054 憎悪と遺志と
夜。陽が落ちて少し経ち、辺りが完全に闇に包まれたころ。
僕は仲間と共に砦の外に出ていた。
目的など言うまでもない。
今朝、少佐から任せられた水資源の確保。そのために僕は今、十四人の仲間を伴って夜の森に潜んでいた。少人数での行動がふさわしい今回の任務では、中隊全てを動員するのはむしろ悪手だろうと考えての人数だった。
具体的には、ハーレル小隊、五組のクラスメイトの一人であるダヴィドという男が率いるダヴィド小隊、そして、旧ユウロ小隊と旧バークラフト小隊を合体させて少しいじくった新生バークラフト小隊の計三小隊だ。
このうち、ハーレル小隊とダヴィド小隊は結成時の五人のメンバーそのままだが、新生バークラフト小隊はユウロ、ウィシュナ、バークラフト、マサキ、それとフリッツの五人から成っている。
フリッツは、わりと決まった友人とばかりつるんでいたベイムが、いつもの五人組以外で親しくしていた数少ない一人だ。ベイムとは数学が得意同士気が合ったらしい。また、ベイムもその傾向があったが、フリッツはそれに輪をかけて無口な男だった。
彼ら五人で新生バークラフト小隊……というのが本来なのだが、バークラフトは砦にいる連中のまとめ役として残してきたため、今はここにはいない。強いていうなら僕がその立ち位置だろうか。
この三小隊の選出に確固たる意図があったわけではない。やや他のメンバーと距離のある元一組勢にこっちに馴染んでもらうためにハーレル小隊とヤコブ小隊は別にした、というのと、バークラフトが警告していた女子二人の様子をすぐそばで確認したかった、というくらいだ。
「……さて、そろそろいいかな。もう十分に暗くなった。任務を始めよう」
「質問をよろしいですか、中尉どの」
「ハーレル。中尉どのはよしてくれって言ってるだろ?」
「ですが、流石に……」
「ならせめて、中隊長、だ。敬称も敬語もナシでね」
「……軍規上は、」
「軍規は大事だけど、今は僕らの信頼関係の方が大事だ。上官相手でも忌憚なく意見を述べられるくらいにね。……それに、同輩にそんな風に呼ばれるのは、心苦しいよ」
「……あーっ、わかった! これでいいか、中隊長!」
「オーケーだ。他のみんなもそうしてほしい。で、質問だっけ? なんだい?」
「この暗さの中、急流で水汲みなんてなんてできるか? 歩くだけで精一杯、とまでは言わないにしても、誰かはぐれるくらいは全然ありうる」
「それに関してはもちろん考えがあるよ。うん、出し惜しみする意味もないし、見せようか。驚いて大声をあげるなよ?」
そう皆に言い渡し、僕が懐から取り出したのは、真っ白な牙のペンダント。その形は蛇のそれに酷似しているが、それにしてはありえないぼど大きなものだった。
そのペンダントに、僕は魔力を込める。加減は……難しい。そもそも僕は魔力の扱いが得意ではない。今は夜だから多少マシだけど。
まあ普段からシェーナが定期的に込めていると言っていたし、あまりこだわる必要もないか。おおよそ、僕の魔力の三分の一ほどを目安に、注ぎ込む。
「ああ……ちょっとオーバーしたかな……。ま、いいか。いくぞ、『シルウェルの顎』!」
意思を『遺物』に伝えるキーワードを発声し、ペンダントを宙に放り投げる。
それはまるで、空想が現実になるかのように。
ただ一つの牙から、顎が生まれ、歯列が生まれ、頭が生まれ、首が生まれ、さらには巨大な胴体までもが、形成されていく。
そうして現れたのは、純白の巨大な一匹の蛇。【毒蛇の魔】シルウェルの身体を持つ、【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』その人だ。
【英雄】でありながら人の身を持たぬ異形の化生が放つ威圧感に圧倒され、誰もが大声をあげるどころか身じろぎ一つできなくなる。まさしく蛇に睨まれた蛙、とばかりにだ。
アルウェルト『シルウェル』は向けられる怯えや畏怖の視線など意にも介さず、しゅるしゅるととぐろを巻くと、ゆっくりと息を吐いた。
たっぷり、十秒以上の間を空けて、かろうじて口を開いたのはユウロだった。
「これ……まさか、『【英雄】の遺物』!?」
「よく知ってるね。これは【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』の『遺物』、『シルウェルの顎』さ」
「『遺物』……ってなんだ?」
「【英雄】が死ぬときに遺す、異能の力を持つ器物のことよ。私も話で聞いたことしか無かったけど」
「これは借り物だけどね。アルウェルト『シルウェル』……かの【英雄】の家族の一人から少し借りたんだ」
「なんだその人脈……。で、その『遺物』? がこの任務で役立つって?」
「ああ。『シルウェルの顎』は意思持つ『遺物』。彼は見た目の巨体に相応しい力を持っているだけじゃない。彼は光に頼らず人間を見ることができるんだ。彼ならこの闇の中でも僕らがはぐれないように見張ってもらうことができる。もちろん、川から水を汲んだり運搬する手伝ってもらえるしね」
「蛇……ピット器官? てか、それ俺ら必要か? お前とその『遺物』だけでよかったんじゃ……」
「まさか。作業の間は僕も周囲に気を配ってる余裕はないからね。その間の敵の警戒と排除は君たちに任せないと」
「そうだッ……! クリルファシートの奴らを一人でも多くぶっ殺すために、あたしたちはここにいる……!」
「ウィシュナ……」
「……他のみんなは、何か質問はあるかい?」
殺気立つユウロとウィシュナ。緊張を押し殺し、比較的泰然としているハーレル。ウィシュナを一瞥して考え込むように俯くフリッツ。常とは明らかに異なる彼女たちに動揺と心配を見せるマサキやダヴィドたち五組の面々。
みな様子は違えど、任務に対する質問も異議も噴出しない。
「オーケー。それじゃ、僕らの戦場に赴くとしようか。僕が先導して歩く。隊列は縦じゃなく横に広げて、行動は最低で小隊単位。いいか、小隊単位だぞ。これは絶対順守だ。小隊長だけでなく、みんなできるだけ常に後ろから僕を見ていてくれ。はぐれないようにね。アルウェルト『シルウェル』、貴方は後から着いてきて、はぐれそうな小隊があったらその都度誘導してやってほしい。頼めるかい?」
白い大蛇は僕の問いかけに鷹揚に頷いて、シューシューと漏れるような吐息を吐いた。
僕には彼の言葉はわからないが、彼は人間の言葉を解する。意思疏通は図れていると言っていいだろう。
「ありがとう。この任務での最優先は隠密性だ。会話はもちろん、物音も最低限に。細心の注意を払ってくれ。だから、敵を見つけても隠れることを優先しろ。ただし、交戦が避けられない、発見のリスクが高いなど、万一の場合は各小隊長の判断で戦闘を許可する。その場合でも、大声を出されたり呼び笛を鳴らされるような真似は絶対に避けてくれ。隠密が最優先というのを忘れずに。あとは……ああ、もしも僕と完全にはぐれた場合はその小隊はその時点で任務終了。今いるこの地点に帰還だ。それも無理ならはぐれたその場で待機。移動は接敵を避けるとか最低限の場合だけにしてくれ。なにか異議や質問は? ……ないね? よし、作戦開始。目標は水資源の確保。タイムリミットは夜明け前まで。いくぞ!」
言葉なき同意の敬礼の気配を背後に感じながら、僕は地図に引いた計画をなぞるように歩き始めた。
そうしてなんだかんだと真っ暗な森の中を歩くこと、半時間ほどが経過した。
森の中は足元も悪く、足を取られたり、月光の一筋すら指さない暗闇に僕を見失いかける小隊も出るが、そのたびに僕やアルウェルト『シルウェル』、あるいは同じ小隊の仲間たちが助け合って、今のところ脱落者はいない。それに、クリルファシート兵も未だその気配すらなく、影も形もないといったふぜいだ。
「……アーク、どうだ? 敵の気配とか」
「無いね。このまま終わればいいけど……」
「森の中に奴らがいるなんてはじめっから思っちゃいないわ……! クリルファシートが張るとしたら多少なりとも開けた川沿いのはず……!」
ユウロが憎々しげに呟いたのとほとんど時を同じくして、僕の耳に清流の音が届いた。
数秒耳をすませ、やはり、間違いない。僕らの求めた川の流れ。
クリルファシート兵の気配は……わからない。川の音が煩くて、足音やら何やらが消えてしまっている。
ハンドサインで全隊に止まるよう指示をした。
「アルウェルト『シルウェル』。敵がいるか見えるかい?」
最後尾から僕の隣へやってきた白蛇に問う。
彼は僕の質問に、大きくその首を左右に振った。
どのみちもう少し近づく必要があるか。
問題は僕一人で行くか、あるいは仲間を連れていくかだが……リスクは減らすべきか。
「僕が先行する。ゆっくりと、音を立てないよう注意してついてこい。僕がいない間の指揮権はマサキに預ける」
「ッ! 待てよ、アーク! あたしらは、クリルファシートのクソッタレどもをぶっ殺すためにここにいる! 全隊で行くべきだ! あたしらを使えよ!」
「駄目だ。この人数で接近すれば発見のリスクは高まる」
「見つかっても殺せばいい! この人数なら……」
「殺せても、仲間を呼ばれるのは防げない」
「あんた一人ならそれが防げるって!?」
「そうだ。わかってくれてありがとう、ウィシュナ」
「ッ……けど……!」
「ウィシュナ、ユウロも。よく聞けよ。今俺たちがすべきことは私怨に走ることか? 違うだろ。砦の仲間たちを生かすために、任務を完遂する。お前のわがままでしくじれば、そのしわ寄せは仲間たちに向かう。分かってんのか?」
「マサキまで……! あんたらは憎く無いのかよ!? ベイムもクリルファシートに殺された! カーターだって大怪我で明日も知れぬ命だ!」
「憎いに決まってんだろうが! でもな、ベイムはカーターを庇って死んだ。あいつらが俺たちに望むのはここで短絡的な復讐に酔うことじゃない。一人でも多くの仲間を生かすことだ。文句があるなら言ってみろ!」
「あ……それ、は……」
マサキのその指摘は、意識せずウィシュナの柔らかい部分を抉った。
彼女がその身をがたがたと震わせはじめる。小さく、小さく、僕にも聞こえないような音量で何かをブツブツ呟いている。
「……めんなさいごめ……さい……めんなさ……トヴィ、シャガ、ごめんな……」
その様子は、とても正気のものには見えなかった。
数度、僕やマサキが名前を呼んで肩を揺さぶるが、正体を取り戻しそうにない。
「……すまん、アーク」
「君が謝ることじゃない。……ユウロ」
「だいじょうぶ。わたしは、だいじょうぶ。…………私は二人の遺志を無駄にはしない」
もう一人の女子隊員の様子も窺う。
彼女の目は狂気で爛々と輝き、その口角は何か大切なものが壊れてしまったかのような笑みを形作っているが、受け答えはまだ正常の域にある。
この状況で動けない隊員を増やしたくない。
「……フリッツ。ウィシュナを頼める?」
こくり、と無口なクラスメイトは頷いた。
回りを見渡したが、ウィシュナ以外に異議のありそうなものはいない。
僕はゆっくり、ゆっくりと茂みをかき分け川の音に近づいていく。
後ろから同じように最大限の隠密機動で仲間もついてくるが、そこは【魔】とニンゲンの能力差、すぐに彼らを引き離し、川沿いに至る。
敵は……やはり、川沿いで張っていたか。視認できる範囲で三人。音はやはり水音にかき消されて聞こえない。
僕は無造作に草むらから川沿いへ姿を現した。
「「「っ……!?」」」
やはり、集まる視線は三つ。それ以上の反応はない。
そのクリルファシートの兵士はみな熟練の動作で行動に移る。
一人は叫び声をあげようと口を開いた。
一人は携帯した剣を抜き放った。
一人は腰に付けた笛に手を伸ばした。
……いずれも、とうに手遅れだった。
励起させた魔力が、僕に向けられた彼らの視線を通じて空間を飛び、すぐさま僕の下した命令を実行に移した。
一人は開いた口を勢いよく閉じてその舌を噛みちぎった。
一人は抜き放った剣で自らの喉を突いた。
一人は腰に伸ばした手を止め、反対の手に握った松明を飲んで肺を焼いた。
三人の男が倒れ、地に崩れる鈍い音は川の流れが消し去った。
しばらくその場で立ち尽くしてみるが、やはり新たな敵の反応はない。
ハンドサインを出し、即時集合を命じる。
がさがさと背後の草むらが揺れ、十四人の仲間が現れる。
……ウィシュナはまだだめだ。
「今のは……」
「僕の魔法だよ。さて、邪魔者は消えた。今から僕とアルウェルト『シルウェル』で水の回収を始める。その間、君たちは周囲の警戒と敵の斥候がいれば排除。相手が十人より多いようなら交戦せず僕に報告」
「隠密を最優先に、だな。行動は小隊単位で?」
「いや、三人一組の分隊を作ろう。別れろ」
素早く彼らはチームを組み換える。この辺りは士官学校での訓練成果がよく出ている。
正気を喪失しているウィシュナと彼女を任せたフリッツには待機を命じた。
みなが僕の命令に応じて警戒の輪を広げていくのを見てから、僕も川に向き直る。
「さ、はじめようか、アルウェルト『シルウェル』」
大蛇はシュー、と返事を返した。
真っ暗でその存在すらもうかがえない川へと、ロープ一本を頼りに降りていくのは怖くてしかたがないが。
しかし、熱を感知する蛇の【英雄】のロープさばきは巧みで、僕は適当に皮袋を交換するだけでどんどんと水が溜まっていく。
かれこれ三時間ほど、二百リットルもの水を獲得するのは想像していたよりはるかに容易な事だった。
本番の水汲みよりも道中のほうがよっぽど難儀した気がする。
アルウェルト『シルウェル』にみなを集めてもらい、溜めた水の運搬も彼に任せる。
「戦果は?」
「十二分。そっちはどう? 会敵したかい?」
「俺の分隊が二回、ユウロの分隊が四回、ハーレルの分隊が一回、いずれも一人、計七人を見つけて殺した。仲間は呼ばれてないはずだ」
「上々だ。帰還しよう。気を緩めるなよ! ここまできて遭難は冗談じゃないぞ!」
アルウェルト『シルウェル』の助けがあって初めて真夜中の森でマトモな活動が出来ていることを忘れてはいけない。
行きはよいよい帰りはこわい。
いつだかマサキが歌っていた童歌を肝に命じて、僕らは帰路につくのだった。




