050 指揮官と兵卒と
「ただいま戻りましたぜ、クントラ中佐」
「ご苦労、キュリオ。どうだったかね?」
ウェルサーム国、ヤリア山地砦。
その最上階に設けられたヤリア方面軍総司令部に入った俺は、三人の男が顔を付き合わせて頭を悩ませているのを見た。
その中心にいるのが、俺たちのボスであり、ヤリア方面軍総司令官、クントラ中佐だ。ウェルサーム北方に位置する大国、ナローセル帝国と十年以上対峙し続けた叩き上げの将で、それだけでなく平民出身としては珍しく政治力にも秀でており、このところ大きな戦争がなかったウェルサーム軍では珍しくめきめきと出世している軍人だった。実際に、平民出身者の中では最も階級の高い人物でもある。
報告とともに、俺自身もその輪に加わる。
「ひどいのは士官候補生でさぁね。他は、まあ、悪くないんじゃないですかね」
「仕方あるまい。彼らはここに来られた部隊の中では被害が大きい方だし、初陣でもある。士気が低いのもやむを得んさ」
「だがそれじゃあ困る。奴等にも戦ってもらわなくちゃならない。でしょう?」
「心苦しいことだがな。エヴィル、資材の方はどうだ?」
「はい、報告します。食料や燃料、矢その他の物資は概ね十分な量があります。ただ、足りないものが一つ」
「水か」
「ご明察です。元々持ってきた分が一定量はありますし、雪を煮沸して飲むこともできます。いますぐどうこうというものではありません。しかし、真っ先に枯渇するのは水でしょう」
「確保は?」
「難しいですね。運を天に、といったところですか」
「近くに川か何かねぇんか?」
「無いことはありませんが、普通に考えればクリルファシートは見張っているでしょうね」
「川は長ぇ。その全てを見張るのは無理だろぃ。少人数でその隙間を突けば……」
「道理ですが、敵の監視を潜り抜けられるほどの少人数でどれだけの水を運搬できると?」
「むぅ……」
エヴィルの反論は的確で、反対の論理は思いつかない。
だが、窮まった現状をどうにかするにはなんらか思い付かなければ話にならない。
中佐はふむ、と声に出して一度俺とエヴィルの会話を切り、
「ラグルス翁はどうお考えか?」
「水のことか? それとも戦自体の話かの?」
「どちらでも」
「水はどうしようもないのう。一番の期待は雨、次点で援軍だの。気象データは?」
「ありません。気候が安定しない以上、あっても仕方ないと思いまして……」
「ま、坊のその判断は責められんの。あったところで役立つかはわからんものな……」
「ってーと、一番は援軍になるか?」
「それも怪しいもんじゃな。わしらの現状が中央に伝わるのがいつだ? そもそも伝わったとして、援軍とか出るんかの? この僻地に? 取られても別に惜しくないじゃろ、ここ」
「爺さま、それは……」
「事実だろう。それとも、キュリオの坊は異論があるかの? 中央の貴族様がわしらに兵を割いてくれるって?」
「坊はやめろっていつも言ってるだろぃ……」
ラグルスの爺さまは容赦のない結論を叩きつけてくる。
事実かも知れないが、爺さまの言い方は無情にすぎる。第三大隊、第四大隊を率いていた俺は、直属の部下を何人もそこに配していた。そして、そのほとんどは死んだのだ。あれだけの犠牲を出して逃げておきながら、その結果が物資不足でどうにもなりませんでした、ではあまりに救いがない。
「中佐はどうお考えですか?」
「キュリオには悪いが、私も翁と同意見だ。援軍は期待しない方が良いだろう。少なくとも、私が上の人間だったらヤリアに援軍は出さない。貴族と平民の確執やなにやら関係なく、戦略的な判断としてな」
「ですか……。ていうか、そもそもどうして編成されたんですかね、この軍団。ヤリア山地なんかに三千人も……」
「さての。お偉方のパワーバランスとかそんな話じゃろ」
「ボスに手柄を立てさせたく無かったとか」
「ああ、ありそうじゃの。こいつ、出世しすぎだし」
「私の出世の話は後にしよう。今はこの戦の戦い方を決めなければ」
「ってぇも、水が足りない、援軍は無いじゃあ……」
「降伏かの?」
「ッ!? 爺さまッ!」
「あーあー、お前の言いたいことくらい聞かんでもわかるわ。五百も六百も殺されといて降伏なんぞできん、という気持ちは分かるがな。だから、部下に死ねと言うのか? 助かった命をむざむざ散らせと? 兵卒はおろか、医者やコックに至るまでか。指揮官は時に部下に死を命じることもあろう。だがな、その死は無駄な死ではいけない。過去のための死ではいけない。勝利のため、仲間の命のため、民の幸福のため、未来に向かう死でなくてはいけない。先の戦いでの死はそういったものだった! 今のわしらの命は奴らの死があってのものだ。キュリオ、貴様は……」
「ラグルス翁、そのあたりで。話が逸れている。それに、私もいまのところ降伏は考えていない」
爺さまの言うことに何も言い返せず、言われるがままの俺をフォローするように、ボスが爺さまを止めた。
爺さまは数秒前まで激昂していたのが嘘のようにいつものけろりとした表情に戻り、
「ま、そじゃろな。数の上では無理な戦じゃあない。雨も降るかもしれんし」
「……奴等だって暇じゃねぇこった。ヤリアに大軍割いてるのはどうしたって無駄。したらば、こっちが粘っていれば引くかもしれね」
「ああ。私の意見も翁とキュリオに同じだ」
中佐が鷹揚に頷き、エヴィルも小さく会釈をして賛同を示した。
話がまとまりかけた、その時。
「失礼します! 報告、よろしいでしょうか!?」
「なんだ、敵襲か!?」
扉を激しくノックし、一人の若者が入室してきた。この顔は見覚えがある。確か、エヴィルの副官だったか。
……第五大隊を任されていたエヴィルの部下たちのほとんどはクリルファシート軍から俺たちを逃がすためにあの場に留まっていた。彼らの命がまだあると考えるのは楽観的すぎるだろう。
翻ってこの男は、エヴィルの部下の中では数少ない生き残りであり、すなわち、他に人員が居ないから繰り上がって副官、という立場の奴だった。
棚からぼたもち、などと不謹慎なことも思われるが、実際、突然階級が三つも四つも上の指揮官の直属にされるなど、よほどその上官が人格者でもない限り、真っ平ごめんだろう。
そして悲しいかな、エヴィルは二十五才という驚きの若さで佐官に昇進し、平民出身の最年少佐官という称号を持つ飛び抜けて優秀な男であるがゆえか、他者にも自分と同じレベルを求めがちであった。
端的に言って、部下に厳しい上官だったのだ。
「い、いえ、敵襲ではありません! ただ、その、ご報告申し上げた方がいいと考えまして……」
「軍議中だと伝えてあったはずだぞ! 緊急の用事以外は入室するな、とも! 貴様の判断は私の命令よりも上等なものか!?」
「まあ、いいじゃぁねぇか。その軍議もおわるとこだったろぃ。何があった? 言ってみ」
部下を厳しく叱責するエヴィルを宥めつつ、すっかり萎縮してしまっている可哀想な成り上がりに先を促す。
「は、はい! 失礼します、少佐! 先程、私のもとに士官候補生の一人がやって来まして」
「士官候補生ではない。今は彼らも一兵卒だろう!」
「細かいこと言うない。俺だってそう言うさ。分かりやすいからな。で、そいつが何かあったか?」
「はい! 彼は、自らを先のクリルファシート軍との戦闘の生き残りだと自称しました!」
「なんだと!?」
ここまで事態を静観していたボスが思わずといった風に声をあげた。
要領の悪い部下に苛ついていたエヴィルや、いつも飄々とした表情を崩さないラグルスの爺さま、ましてや俺はもちろん、その場の皆が驚きを表した。
「ほぅ……なるほどのう、まさか……いや、面白い。その士官候補生とやらは? 今どこに?」
「はい、彼は私の報告が終わるまで、その扉の向こうで待たせてあります」
「そうか。なら、すぐにでも会って話を聞こう」
「は、かしこまりました。ただ、その前にもう一つ、彼に関して報告がございまして」
「もう一つとは?」
「その……直接聞いた私も半信半疑なのですが、彼は、自身は【英雄】である、と」
「「「……はぁ?」」」
◆◇◆◇◆
「……長々と手伝ってもらって悪かったね、アーク君、マサキ君」
「いえ。俺たちでできることなら」
「ありがとう。君たちこそ大変だろうに……。今日のところはこちらはもう大丈夫だ。君たちは戻って休むといい。シルウェ君も、お疲れ様。君も今日の仕事はもう終わっていい」
「はい、ドクター」
「では、失礼します、ガルド大尉」
「ドクターと呼びたまえ、アーク候補生。……また明日。明日が今日よりもましな日であることを祈って」
疲労と心労の隠せない声色で、ドクターガルドは呟いた。
ドクターの願い通りの明日が訪れるかはわからないが、その気持ちは僕も同じだ。
ドクターに会釈をして、僕らは衛生科の病床を後にした。
「あー、つっかれたぁぁぁ……。今日はもうとっとと寝ちまおう」
「うん、それがいい。部屋だのベッドだの上等なものはないだろうけど……。ああ、そういえば、シェーナの寝床はどうなってるの?」
「私は女性ということで個室を頂きました。後方支援の私がこのような待遇に与るのは心苦しいのですが……」
「そっか。気にせず厚意には甘えておくといい。まさか味方相手に不逞を働く輩がいるとは思わないけど、状況が状況だ。誰もが極限状態にある。気をつけておいて損はないよ」
「きっと上の人もトラブルの芽を事前に摘めてラッキー、くらいに思ってますよ! シルウェさんが気にすることはありませんって!」
「……はい。ありがとうございます」
シェーナは僕らの意見を聞いてもまだ申し訳なさげではあったが、それ以上強弁することはない。
そうしてくれた方が僕としても安心できる。もうリューネもいないわけだし。今のシェーナが最早そこいらの人間では相手にならないくらい魔法に長けた【神】の成りかけだとしてもだ。
「それじゃ、二人ともおやすみ。ちゃんと寝てね」
「っておいおいおい! お前はどこ行く気だよ?」
「僕はほら、報告をしないと」
「報告?」
「上官にさ。生きて戻ってきました、って」
「そんなことわざわざ……」
「ま、普通なら部隊再編の時にこっそり紛れ込めばいいだけかもしれないけどね。でもさ、僕ってば【英雄】だから。自分で言うのもなんだけど、僕の戦力としての価値は大きい。上の立てる作戦だって変わってくる」
「……お前、ホントに【英雄】だったんだな」
「ああ。今まで隠しててごめん」
「いや……それは別にいいさ。隠し事の一つや二つ、誰にでもあるもんだ。単純に驚いてるだけだ。けど……隠してたからにはそれなりの事情があるわけだろ? いいのか、上にバラしちゃって」
マサキのその言葉には嘘や誤魔化しはない。
マサキは本当に僕に怒っても失望してもいない。それどころか、僕に慮ってくれる。
これは僕の勝手な想像だが、マサキ自身、何か秘密を抱えているのかもしれない。
「こんなことになってなお【英雄】の存在を明らかにしないのは無理だろ? そもそも、敵方にはもう知られちゃってるわけだし」
「そうか……そうだよな。しっかし、そーなるとお前、士官学校での訓練とか一人だけ余裕綽々だったのか!?」
「あ、気になるのそこ?」
「当たり前だろ! マラソンとか! 地獄トライアスロンとか! 【英雄】との模擬線とか!」
「あ、トライアスロンの時は僕でもヤバかったよ。【英雄】でもヤバイ訓練でよく君たち生きてるなって思ってた」
「なら他は手ェ抜いてたんだな!」
「やっぱり、リールとの戦いとかは本気出しちゃダメじゃない?」
「知るかぁぁぁあああ! バーカバーカ! ずるっこ! 他のやつらにも言いふらしてきてやる!」
「……ああ、ありがとう、マサキ。なら、このことは君からみんなに伝えておいてくれ」
「……いやいや、そういう話の流れじゃなかったろ?」
「そういう流れだったさ」
「……あいつらは、お前が【英雄】だって知っても別になんとも思わないぞ」
「僕もそう思うよ。でも、間に入ってくれる誰かがいるといないとじゃ、やっぱり違うだろ?」
「さてな。あ、でも、お前が一人だけ訓練で楽してたのについてはみんなキレると思うけどな!」
照れくさかったのか、顔を背けたマサキは早口でそう言い捨て、足早に去っていった。
「さ、そういうことだから、シェーナも部屋に……」
「若様」
うっすらと微笑んでシェーナは僕の台詞を遮るように呼びかける。
続く言葉なんて聞かなくてもわかる。
一緒に行きます、だ。その次は、私は貴方の【神】ですから、っていつものやつ。
これを言ったシェーナはそうそう譲らない。そのくらいのことは僕ももう学んだ。
「……分かったよ。ついてきてくれ、シェーナ」
「はい。どちらへでも」
……まあ、指揮官に、ヤリアにはいないはずの【英雄】だとか名乗れば面倒なことになるのは目に見えている。何かの時のためには一緒にいた方がいいかもしれない。
僕はそんな感じの適当な理屈で自分を納得させると、上階に続く階段へ向かって歩き始めた。




