048 取りこぼしたものと望むものと
「体の調子はどう?」
「ああ、びっくりするくらい良くなった。急に良くなりすぎて逆に悪いぐらい」
「意味がわからないわ。悪くなってちゃ駄目じゃない」
「あはは、そりゃそうだ。うん、体の方は全く大丈夫だよ。君の魔法は完璧だ」
「そ。なら良かったわ。すぐに砦に向かいましょう」
夜。
日が落ちてすぐ、十全の力を得たリューネは真っ先に僕の怪我を治癒してくれた。
流石は【夜の魔】、一度軽々と魔法をかけただけで僕の傷を完璧に治してしまった。先程まで僕を苛んでいた、失血による寒気や思考の不明瞭もゆっくりと解消されていく。
僕の体調が万全になれば憂うことはもう無い。あとは砦に向かうだけだ。
先導するリューネに従い、道なき山林をえっちらおっちら登っていく。
陽も落ちきり、真っ暗な森の中はなかなか恐ろしいが、しかしまあ今の僕ならばクマだろうがイノシシだろうが恐れる必要はない。
しばらく歩いているうちに、灯りをいくつも灯した巨大な建造物が遠目に見えた。
おそらく、あれが砦だ。
「見えた?」
「ああ。あの様子ならまだ陥落してはいないね」
「そうね。一安心といったところかしら」
砦に近づき、確信を得る。煌々と輝く灯火が照らすのはまごうことなきウェルサームの旗。
また、意識を集中すればシェーナのものらしき【神】の気配もうっすらと感じとれる。
「で、どうやって中に入ろうか?」
砦の壁の上や内側の櫓からウェルサーム兵が鋭い視線を眼下に投げかけている。
クリルファシートの夜襲を警戒する必要もあるし、当たり前の措置ではあるのだが、いかんせん僕らが砦に入るには不都合だ。
まさか素直に名乗れば正面から入れてくれるなんてこともないだろうし。
「侵入なんてどうにでもなるわよ。でもまあ、一番楽なのは『隠形』かしらね」
リューネはそんなふうに呟いて、自身と僕に魔法を施した。
目の前にいるはずのリューネの姿が幻のように消え去る。『支配する五感』が構築する繋がりのおかげでなんとか位置をつかんで彼女の後を追う。
ときどき立ち止まってこちらを確認するリューネ。彼女からは見えているのだろう。
すぐに砦の壁の目の前へと至る。
≪さ、跳ぶわよ。『隠形』してるから音を聞かれても認識されないとは思うけど、念のため静かにね≫
了解の頷きを返し、砦の壁から助走距離を取る。十メートルを越えるほどの壁を垂直跳びで越えるのは僕には無理だからだ。
『隠形』は正しくかかっている……はずだ。夜のリューネがトチることはまず無いだろう。が、その効果のほどは自分ではわからない。少しばかり緊張しながら、走り、跳んだ。
果たして、リューネの魔法に不備などなく、目の前の宙を通りすぎた僕を見張りの兵はあっさりと見送った。
≪次は降りるわよ。魔法で下ろすから、抵抗しないでちょうだいね≫
自由落下すると音はともかく、地面に痕跡が残るしれない、とのこと。そのくらい気にすることはないかもしれないが、まあ砦のうちと外では気の使い方も変わるか。
されるがまま、魔法(風を操作しているのだろうか?)でゆっくりと砦の内側の庭のようなスペースに降り立った。こんな場所だというのに、花壇なんかも手入れされていて案外整っている。……いざというときには、ここにも防御陣地を築くことになるかもしれないが。
周囲に人目がないことを確かめ、僕の方だけ『隠形』を解いてもらう。
「さて、まずはどうしようか。やっぱり隊に戻るのが優先かな」
行動の優先順位を定め、歩き出す。
正直に言えば、僕にとっての最優先はシェーナだ。しかし、砦の内部の様子を見る限り、敵から攻撃を受けたようには見えないし、なにより【神】の気配を感じる。彼女は無事だろう。
……まあそんなのは所詮ただの理屈であって、本心では気がかりでたまらないというのが正直なところなのだが。
≪わかったわ。なら私はシェーナを探してきましょう≫
まるで僕の内心の葛藤を透視でもしたかのようにリューネが申し出た。
助かる。
言葉には出さず、目配せのみで謝意を伝える。
意図は正しく伝わったようで、『隠形』のままリューネはふらりといずこかへ消えていった。
さて、では僕の方も自分の探し人を訪ねるとしよう。
とはいえ、どうしたものか。マサキたちがどこにいるかなんて、僕にはまるで手がかりがない。その辺の兵隊に聞いてしまうのが最も手っ取り早くはあるが、不審がられる不安は拭えない。
「……いや、それも今更些細なことか」
もとより、今の僕はマサキたちから見れば、死地に臨みながら一人生還した自称【英雄】。胡散臭いことこの上ない。
そう考えれば、今更所属部隊の位置を聞く程度どうということでもないだろう。
見かけた兵士の一人を捕まえ、尋ねる。いかにも厳めしい歴戦の軍人といった風情の男だ。
「ごめん、ちょっと聞きたいんだけど、第三大隊ってどこにいるかわかるかな?」
「あん? なんだ、お前」
「部隊からはぐれちゃったんだ。知っていたら教えてくれると嬉しい」
「第三大隊は建物の中だったはずだぞ」
「そうか。ありがとう」
苦もなく情報を得、開け放たれた塔のような建造物の中へと入っていく。
……その中は、ひどい雰囲気だった。
集う士官候補生たちはみな一様に青ざめた顔色で深く頭を垂れるかのように顔を伏せている。
考えたくもない恐ろしい予想を頭を振って追い出す。きっと、初めての戦場に圧倒されてしまった、それだけだ。
少し歩けば、求めていた探し人はあっさりと見つかった。マサキやバークラフト、他にも見知ったクラスメイトたちはみなひとところに固まっていた。
彼らもやはり、他の士官候補生と同じように……いや、ともすれば周り以上に陰鬱とした雰囲気を纏っている。
「マサキ!」
「あ……アー、ク? アーク! おい、みんな! アークが戻ってきたぞ!」
「なに!?」
「おいおい、マジじゃねぇか!」
「なんで無事なんだ、お前! いや、なんでもいいか! 生きてて良かった!」
僕を見て心底驚いた様子のマサキだったが、すぐにパッと表情を明るくしてみんなに呼びかけた。
平民科五組のクラスメイトたちはすぐに僕のもとに集まって取り囲むと口々に喜びの声をあげた。
不審には思っただろう。訊ねたいことだってあるだろう。
でも、彼らはその全てをさておいて僕の帰還を喜んでくれた。その気持ちに嘘も偽りもなかったことだろう。それは僕にとっても嬉しいことだった。
……しかし。しかし。
僕はそんな仲間たちの様子に途方もない違和感と、言い知れぬ危機感を感じた。
まるで、無理に空元気を出しているかのような、痛々しさが言動の節々に滲んでいる。
…………それに。
「シルウェさんもここのすぐ上に居るんだ! お前のことをすごく心配してたから、すぐに会いに行くといい!」
「うん、そうするよ。けど、その前に、他のみんなにも会っておきたいな。ベイムとか、どこにいるの?」
しん、と一瞬にして場が水を打ったように静まり返った。
そう、その場に集う仲間たちの顔ぶれには、いくつか欠けがあった。
ベイムだけではない。カーター。トヴィ。シャガ。リンファ。他にも、何人も。
たぶん、クラス全体の三割弱くらいのメンバーが欠けている。
「……死んだよ」
「え」
「ベイムは死んだ。殺された。トヴィも、シャガも。ここにいないやつらの殆どは死んだ。カーターは、大怪我を負って、衛生科の治療を受けてる。ひどい怪我だ。意識もない。助かるかは、わからない」
「は……? え? な、なんで、そんな、」
沈黙を破るように口を開いたバークラフトからもたらされたのは、あまりにもショッキングな現実だった。
言葉の意味を理解することを脳みそが拒否し、しかし拒みきれなかった情報に、僕の口から漏れるのは意味の無い疑問符だけ。
頭を金槌でブッ叩かれたかのような衝撃を感じ、精神の平静すら失う。
パニックに、ぐるぐると視界が回る。
平衡感覚すらマトモではなく、ぐらぐらと足元が揺れる。
「【英雄】だ。クリルファシートの【英雄】が出た。赤髪の男。そいつが一人で何人も殺した」
「ッ! そん、な」
その正体を問うまでもない。
【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』。
僕が殺せなかった、逃げ出してきた、敵の名前。
絶望に、全身の感覚が薄れる。力が入らない。
ぺたん、と気づけば僕は脱力してその場に座り込んでしまっていた。
「うそだ」
「……本当なんだ。アーク。みんな、死んだ」
なんで。
どうして。
僕らは、僕や中隊長、それにあの場に残ったウェルサーム軍の、第四大隊と第五大隊の生き残りたちは、そんなことにならないために、せっかく拾った命を擲ってまで時間を稼いだというのに。
……違う。
僕が生きているじゃないか。
僕は、あの場で死なずに逃げてきたじゃないか。
──もし、あの時、あそこで僕が死ぬまで必死に時間を稼いでいたら、ヴィットーリオを足止めできていたら。
みんなは、死ななかったんじゃないか?
「……くのせいだ」
「アーク?」
「僕のせいだ! 僕が、あそこで退いたから! 逃げたから! いいや、違う! そもそも、僕がここにいるから! だから、セリファルスが! あいつが! 僕が居なければ、中隊長もあの人たちもッ! …………みんな、みんな、無事だったかもしれないのに……!」
「アーク!? おい、落ち着け! どうしたんだよ!?」
「若様ッ!」
「シルウェさん! 良いところに!」
「若様の、叫び声が聞こえて……! いったい、何が?」
「ベイムたちの……その、あいつらのことを告げたら、急に」
誰かと誰かが話しているのが聞こえる。
だが、その内容も何も頭に入ってこない。
──僕のせいだ。僕のせいでみんな死んだんだ。
僕をひどく詰る僕自身の声だけが無限にリフレインする。
「若様! 若様! 私です! 落ち着いてください!」
「僕さえ居なければッ……僕さえ……!」
「……っ! ……すみません。少しだけ、私と若様の二人だけにしていただけますか?」
「あ、ああ。場所は……」
「私の部屋にお連れします」
ぐい、と誰かが僕の体を引っ張りあげた。
そのまま引きずられるようにいずこかへ連れていかれるのを薄ぼんやりとした意識で辛うじて認識する。
ぱたん、と扉の閉じる音。
「リューネ。何か思い当たることはありますか?」
「……この戦争はレウの兄弟が仕掛けた謀略かもしれないって」
「レウ様が、そう?」
「ええ」
「そういうことですか……。……レウ様。レウ様。聞こえていますか?」
「シェーナ……?」
「はい。シエラヘレナです」
そうだ。
この声は、彼女のものだ。
僕に初めて平穏というものを教えてくれた少女。
僕のために【神】として仕えてくれるという、僕にとって一番大切な女の子の一人。
その安堵のせいか。情けなくも弱音が次々溢れ出る。
「僕は……僕のせいなんだ。僕が居なければ、セリファルスは仕掛けてこなかった。僕があそこでヴィットーリオから逃げなければ、みんなは助かった。僕が王になろうとなんかしなければ、こんな戦争、ハナっから起こらなかったかもしれない」
「たとえレウ様の言うことが全て真実であったとしても、私はレウ様に罪があるとは思いませんよ」
「…………」
「……そうでしょうね。そんな言葉では納得できないでしょう。でしたら、少し考え方を変えましょう」
「……?」
「この戦争で亡くなった方に、レウ様は責任がある。……私はそうは思いませんが、レウ様は思うのでしょう。その責任というのは、亡くなった方に対するものだけですか?」
そんなわけはない。
生きていても、生死をさ迷っているカーター。砦の外にはクリルファシートが布陣し、いつ攻めてくるかわからない恐怖に震える仲間たち。大切な戦友を喪った人たち。
その全員に、僕は責任がある。
小さく首を横に振って返答に代える。
「なら、レウ様が今すべきことは過去のことで自分を責めることではないはずです。この砦には、生きて、しかし窮地にいる人たちが居る。その人たちの現在と未来のために、戦うことではありませんか?」
「……戦う」
「もちろん、私は、いつでもどこでもレウ様にご一緒します。あなたの【神】ですから」
「……また僕のせいで誰かが死ぬかもしれない。君が村で襲われたのだって、僕のせいなのに」
「私の全てはレウ様のものです。私のことは何も気にしないで、レウ様はレウ様の欲するものを欲するままに、求めてください。それが私の望みで、それがきっとなにもかもがうまくいく一番の方法です」
やりたいようにやればうまくいく。
そんなうまい話があるものかと疑う気持ちが無いでは無いけれど。
僕は残った仲間たちだけでも救いたい。
結局、僕は僕のやりたいようにやるしかないのだ。
「……そのために、僕は今は前を向かなきゃいけない」
「はい。辛いことや、苦しいこともあるかもしれません。でも、私がいます。リューネもいます。もっと、私たちを頼ってください」
「……そうね。レウは少し一人で抱え込みすぎよ。仲間が大切なのはいいけれど、それが重荷になったら本末転倒じゃない」
絶望の霧が、晴れる。
心にのしかかる重石は変わらずあるけれど、しかし、いくらかその重みは減った。
過去を悔やむのは今じゃない。
今は、ここを生きて仲間と切り抜ける。
それは、その先の未来のために。
「……ありがとう、シェーナ。リューネ」
腹は決まった。
目の前の戦いのために、僕がすべきことを成す。




