052 部屋と同衾と
「そういや、話は変わるが、アーク。お前、部屋無いだろぃ?」
「はい? 部屋、ですか?」
「おうよ。お前もいっぱしの指揮官、中尉どのだ。したらば、個室の一つも持ってなきゃ格好がつかねぇだろ?」
なるほど、そういう話か。
少佐はこう言うが、実のところ格好がさほど重要な訳ではない。……いや、ここがこんなに逼迫した戦場でなく、僕みたいなぽっと出の成り上がり士官でなければ、杓子定規な体面をしっかり守ることも軍規の一種であり、軍隊を平穏無事に運営するワンセンテンスなのだが。
むしろこの場合は、作戦指揮を預かる立場として、不特定多数の兵士がいるところでは話せない話や管理できない書類を扱ったり、暗殺のリスクを減らしたり、という実利的な側面が大きい。
「はぁ……。ですが、今のこの砦には想定人数以上の人員が詰めている状態ですし、私一人に部屋を割く余裕は……」
「若様」
「オゥウェッ!?」
突如として暗闇の中からかけられた少女の声に、少佐が奇声とともに驚いて飛び上がる。
……うん、やっぱりこれ『隠形』してたな、シェーナ。少佐とかまるで気づいてなかったみたいだし。
「だ、誰だっ!?」
「失礼をいたしました。私は衛生科の兵員です。シルウェ、と申します。キュリオ少佐さま、どうぞお見知り置きくださいませ」
「少佐どの、彼女は私の個人的な知人です。不審者や、まして幽霊などではないので、ご安心ください。シェーナ、どうしてここに?」
「はい。偶然通りがかった折、少佐さまと若様のお話をお聞きしまして、私でお力になれるのではないかとお声をかけさせていただきました。盗み聞きのような真似をしたこと、平にご容赦お願い致します」
「い、いや、そりゃあ構わんが……。力になれる、ってのは?」
「はい。私は衛生科の一兵員ですが、女性ということで個室をいただいております。ですが、何らの功績も挙げていない身でそのような厚遇に与ることに申し訳なく思っておりましたところ、お二方のお話を耳にしまして、私が使わせていただいている部屋を若様に使っていただけばよろしいかと、浅慮いたしました」
「なるほど……。そういやエヴィルがガルド医師から頼まれて融通したとかなんとか言ってたような……。ああ、いや。そりゃ今は良いか。あー、シルウェ衛生兵。気持ちは有り難いが、やはり君を部屋から放り出すのは得策とは思えん。人道や女性尊重ではなく、軍の運用上な」
「そうですか。でしたら、若様と私で相部屋というのは如何でしょう。もちろん、若様の許可がいただければ、ですが」
「む……相部屋……。おい、アーク。こっち来い」
ややシェーナと距離をとった少佐がちょいちょいと僕を手招きした。
近づくと、僕の肩に腕を回し肩を組んで、ヒソヒソ声で話はじめた。
「お前的にはどうだぃ、あの提案」
「……私は問題ないと判断します」
「あの女、信用できるのかぃ?」
「彼女とはかれこれ十年来の付き合いですし、信用という点では間違いなく」
「十年ってーと、俺とボスぐれぇか……。なら、それはいい。間違いは? 犯さねぇか?」
「彼女と関係を持つな、ということでしょうか?」
「いや、抱くなたぁ言わんさ。合意の上の行為ならな。問題を起こさんかと言う話だ。お前とあの女だけじゃなく、あの女と他の兵の間でもな」
「私自身は律しましょう。彼女は素行に問題がある人種ではありませんし、行いを監督しろと言われるなら、私がしましょう」
「ふぅむ……。よし、わかった。それでいこう。シルウェ衛生兵、アーク中尉。二人相部屋で構わんな?」
「「はい、少佐」」
そんなこんなで話がまとまった。
僕とシェーナができる限り一緒にいるというのはお互いの身の安全という意味でも、また秘密の保持という意味でも都合がいい。
「シェーナ。もう夜も遅い。君は部屋に戻るといい」
「はい、若様。失礼致します、少佐」
キュリオ少佐にきれいな礼を一つすると、シェーナは足音もなくすうと闇に包まれた廊下の奥へと消えていった。
……いや。…………いや、うん、消えてないねコレ。
姿こそ見えないが、【神】の気配がひしひしと伝わってくる。去ったふりをして視界から消えたところで『隠形』して戻ってきたのか。手の込んだことをする。
そんなことは露とも知らない少佐は彼女が去っていった方を見つめながら、
「すごい知り合いがいるな、お前……。大抵の貴族家は暗殺者の一人や二人を抱えてるもんだってぇ噂はマジだったか」
「いいえ、少佐どの、噂の真偽はわかりかねますが、少なくとも彼女は私のハウスキーパーです」
「家政婦ゥ!? 足音の一つもさせずに軍人に接近できる女がか!?」
「彼女は優秀ですから」
「いやいやいや……」
少佐は釈然としない様子ではあったが、シェーナの外見は見目麗しい華奢な少女であるし、実際のところ魔法にこそ長けているが格闘や武術の心得があるわけではない。
その辺りのことを歴戦の軍人として無意識的に感じ取ったのか、しきりに首をかしげてこそいたものの、さほど執着することなく少佐は話題を変えた。
「で、お前、所属部隊の様子はもう見てきたか」
「はい」
「どう見る?」
「……芳しくはありません。初陣で仲間に大きな犠牲が出たためでしょう。士気は低く、直接戦闘に耐えうるかも怪しいかと」
「だよなぁ……。数の方はどうだ?」
「一番被害が大きかった私の第五中隊では全隊員の三割弱が物理的に戦闘不能状態にあります」
「多いな……。よその中隊から融通する形になるか」
「いいんですか」
「人を回すべきはお前のところだろぃ、【英雄】サンよ。……大雑把にはこんなもんか。細かい詰めは明日実際に士官候補生の様子を見ながら決めるとする。お前は休め。一番疲労が溜まってるのは昼間戦場に居たお前だしな」
「お気遣いありがとうございます。失礼します、少佐」
キュリオ少佐の言葉に甘えてその場を去る。
廊下の角を曲がったところで彼の視線が消える。さらに、五感のいずれかで認識されることを発動条件とする僕の『支配する五感』に反応する者がいないことを確認してから、
「シェーナ」
「はい」
僕の呼び掛けに呼応して、虚空から滲み出すように少女の姿が現れた。
「やっぱり居た……」
「私は貴方の【神】ですから」
「それはいいけど、君は昼間中衛生科で働いてたんだろう? ちゃんと休むときは休まないとさ」
「昼間は戦場で戦っていた方がそれをおっしゃいますか?」
「……リューネに治療してもらったし」
「傷は治した、というだけだと聞いていますよ。疲労はあるはずです」
「あー……。……部屋ってどっちだっけ?」
趨勢の不利を悟った僕は適当に話題を変える。
シェーナは呆れたようなジト目を僕に向けたが、追及を深めることに意味も感じなかったのか、ご案内します、と言って先導して歩く。
雑魚寝で床に転がる兵士たちの脇を抜けながら、部屋を目指す。マサキたちもこうだと思うと、これから個室で寝るのは罪悪感がある。
「こちらです。どうぞ」
そうこうするうちに部屋までたどり着く。
先に部屋に入ったシェーナに促されるまま僕も中に入る。
シェーナは扉を閉じるとすぐに、魔法を構築し、解き放った。
「今のは?」
「『音声阻害』の魔法です。これでこの部屋の中での会話は漏れません」
なるほど、抜かりない。
少佐たちはああは言っていたが、正体を隠していた貴族の【英雄】なんて怪しいものに全幅の信頼はおけないだろう。監視や盗聴の一つや二つ、有ってもおかしくはない。
「とは言っても、今夜はレウ様はもうお休みになってください。密談も方針打ち合わせも明日にしましょう」
「そうだね……。なんだかんだ言っても、もうくたくただ」
「では、レウ様はベッドでお休みください」
「……待った。君はどこで寝るつもり?」
よくよく見れば、この部屋にはベッドは一つしかない。ソファの類いでもあればまだ代用になったかもしれないが、それすらもない。
書類仕事でもする用か、机と椅子が一組あるだけだ。
「私は机で十分ですので」
「それは流石に良くない。君だって疲れてるだろう。君こそベッドを使うべきだよ」
「私はレウ様の【神】でメイドです。主を椅子で寝かせて自分だけベッドで休むことはできません」
「それを言うなら、僕は男だし【魔】として完成してる。君よりは頑丈な体をしてるよ」
お互い譲らずに睨みあう。
しばらくして、シェーナの方がつい、と目を逸らした。
「……不毛です。限られた時間なんですから、一秒でも長く休息に当てなければ」
「じゃあ君が譲ってくれる?」
「……折衷案を出しましょう」
なぜだか目を逸らしたまま、シェーナはわずか躊躇うようにそう言った。
折衷?
視線で続きを促す。
「……い、一緒に。一緒に、ベッドで寝るのはどうでしょう?」
羞恥か緊張かその両方か、頬を染め、声を上擦らせながら、シェーナが折衷案とやらの中身を告げる。どうやら本人は平静を装っているつもりのようである。
提案を受けた僕は、少しだけ思索する。
いくら長らく一つ屋根の下で暮らしていたとはいえ、僕らはいい年の男女だし、こんな風に同衾までしたことは流石にない。風紀的に若干の問題が無いではないが……まあその辺りは僕がこらえればいいだけの話か。
シェーナが言った通り、時間は貴重だ。この案を却下したら、新たな案を考えるだけでもタイムロスと言える。
「ん、わかった。そうしようか。……さ、おいで、シェーナ」
彼女の案を飲み、言葉よりも行動で示す。
靴を脱いでベッドに上がった僕は、その半分を占めるように半身で寝転がると、残りの半分をぽんぽんと叩いて示し、シェーナを呼び寄せた。
「あぅ……。そ、その……」
「どうしたんだい? 君が出した案だろう?」
「……そう、ですね。……はい。それが、いちばん合理的なんです……。無駄な諍いをせず、二人とも疲労がちゃんととれて……」
ぶつぶつと、自らに言い聞かせるかのようになにごとかを呟きながら、シェーナはおずおずとベッドに寄り、靴を脱いで、
「し、失礼します……」
僕の隣に体を横たえた。
しかし、僕に背を向けた彼女は見るからに緊張しており、体はがちがちに強張っている。こんなでは疲れをとるどころか逆効果だろう。
「力抜きなよ」
「ひゃあっ!?」
緊張をほぐすため、という建前半分、もう半分はいたずら心で、シェーナの背筋をつぅーとなぞってみた。
あられもない悲鳴をあげたシェーナは振り返って僕を睨みつける。
「なにするんですか……!」
「あはは、ごめんごめん。でも、そんな緊張しなくても平気だよ。なにもしないからさ」
「な、なにもって……」
「なにもはなにもさ。僕は君に不埒なことをしたりはしないよ。誓ってもいい」
「……絶対にですか?」
「ああ、もちろん。僕は絶対に君にはなにもしないよ。君が望むなら指先一本だって触れやしないさ」
キュリオ少佐にも釘を刺されたことだし、と、僕は両手をあげて自らの安全性を最大限アピールしたのだが、
「……そうですか」
ぶすっと不服そうにシェーナは黙りこんだ。
あれ? 僕、なにか間違えた?
ううむ、ちょっと探って不機嫌そうだったら取り成してみるか。
「シェ──」
「もう寝ましょう。そういう話だったはずです」
「あ、うん……」
そう思って声をかけようとしたのだが、僕の呼び掛けを遮るようにシェーナがそう言った。
それはまったくの正論で、タイミングを逸した僕はもう黙るしかない。
シェーナは先ほど僕を睨んだときのまま──すなわち、ベッドの上で僕と向かい合うような体勢で目を閉じた。背後から下らないいたずらをしたせいでいらぬ警戒をさせてしまっただろうか。
僕も目を閉じてしばらくはそんなことを考えていたのだが、とりとめのない思考は徐々に眠気に絡め捕られて千千に散逸していく。
いつのまにか、僕は眠りの闇に落ちていた。




