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049 来る危機と過ぎた悲劇と

「そういうことで、リューネ。頼みがあるんだ」

「ええ、なんでも言って頂戴。クリルファシート軍を削ってきましょうか? 相手の【英雄】の数にもよるけど、うまくいけば今晩だけでも千人くらいはどうにかできるかも」


 しれっととんでもないことを言うリューネ。

 【夜の魔】は戦略的劣勢も単騎でひっくり返してしまう。最上位の【魔】の一人、と呼ばれるに恥じない力を持つ。

 実際、彼女ひとりいれば、少なくともこのヤリアの戦いは僕らの勝ちで終わらせることができるだろう。

 だが。


「それじゃダメなんだ。君にはアイシャたちのところに行ってきて欲しい。王都のそばにある、例の離宮にいるはずだから」

「アイシャの? ……ああ、援軍の要請ってこと? でも、それなら私がここにいる方が……」

逆だ(・・)、リューネ。君にお願いするのは、アイシャに絶対に援軍を出させないようにすることだ」

「はぁ!? ……貴方、やっぱりまだショックで正気を失ってるの?」

「いいや、僕は正気だよ。説明をしよう」

「ええ、よろしくお願いするわ」

「僕がいま最も警戒してるのはセリファルスだ」

「セリファルス=ウノ=ウェルサーム……第一王子、でしたね」

「レウが非常に高い評価をつけてた敵ね。珍しいことに」

「それは珍しい」


 そんなに僕の評価は身内贔屓に寄ってるだろうか?

 ……寄ってるのかもしれない。身内に甘い、という二人の批評は僕自身、否定しきれないと思っていることであるし。

 まあ、それはさておき。


「このヤリアの戦争がセリファルスが仕組んだものだとしたら、どこからか僕の存在があいつに漏れたってことになる」

「普通に考えればそうね……ッ! まさか、アイシャたちを疑ってるの!?」

「違う。セリファルスの性格的に、もし僕の存在に確信を持っていたらこんなに回りくどいことはしない。奴自ら、あるいは奴の【神】が直接僕を害しに来るはずなんだ」

「つまり、確信はない? 貴方の居所や目論みが完全に看破されてるわけではない」

「と、思う。おそらく、セリファルスのもとにあるのは断片的な情報だけだ。それをもとに、あいつは推理、推測を重ねて僕にたどり着いた。けど、あいつは本当に僕の居場所を当てたとはさほど思っていない」

「……もしかして、その断片的な情報というのがアイシャ様とミリル様の活動だと?」


 じっと考えこんでいたシェーナがゆっくりと思考を咀嚼するように口を開いた。

 頷きを返す。

 そう、僕の予想では、セリファルスはアイシャがヤリア方面軍を編成した様子を見て、その背景事情に僕の存在を見出だした。あるいは他にも理由はあったかもしれないが。

 ここでのミソは、セリファルス自身に確信がないと言うこと。

 正直言って、未だ至弱に過ぎない僕では隆盛極まるセリファルスに太刀打ちなどとてもできない。奴が僕を本気で潰しにきたらただ滅ぼされる他にない。

 だからこそ、王子から身を隠して力を蓄えることを当面の目的にしていたというのに、最悪なことに僕はよりにもよってセリファルスに見つかってしまった。

 絶体絶命の、窮地。


「……この状況で、唯一僕が突けるセリファルスの急所がそこなんだ。あいつが僕の存在に確信を持っていない。これならまだ、逃げ切れる可能性が残ってる」

「そのためには、アイシャに貴方を助けるような活動をしてもらうわけにはいかない。それは、セリファルスに情報を与え、貴方の存在に確信を持たせることに繋がりうるから」

「そうだ。納得してくれるね?」

「……理屈は通ってるわ。でも、このヤリアの状況は逼迫してる。ここから私が離れてしまったら、ウェルサームが勝つのは至難の技よ。貴方が無事でいられる保証はない。先々の敵の心配より、目の前を危機を重視するべきじゃないの?」

「逆だよ、リューネ。ここを君の力で切り抜けても、その先でセリファルスに殺されるだけだ。僕は今の危機よりもセリファルスの方が危険だと判断した」

「そう。わかったわ。貴方の判断を尊重しましょう。……今すぐに出発した方がいいのよね?」

「そうだね。ヤリアでの大敗北が王都に伝わるのは時間の問題だ。僕の現状を知ってしまったら、アイシャは動く。間違いなくね」

「私はそれより早く彼女の元に行って、動かないように伝えなくちゃいけない。……はぁ。説得に難儀しそうだわ」

「頼むよ、リューネ」

「仕方ないわね。任せなさい。ヤリアから王都郊外の離宮まで、およそ三日……いえ、二日二晩で辿り着いてみせましょう。往復に誤差一日を加えて、五日。五日で私は戻ってくるわ。だから、それまでは絶対に無事でいなさい」

「ああ。大丈夫、僕は生き残るのは得意なんだ。君の方も気を付けて。昼はもちろん、夜だって何が起こるかはわからない」

「そうね。肝に命じておくわ」

「レウ様のことは私に任せてください。何に代えても、絶対に守りますから」

「貴女もよ、シェーナ。貴女も、絶対に無事でいなさい。いい? 私が離れたせいで貴女たちになにかあったら私は泣くわよ。それはもう、子供みたいに情けなくわんわん泣くわよ!」


 あまりにも突飛で意外な『脅し』にシェーナは一瞬ぽかんとし、そして小さくくすりと笑った。

 ……リューネはもうさっきわんわん泣いたでしょ? とか言ってみようかとも思ったが、さすがにちょっと可哀想なので止めておいた。その時は僕は意識なくて直接その様子を見たわけじゃないし。


「さて、出ていくついでにクリルファシートの鼻っ面を叩いていきましょうか?」

「うーん……いや、止しておこう。ヤリアに本来いないはずの戦力がいる、っていうのもセリファルスから僕に繋がるヒントになりそうだ」


 ヤリア方面軍にはいないはずの【英雄】としてヴィットーリオと戦っておいて今更何を、といった風に思わないではないが、しかしリューネの埒外な力はたかだか偽【英雄】一人とは桁違いに目立つことだろう。この場合はもちろん、悪い意味で。


「なら、そのように。それじゃ、また五日後に会いましょう」

「ああ。また五日後に」


 リューネはまだ後ろ髪を引かれるようではあったが、それ以上言葉を重ねることはせず、『隠形』か『転移』か、この場から霞のように姿を消した。

 リューネがいない。

 そう自覚した僕の心にずんと重いものがのしかかる。存外、僕は彼女の存在に依存していたらしい。彼女の庇護下から外れた途端、不安になるというのはいろんな意味で情けない話ではあるが。

 小さく鋭く呼吸をし、思考を切り替える。

 ……五日。

 それだけ生き延びればよいというのは、おおむね容易いと言っても問題はないだろう。

 ウェルサーム軍とクリルファシート軍、数ではこちらが劣っているとはいえ、僕らにはこの砦がある。

 一般に、籠城する相手に対して、攻撃側は防御側の三倍の兵力を用意しなければ攻め落とせないと言われる。生き残ったウェルサーム軍およそ千人弱に対して──僕の大雑把な見立てによれば──クリルファシート軍およそ二千人。大雑把と言っても何割も間違えてはいないだろう。むしろ、非戦闘要員とされる兵員でも城壁から煮えた油や岩を落とすくらいは出来るだろうから、ウェルサーム軍はもう少し多く見積もっても良いだろうか?

 ともかく、クリルファシートはウェルサームの三倍の兵力にはだいぶ足りない。向こうにはヴィットーリオや、もしかしたら他にも【英雄】がいるかもしれないが、こちらには僕やシェーナがいる。

 数の上では、実はそう無理な戦いでもないのだ。

 問題があるとすれば……士気。数字に出ない要素だが、しかし戦を考える上で不可欠のものと言わざるを得ない。

 大隊二つもが全滅の憂き目にあい、士官候補生にも少なくない被害が出ている。

 他の大隊はわからないが、少なくとも士官候補生から成る第三大隊の士気は見るからに酷いものだった。


「レウ様。これからどうなさいますか?」

「……みんなのところに戻ろう。彼らと少し話をしなくちゃならない」

「はい。ですが……その、本当に、もう平気ですか?」


 具体的な言葉に欠けた問い。

 だが、その意図は伝わる。シェーナが心配しているのは、僕のことだ。

 ……平気とは、言いがたい。

 親しい仲間が死んだ。

 何人も死んだ。

 僕のせいで死んだ。

 それは割りきろうと思っても割りきれるものじゃない。

 命を落とした仲間たちの顔と彼らとの思い出が頭をよぎり、その度に胸が締め付けられるように痛む。

 けれど、僕は俯いてばかりはいられない。今も隣に立ってくれている仲間たちのために、前を向いて戦わなくちゃいけない。


「僕は大丈夫だよ。さ、戻ろう」


 僕の言葉を聞いたシェーナは、わずか目を伏せ、お供します、とだけ小さく返答した。

 部屋を出ると、すぐ先にはこちらを心配そうに見つめるマサキたちの姿が目に入った。

 ……情けない。僕と彼ら、仲間を喪った立場は同じだというのに心配をかけて。


「アーク……。大丈夫か?」

「ああ。少し取り乱した。迷惑かけてごめんね」

「迷惑なんてこたないけどよ」

「ありがとう。……それで、その……ベイムたちは、連れて帰ってくることはできたのかな?」

「いや……。俺たちも、逃げるのにせいいっぱいで」

「そうか。気に病まないようにね。君たちが生き残るのが一番大事だ。……なら、怪我をしたやつらのお見舞いをしたいんだけど」

「ここの一つ上のフロアが衛生科の病床になっていますから、傷病者の方は皆さんそちらに」

「わかった。じゃあ、少し行ってくる」

「お供します」

「あ、俺も一緒に行くわ」


 シェーナに続き、マサキがそう声を上げた。

 彼は隣に立つバークラフトに軽く視線を向け、


「バークラフト」

「ああ。こっちは見とく。行ってこい」

「では、こちらに」


 シェーナに先導され、階段を上がっていく。

 その途中ですでに、陰鬱な静寂に包まれていた一階とはまるで違った雰囲気を感じる。

 切迫した人々の怒号が鳴り響く。

 階段を上りきった先に広がっていたのは、一種の地獄だった。


「先生! 切断した足の止血を!」

「優先順位をつけろ! 助かる奴を助けるんだ!」

「水が足りない! 誰か持ってきてくれ!」

「痛い……痛い……誰か……誰かぁ……」

「おい! 気をしっかり持て! 起きていろ! 眠るな! 眠るな!」

「早く糸をこっちに渡せ!」

「包帯が切れた! 在庫はまだあるんだろうな!?」

「死体はよそに持っていけ! 治療の邪魔だ!」


 広々とした部屋には所狭しと怪我人が敷き詰められ、鼻が曲がりそうな生臭い鉄の臭いと垂れ流しの汚物や腐敗臭が充満している。

 ……ともすれば、半端に生き残ることは死ぬよりもつらいことなんじゃないかとすら思ってしまう。無数の死を見てきたつもりだったが、戦場に広がる死や苦痛は、王宮のそれとはまったく気色の違うものだった。


「ただいま戻りました、ドクターガルド」

「シルウェ君か! この手が足りないときにどこに行っていた!」

「申し訳ありません。私の判断で、手伝ってくださる方を探していました」


 ドクターの問責に真顔で嘘をつくシェーナ。僕のために抜け出してまで来てくれたのか、と感謝と罪悪感を覚える。

 手伝うことには否やはない。この惨状をただ見学するだけするのは流石に無理だ。

 表情が表に出にくいシェーナの嘘は見破りづらいようで、ドクターは剣幕を和らげた。


「む……そういうことならば……、っと、マサキくんか! 君が手伝ってくれるかね!」

「ええ。治療の方針変更のお願いをしたのは俺ですからね。そのくらいの責任は持たないと」

「治療方針?」

「焼き(ゴテ)での止血も、煮え油での消毒も、汚れた手での治療も、全部ナンセンスだって話さ」

「……君に賭けて良かったよ。患者の生存率が明らかに上がっている。あとは病を得ないかだが……」

「それに関しては圧倒的な効果があると思いますよ。手洗いと器具の洗浄だけでも十分に。……本当は、塩素水か石灰水があれば……いや、高濃度アルコールが精製できればそれでも……」


 ぶつぶつとなにごとかを呟いて一人の世界に没入するマサキ。

 ……要は、彼は医学にまで造詣が深い、という話でいいのだろうか。


「君は昨日顔を会わせたな。アーク候補生、で良かったかな? 君も手伝ってくれるのか?」

「はい。もちろんです。……ただ、その前に、ここにいる友人に会っても構いませんか」

「……ああ。シルウェくん」

「はい。若様、ご案内します」


 シェーナが教えてくれたカーターの病床は部屋の端の方。……重傷者の集まるエリア。

 そこでは衛生科の人たちが入れ替わり立ち替わり、誰かを運んできたり……あるいは、誰かを運んでいく。

 その中でカーターを見つけるのはすぐだった。

 目を閉じ、意識が無いようだが、わずか上下する胸の動きで生きていることがわかる。

 眠るカーターの体のあちこちには包帯が巻かれ、その怪我の重さを示しているが、特に顕著なのは、左腕と右足。

 無いのだ。

 どちらも、腕は肘の辺りから、足は脛の辺りから、その先に本来あるべきものがなにもない。


「ッ……!」

「……カーターは、ベイムを助けようとしたんだ。それで【英雄】の攻撃に巻き込まれた。でも、俺は見たんだ。最期の時、ベイムがカーターを突き飛ばして、それでカーターは命が助かった」

「……マサキ」

「大丈夫さ。きっと助かる」


 ……その言葉は自らを騙す幻想のようではあったけれど。

 今は幻でもなんでもすがりたい。仲間が助かるならなんだってかまわない。


「……戻ろう。向こうは猫の手も借りたいくらいだ」

「……うん」


 僕らは、胸のなかに不安と恐れを抱えたまま、衛生科の手伝いとして傷病者の看護に当たるのだった。

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