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045 新たな【英雄】と苦境と

「ひぃ! や、やめろ、やめて、ぐぎゃあ!」

「なんだ!? どうしちまったんだよ!? 正気に戻……クソッ!」

「おい、よせ、止めてくれ! そいつは、アーロンは悪いやつじゃない! 昨日だって、一緒に酒を……」

「お前も正気を失ったのか!? 殺せ! おかしくなったやつらはもう仲間じゃない!」


 阿鼻叫喚、と言うに相応しいだろう。

 数瞬前まで轡を並べて戦っていた戦友達が突然発狂したように裏切るのだ。

 クリルファシート軍の前線はパニックに陥り、反逆者にマトモな抵抗もできず殺されていく。

 一度に大量の魔力を消費した僕は、剣を杖のようにして体を支え、荒い息をつく。


「こ、これはいったい何事が……」


 今まで戦っていたはずの敵が突然反転して同士討ちを始めたことに困惑していたウェルサーム兵も追い付いてきて僕に問うた。

 彼らはクリルファシート軍に飛び込んで敵を殺し回る僕の姿を見ている。僕は味方だと判断してもらえている。


「僕はウェルサームの【英雄】だ。今は魔法で敵を操っているようなものだと思ってくれ」

「おお……! まさか、ヤリアに【英雄】殿が来てらっしゃるとは思ってもいませんでした!」

「ま、ちょっとワケありでね。ともかく、これで隙は出来た。君たちも逃げるといい。逃げ切れる可能性は高くはないけど、ここにいるよりはよっぽど生き残れる」

「……お言葉ですが、【英雄】殿。あの敵の同士討ちでどの程度時間が稼げるとお考えですか?」

「……十分(じゅっぷん)やそこら、かな」

「それでは友軍が逃げ切るのに十分(じゅうぶん)な時間とは言えません」

「…………」

「【英雄】殿が我々の身を案じてくださることは光栄です。ですが、我々はもう死地を定めました」

「……そうか。なら、一緒に戦ってくれ」

「ええ、いえ、【英雄】殿こそ、ご自愛ください。貴方一人がいらっしゃるだけでどれほどこの後の戦いが楽になるかわかりません」

「だからほどほどで逃げろって? 君たちを置いて?」

「はい。そうしてくださるのが最も味方を多く救える手段でしょう」

「約束はできないね、悪いけど」


 悪びれもせずにそう言うと、男は呆れたようにこれ見よがしにため息をついた。

 やれやれ、とばかりに首を振り、肩まですくめて見せる。


「まあ【英雄】ともあろう方が身命を投げ打ってこんな場所まで来ている時点で賢明なご判断が頂けないのはわかりきっていましたが」

「おいおい、愚か者はお互い様だろ?」

「いやはや、違いありませんな。ではお互い、せいぜいたくさん殺して味方を一人でも生かすとしましょう」

「ああ。じゃ、僕はもう一度切り込んでこよう」

「ご武運を」

「君もなるべく死ぬなよ」


 名前も知らない戦友と下らない冗談を交わして、最期の挨拶を贈り合う。お互い、次があるかもわからない身だ。

 大きく息を吸って、再び敵を見据える。

 僕が支配したクリルファシート兵もすでに半数以上が討たれ、敵方は態勢を整えつつある。

 一方の僕も、一度に大量に消費したせいで乱れていた体内の魔力を、わずかながら休憩を挟んだおかげでいくらか落ち着けることができた。底をついたつもりだった魔力も落ち着いてみれば多少は残っている。先ほどのような百人規模の支配は無理でも、十人程度ならまだ二、三回は支配できるだろう。

 まずは、立ち上がりかけの敵を再び切り崩すことだ。

 地を蹴り、ニンゲンの限界を越えた速度で接近する。

 支配した敵兵を操り、僕の姿を隠すための目隠しのように配置する。

 果たして、その目論みは上手くいき、敵方にウェルサーム側の【英雄】がいるという情報がありながら、二度目の奇襲に成功する。

 離反したクリルファシート兵を討とうとしていた正気の敵兵を下から振り上げる一刀で叩き切る。

 そして、力を失った両手からこぼれ落ちる敵の剣を空中でキャッチ。先ほど同様、両手に合わせて二振りの刃を携える。

 さっきは一本を投擲するために奪ったわけだったが、今度は違う。

 左手の一振りで一人の首を刎ね、右手の一振りで一人の腕を斬り飛ばす。

 右手の一振りで一人の肩口から肺へ刃を差し込み、左手の一振りで一人の胸を突き貫く。

 武器が二倍で殺傷効率も二倍。なんとわかりやすい。

 一人を敵の剣ごと叩き割り、一人を顔面から脳みそをかき混ぜ、一人を二度と立てないようにし、一人を唐竹に割り開き、残念なことに背骨の途中で刃が折れた。ためらいなく一本を捨て、手刀で一人の首の骨をへし折れば、すぐに次の剣が手に入る。ついでに鈍ってきたもう一本も逃げ出す敵の背中にプレゼントして、頭部を握り潰した一人から新調する。

 これでまた次の一人を殺──


「おーおー、好き放題やってくれちゃって」


 わずか耳に届いた呟きに、反射のように体が動いて剣を掲げていた。

 ギャイン、と鋼と鋼がぶつかり合う甲高い悲鳴が鳴り響き、衝撃が右腕に痺れとなって伝わる。

 飛び込んできたのは、軽薄そうな赤髪の色男。年は三十には満たないくらいだろうか。薄ら笑いを浮かべているが、その瞳には紛れもない強烈な殺意が浮いている。

 一瞬、鍔迫り合うが、押しきられそうになり慌てて剣を傾け敵の刃を滑らせる。そのまま左の剣を突き出すが、ひらりと舞う様に跳び退(すさ)った色男はなんなくクリルファシート兵の間に着地した。

 【魔】の僕と同等以上の膂力を持つなど、普通のニンゲンにはありえない。

 こいつは……、


「へェ……今のを受けて反撃までできるって、モノホンの【英雄】かよ。っかしーな、ヤリアには【英雄】はいないって話じゃなかったかぁ?」

「……お前はクリルファシートの【英雄】か?」

「ちょいと違うなァ。俺は神話教会第八聖禍隊所属、【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』。で? あんたは誰だ? ウェルサームの【英雄】さんよ」

「神話教会聖禍隊……生臭坊主の使い走りか」


 思わず舌打ちする。

 神話教会というのは、クリルファシートに本拠地を置く宗教勢力であり、全部で十二ある聖禍隊は神話教会の抱える直接武力だ。クリルファシート王国と神話教会は長らく内紛を起こしていたのだが、ウェルサームとの戦争に際して手を組んだというのは間違いないらしい。

 それにしても、厄介なことだ。聖禍隊は強烈な信仰心を身の内に宿した戦士たちの集まりだ。狂信者と呼んでも差し支えのないほどの兵士は死を恐れずに苛烈に戦う。【魔】を殺し、【英雄】になったほどの者となれば、なおさらだ。


「まァ枢機卿クラスでも政治ゲームと土地取り合戦に夢中なのがいるのは確かだけどなァ。しかし今回ばかりは仕方ないだろう? ウェルサームとクリルファシートはずぅっと仲悪いもんな?」

「神話教会とクリルファシートもずっと仲悪いだろうが」

「いやァ、俺たちは教会領をくれたクリルファシートに親しみを持ってるぜェ? ホントホント」

「戯言を。土地をくれた? 奪い取った、だろう?」

「ははは。ま、そんな建前の話はどうでもいーや。刃を交わそう。さ、名乗れよ。ウェルサームの【英雄】」


 そんな義理がどこにある。

 体勢を低く下げ、殺到するように疾駆する。右、左とタイミングを微妙にズラした連撃を仕掛けるが、ヴィットーリオ『ロゼ』は右を身のこなしで避け、左は自らが手にした剣で弾く。


「ッ!」

「名乗る気はないって? 困った困った。お前を殺した後の勝ち名乗りはなんて言えばいいのかねェ!?」

「ほざけ!」


 流れた刃を引き戻し、再びヴィットーリオに切りつけるが、今度はさっき以上に軽くいなされた。それどころか、【浄化の英雄】は上段から僕へと刃を振り下ろしてくる。

 右手の剣を一拍早く手元に戻し、しかし真正面からは打ち合わない。両手で一本の剣を握るヴィットーリオと右手一本で剣を操る僕では一撃の威力に差が出るのは当たり前だからだ。

 縦に振り下ろされる刃に直角からやや傾けた程度の角度でこちらも刃を当てる。僕の剣の端を滑るように落ちていくヴィットーリオの剣。力を弱めたところで外側へ勢いよく弾き出す。

 が、


「オラ、体がお留守だぜ」

「ぐあっ!」


 脇腹にヴィットーリオの蹴りが食い込み、吹き飛ばされる。万全の体勢で繰り出されたものではなかった為に致命的ものではないが、間違いなくダメージが体に蓄積する。

 追撃をもらう前に立ち上がり二本の剣を構え直す。ヴィットーリオはともかく、雑兵はこれだけで僕に向かっては来にくくなるだろう。

 ……雑兵?

 ああ、そうだ。僕としたことがこれ(・・)を忘れるなんて。

 蹴りのダメージを回復させる間も持たず、再びこちらから接近して距離を詰める。


「ハ、馬鹿の一つ覚えってか!?」

「黙って死ねよ、【英雄】!」


 威勢良く叫ぶ。

 ヴィットーリオに向けた言葉ではない。

 【英雄】と【魔】の戦いに割り入ることなどできず、ただ二人の命のやりとりを眺めている(・・・・・)雑兵たち。

 迎え撃つヴィットーリオの突きに、二本の剣をクロスさせてシールドバッシュのように打ち付ける。バギ、と硬いものにヒビが入ったような異音。

 ほんの一瞬、ヴィットーリオの意識が得物の状態の確認に逸れた。

 絶好のタイミング。


「魔力よ、侵せぇぇぇえええ!」


 もう何度目かもわからない叫び声をあげる。そろそろ喉がかれるんじゃなかろうか。

 もちろん、無為に叫んだわけではない。

 向けられる視線と、放った声。

 『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』、二感。

 一般人相手ならば、十二分。

 魔力を流し込み、ヴィットーリオのすぐ背後の五人ほどと、僕のそばの三人を支配する。

 僕が突然叫んだことにもヴィットーリオは動揺せず、自身の剣はまだもつと判断したのだろう、間髪入れず切りかかってくる。

 その剣閃は鋭く、カウンター突きを無理に防いで体勢の崩れた僕では回避はちょっとキツそうだ。即死は避けても腕くらいは持っていかれるだろうか。

 ……ま、今回は問題ないんだけど。

 横合いから、突如クリルファシート兵が飛び出してくる。

 僕に攻撃を仕掛けるためではない。

 僕への攻撃を防ぐため、肉の盾として【浄化の英雄】の剣をその兜と頭蓋で受け止める。それでも止まりきらなかった刃をもう一人のクリルファシート兵が自身のバックラーと片腕を犠牲にして完全にその勢いを殺す。


「なっ!? お前ら、何を……」


 それにとどまらず、片手を失ったクリルファシート兵は痛みなどまるで感じていないかのように自身の武器でヴィットーリオに切りかかる。

 ヴィットーリオは深く食い込んだ剣を無理に抜くのはむしろ悪手だと判断したのか、余計な逡巡はせず剣を手放すと、籠手をつけた拳で離反兵の顔面を打ち砕いた。

 まだ終わらない。

 ヴィットーリオの意識の完全に外側。

 奴の背後から、突如三本の槍が襲いかかる。


「そっちもかッ!?」


 三方向から不意を打って迫る槍の全てを武器もない状態でいなすことは流石の【英雄】でもできず、槍の一本がヴィットーリオの脇腹を浅く抉った。


「クソがっ!」


 ヴィットーリオは突きだされた槍の一本を掴み、反対側に押し返す。石突きが離反兵の腹部に深くめり込む。離反兵はどうやら内蔵が破裂したようで、多量の血を吐き出して倒れた。

 残りの二人もすぐに周りの正気の兵に切り殺された。

 僕を警戒するようにヴィットーリオは数歩、素早く後退する。


「なるほどなァ……。さっきウチの兵が大量にトチ狂ったのもお前の魔法か」


 ヴィットーリオは脇腹の浅い裂傷に手を当てながら、忌々しげに言う。

 能力を看破された形だが、それは決して僕の不利に働くとは限らない。ヴィットーリオからしてみれば、どこに僕に支配された裏切り者がいるかわからない。いつ背後から槍で突かれるかわからない。

 現実には、僕は魔力の大半を吐き出してしまっていて、敵をまるごと侵すほどの余力を残してはいないのだが、ヴィットーリオにはそんなことはわからない。彼からしてみれば、回りの雑兵はみな裏切り者だと考えなければならない。回りの仲間を頼れないどころか疑わなければいけない。

 ヴィットーリオとクリルファシート兵対僕の構図のはずが、おかしなことにヴィットーリオの主観では彼対クリルファシート兵と僕という形に変化している。有利とは言わないまでも、お互いに孤立無援、対等くらいには戦えるはず……だった。

 なのに、ヴィットーリオは余裕を失わない。それどころか、ヴィットーリオ『ロゼ』は不敵に嗤う。

 含んだような笑みのまま、ヴィットーリオは籠手を填めたままの右手の指を口元に添える。

 ピィィィィィィイイイイイ!

 甲高い、指笛の響き。

 なんてことはない、ただの音。戦場であることを考えれば、なんらかの指揮の合図かとも考えたが、すぐに違うことに気づく。

 ……そんなチンケなものではなかった。

 ぶつん、と、目に見えないラインが千切られるような。じくじくと身を蝕む毒が清浄な風にさらわれるような。

 そんな感覚だけを残して、一瞬のうちに、僕が先程魔力で侵して動かしていた三人の支配が途切れた。


「なっ!?」

「おーおー、やっぱりなァ。手応えがあった」

「なんで……!?」

「くはは、驚いてたまらねェって顔だな。いいぜ、教えてやるよ。っても、別によ、ただのカンだ。ウェルサームの【英雄】。お前の洗脳の魔法は毒か呪いに類するものなんじゃないか、って思ったのはな。結果から言やあ、俺のカンも捨てたもんじゃなかったなァ」

「…………」

「まだわからねぇか? 始めに言ったはずだぞ。俺は【浄化(・・)の英雄】。あらゆる汚濁を、蝕毒を、不浄を、呪詛を。その一切合切を吹き飛ばして消し去る。ゆえに、【浄化の英雄】ヴィットーリオ『ロゼ』」


 それはつまり。

 かつてリューネが喰った【王の魔】ヨミと、僕に『加護』を施したらしい【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』をルーツに持つ僕の『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』では、ヴィットーリオはおろか、僕らを取り囲む雑兵の一人すら害することはできないというわけだ。

 ヴィットーリオ『ロゼ』は嗤う。


「さァ、仕切り直しといこうじゃねぇか。ウェルサームの【英雄】」


 僕の額から、たらりと一筋の冷や汗が流れ落ちた。

当たり前といえば言えば当たり前のことなんですが、ブックマークをいただいたり評価をしていただけるととてもモチベーションがあがりますね。

ありがとうございます。

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