057 駆け引きと決着と
敵の別動隊の存在。予想もしていなかった事態に、思わず頭が真っ白になりそうになるが、舌打ちを一つして思考の白熱を抑制する。
今冷静さを失って得することなど何もない。このままここでヴィットーリオと戦うにせよ、砦の防衛に戻るにせよ、僕一人の独断で動くべきではない。ここで僕が短慮にこの場を離れたりすれば、この戦場はヴィットーリオのいいようにかき回され、最悪の場合はこの迎撃隊が全滅するかもしれない。
……ああ、そんなこと、頭ではよくよくわかっている。でも。でも! 砦にはシェーナがいる! 彼女の魔法と『シルウェルの顎』の力があれば、砦から逃げ出すくらい容易いかもしれない。ただし、それは通常のニンゲン相手なら、だ。相手が【英雄】だとしたら話は違う。彼女の『隠形』が敵に通じる保証はない。アルウェルト『シルウェル』が敵の【英雄】より強いかなんてわかりっこない。だから……!
「……落ち着け。今は目の前を見ろよ、僕……!」
口の中で呟く。
怒濤のように溢れる不安と焦燥を理性で塞き止める。
今考えるべきはその事じゃない。
どうするにしたって、目の前の【英雄】は邪魔者だ。まさか僕らが砦に引き返すのを見逃してくれるわけもあるまい。
ヴィットーリオへの対処は怠れない。殺すにせよ、逃げるにせよ、必要なのはそれができるだけの隙を作り出すこと。
もう一度、大きく舌打ち。
……多少落ち着いた。大丈夫。戦える。
「あァン? 面白くねェな……。落ち着き払いやがって。砦が落ちるぞ? 仲間が死ぬぞ? オラ、無様に尻尾巻いて逃げ出せよ!」
「……そうだな。お前を殺したらそうしよう」
心底から面白くなさそうな声を苛立ち混じりに吐き出すヴィットーリオと対照的に、僕は表面上は水面のように静まっていた。
ヴィットーリオに隙を晒すことは即ち死に繋がる。
だから、僕は精一杯の虚勢で、必死のハッタリで言葉を返す。
「ハッ……らしくねぇなァ、クソ【英雄】! 俺に仲間を殺されて絶望してたのが嘘みてぇだな! たった昨日のことをもう忘れちまったか!?」
「まさか。だから言ってるだろ。お前を殺すって」
「チッ! 違ェだろうがよ! テメェはもっと取り乱して……」
「ずいぶんよく喋るな、【浄化の英雄】」
「ッ! ……ハン、どこぞの減らず口が移っちまったかねェ!?」
ヴィットーリオはそう叫び、再び剣を構えるが、切り込んでくる様子はない。こちらの出方を伺っているかのようだ。
そのらしからぬ様子にわずか違和感を覚えたが、僕とてこのヴィットーリオとは一度戦っただけに過ぎず、戦闘スタイルを決め打つにはまだまだ情報が足りていない。
……目標を定めろ。ヴィットーリオの戦い方などどうでもいい。
最終目標は砦に戻って別動隊とやらを叩いて仲間を救うこと。
そのためには、まず少佐にこの話を伝えなくちゃならない。全軍で動かなければ砦への救援などできやしないからだ。
そして、その最大の障害こそが眼前の【英雄】。ヴィットーリオ『ロゼ』はどうあっても排除しなくてはならない。
ならば、決まりだ。まずはヴィットーリオを殺す。話はそれからだ。
生憎、双方とも僕らの戦いに兵を差し向けることはなく、僕らの回りだけぽっかりと穴を空けたようになっている。それゆえ、僕の十八番の『支配する五感』も役にはたたない。
それでは単純な斬撃を繰り出すのがせいぜいだが、僕とヴィットーリオの近接戦闘能力はほぼ互角。長々と戦いは長引き、時間ばかり消耗するはめになる。
(仲間を呼んで攻撃させるか? ……いや、ダメだ。僕がヴィットーリオを殺すまでの間に何人死ぬと思ってる! くそ、こんなことならシェーナから『シルウェルの顎』を借りておけば……それもダメか。彼女が身を守る大きな手段が奪われる……って、だから今はシェーナのことじゃなく敵のことを考えろ! ああ、思考が纏まらない!)
もちろんと言うべきか、多少思考を落ち着けたくらいで混乱の全てが消えてなくなるわけじゃない。
横道にそれそうな考えを軌道修正してもそれだけで起死回生の名案が浮かんだりはしない。
「どうした!? 俺を殺すだの息巻いておきながら突っ立ってるだけかァ!?」
何度目かもわからないヴィットーリオの挑発。
思わず刃を振るって奴に突っ込んで行きたくなるが、理性で衝動を抑え込む。
ヴィットーリオの誘いに乗って無闇矢鱈と突撃するのでは奴の思い通りだ。奴にとってみれば、ここに僕を引き付けておくだけで砦が落ちて勝てるのだ。であれば、向こうはただ待ちの一手で僕が焦りや疲労から隙を晒すのを待てばいい。攻めてくる必要などない。
そんな相手の思惑に乗ってはいけない。
「ケッ、腰抜けが !テメェが来ねぇならこっちから行ってやるよ!」
「ッ……!?」
……そう僕は考えていたのだが。
予想を裏切るように、ヴィットーリオは自ら果敢に攻め込んできた。
驚きこそあったが、それで切られるほど弛んじゃいない。
降り下ろされた刃にこちらも剣を合わせ受け止める。
そのまま鍔競りはせず、僕の剣の上を滑らせるように敵の刃を逸らし、ヴィットーリオのどてっ腹に蹴りをぶちこむ。
「らっ!」
「ぐあっ!」
いつかのお返しと腹にキツい一発をくれてやった。吹っ飛んだヴィットーリオは転がりながら素早く体勢を立て直して構えを取る。
「チックショウ! やりやがったな、クソッタレ【英雄】!」
やはり何か、おかしい。
ただ待ち構えていればいいところを、わざわざ向こうから仕掛けてきたこともそう。先程から妙に口数が多いのもそう。前の戦いでも挑発してくることはあったが、これほど執拗ではなかった。
なんだ? どこか……焦っている? 何を焦る必要がある? 焦るべきは僕の方のはずだ。
おかしいと言えば、先程のヴィットーリオが言っていたこともおかしな話なのだ。
クリルファシートの別動隊。少なくとも【英雄】一人を含み、一般兵もこの場にいる以外の全て、即ち千人規模の大軍。なるほど、確かに恐ろしい。恐ろしいが……それは本当に砦を落とせるほどの軍か?
いや、確かに客観的には可能だろう。戦争における【英雄】の力は圧倒的だ。敵方にその力があり、こちらに無いとなればその趨勢は火を見るより明らか。だが、ひとつ、ここで忘れてはいけない主観的事情がある。僕の主観ではなく、ヴィットーリオの主観。
すなわち、奴が『閃光』の【英雄】と呼ぶこちらの戦力、リューネの存在だ。奴もまさかその正体がかの絶大なる【魔】、リューネ『ヨミ』だなどとは夢にも思うまいが、そうでなくともこちらにも僕以外の【英雄】がいるという認識はあるはずだ。そのことは奴自身が言及していた。であれば、ヴィットーリオの主観上、【英雄】は双方に一人ずつ、兵はクリルファシート別動隊が千ほど、ウェルサームの砦も千弱。こちらの砦にいるのは半数以上が非戦闘要員とはいえ、要塞に篭っているアドバンテージはかなり大きい。ヴィットーリオが言うほど楽勝な戦にはなり得ないのだ。
僕にとってみればリューネがもう砦には居ないことが解っていたからついスルーしてしまっていたが、ここはどうにも辻褄が合わない。
あるいは、あの妙に自信に溢れた発言は僕に対するカマかけだったとか? ヴィットーリオも直接その存在を確認していない、『閃光』の【英雄】などという者が本当にウェルサーム側にいるのか、と。
だとしたら最悪だ。何も考えず反応してしまった。僕もせめて、もうちょっとくらいマシなハッタリとか──
「あ」
気づいた。
それは、ひどく楽観的な可能性だった。
僕にとって都合のいい、およそ戦場で考え至るべきではない発想。だがそれは、僕が抱いていた疑問にきれいな回答を寄越した。
……少し、カマをかけてみるか。
「何をボサっとしてる? さっさとかかってこいよ、【浄化の英雄】」
「あァ? テメェ、状況わかってんのか? 追い詰められて、遮二無二突っ込むしかないのはテメェの……」
「それはお前の方だろ、ヴィットーリオ『ロゼ』」
「……ンだと?」
「【英雄】率いる別動隊だって? はは、そんな話で僕を騙せるとでも思ったか? そんなつまらないハッタリで?」
「…………」
「別動隊なんていやしない。当たり前だ。昨夜にも、僕が砦を抜けてなんだかんだと動いてたのは知ってただろう? 全軍で繰り出した隙を僕に突かれて食糧に火でも放たれたら一巻の終わりだからね。【英雄】が襲ってきても迎撃できるくらいの戦力を本陣に残してるに決まってるんだよ」
「……御大層な妄想ご苦労さん、って言ってやりゃあいいのか? 黙って聞いてりゃ根拠も薄い楽観論かよ」
「ま、よしんばお前の言うことが本当でも、こっちの砦に【英雄】一人と千人を超える兵士が詰めてる。僕らがお前の軍を散々かき回した後に戻っても十分間に合うわけだ」
「ハッ、好きに言ってろ。夜が明ける頃には全部明らかで全部手遅れだ。そうなった時のテメェの顔が見ものだなァ?」
ヴィットーリオの反応はいかにもハッタリらしいが、僕は別動隊が実在する可能性を切らない。切れない。
このヤリアの戦の行く末など正直な話どうでもいいところだが、士官学校の仲間たちとシェーナの命だけは別だ。それが喪われることは僕の完全な敗北を意味する。そうなりうる可能性はどうあっても切れない。
それに、わざと別動隊はハッタリだと思わせて僕をこの戦場に縛りつけることこそヴィットーリオの狙いかもしれない。人は自らの力や知恵で導いた結論に関しては盲信しやすく溺れやすい。
だから、どのみちやることは変わらない。仲間を助けるため、眼前の敵を排除する。
でも、少しだけ心に余裕ができた。
急ぎこそすれ、焦りはしない。
僕が逸ったところでヴィットーリオを倒せなければ仲間の救援には向かえない。むしろ、冷静さを欠いて返り討ちにでも遭った日には、ヴィットーリオはそのまま砦に押し寄せて僕の大切な人たちを殺し尽くすことだろう。
何よりも、確実に。
「さあ。来ないのか、ヴィットーリオ『ロゼ』? ほら、早くしないとお前の軍の被害は広がる一方だぞ?」
「腸引きずり出して殺してやる……!」
「ははは、こわいこわい」
僕に積極的に攻めるつもりがないとわかるが早いか、ヴィットーリオは地を蹴り、こちらに勢いよく迫る。
宣言通り、僕の胴を撫で斬りにするように横合いから振るわれる刃をバックステップで躱すと、振り子のように反動を活かして前に踏み込みながら喉元を貫く突きを狙ったが、ヴィットーリオは器用に体を捻って危うきを逃れる。
ここで、怯まずもう一歩。突き出した剣の握りから力を抜き、得物を宙に置くかのように手放すと、空になった右手の指を相手の鎧に引っかけ、ぐいと引き寄せる。
僕の刺突を避けるために体勢を崩したヴィットーリオはそれに抗うほどの踏ん張りが利かず、されるがままにこちらに引き寄せられる。
「いらっしゃい。歓迎しよう」
迎え入れるように左拳で以て顎へ脳を強烈に揺らす殴打。引き寄せ、殴打。引き寄せ、殴打。殴打。殴打。殴打。
本当はナイフの一本でも持っていればよかったのだが。まあ無い物ねだりをしても仕方がない。このまま撲殺してやる…………つもりだったが、何度目かに引き寄せた時、その勢いを逆利用されタックルを食らう。
「くっ!」
「オラ、よッ!」
「……ッ、あッ……!」
ごろごろと転がった末マウントを取られ、顔面に強烈な一発。一撃くらいなら頬骨も折れるほどではないが、このままパンチを貰い続けるのはまずい。
とりあえずヴィットーリオを引き剥がそうと奴の下から腹部に膝蹴りを叩き込む。
……ダメだ。浅い。
ヴィットーリオが振り上げる二発目の拳。
咄嗟に顔面を両手で庇ったが、向こうはお構いなしにガードの上から雨あられと乱打を降らせる。
パンチを受け止める腕が軋むように痛む。
このままでは腕がへし折れるのも時間の問題。どうにかしなければ。どうする? また『念動』で何かを奴の目にでも飛ばすか? ……いや、あんな初見殺しは何度もは通用しまい。
どうすれば、と視線をさ迷わせた瞬間。弓を構えて僕に狙いをつける敵兵が一人。僕の形勢が不利と見て油揚げでも拐いに来たか? まあなんでもいい。好都合だ。
僕を見ろ、見ろ、見ろ、見ろ、と強く念じる。……目線が合った。
嗤う。我ながら持ってるじゃないか。
『支配する五感』、視覚。
『ヴィットーリオ『ロゼ』を射殺せ』。
五感が繋ぐ魔力のラインさえ成立していれば、僕の能力の命令に発声は必要ない。
無言のまま下した命令は無言のまま実行される。
すぐさま放たれた矢は風を切って飛ぶ。
ヴィットーリオが気づいたときにはもう遅い。『浄化』で洗脳を解こうとすでに矢は放たれた後。
頭蓋を貫かんと飛翔した矢は、わずかに逸れ、ヴィットーリオ『ロゼ』の右肩を射ぬく。
「っぐ、あァァァ……!」
腱を裂いたか、だらりと垂れ下がる右腕。
奴はすぐさま僕の上から跳び退き、距離を取る。
やはりその手には力が入らないらしい。
視線で僕を殺そうとしているのかと思うほど、奴のそれは憎悪と呪詛に満ちていた。
しかし、仮にも一軍の将。死線を越えてきた【英雄】。
流石と言うべきか、憎しみはそのままに冷静に一声叫ぶ。
「撤退だ! マルコォッ! 撤退させろッ!」
ドォン、ドォンと陣太鼓の音が響いた。
ヴィットーリオ自身も、背中を晒して逃げ出していく。
しかし、追うつもりはない。いや、追うことはできない、か。別動隊の真偽は未だ明らかじゃない。
「アーク! やったな! 敵の【英雄】を退けたんだろ!」
つかの間の一息をつく僕にマサキが駆け寄り、労うように肩を叩いた。
「ありがとう、マサキ。みんなは?」
「この辺りである程度散らばって戦ってたから、他のやつらのことは……。あ、けど同じ小隊の奴とは固まってたぞ! 少なくとも俺たちのところは全員無事だ!」
「良かった。悪いけど、バークラフトに僕からの命令を伝えてほしい。中隊をまとめてただちに帰投の準備。最悪、もう一戦あるからそのつもりで」
「帰投? 追撃はしないのか?」
「これから少佐とそれを話してくる。追撃の可能性もあるけど、一応心積もりは帰投で。っと、少佐の居場所はわかるかな?」
「向こうの方に駆けていったのは見たけど……」
「ありがと。じゃ、伝言頼んだよ」
「了解」
頷いたマサキが駆けていく方を見れば、たしかにバークラフトやウィシュナたちが大きな怪我もなく立っているのが見えた。少し、安心する。
さて、まずは少佐に報告だ。
戦勝の美酒に浸るのはもう少し後のことになりそうだが、仕方ない。
いつもと異なる土曜日の投稿ですが、先週休んでしまった代わりに今週は二話投稿しようと思ってます。
要は、明日日曜日の投稿もある予定です。
ただ、当然ながら明日までに次の58話が仕上がらないと投稿できないので、もし明日投稿されなかったら「ああ仕上がらなかったんだな」と思ってください。




