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044 逃走と闘争と

 備えられるほどの予兆は何も無かった。

 まさしく、突然に。気付いたときには、すでに遅かった。


「……なんか、ちょっと行軍の速度が下がったか?」

「先行している部隊が砦に入れたんじゃないかな?」

「おっしゃあ……これで、解放されるぅ……」

「ま、先が詰まってるとしたら俺たちがいつ入れるかなんて分かったもんじゃないけどな」

「なんだっていいさ! 終わりがあるってだけでスバラシイ!」

「それは確かに……」


 ウァァァァァァァァアアアアアアアアアア!

 と。

 バークラフトの返事を掻き消して、後方から響くような歓声が聞こえた。

 いや。

 歓声?

 違う。

 その声に滲むのは、沸き上がる興奮。退く道を絶った狂奔。死への恐怖。行く宛のない衝動。殺戮の陶酔。蹂躙の背徳。未来への渇望。

 これは、鬨の声(・・・)だ。

 そう気づいた瞬間、ぞっと悪寒が僕の背筋を這い上がった。


「なんだ? 何を騒いでいる? おい、全隊止まれ!」


 中隊長の指示が飛ぶ。僕らを含め、平民科第五組の面々が足を止める。

 中隊長は後方に誰か派遣して様子を見て来させようと考えているらしい。

 ダメだ。今はそんな悠長なことをしている場合じゃない。


「バークラフト。マサキ。カーター。ベイム。今すぐ逃げろ。山の上に、砦の方に向かって。荷物は全部捨てていい」

「は……? おいおい、アーク、急になに言って……」

「いいから早く! 頼むから! 中隊長の叱責も後の処罰も気にしなくていい! 今はそれどころじゃ……くそ。遅かった!」


 飛来した矢の一本を、腰から抜き放った剣で叩き切る。

 今の一矢は僕らに向けて放たれたものではない。飛びすぎた流れ矢だ。

 しかし、そんなものが飛んでくるほどまで敵は近い(・・・・)


「は……? え? 矢? な、なんでこんなものが……」


 ベイムの唖然とした呟きを遮るかのように、


「敵襲ゥゥゥー! 後方よりクリルファシート軍の襲撃だ! 敵襲だぁぁあああ!」


 後方から走ってきた兵士の一人が叫ぶ。

 最後尾にかなり近い位置にいる僕らより後ろにいるのは、士官候補生ではなくウェルサーム国軍の正規兵士たちだけ。

 今、後方の敵と刃を交えているのは彼らなのだろう。


「な……! バカな! 敵襲!? 敵襲だと!? ここはヤリアだぞ!」

「中隊長どの! ご命令を!」


 うろたえる中隊長に必死で叫び声を叩きつける。

 中隊長はハッとし、数瞬迷ってから、


「撤退! 第五中隊はこの先にある砦に向けて撤退する! 荷物は全て捨てていけ! おい、貴様、このまま先行して第三大隊隊長のキュリオ少佐と総司令官のクントラ中佐にお伝えしてこい!」

「はっ!畏まりました!」


 中隊長は第五中隊全体に撤退指示を出し、後方からやってきた伝令代わりの兵士にそう命じる。

 ああ、よかった。撤退命令を出してくれなかったら、彼を殺してでもみんなを逃がす羽目になっていた。

 僕がそんな不穏な安堵をしているとは知らないであろう中隊長は、次に僕らに向き直り、


「バークラフト小隊長!」

「は、はいっ!」

「俺が不在の間、貴様に第五中隊の指揮権を預ける!」

「は……? え、あ、ど、どういう意味ですか、中隊長!?」

「言ったままだ。貴様は模擬戦とはいえ中隊を率いて【英雄】と戦ったそうだな。ゆえに、貴様を選んだ」

「し、しかし……」

「これは命令だ。拒否は許さん。……時間がない。覚悟を決めさせる猶予はないんだ」

「ッ! ……はい、了解いたしました、中隊長! 部隊をお預かりします!」

「よし。では、全隊! バークラフト中隊長代理の指示に従い、速やかに撤退しろ!」

「「「はいっ!」」」


 中隊長は全員が撤退しきるのを見終わってから逃げるようだ。

 ……いや、あるいは彼はもう気づいているのかもしれない。

 このままでは(・・・・・・)間に合わない(・・・・・・)

 後方から聞こえる戦の声はますます大きくなり、今や剣戟の響きさえも聞こえる。


「よ、よし、逃げるぞ! おい、アーク! ぼーっとすんなよ! 行くぞ!」

「ああ、マサキ。君たちは先に行っていてくれ。僕もすぐに追い付くから」

「……は? おい、アーク? 何を言ってる?」

間に合わないよ(・・・・・・・)、もう。誰かが囮にでもならなきゃさ」

「ッ!? まさか、お前! 馬鹿言ってんじゃねぇぞ!?」

「死ぬ気はないさ。ちゃんと追い付くよ」

「ダメだ。知ってるか? 死亡フラグっつーんだよ、そういうの。んなこと言うやつは大抵死ぬんだ」

「あはは、なにそれ。聞いたことないよ、そんなジンクス。なに、僕はおよそ生き延びることについては自信がある。従えよ、マサキ。今は一秒でも惜しい」

「……なら、俺も!」

「足手まといだ。君は逃げろ」

「そんなこと!」

「あるんだよ。邪魔だ。ほら、さっさと行け。あるいは……ここで君が死んだら、マユミはどうなるんだ?」

「…………ッ!」


 マサキの表情が苦しそうに歪む。

 僕を引きとどめるように肩を掴んでいた手から、わずかに力が抜ける。

 それに合わせて、僕は彼の腕を振り払った。

 マサキが愕然としたように僕を見るが、再び掴もうとはしない。

 それでいい。

 自分の大切なものは見誤っちゃいけない。


「…………勝算は、あるのか?」

「ああ。僕はそう簡単には死なない。僕は【英雄】だからね」

「はっ……?」

「さ、そういうわけだから、とっとと逃げろ。みんなとはぐれたら流石に死ぬぞ」

「…………わかった。信じる。だから、絶対に追い付いてこいよ!」

「もちろん」


 後ろ髪を引かれるように何度もこちらを振り返りながらも、マサキは遅れてみんなに合流し、山を登っていった。

 と、一人みんなを見送る僕の元に、騎乗した中隊長が近づいてきた。


「おい、貴様」

「おや、中隊長どの。どうかなさいましたか?撤退なさらないので?」

「フン、俺は貴様らが撤退しきってから退く」

「でしたら、私はお気になさらず。私は……」

「聞いていた。貴様、本当に【英雄】なのか? 戦友を逃がすためのでまかせでなく?」

「……ええ。【侵奪の英雄】アーク『オーギュスト』。それが私の本当の名前ですから」


 【英雄】なんていうのは真っ赤な嘘だし、名前もまったくの嘘。

 しかしまぁ、事実としては僕は【魔】であるわけだし、力の実質は変わらない。


「そうか。捨て駒が二つに増えた。いいことだ」

「二つ?」

「俺と貴様。数も数えられないのか?」

「……中隊長どのは撤退なさるのでは? ここは私に任せていただいても……」

「俺一人向こうにいたところでどうなるものか。指揮権の移譲は済んでいる。ならば、こちらにいた方が幾分かましだろう」

「時間稼ぎをなさるおつもりですか? ただのニンゲンが?」

「生意気を言う。なに、士官の首という人参(エサ)だ。鼻先にぶら下げてやれば食いついてくる(てきへい)もいるだろう」


 やはり、この人はこのままでは部隊が逃げ切るには時間が足りないことに気付いていたようだ。

 そして、その状況で彼が選んだのは自らの命を捨てるに等しいことだった。たかだか数十人の士官候補生のために、平民としては栄達を極めたと言っていいその身を放り捨てることを選んだのだ。

 ……今更、僕がその覚悟まで問うのは余計なお世話というものだろう。


「はい。()も中隊長どののご活躍を願っております」

「フン、つまらん世辞を。俺たちが活躍しようがしまいが、昇進は二階級特進で決まりだと思うが」

「お言葉ですが、中隊長。僕はこんなところで死ぬつもりはありませんよ」

「ほう? たいした自信だな、【英雄】」


 反論する僕を中隊長が楽しげに揶揄する。

 戦の音はさらに近づいている。

 僕らのすぐ後ろを行軍していたはずのウェルサーム国軍の兵士たちは、いつの間にやらみな、より隊列後方の戦場に向かってしまっていて、誰も居なくなっていた。

 ……いや。

 一人の兵士が僕の視界に入った。

 しかしその身に纏っているのは、訓練で幾度となく目にしたウェルサーム軍の鎧ではない。

 あれはクリルファシート兵だ。


「……第五大隊と第四大隊は突破されたか。クリルファシート兵がこちら側に来ているということは、包囲された形か。全滅だろうな」

「では、行って参りましょう、中隊長どの」

「一人でも多く殺してこい」

「ええ。ま、僕が死なない程度に」

「ハッ! ……貴様はそれでいいさ」


 軽口を叩いた僕に皮肉のひとつでも言ってくるかと思いきや、意外にも中隊長は軽く鼻で笑ったもののそれだけで、その後にむしろ真面目な様子で一言を付け加えた。

 僕はその意味を問うことはせず、【魔】としての全力の身体能力でもって、目をつけたクリルファシート兵に肉薄し、剣を振るって首を刎ね落とした。

 先ほど立っていた位置からはよく見えなかったのだが、クリルファシート兵は三人一組で行動していたらしく、一瞬のうちに首を落とされた仲間を見て呆然とするのが一人と、僕に気づいてすらいないのが一人。

 再度周りを確認するが、他には敵は見当たらない。こいつらは斥候のようなものかもしれない。

 ……斥候でもなんでも、戦線を突破されている時点でこの先のウェルサーム兵の命運は推して知るべしなのだが。


「なっ!? お前、何を……」


 問いには答えず残りの二人を切り捨てる。

 あっけなく、実にあっけなく三人もの人間が死んだ。まさしく戦争の命の軽さを表すようだ。


「なーんて、殺した当人が言っちゃ駄目だよねぇ」


 誰に語るでもなくひとりごちる。

 【魔】としての全力を振るうのはまあまあ久しぶりだったが、なまっている感じはしない。


「……行くか」


 呟き、荒れた山道を全速力で下る。

 数分もしないうちに戦場が見えた。

 まず最初に目に飛び込んできたのは、眼下に展開する夥しいまでのクリルファシートの軍勢。

 ぱっと見で、二千ほど。純粋な戦闘要員だけで、だ。

 ヤリア方面軍(こっち)の動員数は三千だが、そのうち戦闘を役目とする兵士は半分ほど。

 そのうちの大隊二つまでもが奇襲で壊滅してることを考慮すれば、彼我の戦力差は圧倒的だ。

 しかしながら、その中にあっても未だウェルサームの兵は持ちこたえ、敵を押し止めていた。

 理由はいくつかあるのだろう。

 敵は大軍とはいえ、実際に同時に攻めてくることができるのは山道の幅プラスアルファくらいの人数だけ。さらに、数に劣るウェルサーム軍が積極的に乱戦に持ち込んだ結果、敵の弓兵や長槍兵が腐っていること。人数差をリカバリするため、少ない人数を一ヶ所に固めて乱戦における局地的優勢を確保していること。そして、これが最大の差であろうが、ここにいるウェルサーム兵はみな、仲間を逃すために自らの命を捨てた死兵だ。初めから奇襲で楽々勝ちを収めるつもりであったクリルファシート兵とは士気が段違いだ。

 ……しかし、そんなものは目先の誤魔化しだ。薄っぺらな慰めだ。

 そんな小手先の戦術だけでは圧倒的な数の差は覆りようがない。

 事実、辺りには百や二百ではきかないほどの死体が転がっており、その大部分は最初の奇襲で討たれたのであろうウェルサーム兵だ。それどころか、戦っているウェルサーム兵も、ひとり、またひとりと殺されていき、じわじわと追い詰められている。全滅も時間の問題だ。

 僕は、大きく息をひとつ吸った。

 散り行く彼らにせめてもの(はなむけ)を。

 殺戮と血の仇花を 。


「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!」


 咆哮(ウォークライ)

 原始的だが、効果的だ。

 【魔】は肺活量も人間とは桁違いらしい。

 大音声に、戦場にいたすべての人間が敵も味方もなく、ほんの一瞬わずかな注意を僕に向けた。

 何百人もの意識の集中はまるで誘う道筋のようであり、社交界でのダンスの誘いのようだった。

 喜び勇んで僕は戦場(パーティーホール)に飛び入る。

 まず飛び込んで真っ先に目についた一人を切る。

 返す刀でもう一人。

 左から迫る刃を見切り、相手の顔面に拳を叩き込んで陥没させる。

 殺した一人が手放し空中を舞う剣を左手で掴み取り、元々持っていた一本を投げ槍のように十メートルちょっと離れた騎乗する一人に向かって投擲する。命中。騎乗していた男は背中から切っ先を生やして落馬し息絶えた。


「指揮官は討ったぞ!」


 高らかに叫ぶと、呼応するようにウェルサーム軍からは歓声が、クリルファシート軍からは悲鳴が上がる。

 その間も手は止めない。

 切り払い、切り伏せ、前へ、前へ。

 道を切り開くように、ひたすら前に向かって殺し続け、進み続ける。

 自ら仲間から孤立するように動く。

 気づけば周りは全て敵に囲まれ、ウェルサーム兵は姿も影も見えない。

 ……そろそろいいだろう。


「オオオォォォォオオオオオオ!」


 叫ぶ。

 叫ぶ。

 叫ぶ。

 多くの敵が僕の声を聞き、こちらに視線を向ける。

 僕を見たな(・・・・・・)

 僕の声を聞いたな(・・・・・・・・)

 視覚と聴覚。

 五感のうちの二感。

 魔力を持たない一般人相手ならそれで十分。


「侵せ、『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』!」


 僕と魔力のリンクが繋がっている百人以上の人間、そのすべてに魔力を流し込む。

 抵抗(レジスト)もしてこないニンゲン相手とはいえ、ごっそりと魔力を持っていかれた。

 しかし、その効果は十二分。

 大量のクリルファシート兵を支配できた。


「さあ、反転しろ! 相討て! 殺し合え! 目につく全てを殺し尽くせ! さあ! さあ! さあ!」


 命令を下す。

 正気を失ったクリルファシート兵が仲間に牙を剥き出す。

 いざ、ささやかな反撃の始まりだ。

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