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046 覚悟と最期と

「ハッハァ! そんなもんかよ、ウェルサームの【英雄】!」

「ッ!」


 『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』を打ち破って調子づいたヴィットーリオは、僕が攻めていた先程の流れから一転怒濤の勢いで攻めかかってくる。

 それと同時に、同じように勢いづいたクリルファシート兵たちも積極的に僕に仕掛けてくるようになる。

 しっかりと警戒していれば雑兵程度から致命傷を与えられることはないが、意識を割きすぎればヴィットーリオの攻撃への集中が落ちる。

 致命になる攻撃のみに対処し、ヴィットーリオの攻撃をいなし続けるが、僕の体には細かな傷がどんどん増えていく。


「クソッ……!」

「余裕がねェなァ、【英雄】!」

「……ッ!」


 反論のひとつでもしてやりたいところだったが、本当に余裕がない。

 このままではジリ貧、行き着く先は無惨な死しかない。

 ……いいや。いいや! 諦めてたまるものか!

 決死に歯を食い縛り、敵を見据えたその時。


「全軍突撃! あの馬鹿な【英雄】を救ってやるぞ!」

「うぉぉぉぉおおおおお!」


 背後から、突如雄叫びが響いた。

 波濤のように殺到した集団の正体は、僕が攻めこむ際に後方に置き去りにしたウェルサームの軍人たちだった。しかも、その軍勢の中央辺りには見知った顔もある。

 その軍勢は僕とヴィットーリオの間に割り込むように突撃し、戦場を掻き荒らす。


「一旦下がるぞ、【英雄】! 仕切り直しだ!」

「……これはこれは、中隊長どの。遅いお着きで」

「フン、文句は後で聞いてやろう。今は俺に従え!」

「ええ。お言葉に甘えます!」


 そう、ウェルサームの軍人たちを率いていたのはつい数十分前に別れた中隊長だった。

 つい反射のように軽口を叩いてしまったが、この場面での助けはまさに願ってもないものだった。

 彼の言葉に従い、すっ飛ぶようにクリルファシート軍から距離をとる。

 僕が下がったのを見て、中隊長が指揮するウェルサーム軍も引き波のようにあっという間に下がってくる。

 二十メートルほどの距離を挟んでにらみあう両軍。お互いの陣営に【英雄】がいることを考えれば、あってないような距離ではあるが、しかし。


「点呼! 何人死んだ?」

「……報告。十一人、戻りません」

「……そうか。いや、【英雄】同士の戦いに割り込んでそれなら上等だ!」


 沈痛な表情で頷いた中隊長は、しかし気を取り直して全軍に発破をかける。

 彼らは、ウェルサーム正規軍の兵だと考えて良いのだろうか?


「中隊長どの、状況の説明を頂いても?」

「俺が貴様から状況を聞きたいところだがな。まあいい。まずはこちらから話そう。といっても、大して話すことはないな。遅れてやってきた俺が部隊をまとめて、間抜けにも苦戦している【英雄】を救ってやったというだけのことだ」

「良くわかりました。人数は? 何人いるんです? これ」

「百五十と少し、いや、今ので百五十は切ったか。百四十六人いるはずだ」


 本隊を逃がすためにここに残ったウェルサーム軍は総勢で六百人ほど。しかし、今ここにいるのは中隊長が言っただけの人数。その差の数だけ逃げ出したか戦死したというわけだ。可能な限り落ち延びてくれていれば嬉しいが……戦場に転がる骸の数を数えれば、概ね計算は合ってしまう。


「次はこちらが聞く番だ。貴様が戦っていたあの赤髪の男、アレはクリルファシートの【英雄】だな?」

「正確には神話教会の【英雄】だそうですが。【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』、と」

「忌々しい狂信者が。しかもどうやら、アレは貴様より強いようだな」

「ご冗談を、中隊長どの。邪魔さえなければあの程度容易く叩っ切ってやりましょう」

「口ばかりは威勢が良いことだ。……実際のところ、どうだ? ただの人間には【英雄】同士の戦いは読めん」

「一対一なら、相討ちまでは持ち込みます。意地でも」

「……貴様は使い潰すより逃げ延びる方が都合が良いのだがな」

「ははは、ことここに至ってそれは言いっこなしでしょう」

「フン、現実的に容易でないことくらいは承知している。さて、それを踏まえてどうする? 【英雄】、貴様は敵はどう出てくると思う?」

「……このままにらみ合い、というのは期待できないでしょう。それはこちらの思惑通りだ。なら、すぐに攻めてくる。弓で射かけてくるか……あるいは、ヴィットーリオ『ロゼ』が飛び込んでくるか、でしょう」

「前者は問題ないな。弓兵が前面に出ていない時点で曲射だろうが、狙いがつけづらく矢が散らばる曲射は今のように彼我の距離が近い状況では使えない。つまり、問題は後者。敵方の【英雄】が突撃してきたときだ」

「それは僕が止めましょう」

「それしかないだろうな。ならば俺たちの仕事は貴様の戦いに余計な邪魔が入らないようにしてやることか」

「……それに関して、お願いがあります?」

「うん? 何だ?」

「僕とヴィットーリオ『ロゼ』がぶつかったら、敵の部隊に一当てしてすぐに逃げてください」

「逃げろ? ハッ! 今更何を言う! 俺たちはここで死ぬぞ」

「はい。ですから、死んでください(・・・・・・・)とお願いしています」

「……ほう?」

「逃げる方向はどこでも構いませんが、一当てしたら敵を引き付けるだけ引き付けて…………死んでください」

「くくく……ははは……!」


 僕のその頼みを聞いた中隊長はいかにも可笑しそうに笑った。


「なるほどな。貴様はもっと仲間に甘い人間だと思っていたが、読み違えたか」

「…………すみ──」

「ああ、勘違いするなよ、【英雄】。死ね、と部下に命令できない士官などいらない。俺は貴様がそう言える男で良かったといっている」

「中隊長……」

「聞いたな、貴様ら! 俺たちは可能な限り時間を稼ぎ、死ぬ。だが、無理強いはしない。生きたいやつは今すぐここから砦でもどこへでも逃げろ。それを咎めはしない。責めもしない。生き延びることに理由も言い訳も必要ない! 生きることを願うなら、こんなところで死ぬな!」


 中隊長が味方にそう語りかける。

 しかし、誰一人としてその場を離れようとしない。

 薄く微笑みを浮かべた彼らは、ただなにも言わず、剣を掲げた。


「……ハッ! 馬鹿者どもが。だが……自らの命より仲間の命を重んじる馬鹿は、価値のある馬鹿だ」

「……僕も約束しよう。君らの死を必ず無駄にしないことを」


 まだクリルファシート兵はこちらに攻めてこない。冥土の土産にこの時間を贈ろうとでもいうつもりか。

 度しがたい慢心だが、僕らには都合がいい。


「……ところで、【英雄】」

「はい?」


 ふと、思い出したかのような、されど確信ある口ぶりで中隊長が僕に言った。


「貴様、貴族だったのだな」

「は……? え、なんで……?」

「気づいていないのか。頭だ」


 言われ、反射的に自分の頭に手を当ててみると、すぐわかった。

 頭に巻いていたターバンがいつの間にかほどけたのか切れたのか、跡形もなくどこかへ無くなっていた。

 ヴィットーリオと戦っていた時に違いない。


「あ、え、そ、その……」

「フン。狼狽えるな、みっともない。……確かに、俺たち平民は貴族を敵視している。だがな、仲間のために命を捨てようという輩を嫌うほど、偏執的ではない。仲間を思う心に平民も貴族もあるものか」

「……ありがとう、ございます」

「礼を言われることでもないな。……ああ、しかし。貴様の、名前。偽名だろう? どうせ」

「え、ええ」

「ならば、教えろよ。本当の名前を。それで許してやる」


 ことここに至って。

 僕は彼らに正体を隠そうとは思わなかった。もし彼らに裏切られるなら、それはもう構わないとすら思っていた。

 ……ああ、シェーナやリューネが言っていた、身内に甘いというのは僕のこういうところか。


「レウルート=オーギュスト。そう呼んでください」

「そうか。では、レウルート。お互いの、武運を祈って」

「できることなら、生きて再び」

「……そうだな」


 クリルファシート軍の先頭に立つ、赤毛の男。

 ヴィットーリオ『ロゼ』が、剣を抜き、そして。

 ギャァィン!

 飛び込んで来たヴィットーリオを迎え撃つように、奴の剣と僕のそれを交差させる。


「よォ、さっきぶりだな、ウェルサームの【英雄】!」

「中隊長!」

「全軍突撃! 軟弱な坊主どもなど鎧袖一触に殺し尽くせ!」


 僕らの横をすり抜けるようにウェルサーム兵が駆け抜けていく。


「おいおい、【英雄】(おれ)がいなければウェルサーム軍がクリルファシート軍に勝てるかも、ってか? ウェルサームの指揮官ってのは数も知らない馬鹿ばかりか?」

「ぬかしてろ。すぐに首が飛んで喋れなくなる」

「さっきまで防戦一方だったくせに、威勢ばかりいい!」


 ヴィットーリオはクリルファシート軍が敗けるとは思っていないらしい。僕さえ抑えておけば平気だと考えているようだ。

 その思惑は僕と一致している。僕もヴィットーリオをここに釘付けにしておきたい。

 口で言うほど攻撃的には動かず、むしろヴィットーリオを逃がさぬように、と細かくフェイントのような攻撃を入れ続ける。

 今までと異なった動きに、ヴィットーリオの表情に疑いの色が浮かぶ。


「てめェ、何を……」

「撤退! 撤退しろ! 退け、退けぇっ!」


 ヴィットーリオの問いを遮るように、中隊長の号令が響いた。

 ウェルサーム兵が撤退を始める。しかしそれは、軍隊として秩序だったものとはとても言えない、三々五々に蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げて行く。


「追えっ! 一兵たりとも逃がすな!」


 クリルファシート軍の指揮官らしき男が叫ぶ。

 勝利に沸いたクリルファシートの兵たちは熱狂したように口々に意味を成さない言葉を怒鳴り、バラバラに散開していく。

 狙い通り(・・・・)

 ヴィットーリオはすぐに気づいたらしく、表情にわずか焦りのようなものが浮かぶ。


「チッ、そういうことか! マルコ! 部隊を止……」

「おっと! どこに行く気だ? ヴィットーリオ『ロゼ』! 僕にもう少し付き合えよ!」

「クソッタレ。本命は時間稼ぎか。……いや、ンなこと始めからわかってた」

「負け惜しみはよせよ。クリルファシートの指揮官はそんなこともわからない馬鹿ばかりらしいぞ?」


 そう、あの場面でクリルファシートの指揮官は逃げ出したウェルサーム軍を追わせるべきではなかった。それは僕らの目的に付き合うことなのだから。

 もっとも、仮にクリルファシート軍が僕らを追わなかったなら、それはそれでゲリラ的に行軍する横っ腹に噛みついて時間稼ぎする腹積もりではあったが。


「面白い冗談だな。どうして俺たちが負け惜しむ必要がある? ああ、いいさ。時間はくれてやろう。だが、ここでお前らは全員殺す」

「……それで仲間が救えるなら安いものさ」

「ヒュウ! カッコイイ! ならとっとと死ねよ!」


 振り下ろされる刃をクロスさせた双剣で受け止める。

 武器越しに殺すべき敵を睨み付ける。


「その前に、お前ぐらいは殺さないとな」


 ヴィットーリオの剣を跳ね上げるように左に振り払い、空いた右の刃で切りつける。


「そいつがテメェの遺言だなァ!」


 なんと、ヴィットーリオは僕が上段から降ろした剣の腹を、籠手を填めた裏拳で叩いて反らした。

 攻守逆転。

 僕より素早く得物を手元に引き戻した【浄化の英雄】は息もつかせぬ猛攻を仕掛けてくる。

 僕が二刀であるおかげで手数に差があり、なんとか対処が間に合っているが、防戦一方。どこかに反撃の契機を見つけなければならない。

 何か。

 何か。何か。何か!

 必死に頭を巡らせる。

 ただ攻撃の主導権を得るだけでは駄目だ。今はウェルサーム軍を追って前線にいたクリルファシート軍は散らばっているが、後方にはまだ敵はごまんといる。そいつらが増援に来るのは時間の問題だ。あるいは、考えたくないことだが、ウェルサーム軍を掃討した奴等が戻ってくるかもしれない。

 そうなればもう、僕にヴィットーリオを殺すチャンスはない。

 今だけなのだ。

 今ここで、やつを仕留められるような逆転の一手を!

 ……それはまさしく、天啓と呼んで良かっただろう。

 以前リューネに見せてもらい、僕でも使えるかもしれない、と言われた魔法。ひそかに練習していたそれ。

 ふと、その存在を思い出した懐の一枚の金貨。

 拮抗した勝負のせめぎあい。

 そのすべてが噛み合った。幸運そのもの。


「『念動』」


 音もなく、王女の肖像を描いた一枚のコインが宙を舞う。

 それは、ほんのささやかな魔法。ごく軽いものを、人間の指数本分程度の力で動かすだけの魔法。ドア越しに鍵のサムターンを回す程度がせいぜいの魔法。

 だが。

 このギリギリの戦いの最中、コインの一枚が視界を塞ぐように飛んできたら、どうだろうか。

 ヴィットーリオの攻撃は遠近感を見失い、僕の目前を通りすぎる。

 初めてできた、明らかな隙。見逃すはずもなく。

 首を刎ねるつもりで横から薙いだ刃に、ヴィットーリオは腕を差し出した。

 鋼の籠手を割り、その左腕に深く食い込んだが、それまで。致命の傷には至らない。

 この機を逃すものかと追撃をかけようとするが、脱兎のように飛び退ったヴィットーリオに追い付けない。

 ……ああ、失敗した。最初で最後の機会を、逃した。

 危惧していた後方からの敵の援軍。それがついに到着した。数は……五百やそこら。


「ヴィットーリオ様! ッ! そのお怪我は!」

「あの金髪ヤロウにやられた。ウェルサームの【英雄】だ」

「お下がりください! そのお怪我は……」

「いらねェよ。言ったろう? やつは【英雄】だ。お前たちだけで殺せるか? いや、殺せたとして、何人の犠牲が出る?」

「ヴィットーリオ様……」

「やつは俺が殺す。だから、手伝え」

「お任せを。御名の元に」


 ……僕一人で殺せるのは何人くらいだろうか。十? 二十? もう少しいけるか? ヴィットーリオは手負いだ。今なら対等以上に戦える。なら、五十くらいは。だが、それまで。


「……ごめん。シェーナ。リューネ」


 小さく呟く。


「オオオオオオオオォォォォォオオオオオオオ!」


 未練を振り払うように、今も刻一刻とその命を散らしているであろう戦友を弔うように。

 叫ぶ。

 目の前の無数の敵に向かって、突っ走った。

 ……そこからは、記憶が曖昧だ。

 何人くらい殺したのだろう。

 極限の戦いを続けるうちに、曲芸のような魔法の使い方を会得したのは覚えている。

 それは、さっきの『念動』からヒントを得たものだ。戦場ではほんの一瞬の時間でも無限の価値を持ちうる。つまり、敵をほんの少しの魔力でほんの一瞬だけ支配するのだ。使い捨ての盾にするならそれで十分だし、一瞬の支配であればヴィットーリオの『浄化』も間に合わない。枯渇しかけの魔力の消費も抑えられる。まさに、この戦場にどんぴしゃりの戦い方と言える。

 だが、それにも限界はある。僕の体のあちこちにはいつのまにか無数の傷が生まれ、出血も無視できない域に陥りつつあった。

 片膝を地につけ、荒い息を吐く僕の目の前には、【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』。


「……ったく、よく殺してくれたよ、ウェルサームの【英雄】。だが、そろそろ年貢の納め時だな」


 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお! ──討ち取ったぞぉぉぉおおお!


「おっと、向こうも片付いたか。マルコのやつ、二百やそこらのウェルサーム軍にずいぶん時間かけやがって。ま、あの指揮官っぽいのを仕留めたならもう終いだな」


 ……死んだ?

 ああ、そうか。死んだのか。

 中隊長も、ウェルサームの兵たちも。

 …………じゃあ、僕もそろそろ死ななきゃ。


「うん? ああ、ようやく諦めたか。仲間が死んで、ってのはいかにもらしい(・・・)な。【英雄】。……んじゃ、あばよ。名も知らぬ【英雄】」


 ヴィットーリオが僕の首を刎ねようと傷のない右腕で剣を振り上げた瞬間──


 カッ!


 と。

 閃光が瞬いた。

 それは僕に訪れた天国の光……などではなく。

 あまりに強烈な光は、その場の全ての人間の眼を焼き、数秒間使い物にならなくした。


「レウ! 逃げるわ! 掴まりなさい」


 幻聴……ではないらしい。

 掴まりなさい、とか言っておきながら、彼女(リューネ)は僕を痛いくらいに抱き締めている。


「『転移』!」


 真っ白だった視界が、暗転した。

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