表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/112

005 絶望と希望と

 がたがたと、揺れながら馬車が進む。

 私は十人の賊が乗り込む馬車の真ん中で、両腕を後ろ手に縛られ、拘束されていた。

 もう一台──村では分からなかったが、賊は二台の馬車で来ていたらしい──後ろに続く馬車にはだいたい同じ数の賊が乗っている。


「おい、ジャック! こいつだぜ! 今回の目標よ!」

「おいおい、こりゃあ、マジかよ! あの命令書、ギャグじゃなかったなァ!」

「ってわけで、賭けは俺の勝ちだよなぁ?」

「チッ、覚えてやがったかよ! 一万だっけか?」

「三万だろ、バァカ!」

「ったく、ケチくせぇ野郎だな! おら、持ってけ!」

「へへ、毎度!」

「ったく、面白くねぇなぁ……。なぁ、兄貴! この女、ヤっちまっていいんだよな!?」


 ジャック、と呼ばれた賊の一人が声をかけたのは、村で私と話をした男だった。

 これまでのやり取りを見る限り、この『兄貴』が集団のリーダーらしい。


「堪え性がねぇのはお前の悪い癖だぜ、ジャック」

「兄貴が出る前に言ってたろうがよ。その女に手ェ出すのはもう一度国境を通ってウェルサームまでちゃんと戻れてからだっつの」

「なーんでだよ、兄貴! おりァ楽しみはどんどん済ませたいタイプなんだよ!」

「オメェは本当に俺の話を聞いてねぇなぁ……。この女は【神】の娘だぞ? いつその親玉が襲ってくるか、わかったもんじゃねぇんだ」

「いやそりゃあ聞いたけどよ、兄貴は対策も出来てるとかなんとか……」

「やった、つうか情報を持ってきたのは俺じゃなくて上だけどな。まァ【光輝の女神】の『誓約』ってのは確かな話みてぇだ」

「なら……」

「ジャック、オメェは一度【神】を見た方がいいかもしれねぇな。……そんな余裕、吹っ飛ぶぜ」


 『兄貴』とやらのこのセリフだけは私も完全に同意できた。

 普段の母さましか知らない村の人なんかは否定するかもしれないけれど、二年前のリューネと相対した母さまは、実の娘でその上守護される側だった私でさえ恐怖を覚えるほどの底知れない威圧があった。


「それほど、なのか……?」

「そもそも今上手くいってんのがイレギュラー中のイレギュラーなんだよ。当のターゲットはなぜだか未覚醒、母親の【神】は『誓約』で動けねぇ、その上本来それを補う父親の【英雄】はとっくにお陀仏ときた。一つだけでも珍しい偶然が三つも重なった、言うなりゃ、奇跡、だな」

「【英雄】? って、なんだっけそりゃ?」

「ぎゃはは、兄貴、ジャックは馬鹿ですから、それじゃあわかりませんぜ」

「んだと!? ダグ、てめぇさっきの三万返しやがれ!」

「説明してやっから落ち着け、ジャック。【英雄】っのはな、【神】や【魔】と同じ超常存在の一つだ。【魔】が【神】を殺した人間の末路ってんなら、【英雄】は【魔】を殺した人間の栄光の極地。その力は当然普通の人間じゃ足元にも及ばねぇ。んで、今回はそこのターゲットの父親が、その【英雄】ってわけだ。たしか……そう、【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』」

「そ、そんなヤバいのもいるのかよ!?」

「馬鹿ジャック! 今兄貴が言ったばっかだろうが! そいつァもう死んでんだよ!」


 この『兄貴』の情報収集力は、はっきり言って異常だった。

 現役の【神】である母さまはまだしも、十二年も前に命を落としている父さまの名前と称号を知っている人なんて、世の中にもほんの一握りしかいないはずなのに。


「そ、そうか。でも兄貴、ずいぶん詳しいんだな。そんなんどうして……」

「ジャックっ!!」

「いいよ、ゴドム。この際だ、教えちまえ」

「若が、そう言うなら。……ジャック。実は俺や若みてぇな十年以上前からウチにいる奴はな、昔仕事で一度だけ【神】とやり合ったことがあんだよ」

「ゴドム、ありゃあ『やり合った』なんて言わねぇ。せいぜい『遊ばれた』ってとこだ。【爆炎の神】ギュルスアレサ。……あいつのお蔭で、親父も叔父貴もジョンもエリックも、みんな殺されたわけだしな」


 暗く真剣な『兄貴』の声音と言葉の内容に、件のジャックだけでなく馬車の中で比較的若い男は皆ごくりと喉をならす。

 が、当の『兄貴』だけはなんの気負いもなく、突然こちらに視線を寄越すと、私をねっとりとした視線で舐め回すように見つめた。


「だからよォ、そんな【神】の娘で存分に遊べるとあっちゃあ、俺も興奮が止まんねぇんだよ!」

「ひっ……!」


 思わず、ひきつるような悲鳴が口から漏れた。

 恐ろしい。

 無理に忘れようとしていた恐怖が、その反動のようにせりあがってくる。


「って、兄貴、そりゃあズルいぜ! 遊ぶのはウェルサームに戻ってからだって……」

「だから、そういうこったよ。俺も我慢してんだから、テメェらも我慢しろ。……ただまぁ、テメェらにちょっとだけ娯楽を提供してやるか! おい、ザック!」

「へい! なんでしょう、兄貴!」


 呼び掛けに返事をしたのは、ただ一人、馬車の中には居ない男……すなわち、この馬車の御者をしている男だ。


「ウェルサームのアジトまで、あとどんなモンだ!?」

「へい、一時間やそこらだと思いやす!」

「そぉかそぉか。一時間! 一時間だとよ、オメェら!」

「へへへ、こんなイイ女、街じゃ見ることすらできねぇってのに……」

「そりゃあ、これがこの仕事のオイシイところよ! にしても、【神】の娘ってのはハンパねぇな! 今までヤったどの貴族のご令嬢ともレベルがちげぇ!」


 最早私には、彼らが一体何を言っているのか、何をしようとしているのかを理解することさえ恐ろしかった。

 縛られた手では耳を塞ぐこともできず、思わず顔を伏せると、例の『兄貴』が強引に私の髪をつかんで顔を上げさせた。


「痛っ……!」

「今夜のパーティの主賓がそんなシケた顔じゃあいけねぇな! そォだ、世間知らずのお嬢ちゃんに俺たちがナニしようとしてんのか、まずはきっちり教えてやろうじゃねぇか。そうだな……ああ、ならまずはこれか。ほれ、これがそもそもの事の起こり。俺たちに下った命令書だ」


 ひらひらと、分厚い羊皮紙を私の眼前で振る。

 ……羊皮紙とは、たかが盗賊風情にしてはずいぶん贅沢だ。相手の『上』とやらはもしかしたら貴族なのかもしれない。だとすれば、たかがこの程度の規模の賊が父さまのことまで知っていることの説明がつく。母さまが来てくれたら教えないといけない。

 と、実現しえない妄想とともに、半ば現実逃避のように提示された情報を整理する。


「ターゲット、『【光輝の女神】ルミスヘレナ=アルウェルトの娘、シエラヘレナ=アルウェルト』。あんたのことだな。特徴、『一目でわかる絶世の美少女』。……これもいい加減ふざけた命令だよなァ。蒼みがかった銀髪とか碧の目とか、もっとわかりやすい特徴あんだろうがよォ!」

「っても、兄貴だってその命令書の特徴でピンときたんだろ?」

「その命令書書いたのがどのお偉いサンかはわかりませんがね、なかなかセンスありますぜ!」

「ったく、オメェらもターゲット見るまではぶつくさ言ってたくせによ」


 まァいい、と話題を一度切ると、『兄貴』は厭らしい笑みを私に向けて、もったいをつけるように命令書を片手で弄ぶ。


「肝心なのは命令の内容だもんなァ! お嬢ちゃんだって、気になるだろ? 自分が一時間後にどうなっちまうのか、ってさァ!?」

「兄貴、脅かしすぎですぜ!そいつ、今にも泣いちまいそうだ!」

「おいおい、そんなに怯えるこたァねぇよ。命令の内容は……」


 部下の指摘に、『兄貴』は急に声を優しげに取り繕う。

 そのままの声で、命令書の続きを読み上げた。


「命令内容。『ターゲット、シエラヘレナ=アルウェルトの惨殺』。は……ひゃははははは! 聞いたか!? 『惨殺』だ! 『暗殺』でも『抹殺』でもない、『惨殺』!」

「兄貴はいつだって惨殺じゃんか。こないだの仕事の指令は『誘拐』だったのに、ターゲットをみんなで三日三晩犯し抜いた挙げ句に殺しちまっただろ?」

「ジャック、ありゃあ俺が殺したんじゃなくて気が触れたオジョウサマが舌を噛んで死んじまったんだよ! あんなので『惨殺』なんて、口が裂けても言えねぇっての!」


 カタカタ、と歯の根が合わずに震えて音を立てる。

 今までの私の人生では話に聞いたことすらないほど残虐な行いを、程度の低い悪党にありがちな自慢話ですらなく、まるで日常のワンシーンのように平然と話すこの男たちが恐ろしくてたまらない。

 恐怖と絶望が体から溢れだしてしまったかのように、目からは涙がこぼれ落ちて袖の破れた上衣を濡らしていた。


「そんじゃあ兄貴、一体こいつはどうすんですかい?」

「そォだなァ……最初に犯すのと、最終的に両手両足切り取ってから腹ァかっさばいて引きずり出した内蔵でデコレートした死体をどっか人の多い場所でお披露目、ってのは決まりなんだが、途中はその場のノリだな」


 非現実的でおぞましい未来予想図を嬉々として語る男の口ぶりはしかし、まるで夕飯のメニューでも決めるかのように自然で、それゆえに現実感を私にもたらした。

 その言葉通りの末路を迎えた自分自身を克明に想像してしまい、堪えきれずに嘔吐してしまった。


「ぎゃっは! 兄貴、苛めすぎだぜ! こいつ、吐きやがった!」

「あん? はは、【神】でもゲロは吐くんだな!」


 『兄貴』の言葉に馬車に乗っていた賊の全員が下品に笑った。

 この男が先程言っていた『娯楽』というのは怯える私の醜態を見物することを指していたらしい。

 しかし、私には最早そのことに嫌悪や軽蔑を覚える余裕すらなく、すぐ後に訪れるであろう痛みや絶望をただただ恐怖しながら待つことしか出来なかった。


「兄貴!」

「あ? どうした、ザック!」

「なんだか道のど真ん中に変な奴がつっ立ってまさぁ!」

「ッ!? まさか、若い女じゃねぇだろうな!?」

「いえ、多分男だと思いやす!」

「脅かしやがって……。それなら構うな。どうせすぐにウェルサームに入るんだ、ここで一人二人轢き殺したってどうってこたァねぇ。それより今は一秒でも早く【神】から逃げるんだ。止まる暇もねぇよ」

「へい! わかりやした!」


 御者の男が『兄貴』に返事をし、話は終わった。

 しかしその数秒後。

 再び『兄貴』が私を嬲るために口を開いたまさにその時、馬車が急停止した。


「っ……! おい、ザック! 止まんなっつったろォが! …………。返事をしろ、ザックゥっ!」


 『兄貴』が何度も叫ぶが、つい数秒前まで忠実に馬車を運転していたはずの御者は突然に返事を止めてしまったようだった。

 一体何が起こったのか、私も『兄貴』も他の男たちも誰もわからないようだったが、とにかく様子を見ようと賊の一人が暖簾のように垂れている幌の端を捲って外に出ようとしたその時。

 ようやく、返事があった。


「ああ、ごめん。ザックって、もしかしてこれ・・のことだったのかな?」


 初めは、幻だと思った。

 賊に囚われ、自分の行く末には絶望と死だけが待ち受けているという恐怖で頭が変になって、つい大好きなあの人を思い出してしまったのだと。

 訪れたのは、いつも聞き慣れた声。

 十年前、彼と知り合ってからは毎日のように聞いていた、あの声。

 それは。


「レウ、さ、ま?」

「ごめんね、シェーナ。待たせたね。恐かったよね。もう大丈夫だよ。怪我はないかい?」


 幌を捲って馬車に入ってきたのは確かにレウ様その人だった。

 しかし、高貴な生まれゆえの美しい金髪も、端正な顔も、細身ながらしっかりと筋肉のついた体も。

 なぜかその全てを真っ赤に染めたレウ様は、優しい声で私に微笑みかけた。


「レウ様……!? どうして、なんで、うそ、そんな……」

「質問はちょっと後でもいいかな? ほら、僕も急すぎて全容を把握しきれてないというか……。それより、怪我は?」

「あ、は、はい。一応、大丈夫です。まだ、何も……」


 ゆっくりと馬車の中を歩いて私の元まで来たレウ様がしゃがみこんでそう問う。混乱した私はもっと言うことがあっただろうに、ただ質問にだけ素直に答えた。

 安堵したように微笑んだレウ様は、私の腕を後ろ手に縛っている縄を正面から抱き締めるように手を回して解こうとする。

 と、そこで突然のことにポカンとしていた賊たちが落ち着き、すぐに荒ぶり始めた。


「テッメェ! なんのつもりだ、コラ! 死にてぇのか!」


 腰に下げた段平を抜き放ち、大股でこちらに歩いてくる一人を見て、遅まきながら私にもあるべき焦りが戻る。


「レ、レウ様! 逃げ、逃げてください! 私は置いて! 私はだいじ……」

「馬鹿言うなよ、シェーナ。僕は君を助けにきたんだから。逃げたら何の意味もないじゃないか」

「オイ、テメェ! 俺らに手ェ出してタダで済むと思ってんのか! オラ、スカしてんじゃ……」


 賊がそう言ってレウ様の肩に手をかけた瞬間、彼の表情には幼い頃見たうすら寒い嗤いが形作られていた。

 しかし、それが私から見えたのは一瞬で、すぐにレウ様はその賊のほうを振り返って、私でも初めて聞くような乱暴な口調で言った。


「黙れ。囀ずるなよ、ニンゲン。お前こそ、僕のシェーナに手を出してタダで済むと思っているのか? ……まぁいいや。お前はもう『死ね』」


 死ね、と彼が声に出した途端、賊の男の体が崩れ落ちた。

 倒れ伏した男の目はぐるりと回って黒目が消えており、顔に生気はなかった。……死んでいる、のだろうか。まさか。ただそう命じただけで?


「さ、帰ろう、シェーナ。ルミスさんも村のみんなも心配してる。ああ、あともう一人。会えば君もきっと喜ぶだろう人もね」


 自らの体が私の吐瀉物で汚れるのも構わずに、レウ様は私をいわゆる姫抱きで抱えあげた。


「テメェ、チョーシくれてんじゃねぇぞ! 今ならその女置いてきゃあ命までは取らねぇからよ! オラ、女を渡……」

「汚い手でシェーナに触ろうとするな」


 ズドン、と二台の馬車が正面衝突したかのような爆音が鳴った。

 私に手を延ばした賊の一人をレウ様が蹴り飛ばした音だと気が付いたのは、数瞬遅れてだった。蹴りの衝撃は音から察した通りのものだったようで、賊は体のあちこちをあり得ない方向に折り曲げて息絶えていた。


「……シェーナの見てる前であんまり酷いことはしたくなかったんだけど……やっぱり、無理だ。ねぇ、シェーナ。ちょっとだけ、目と耳を塞いでてもらってもいいかな?」


 そういうレウ様の声は、やっぱりとても優しく安心できるものだった。

 だから私は彼の指示通りに目を閉じ、数時間ぶりに自由になった手で耳を塞いだ。

 するとやはり心労が大きかったのか、すぐさま疲れに似た感覚が体を満たし徐々に私の意識を奪っていった。

 いつの間にか私は気絶するように寝入ってしまっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ