051 中尉と少佐と
「君が、クリルファシート軍と戦って帰ってきたと言う自称【英雄】だな? まず、所属と名前を」
「はい、ヤリア方面軍第三大隊第五中隊バークラフト小隊所属、アークです」
「第五中隊……アンデルのところの……!」
中隊長が戦死した今、僕が報告をすべき相手はさらに上の士官、すなわち第三大隊の大隊長だ。
大隊を指揮しているのは全員ヤリアには四人派遣されている佐官の誰か。第三大隊はキュリオ少佐だったはずだ。
そんなわけで、少佐に会えないかと適当に砦の中を歩いて兵士の一人に声をかけてみたところ、その人は偶然にもエヴィル少佐──四人の佐官の一人で第五大隊の大隊長だ──の副官だという。
これはラッキーと彼に事情を話したところ、こうして指揮官と面会出来た、というわけだ。
……まさかヤリア総司令官のクントラ中佐が出てくるとは思ってなかったけど。
中佐に問われ、所属を答える。
一番反応を見せたのは、キュリオ少佐だ。第三大隊の指揮官に当たる彼にとって、中隊長は直属の部下だったことになる。
「それで、本当に君は【英雄】なのか?」
「はい。【夜の英雄】アーク『リューネ『ヨミ』』と呼んでください」
「ふむ……聞いたことはない、が……。なに、【英雄】であるか確かめるのは簡単だ。魔法を見せてもらえるか?」
「はい、構いませんが、私の魔法は人間にかけるものです。相手に私の『命令』を聞かせる、というものなのでして……」
「危険は?」
「この場で魔法が使えることを証明するだけであれば、全く」
「そうか。ならば……」
「俺に使ってみせろぃ。自称【英雄】」
「キュリオ。いいのか?」
「信用のある人間がかからにゃいけんでしょう、こいつは」
「それはそうだが」
「誰かがやるなら俺がやろうっちゅウだけの話でさぁ。自称【英雄】、『命令』内容は……そうだな、俺にお前と握手させてみせろ。俺は自分の意思では絶対お前の手を握らない。できらぁな?」
「はい。わかりました。では」
『支配する五感』。
ぞわり、と。
体内の魔力を励起させ、魔法を起動するとき特有の怖気のようなものが背筋を這い上る。
キュリオ少佐は僕に視線を向けているし、僕の声を聞いている。昼間、ヴィットーリオとの戦いで消耗した魔力ももう回復している。
たかがニンゲン一人、侵す分に不足はない。
魔力を流し込む。
瞬く間に『支配』の魔力が対象に満ちた。
「少佐どの、私と握手をしてください」
わかりやすいように、と命令は発声する。
キュリオ少佐は僕に歩み寄り、躊躇いも淀みもないスムーズな動作で僕が差し出した右手を握った。
周囲の人々から驚きとも安堵ともつかないため息が漏れる。
証明はこれで十分だろう。支配を解く。
「……参った。耐えるだとか逆らうだとか、そんな話じゃねぇ。認めらぁ、【英雄】」
「ふむ、私はキュリオがこんな時に狂言に興じる人間だとは思わん。理由もない。異議の有るものは?」
「ありません」
「右に同じ、だの」
「よろしい。では、反対意見無しで君を【英雄】と認めよう、アーク中尉」
「はい、ありがとうござ……今、なんと?」
「君を【英雄】と認める、と言ったのだ。聞こえなかったかね?」
「はい、いいえ、中佐どの。私の聞き間違いでなければ、私のことを中尉、と呼ばれたと思うのですが」
「辞令が必要か? 生憎、ここでは正式なものは出せないからな。口頭で勘弁してくれたまえ」
「つまりだ、アーク中尉。貴様には、指揮官として部隊を率いてもらう必要がある。現状、指揮官が全く足りていないからな。【英雄】である貴様は、それだけで兵を従わせやすい」
「……さらに言えば、士官候補生の指揮官が欲しかった。同輩の指揮はまだしもやり易いだろぃ。お前には、アンデルの後釜に座ってもらいたいっちゅうわけよ」
「ま、副官の選定のような細かい要望は要相談じゃが、大筋は動かんぞ、【英雄】」
クントラ中佐から、エヴィル少佐、キュリオ小佐、ラグルス少佐と立て続けに説明を受け、冗談でも何でもないどころか、断る選択肢すら与えられていないことを悟る。
とは言っても、正式な辞令も何も受け取っていない以上、あくまでこれはこのヤリアにおいてのみの特別な緊急措置と思っていいだろう。
この戦場を切り抜けて帰れば、昇進も何も初めからなかったことになるはずだ。その後の論功行賞では中隊を率いて戦ったことの評価はあるだろうから、まったく無意味とも言われないが。
……いや、戻った後の話なんて、今はどうでもいいことか。
中尉、中隊長という立場が、仲間を助ける上で都合がいいのは事実。そう思っておこう。
「了解しました。非才の身ではありますが、慎んで中隊長の立場を賜りたいと思います」
「ああ、よろしく頼む。指揮系統は従来通りキュリオの下に入ってもらうつもりでいるが、仮にも【英雄】の率いる中隊だ。私直属の独立中隊としてもいい。どうしたいか?」
「……キュリオ少佐の麾下に入れていただきたいと思います」
「わかった。では、今夜のところは以上だ。解散。各自自室にて待機。キュリオとアーク中尉は部隊再編成の大筋を決めておいてくれ」
「動ける兵員とそうでないのの確認もまだなのにですかい?」
「時間がないからな。詰めは明日で構わない」
「了解でさ。アーク、ついてこい」
「はい」
キュリオ少佐の指示にしたがい、この軍義の場を離れる。背後ではクントラ中佐がラグルス少佐を引き留めて何やら話しそうとしている。
僕の話だろうか。それとも別の? ……僕のことだとしたら、聞かせる訳もない。【魔】である僕の聴力がニンゲンより優れていると言っても、限界はある。僕が【英雄】を名乗った以上、向こうもそのくらいは想定済みだろう。
諦めてキュリオ少佐の後を追う。
とぼとぼと、一言も発することなくキュリオ少佐は歩いていく。
その後に、同じく無言のまま続く僕とシェーナ。
……ていうか、さっき僕が中佐たちと話していたときもしれっとその場にいた彼女が誰からもツッコまれなかったのはなぜなのだろうか。
リューネのように軽い『隠形』をかけているとか、そういうことなんだろうか。
「…………なあ、アーク」
そんなとりとめのないことを僕が考えていると、ふと、ずっと黙っていたキュリオ少佐が口を開いた。
その響きは重苦しく、どこか哀しげでもある。
「アンデルのやつは、死んだのか?」
「……はい。中隊長の最期を、僕は見届けることが出来たわけではありませんが、敵の勝鬨を聞きました」
「そうかぃ……。いや、わかりきってらぁな……。あの状況で、俺の部下だけ生きてるってのは、都合良すぎるもんなぁ……」
「……すみません。僕が、あの場から逃げなければ……」
「謝るな、アーク。あいつらの死に一番責任があるのは、俺らだ。俺らは、クリルファシート軍と戦うためにあの場に残ったやつらがいることを知っていた。知っていて、切り捨てた。大を救うため、お前らを小と呼んで犠牲にした」
「それは、あの場に残った全員の願いでした。一人でも多く、仲間が助かるようにと」
「……だろうなぁ。俺らも、そう信じた。信じて、自分自身にそう言い聞かせて、撤退を命じた。そんでもって、そいつはお前も同じことだ、アーク。アンデルだったら、お前に生きろと言ったはずだ。そう願ったはずだ」
中隊長の言葉を思い出す。
生きることを願うならば死ぬな、とそう叫んでいたことを思い出す。
「心当たりがあらぁな? ま、【英雄】一人生き残りゃあそれだけで仲間を救う戦力としては最高、って打算も込みでな? ともかく、お前が生き残ったことも、喜ばれることこそあれ、責められるようなもんじゃねぇ」
「……はい。ありがとうございます、少佐どの」
「なに、気にするなぃ。むしろ礼を言うのはこっちの方さ。あいつの最期を伝えてくれて、ありがとう」
……その言葉は、嬉しかった。
僕はあの戦場から逃げ出した。
みんながあの場で命を散らしたことを知りながら、僕は自分の命惜しさに生き残った。
中隊長やシェーナが言ったように、僕には真実、罪はないのかもしれない。けれど、僕はそれじゃ納得できなかった。
だが、この人は、僕なんかよりよっぽど、中隊長や死んでいった将兵たちと絆も思い入れもあっただろうに、僕を責めず、それどころか慰めすらした。
たとえその背後に、せっかく獲得した【英雄】の不興を買うまいとする打算があったとしてもだ。
僕にかけたその言葉はきっと、嘘じゃなかった。
なら、僕も嘘の一つを明かそう。
──もちろん、打算の上で。
「少佐どの、私は少佐どのにお話ししなければならないことがあります」
「なんでぃ、急に」
しゅるり、と僕は唐突に、頭に巻いていたターバンを解いた。
露になるのは、金の髪。
「っ!? お前、それは……」
「ご覧の通りです。私は、貴族の血を引いています」
……僕が無数抱える秘密の内で、もっとも明かす上で不利益が少なく、しかしながら厄介なのが、この金の髪だった。
というのも、僕が貴族であるというそれだけでは、僕が王子だという事実にたどり着くことはできないだろうし、ましてや僕の正体が世間一般でニンゲンの敵だとされる【魔】だなんてわかりようもないからだ。
一方で、この髪のことはすでに平民科五組のクラスメイトたちは知っている。また、ヴィットーリオはじめクリルファシート兵相手には惜しげもなく見せつけた。クラスメイトたちが軽軽に僕の秘密を口走るとは思えないし、クリルファシート軍からこちらにストレートに情報が入ってくるとも思わないが、秘密を厳守するには心許ないくらいには流布してしまっているといえる。
リスクとしては、ヤリアから無事戻れた時の話がひとつ。平民に偽装してた貴族の士官候補生、なんて噂が王子の耳に入った日には、ほぼアウト。僕の存在がバレる。
さらに、軍における貴族と平民の確執、という問題もある。五組のみんなは割合にあっさりと受け入れてくれたし、中隊長たちもこのことには頓着しなかった。そういう意味では大きなリスクではないという言い方もあるかもしれないが、しかし軽視していいものでもないのは間違いない。
これらを踏まえた僕の決断は、隠すべきではない、ということだった。正確には、隠しきれない、か。下手に隠し通そうとしてバレたときのリスクは多大だ。一挙に信用を失う。
であれば、あとはタイミング。
最もリスクが少ないのは?
最もダメージが少ないのは?
そう考えたとき、鍵になるのはクントラ中佐だと僕は考えた。平民出身の軍人の間ではまるでヒーローのような扱いの彼は、高いカリスマ性を持っている。
中佐が黒と言えば白も黒……は大袈裟にしても、グレーを真っ白か真っ黒にできてしまうくらいには影響力がある。
だから、僕ははじめ、キュリオ少佐もエヴィル少佐もラグルス少佐もみんな無視して、クントラ中佐の心証だけを斟酌しようと思っていた。
しかし、実際に会ってその印象は少し変わった。
影響力の過多ではない。
中佐が思いの外部下を深く信頼していたことだ。
それを見て、僕は方針を少し変えることにした。
中佐の信頼する幹部の誰かを籠絡し、彼らから中佐にアプローチをかけさせる。これは奇しくも、小一時間前にマサキに言ったことと同じだ。僕が貴族であると僕から直接言うよりも、中佐が信頼する誰かから伝え聞く方が心証は良い。間違いなく。
クントラ中佐の直属になるか、キュリオ少佐の下につくかと聞かれて後者を選んだのもそのためだった。
そして今、思いの外早く、蒔いた策略の種が結実した。
唖然とした表情で僕を見つめる少佐。そこには不信も嫌悪もなく、ただ驚愕と困惑だけが見えている。
「ですが、少佐。私は信じていただきたい。私は仲間のために戦いました。それは、この先も変わりません。どうか、私が【英雄】として戦うことを許していただけませんか」
平時であれば。
彼とて疑いの一つは抱いたことだろう。
ついさっきまでの幹部を集めた軍議で言い出しもしなかったことを自分にだけ告げるのか、と。
だが、今は。今だけは。
死した仲間のことを語り、弱音を吐いた僕に好機とばかりに慰めの言葉をかけ、僕の信頼を得たと思っているこのときであれば、僕の告白もまるで不自然には感じられない。
それだけじゃない。
中隊長たちの話をして、心に隙ができるのはなにも僕だけじゃない。
いや、むしろ僕なんかよりもよっぽど、キュリオ少佐の方が彼らと心を交わしたことだろう。
喪った友を想うその心は、今は、ひどく────弱い。
「あ……ああ。もちろんだ。俺はお前のことを信じてる。だが、これを俺一人の胸に収めるってのは無理だ。わからぁな?」
「はい。当然のことです。中佐どのやエヴィル少佐、ラグルス少佐への情報の開示はキュリオ小佐のご随意になさってください」
「悪いな。ボスには俺から言っておく」
「はい。重ね重ね、ありがとうございます」
深々と頭を下げた僕の顔は、きっと悪辣に嗤っていた。




