059 勝利と次手と
結果から言って、ヴィットーリオがさんざアピールしていた別動隊というのはやはりハッタリだった。
砦はヴィットーリオが率いていたクリルファシート軍から攻撃を受けた以外は平穏無事で、その攻砦軍が去った今、目先にはこれといった危険は存在していなかった。
「やっぱりハッタリだったわけか」
「すみません。これなら追撃に移っていた方が有効でした」
「いいや、お前の判断は間違っちゃいない。あの状況で本当に別動隊がいた場合の被害を考えれば、ああするしかないだろうよ。つーか、お前からの報告を聞いて決定を下したのは俺だ。その責任も俺にあるさ」
少佐は僕にそう言うと、砦の守兵に合図を出して門を開けさせる。
ギギギギ、と重い鉄の扉が開く音を聞きながら、少佐はさらに続ける。
「それよりも、今回はこっちにほとんど被害が無かった。そっちを喜びゃいいだろぃ」
「それもそうですね」
今回の戦いでのこちら側の被害──死者は十八人だと聞いた。
僕ら迎撃部隊の人員は五百人ほど、敵の部隊が推定千人ほどという戦いだ。横っ腹を不意打ちでついたことを加味してもごく少ない被害だと言える。
ちなみに、僕の中隊は死者ゼロ人。重傷者こそ二人出たが、いずれも命に関わるような怪我ではなさそうであり、僕個人としてはほとんど文句のない完勝だったと言える。……欲を言えば、ヴィットーリオを討ち取っておきたかったところだが。
仲間たちも勝者の余裕をもって堂々と砦の門を潜って帰還する。
「アーク、俺はエドウィンとベンを衛生科に連れてくわ」
「悪いな、マサキ」
「気にすんな。歩けないだろ」
「エドウィン、骨折したって聞いたけど、足?」
「ああ。いやさ、情けない話だけど、足捻っちまった。てか俺よりベンの方が大ケガだろ」
「はっはっは! あと数センチずれてたら死んでたぜ!」
「いや笑い事じゃねぇだろ……」
「肩に刺さった矢は抜くなよ。傷口も触らないようにな」
「頼まれたって触らねぇさ! 痛ぇし!」
「お前の肩、風穴空いてんのに元気だなぁ……。俺とか痛すぎてちょっと吐きそうなんだけど」
「こっちだって痛いは痛いさ! けど、ホラ、あれだ、前に一度教室に来たアークのメイドの人」
「メイドって、シルウェさんのことか?」
「そうそう! 詳しいな、マサキ! あの人今衛生科にいるんだろ!?」
「え、なんだそれ。初耳だぞ俺」
シェーナのことは案外広まっているようである。別にマサキたちにも口止めしてるわけじゃないし、何より仲間の見舞いにでも行けば衛生科で普通に会えるのだからそう不思議なことでもないといえばないが……。
たった一度顔を見た程度の相手によく気がつけるものだ。まあシェーナの美貌はまさしく【神】の域だし、気持ちはわからないでもない。
「マジか。めっちゃ美人だったよな、あの人」
「そうそう、その人! な? 怪我も悪くないだろ!?」
「二人とも、シェーナにセクハラとかするんじゃないぞ」
「わかってるって! その辺は弁えてるぜ! 美人はいるだけで目の保養だからな!」
「おっ、良いこと言ったぞ、ベン!」
「おいっ、ちょ、暴れんなエドウィン! 捨てるぞこら!」
「ベンだけじゃなくて君も十分元気じゃんか……」
てんやわんやのマサキとあきれたように呟く僕を見た回りのクラスメイトたちは楽しそうに笑うのだった。
◆◇◆◇◆
「ふむ、なるほど。敵方に【英雄】が二人いる可能性か……。しかし、普通に考えれば襲撃は【英雄】も兵も集中させて行われないか?」
「そうじゃのう……不自然と言えば不自然じゃなぁ。本来的には可能性がある以上は悪い方に見とくのが常道ではあるが……。坊の見立ては?」
「爺さまよ、坊はやめろって何度言えばわかるんでぃ」
砦に戻った俺とアークは、クントラ中佐に呼び出され、彼や他の少佐たちの前で今回の報告をしていた。
勝敗の報告や被害の報告は今回は非常に楽だった。なんと言っても被害の微小な勝ち戦だからだ。ゆえに、この会議の主な焦点は別の話。アークが報告した、ヴィットーリオ『ロゼ』の手傷を一夜のうちに全快させたというナニカ……第二の【英雄】とおぼしき敵についてだった。
俺のぼやきもラグルスの爺さまは聞いているのかいないのか、適当に笑って流すだけだ。いつものことなのだ、と俺もそれ以上は拘泥せず、求められた通り自らの予測を述べる。
「すでに報告したことだが、昨夜、俺はこの【英雄】を使って近くを流れる川から水を回収させた」
「ああ、聞いている。その際に何人か敵を殺した、と言っていたか」
「特徴的な殺し方で、さ。つまり、こっちがアークをゲリラ的に動かしていることは向こうにも知れていたってことにならぁ。したらば、向こうが次に警戒するのは……」
「アーク中尉による襲撃、か。確かに予兆も何もない【英雄】単騎の襲撃は備えが難しい。今の我々のように城壁に囲まれ、侵入も脱出も容易くないような状況であればいざ知れず、ちゃちな防御陣地を敷いた程度であろうクリルファシートの連中からしてみれば納得の懸念ではある」
「たとえ【英雄】二人と全軍の全力投入でもってこの砦を落とせたとしても、陣がアークの襲撃を受けて灰になっちまってたら困る。俺たちだって、いざ負けるとなりゃあ自分達の兵糧を焼くくらいはするからな」
「このヤリアの山の上で食糧が無くなればクリルファシート軍は落とした砦を獲るどころじゃない。急ぎ帰っても、最悪、兵の一部が疲労に飢えを重ねて倒れるかもしれない。……たしかに、キュリオ殿の見立ては筋が通っているとは思いますが……。私がクリルファシートの指揮官であればその状況でも全軍で攻めるかと。たとえ物資不足で砦を確保できなくなろうと、その時にはこちらはまさしく全滅していることでしょう。道中の兵の損耗を加味しても、我々ヤリア方面軍の全てを殺せるならクリルファシート軍としては十分な利益を挙げたと言えるのでは?」
「やっぱそうなるかぁ……。その辺りは俺にもようわからん」
「あの……。発言をしてもよろしいですか?」
流石と言うべきか、言ったそばからこちらの痛いところを的確に突いてくるエヴィルの指摘に、どうにも答えかねていると、蚊帳の外だったアークがおずおずと手を挙げた。
「ああ、構わない。君の予測を聞かせてくれるのかね、中尉」
「はい、いえ、予測などとはとても言えない想像のようなものですが……。もしクリルファシートが、【英雄】二人を含む全軍で攻めたとしてもこの砦は落ちない、と思っていたとしたら、今回の敵の行動にも説明がつくのではないかと」
「ほぅ……。なるほど、面白い観点じゃな。数で勝り、【英雄】一人分のアドバンテージを持つ側がなぜそう思ったかは不可解ではあるが、こちらが耐えきる可能性も実際皆無ではない。その時、先のような兵糧を焼かれる状態になっていては困るわけか。あちらさんは土台一度の攻撃では砦は落ちんものと見ていて、今回の襲撃はあくまで攻略の一手目だと」
「もちろん、二人目の【英雄】などいない、ということもありえます。私との戦いで使わなかっただけで【浄化の英雄】が高い回復能力を備えていたとか、治癒能力を持つ『遺物』を所持しているとか……ああ、可能性としては低いですが、二人目の【英雄】は全く戦闘能力がない、などというのも考えつくでしょうか」
「いや、そこはやはり『いる』と思っておこう。ラグルス翁ではないが、楽観的な想定で足元を掬われるよりは悲観的な方がいい」
自説を根拠に乏しくいまいち確度が低いものと見ているのだろう、先の主張と反対の想像も持ち出すアークだったが、ボスはアークが最初に述べた方の想像を容れるつもりのようだった。
さらに、爺さまが続ける。
「それにの。その【英雄】の仮説に乗ると、こちらにとって都合の悪い予測が一つ立つ」
「あんだそりゃ」
「わしは言ったぞ、坊。今夜の襲撃は奴らの一手目だと」
「っ、そうか……! 一手目がありゃあ二手目がある……!」
「三手目も、四手目もな。明日の昼か、夜か。また攻めてくるじゃろうな。今回の敗北を見て攻め手の人数を増やすか、まったく違う手で来るかはわからんがの」
「最低でも見張りは増やさなければな。斥候もか? 捕らえられても困るが……。エヴィル、任せても大丈夫か」
「は。お任せください、中佐」
「さて、アーク中尉。貴重な意見をありがとう。よくよく参考にさせてもらう。それと、君は早いところ休むといい。敵の内実がどうであれ、こちらがどういう手を使うのであれ、ウェルサームの生命線は君だ。できるだけ万全のコンディションを保っていてくれ」
「私がウェルサーム軍の力に少しでもなれているのであれば幸いなことです。では、お言葉に甘えさせていただき、失礼します」
そう言って、アークは退室する。
「キュリオ、君も休んで構わないぞ。我々の中で戦場に出たのは君だけだ」
「砦の防衛戦の陣頭指揮を執ってたボスが休むなら俺も休ませてもらいましょうかね」
「まったく、お前は……」
夜は今にも明けそうで、じきに朝が始まろうとしていた。
◆◇◆◇◆
高官たちの軍議から解放された僕は、休む前にシェーナの顔を見るため、また負傷した二人の様子も伺っておきたかったため、衛生科に寄っていくことにした。
司令室のある上階から、衛生科の病床が備えられた二階へ降りる。
奇しくも、ちょうど階段の出口に当たる部分にシェーナが立っていた。
手を振り、声をかけようとして、彼女が今にも泣きそうな表情をしていることに気づく。同時に彼女がここに立っていたのは偶然ではなく、僕を待っていたのだということにも思い至ったが、そんなことはどうでもいい。
「シェーナ!? どうした!? 何があった!?」
シェーナは、言葉を発するのもままならないようで、しきりに部屋の一方向を指差す。
そちらは、カーターをはじめ、昨日の戦いで大きな傷を負い、明日をもしれないと言われた患者たちが集まる一角だった。
そこに、治療を受けているはずのエドウィンとベンが座り込んでいる。
言い知れぬ嫌な予感が、僕の心臓をわしづかみにしてぎりぎりと締め上げる。
それ以上シェーナに言葉をかけることもせず、僕は二人の方へ駆け寄った。
「エドウィン! ベン!」
「……アークか」
振り返ったエドウィンの顔はひどいものだった。先程、砦に戻ったばかりの時の勝利に浮かれた様子は微塵も残っていない。
ベンの方は俯いたままこちらに視線を向けもしない。
二人の目の前に寝かされているのは、僕らのクラスメイトの一人。カーターのように、昨日の戦いでヴィットーリオに襲われ、意識不明となってここで治療を受けていた。
「アグリが、死んだ」
「ッ……! そんな……!」
「……仕方ない……仕方ない……いつこうなってもおかしくなかった……」
ベンは俯いたまま、ぼそぼそと囁くようにそう言う。
それはまるで、悲しみを減ずるための自己暗示にも見えた。
「どうして……」
「ベンの言う通りなんだ。ずっと危うい状態だったって。アグリだけじゃない。カーターも、ステパノも、名前も知らない他の奴らも。ここに寝かされてるのはみんなそういう患者だ」
「……それは、シェーナが?」
「……お前のメイドさんと、あの医者のじいさんには謝っておいて欲しい。感情に任せて酷いことを言った」
「……ああ。君たちはもう寝るといい。体が疲れていると、心も余計につらくなる」
「そう、だな。ベン」
エドウィンに肩を揺さぶられ、ベンはゆっくりと頷いた。
エドウィンはもう一度僕に向き直り、
「みんなはもう寝てるだろうから、起こさなくていい。アグリの遺体は明日まで置いてもらえることになったから。明日、みんなでお別れをして、焼いてもらう」
遺体は病の温床だ。この砦の中に埋めてやることはできない。砦の中で亡くなった他の兵士たちもそうしてきた。
「おやすみ、エドウィン、ベン」
「ああ、おやすみ、アーク」
「……おやすみ」
二人に就寝の挨拶を交わし、僕はシェーナの元へと戻る。
「シェーナ」
僕がそう彼女の名前を呼んだ瞬間、彼女は縋るように僕の胸元をぎゅうと掴み、そこに顔を寄せた。
一瞬、彼女の瞳から涙が落ちるのが見えた。
「シェーナ」
もう一度、彼女の名を呼ぶ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! 私がレウ様から皆さんの命をお預かりしたのに……! 私が力不足だったから、私のせいで……!」
「違う。悪いのは僕の仲間を傷つけたヴィットーリオ『ロゼ』だ。君はむしろ、彼らを救うのに尽力してくれた」
「でも、私が【神】として完成していれば! 母さまみたいに力があれば、きっと皆さんを助けることも出来たんです! 私はそれをわかっていたのに、自分を誤魔化そうとして、エドウィンさんとベンさんにも、助けるのは難しかった、なんて酷いことを言って……!」
彼女はきっと、ここで多くの死を見たのだ。多くの命が掌からこぼれ落ちるのを味わった。その痛みは、無力感は、棘となって彼女の心の奥底にひとつひとつ降り積もっていったのだろう。
あるいは、シェーナが賊に拐われたあの日、無惨に殺される村の人々を助けられなかった後悔が蘇っているのかもしれない。
「シェーナ。二人は君を恨んじゃいない。君に酷いことを言ったから謝ってくれって言われたよ」
「それは何も知らないからです……! 私が【神】だと知れば、あの人たちだって……」
「僕は知ってる。でも君を恨んでなんかない」
「違います、それは……」
「違わない。シェーナ。君は君にできる全てをやった。出来る限りの手を尽くして、でもアグリは助けられなかった。それは悲しいことだけど、罪あることじゃない。誰にでも、できることがあって、できないことがある。できないことは、罪じゃない。できることをやらないのが罪なんだ」
「でも、私は【神】で……」
「だからなんだ。【神】だって【魔】だって同じだ。ルミスさんだってアルウェルト『シルウェル』を救うことはできなかった。リューネだって、ばあやの命を長らえさせることはできなかった。でもそれは罪じゃない。だから、シェーナ。君にも罪なんかない。責められることなんてなにもない」
僕は強く、シェーナを抱きしめた。
シェーナは、今度こそ、隠すことなく僕の胸元で嗚咽を漏らしはじめた。




