うと、ぐいぐいと僕の背を押し出し、整列する中隊の面々の前まで連れ出す。


「んじゃ、軽く挨拶でも頼むぜ」

「僕が?」

「お前じゃなきゃ誰がやるんだよ、中隊長」


 それもそうか。

 改めて居並ぶ面々を見渡す。

 泣いてるものがいる。祈っているものがいる。讃えているものがいる。贈り物を携えるものがいる。決意を固めているものがいる。仲間同士で思い出話をしているものがいる。

 仲間の弔い方はそれぞれだが、そのいずれにも、今の悲しみと過去の喜びを見ることができる。

 僕はゆっくりと口を開いた。


「……僕たちが今こうして集まったのは、去っていく仲間に最後の想いを贈るためだ。言葉でもいい。物でもいい。感情でも、祈りでも、なんでもいい。アグリを想う気持ちさえあれば、それで。……今日この日にもう一つだけみんなにささやかなお願いがあるんだ。例えば、こうやって仲間の死を悼むのは決して嬉しいことじゃない。けれど、それは必要なことだ。旅立つアグリのためにも、残される僕らのためにも。でも、その機会すら無かった奴らがいる。戦争が始まってから、僕らが命を落とした仲間のためにこうやって集うのが初めてなのは、好ましい理由からじゃない。だから、今日はアグリとの別れの日だけど、彼へ贈る想いと一緒に、他の逝ってしまった仲間たちへの想いも天に捧げてあげて欲しい。僕からのお願いはそれだけだ。みんな、泣いたっていい。笑ったっていい。彼らが少しでも安らいでくれるように、僕らは僕らのまま彼らを送り出そう」


 言いたいことは全部言えた。

 横に立つバークラフトに視線で合図する。彼は小さく頷いて合図を返し、僕に代わって仕切り始める。


「それじゃ、全員一人ずつアグリに声をかけてやってくれ。それが終わったら遺体を焼いてもらう。順番は……名前順にするか」


 一人一人、思い思いの言葉をアグリにかけていく。

 全員が彼との別れを済ませ、その遺体に薪が添えられ油がかけられ、火が放たれる。

 ぱちぱちと弾けるような音がする。

 ちりちりと火の粉が舞う。

 人の焼ける臭いがする。

 立ち上る煙が沁みたからか、自然と目から涙が溢れてきた。

 誰も彼もが口も開かず、ただただ燃え盛る炎を見つめている。

 その時だった。

 ガランガランガラン、と。

 短く三度、砦に備えられた鐘が鳴らされた。

 びくりと、その場にいた全員が体を緊張させる。昨晩にも聞いたばかりのこの音。

 これは時報の鳴らされ方じゃない。

 この鳴らされ方は──


「アークっ!」

「敵襲だ! バークラフト、みんなを……」

「ああ。出撃準備を整えとく! 待機でいいか?」

「頼んだ! 僕は少佐の指示を仰いでくる!」


 言い捨てるように仕事を押し付け、司令部へと駆け出す。

 襲撃も二度目となれば、幾分か慣れた動きで砦の兵たちも戦備えをしているようだ。少なくとも、初日の奇襲の直後や、昨日のような混乱は見られない。

 と、ちょうど司令部から下りてくる少佐を見つけることができた。


「キュリオ少佐!」

「ん? おう、アークか! いいところに来た! 敵を見に行くからついてこい!」

「は!」


 そう言われ、連れてこられたのは砦の外壁の上。ヤリア山地は木々が群生し、林や森を創っている地帯も多いが、砦の周りは木々が少なく、外壁の高さも相まって割り合い遠くまで見渡すことができる。

 そうして目に飛び込んできたのは、大きな盾を携えたクリルファシートの兵士たち。距離は一キロないくらいだと思う。


「数は昨日と変わらず、千よりちょいと多いか少ないか、ってくれえか。真正面から野戦を仕掛けるってなぁ分が悪いな。どうでぃ、【英雄】の視力でなんか面白いもんは見えるかい?」

「ヴィットーリオ『ロゼ』……!」

「なに?」

「昨日の戦いでは軍勢の中央ほどで指揮をとることに専念していた向こうの【英雄】が、今回は全軍の先頭に立っています」

「ほぉ。つうことはあちらさんは【英雄】を切っ先に据えてイケイケドンドンってわけか。てならぁ……」

「私、ですね。私が奴を止めることさえできれば、昨日のようにウェルサームの勝機は十分にあります」

「おうよ。しかし、実際問題、押し寄せる敵軍の真っ只中にお前一人置くってわけにもいくめぇ。しかしただの兵士を何人かつけたところで焼け石に水。どうしたもんか……」

「いえ、私一人で出ましょう」

「はぁ!? おいおい、いくらなんでもそいつは無謀じゃないのか!?」

「私の魔法は多対一の戦いに優れたものです。敵方もそれをわかっていますから、私一人討ち取るために無理に多人数を当てて徒に被害を増やすような真似は避けたいところでしょう。加えて、砦から投石器(カタパルト)(バリスタ)による援護をしていただけるなら、私一人でもヴィットーリオの抑えは十分に効くはずです」


 本当は火砲があれば最高だったのだが。

 残念ながらこんな僻地の、平時では百人も駐在していないようなレベルの砦にそんな新鋭の兵器が備え付けられているわけがない。

 しかしまあ、それを差し引いても十分可能性のある提案のつもりだったのだ。


「……理屈はわかるが。そいつは採用できねぇなぁ。お前一人失うだけでこっちは勝ちの目が消えちまう。向こうがそれを承知で玉砕上等の攻勢をかけてくる恐れもある。せめて、非常時に速やかに要塞壁のこっち側に戻ってこられる手段がなくちゃあな」

「そんなことをいっている場合では……!」

「黙れ、アーク。これは命令だ。対案が無ぇならお前の意見は採れない」

「……わかりました」

「ま、向こうの出方がどう来るかにもよる。【英雄】一人突出してくるようならお前を出す手もあるし、逆に雑兵と進軍速度を合わせてくるならその間に敵の数を減らして野戦を挑むこともできるかもしれねぇしな。ああ、それと、お前の部隊はとりあえず砦内の防衛に当たってもらうことになる。お前とは別行動になるが……」

「ご心配には及びません。私の副官は優秀ですから」

「ははは、そいつぁ頼もしい。お前の部隊への連絡はこっちから入れさせる。悪いが、お前にはここを離れないでもらいたくてな」

「ヴィットーリオ『ロゼ』の動向はよく見ておきます」

「任せたぞ。基本はお前の安全確保が必須だが、やつ一人突出してくるなら出動も許可する。この辺りの守備隊の連中と連携しながらやってくれ」


 少佐は僕に言いたいことだけ言うと、忙しそうに外壁を後にした。

 しかし、どうしたものか。単騎で軍勢と渡り合うというのは冷静になってみれば流石に無茶な提案だったとは思うが、現実そのくらいしなければ【英雄】の進行を妨げるのは難しい。

 思案しながら、僕は先程より幾分か近づいてきたクリルファシート軍を眺めるのだった。

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