043 猶予と急変と
「おーい、戻ったぞー。って、あれ?」
「……おかえり」
「ベイムだけ?バークラフトは?」
「ああ、ミーティングがどうとか言ってたっけ?」
「それ。ちょっと前に出ていった」
「ってことはもうすぐメシか。それまで暇だな」
「よその班に押し掛けてゲームでもやるか?」
「それにはちょっと時間がないね。今はここにいるべきだと思うよ」
食事の時間になれば誰かが僕らを呼びにくる可能性もある。そのとき不在はよろしくない。
「明日は山登りだぁ……」
「おいおい、憂鬱になること言うなよ。明日までは現実から逃げさせろ」
「平地でもクソほどきつかったのにあの荷物を背負って登山だもんな……」
「砦は五合目らしいね。パッと見、千五百メートルくらいかな、標高」
「うわぁ……完全に丸一日コースだな、それ。そんだけ上がれば気温も下がるし。だいたい十度ってところか?」
「高山って寒いのか?」
「高い山の頂上付近って春とか夏でも雪が残ってるだろ」
「言われてみりゃ……」
そのくらいは僕も知っていたが、具体的にどの程度下がるのかなんて初めて聞いた。
八歳になる直前まで居た王宮でも教育は受けていたし、村ではルミスさんがいろいろなことを教えてくれたが、あいにく気象学はその中にはなかった。
やはり気になるマサキの素性。少なくとも言葉通りなんでもない平民ということはないだろう。オリエンタル都市同盟の貴族家か豪商家か。感覚的には後者だ。
数学や自然科学に関しては僕も知らないような知識をいくつも持つ彼だが、反面政治や法などの社会科学、歴史や文学のような人文科学には疎い。異国の出身であることを加味しても、文化の交流がある以上、てんで知らないということにはならないはずなのに。
(それとも……オリエンタル都市同盟よりさらに東、【古神】の領域から来たとか?いやまさかねぇ……)
と、そんな風に思考を巡らせていると、少女が一人、僕らのテントを空けて顔をのぞかせた。
「おーい、バークラフト班!いるかー?」
「お、ウィシュナ。どうした?」
「晩飯だよ、晩飯。呼びに来た」
「バークラフトがミーティングに行ったままなんだが」
「うちのユウロとかも直接行ってるし、小隊長はたぶんみんな同じだろ」
ウィシュナが所属するユウロ小隊には、ユウロ、ウィシュナ、リンファの五組の女子達に、トヴィとシャガという男子二人を加えた五人小隊だ。さすがに男女で同衾というわけにもいかず、彼らだけテントは二つ。仲が悪いわけでは決してないが、若干男女で距離があるような気もする。小隊というより分隊二つといった風情だ。
現に今も、ウィシュナとリンファは一緒に行動しているが、男子の姿はない。
「トヴィとシャガは?」
「あー、二人は先に……」
「お前らなぁ。もうちょいうまくやれよ」
「仲が悪い訳じゃないって……!」
「そりゃわかってるっての。だからこそもっとちゃんと連携しろって」
う、と言葉に詰まるウィシュナ。
口ではなんだかんだと言っているものの、自分達の現状が好ましいものでない自覚はあるのだろう。
むしろ僕からしてみれば、学校ではなんてことなくクラスメイトとして付き合っていた面々が、どうしてこんなにギクシャクする羽目になっているのかわからないくらいなのだが。
「……その、色々あるだろ?テントは別だって言っても、あたしらはほとんどの時間をずっと一緒に居るわけだしさぁ……」
「何だ、あいつらに惚れでもしたか?」
「そんなんじゃないケド……」
カーターも普通に否定するだろうと思って聞いたことだったのだろう。
返答の文面こそ予想したものであったものの、ウィシュナらしくないしおらしさを見せる。
言葉を濁すような言い方も明け透けな彼女らしくない。
「……ウィシュナ、早くいかないと怒られるかもしれないから……」
「っと、ヤバイヤバイ。あんたらも、ほら早く立て!呼びに来てやったのに叱られるのはゴメンだぞ!」
「あ、ああ。行くか」
急かす女性陣に言われるままに立ち上がり、外に出る。瓢箪から駒とでも言うべき、戯れ言のまさかの的中に動揺しながらも、彼女達に続いて炊事場へ向かう。
そのままこそこそと小声で会話を始める僕ら。
「なぁ、さっきのどう見るよ?」
「……的中六割、気のせい四割」
「的中にもう一割」
「僕はベイムと同じで。マサキは?」
「お、俺はそういうのよくわかんねぇって言うか……」
「……なにをコソコソ言ってるの?」
「リ、リンファ!?い、いや!?なんでもないぞ!?」
「そう?ならいいけど」
別段興味もなさげにリンファは引き下がったが、なんだか釘を刺されたみたいで具合が悪い。
結局、微妙な空気の中、ほとんど黙ったまま僕らは炊事場まで行くことになるのだった。
◆◇◆◇◆
「あついおもいきついしんどいだるい!」
「うるさい……!」
「そういうこと言ってると、余計きつくなるだろうが……!」
翌日。予定通り、山の斜面を大荷物で歩く僕ら。始めのころはまだ良かったのだが、徐々に余裕も無くなっていき、そして今、マサキが爆発した。
しかし弱音を吐くマサキを、無情にもベイムとバークラフトが叱る。
いつもならカーターとベイムがバテるのを残りのメンバーが励ますところなのだが、今回は誰もそんな余裕はなく、全員が辛そうにしている。
こういうときは【魔】としてニンゲンをはるかに上回る身体能力に感謝するとともに、仲間達に申し訳なくも思う。
そうと悟らせないためにちょっとバテた演技なんかもしているから、なおさら。
「くそぉ……どんくらい上った?あとどんくらいだ?」
「もう八割がたは来てるはずだ……!来ててくれ、頼むから……!」
マサキの疑問に答えるバークラフトも、何かにすがり付くように言う。
彼らにせめてもの励ましの言葉をかけようとしたその時、
「貴様ら、何をくっちゃべっている!黙って歩け!」
「はい、中尉どの!申し訳ありませんでした!」
中隊長に怒られた。
騎乗して隊の先頭を歩く彼に聞こえるほどの声で話していたとは、少しばかり気が緩んでいたか。
「くそ……自分は馬に乗って楽してるくせに……!誤射してやろうか……!」
「抑えて、マサキ。きっとあとちょっとの辛抱さ」
「……ああ」
物騒なことを言うマサキをどうにか宥める。気持ちはわかるが、戦闘中でもないのにそんなことをしたらすぐバレて軍法会議で処刑だ。
流石にそんな軽はずみなことをしないとは思っているが、肉体的に追い込まれると、正常な判断ができなくなったりするものだし。
しかし、そうなってくると心配になってくるのは、前方で同じように行軍しているはずの彼女のこと。僕らのように重装備ではないだろうが、それでも登山の経験なんかないだろうし、山道は楽ではないだろう。
「シェーナ、大丈夫かな」
僕は小さく呟いた。
◆◇◆◇◆
「レウ様、大丈夫でしょうか」
「心配しなくてもあの子は平気よ。私たちと同じでニンゲンじゃないんだから」
ふと漏らした私の呟きにリューネが反応する。
私もそれはわかっているが、レウ様は私よりも過酷な行軍を強いられているはずだ。
それに、この瞬間こそ戦闘状態でないとはいえ、今は戦争中でここは軍だ。いつ何が起きるか分からない。
「……ま、貴女の気持ちもわかるわよ?レウはレウで、秘密を抱えたりして難しい立場と言えなくもないし。だけど、その辺のことは私たちが首を突っ込んでどうにかなるものじゃないでしょう?」
「……それは、そうかもしれませんが」
「うん?シルウェくん、何か言ったかね?」
「いえ、なんでもありません、ドクター」
リューネと話していたら、ドクターガルドがこちらを向いた。『隠形』の効果で一般人には姿も声も知覚されないリューネとは違い、今の私の声は普通に周囲の人々に届く。
声は抑えていたつもりだったが、迂闊だった。リューネとの間に『念話』を繋ぐ。
≪ずいぶんと、割りきったことを言うじゃないですか。リューネらしくもない≫
「割りきってないわよ。レウのことは心配だし、できることなら様子くらいは見に行きたいわ。でも、私はレウの姉であると同時に、貴女の姉でもあるから。今はレウより貴女のそばについている方がいいと思ってるってこと」
その言葉に、わずかに胸の奥が痛む。
私がいるから、リューネはレウ様のもとに行けない。手のかかる私は彼女の足手まとい。
もちろん、リューネはそんなつもりで言ったわけではない。そんなことはわかりきっている。
しかし、それでも。
気持ちを殺すように、ぐ、と拳を握りこむ。
「……ねぇ、シェーナ。これは、折を見て貴女に言わなければいけないとずっと思っていたことなのだけれど」
≪何ですか≫
「貴女のそういうところは良くないところよ。なんでもかんでも自分が悪いと気負うところ。極度に自分に自信がないところ」
≪……そんなことは≫
「あるわよ。貴女だって、まったく自覚がない訳じゃないでしょう?」
≪…………≫
「謙虚なのは悪いことじゃないわ。でも、謙虚であることと現実が見えてないことはまるで違う話よ。貴女は貴女が思っているほど劣った人間じゃない。いいえ、それどころか、貴女は贔屓目抜きですばらしい人物だと思うわよ?美人で、気立てもよくて、一途で、穏やかで、家事もできるし、【神】としても見ても優れた魔法の使い手だし」
≪……それは、その……ありがとうございます。でも、私は……≫
「でも、じゃないの。もう一度言うけど、貴女の自信の無さは過剰よ。こと貴女の自己評価について、貴女の物の見方は正しくない。断言できるわ」
いつになく強い調子でリューネは私に言う。
彼女にとって、この話はこうまでするほどに重要なことなんだろうか。
つい思考が刺々しくなってしまう。
≪……仮にリューネの言う通りだとして。それで、何か問題があるんですか?私が自分に自信が持てていなかったとして、何か問題がありますか?≫
「ええ、あるわ。だって貴女、傷ついてるでしょう?自分で自分を苛めて傷ついてる」
「っ!」
言い返せなかった。
……いや、本当はわかっているのだ。私自身、自覚がある。
リューネの言うことも、その原因までも。
でも、だとしても、私は。
「……ま、私が今こうやって言った程度で全部解決するなんて思ってないわ。貴女は私の言ったことを忘れないでいてくれれば、今はそれでいいから」
≪……はい≫
「つまんないお説教はここまでにしましょう!ほら、シェーナ!ヤリアの砦ってあれじゃない?」
パン、と手を叩いて空気を切り替えたリューネが指差す先を見てみれば、確かに山の斜面にそそりたつ砦が見える。物々しいその姿は姫殿下達の離宮と似ているだろうか。いかにも堅牢そうで、私たちの寝床だと思えば頼もしい。
数時間にもわたるこの登山は、魔法で身体能力を強化している私でさえ辟易するほどのものだったが、やはりと言うべきかそれは他の衛生科の人たちも同じだったようで、私の目の前を歩くドクターもぜえぜえと息を切らせている。レウ様に、軍人というより医者だ、と自己紹介していたが、まさしくといった感じだ。
しかしその苦行ももうすぐ終わり。今思えば、行軍の速度が若干落ちているように感じたのも、先行している部隊が砦に入りはじめて先が詰まっていたからだろう。
進みを見るに、私たちもあと十分もすれば砦の中に入れそうだ。後方にいるであろうレウ様はもう少しかかるかもしれないが。
そんなことを考え、ふと視線を後ろに向けた。
山の下へ向かってずらりと長く続く隊列。
……不意に、よく分からない違和感を感じた。それと同時に、ざわざわと嫌な胸騒ぎがする。
「……リューネ」
「こら、『念話』で話しなさい。不審がられるわよ」
至極真っ当なリューネの指摘。
しかし、私はそれに返答もせず、言葉を続ける。
「何か、おかしくありませんか?何か、変な……悪いことが起こってるような……」
「ん……?そう言われれば、何か……。あ、あれかしら。あの辺の隊、ちょっと動きが乱れてるわね。山道でバテたのかしら?」
リューネが指差しながら言い及んだのは、ほとんど最後尾のような位置で、かなり前にいる私たちの位置からはよく見えない。
リューネも、んー、なんて言って目を凝らしている。
「通してくれ、通してくれ!伝令だ!通してくれ!」
と、突然怒鳴るような男性の声が聞こえた。
何事かと声の源を見ると、皮鎧を着た男性と目が合った。叫んでいた当人であるようだったが、全身が妙に汚れており、ところどころこびりついている暗い赤色は、あれは。
「君!そこの茶髪の女性!君、衛生科の人員だな!?ガルド大尉どのがどちらにいらっしゃるかわかるか!?」
「あ、はい、えっと……」
「私がガルドだが。何かあったのか?」
急に話しかけられ、つい慌ててしまった私だったが、ドクターが直接男性兵士に対応してくれた。
「はっ!失礼します、大尉どの!私は……」
「ああ、名乗りはいい。用件を言ってくれ」
「敵襲です!後方よりクリルファシート軍の襲撃!現在、後方の戦闘要員が押しとどめていますが、奇襲の被害は大きく、いつまで持たせられるかも不明です!衛生科人員は直ちに砦に入り、負傷者受け入れの準備をお願い致します!」
この瞬間、本当の意味で私たちの戦争が始まった。




