047 現況と元凶と
突然の、暴力的なまでの閃光。
俺たちの視界を塗りつぶした真っ白な光が眼の裏側から消えたのは、たっぷり五秒もかけてからだった。
目の前にいたはずの、厄介極まりないウェルサームの【英雄】の姿はもうどこにもない。
部下たちが口々に戸惑いを漏らす。
「こ、これは一体……!?」
「逃げられた。クソッタレ! 固有魔法っぽい『洗脳』以外はショボい魔法一つきりしか使わねぇから油断してた! あんなかくし球を持ってやがったとはなァ!」
……いや。本当にそうか?
あの『閃光』が本当にいつでも使えたならもっと相応しい使いどころが他にあったはずだ。それに、仲間が殺された時のやつの絶望と諦念がフェイクには思えなかった。
そうなると……、
「あの『閃光』の術者は奴じゃなく、他にいる? やつを助けに来たもう一人の【英雄】あたりが? チッ! そのシナリオは最悪すぎんなァ……」
「ヴィ、ヴィットーリオ様、いますぐに周囲を捜索して、やつを追い詰めて……」
「よせよせ。無駄な労力と時間を費やすな。それより、お前らはさっさと隊列を整えて進軍だ。先に逃げたやつらを追いかけるぞ」
「し、しかし、この時間差では追い付くのは困難かと……」
「あァ、やっぱりか? チッ! 結局ウェルサームの奴らの思惑通りか!?」
苛立ちから、足元に転がるウェルサーム兵らしき躯を蹴りとばす。
本当に、腹立たしい。時間稼ぎを全うされて、しかも【英雄】も逃した。
手に入れたのはとるに足らない五、六百ぽっちの死体だけ。そんなものは奇襲が成功した時点で手に入って当然のもの。これを胸はって戦果などと、とても言えない。
「いや……。おい、マルコ! 軍の整理と進軍はお前がやれ!」
「は、はい! ヴィットーリオ様はお怪我の治療にご専念ください!」
「あ? ハハ、ちげぇよ。俺はお前らに先行してウェルサーム軍を追う。【英雄】の速度なら、まだ最後尾くらいには喰らいつけるかも知れねェだろ?」
「なっ! それは……! 負傷なされているのに、無茶です!」
「包帯は巻いたさ」
「そんなものは応急処置です!」
「だがこれじゃあ俺たちイイトコなしだろう? あの死兵どもと【英雄】に一杯食わされたまんまだ。俺は我慢ならんね」
「しかし……」
「んな心配すんな。無茶だと思ったらすぐに戻るっての。深追いもしねぇしよ」
「……わかりました。ご命令と思って従いましょう。ご武運を」
深く頭を下げて礼をとるマルコに、軽く手を振って応えると、俺は勢いよく走り出した。
◆◇◆◇◆
「──ウ! レウ! お願い……眼を覚まして……!」
「っ……ぅ……?」
「レウっ!?」
「リュー、ネ?」
「ええ! ええ! よかった……!」
「ここ、は……」
ゆっくりと瞼を上げる。
真っ先に視界に入ったのは、艶やかな黒髪の美しい少女。リューネ『ヨミ』。
次に見えたのは、緑の木々。空を塞ぐように覆い繁るそれら。ここは森なのだろうか?
「『転移』で逃げてきたのよ。ここは山道から離れた森。大人しくしていればクリルファシート軍にも見つからないと思うわ。それにしても貴方、無茶しすぎよ! あんなところに一人で残るなんて……!」
リューネの言葉を聞いているうちに、僕の置かれた状況が徐々に脳裏に蘇ってくる。
そうだ。
僕は中隊長やウェルサームの正規兵たちと、仲間を逃がすために戦場に留まって。
みんな、あの場で死ぬことを決めていて。
それで……死んだ。
きっと、一人一人、一秒でも長く時間を稼いで死んだ。
中隊長も死んだ。冗談を言い合った彼も死んだ。僕とヴィットーリオの間に割り入った彼も死んだ。僕が貴族だと知ってなお、その命を託してくれた誰もが、死んだ。
…………僕は?
「戻らなきゃ」
「え?」
「敵を止めなくちゃ……。一秒でも、ほんの僅かでも長く……」
「なっ!? 何を言ってるの!? そんなボロボロで、死にに行くつもり!?」
「それで仲間が救えるなら安いものさ」
「ふざけないで! 貴方が今更一人で戻って何ができると云うの!」
「……離してよ、リューネ」
ぎゅう、と僕の手首を強い力で握りしめるリューネに言う。
「離さないわ。絶対に離さない。……どうしてもあの場に戻ると言うなら、私を殺して行きなさい。それで貴方が救えるなら安いものだわ」
「……何を、馬鹿なことを……」
「馬鹿なことを言っているのは貴方よ! わからない!? まだわからないの!? 私は、貴方に死んで欲しくない! 私だけじゃないわ! シェーナも、ルミスヘレナも、アイシャも、ミリルも、貴方の仲間たちも! 誰が貴方が無駄死にして喜ぶというの!? ねえ! 答えてみなさいよ、レウルート=オーギュスト!」
怒りもあらわに僕に怒鳴るリューネをじっと見つめて、気づく。
赤く充血した瞳。
腫れた眼の縁。
何かを擦ったように皺の寄った袖口。
頬にわずかに残る涙の跡。
「……リューネ、泣いたの?」
「…………泣きもするわよ。だって、貴方は全身怪我のない場所を探すほうが難しいくらいボロボロで、私が助けた時にはもう血もいっぱい流してて……本当に、死んじゃうかと思ったんだから……!」
「……ごめん」
「ホントよ……!」
先程まで僕を脅迫的に締め付けていた自殺願望とでも言うべきものは、今や霞のようにいずこかへ消え去っていた。
強ばった全身から急に力が抜け、すとん、とその場に落ちるように座り込んだ。
「きゃっ!」
僕の手を掴んでいたリューネも引っ張られるように僕へと倒れこんだ。
僕の腕の中に小柄なリューネがすっぽりと収まる。
「あ、あの、レウ?」
「シェーナは? 彼女は、無事?」
「……確実なことは言えないわ。あの子と一緒に砦に入ってすぐ、私は貴方を助けに出てきちゃったから」
「なら、すぐに砦に向かわないと……!」
「私もそうしたいのは山々だけど、駄目よ。今下手に動いてクリルファシート軍に見つかったらおしまいだもの。貴方はボロボロ、私はさっきの『閃光』と『転移』であっさり魔力切れ。戦う間もなく殺されるわ」
「なら、山道から離れて迂回していけば……」
「それも駄目。言ったでしょ? 貴方は、いつ命を落としてもおかしくなかったほどの大怪我なのよ。道ですらない山登りなんてさせられないわ。一応、大きな傷は塞いだけれど……いえ、塞いだ、なんて言えないわね。せいぜい深い傷を浅くした程度。だから、絶対安静。……ごめんなさい。昼でももう少し私が魔力を使えれば……」
「いいや、君が謝ることじゃないよ。僕こそ、ごめん。無茶を言った」
「……ん。私が見たところ、砦の造りはしっかりしていたし、ウェルサーム軍の指揮系統とか士気にも問題は無さそうだったから、シェーナはそんなに心配はいらないと思うわ。いざとなれば、シェーナの魔法と『シルウェルの顎』があれば逃げ出すくらいはできるでしょう。なんにしても、動くのは夜まで我慢して頂戴。貴方の治療も夜になればできるから」
「そっか……」
ひとまず、そこは砦の堅牢さとシェーナを信じてほっと息をつく。
……あとは心配なのは、マサキたちだ。時間は十分に稼いだつもりではあるが。
と、未だ僕の腕の中に収まったままのリューネがきまり悪そうに身じろぎする。
「……あの、レウ」
「なんだい?」
「その……離してもらえる?」
「あはは、たまにはこういうのもいいでしょ?」
恥ずかしそうに縮こまるリューネに、けらけらと笑ってそう言う。
……本当は。
共に死地に臨んだ仲間が犠牲になり、にも関わらず僕一人が生き残った。
その哀しみと悔しさと情けなさと怒りと……そして、生き延びた喜びに、今にも泣き喚いてしまいそうで。
せめて誤魔化すために、リューネの体温を感じていたかった。
彼女は、強がって笑う僕の目をしばし見つめ、そうね、と一言呟いて僕に体重を預けた。
「それにしても……どうしてヤリアにクリルファシートの軍が展開してるのかしら。やっぱり、ヤリアの砦を攻めるつもりで?」
「うーん……。それは変だと思うな。ここはそんなに戦略的価値のある場所じゃないし……」
「でも、ヤリアを効率よく取れれば三千人のウェルサーム兵が手に入るじゃない? 捕虜とか、うまくいけばリターンはあるって考え方はない?」
「いやいや、それは結果論だよ。クリルファシート軍だって、まさかヤリアにウェルサームがこんな大人数を展開してるだなんて思って動いてないだろうし、きっと目的は別に……」
リューネの推測に反論をしていたとき、ふと頭に引っ掛かるものがあった。
なんだろう、これは。
クリルファシート軍の目的はヤリアの大人数のウェルサーム軍をどうにかすることではない、はず。
……何故そう思う?
それはもちろん、クリルファシートにヤリア方面軍の情報はないからだ。であれば必然、目的は他にあることになる。
……他の目的、とは?
不明。およそ、ヤリアにあの規模の軍を派遣するメリットはない。
……ならば、やはり目的はヤリア方面軍そのものということになるのでは?
再びそこに思考が戻ったとき、僕の脳裏を一つの記憶がよぎった。
「レウ?」
「ヴィットーリオだ」
「はい?」
「【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』。僕が戦ってた赤髪の【英雄】」
「ああ、あれ。あれが?」
「あいつが言ってたんだ。僕を見たときに、『ヤリアに【英雄】は居ないって話じゃなかったか?』って」
「それは……確かに、変な言い方ね。まるで、誰かからヤリア方面軍の内情を聞いていたみたい。兵卒の中にスパイがいるのかしら?」
それは可能性としてはありうることだ。戦争となれば、傭兵や民間人を軍に招き入れることになる。そういった人々は正規の軍人ほど身元を詳しく調べることができない。だから、そこを突いて敵国に情報要員を送り込むというのは常套手段だ。少なくともウェルサームはやっているし、クリルファシートだってやっているだろう。
だが……、
「それでも、このヤリア方面軍がこんな大所帯だっていうことや【英雄】の有無を事前に知るのは難しかったはずだよ。兵士たちだって実際に出発する段階になってようやく知らされたんだから」
ウェルサーム軍の一員として一度待機場所を発ってしまえば本国との連絡は容易ではない。
ヤリア方面軍の編成にそんな手の込んだことがされたのは、おそらくアイシャの工作の一種だったのだろう。ヤリアなんて僻地に大量の兵員を集めれば、民衆や軍部からの疑いの目は避けられない。
だから、ごく一部の人間だけに情報をとどめ、確実に僕を守ろうとしたのだ。
……今回は、それが裏目に出たかもしれない。
「スパイじゃないなら……裏切り者がいる? でも……」
「ああ。ヤリアの実態は一般人や普通の軍人は知らない情報だ」
「なら、裏切り者は国家の幹部ってことになるわよね? それ、まずいんじゃない?」
「そうだね。おそらく、この事を知ってるのは、軍でも最上位の将軍や大臣。それと彼らの腹心の部下も知っていたかもだ。ああ、それと忘れちゃいけない人たちが。王女二人は当然知ってるよね。計画した当事者なんだし。王に報告なしっていうのは流石にないだろうから、あいつも。あとは……」
「……王子! ウェルサームでも王に次ぐ権力を持つ彼らなら、知っていたかもしれない」
そういうことだ。
……つまりは、こういう疑惑が浮かび上がる。
まず、ウェルサームの首脳陣やそれに近しい者の中に、クリルファシートへヤリア方面軍の情報を流した裏切り者がいる。これは疑惑とかじゃなく、ほぼほぼ確定。
次に、その容疑者の中に僕の敵である王子が含まれている。真犯人が王子でないならば、考えても仕方ないとして、ここで考慮すべきなのは内通者が王子だった場合。
「そういうことしそうな王子は誰?」
「一番はクラシスだろうね。あいつは自分のことしか考えてないし」
他には、アンラとかいう僕の弟という可能性もある。僕はそいつのことをほとんど知らないし、まだ十を少しすぎた程度の幼い子供だということも考えれば、アンラがどう動くかはまったくわからないところがある。
逆に絶対にないのはケリリだろう。セリファルスに心酔するケリリは、セリファルスが唱えるように自分より国を第一に考えてる。
残るセリファルスとゴルゾーンも、国を売るような真似をする男ではない。
……でも。
「ふぅん。なら、そのクラシス……第三王子がわが身可愛さにヤリア方面軍をクリルファシートに売った、ってことなのかしら?」
「いや、それはないと思う。クラシスはそういうやつだからこそ、他の王子や王もあいつの権力の濫用には注意を払ってる」
だから、逆にクラシスのセンはない。
そうなるとやはり、容疑が強いのはアンラということになるのだが……。
「なら、レウもまだ犯人を掴みかねてるの?」
「そう、だね。論理的にこいつだ、っていうのはいない。でも……」
でも。
僕の直感が叫んでいる。
このやり口には覚えがある、と主張している。
……引っかかったのは、動機だった。
クラシスは馬鹿だし、クリルファシートから金をやるとか言われたらあっさり裏切りそうだからわかるのだが、他の王子にはそんな動機もない。唯一、アンラだけは王位継承争いで圧倒的に不利な現状を打破するために外患を誘致した可能性はあるから、そう言う意味で疑ってもいたのだが、しかし。
逆に、もしセリファルスやゴルゾーンやケリリに動機があるとしたらどうだろうか?
すなわち、ここでヤリア方面軍が壊滅すると、彼らにどんなメリットが考えうるだろう?
……決まっている。
僕だ。
レウルート=スィン=ウェルサームを殺すことができる。それは、十分なメリットだ。
そして、それを前提に容疑者を王子全員にまで広げれば、一人。
根拠など薄弱で、直感のレベルでしかないが、しかし。
「セリファルスだ」
「第一王子?」
「ああ。セリファルス=ウノ=ウェルサーム。このヤリアの戦いは、あいつが僕を殺すために仕掛けた謀略かもしれない」




