040 戦争前夜と目論見と
「お前たちの派兵先が決まった」
いつもの授業前の朝礼。その日のフレッド教官の第一声がそれだった。
クラスの全員が息をのむ気配がする。当然だ。派兵先の如何によって生死が別たれるかもしれないのだから。
「平民科第五組、五十人全員がヤリア山地に派兵だ。本日の授業は休止。代わりに部隊編成、指揮系統の確認、派兵日、装備品の支給や戦死、戦傷を負った際の国からの補償などの事務伝達及び確認。その後は授業で話さなかった諸々を教えてやる」
ヤリア。
ヤリア山地。
いい場所だ。ヤリアは直接の距離で言えばクリルファシートから遠くない。しかし、険しい山々は攻めるに難く、また実りの少ない土地だ。戦略上の重要性は小さい。いわゆる、安全地帯。
一通りの連絡事項を喋った教官は、そこで一息をつく。
わずか、迷うような雰囲気を見せ、だが言葉を続ける。
「……ヤリアは戦略上価値の高い地域ではない。戦闘も激しいものにはならないだろう。だから……だから、生きて帰ってこい。非戦闘地帯であることを喜べ。危険地帯で奮戦して武勲を挙げれば学校も即時卒業して軍に入れるかもしれない。だが、死ねばそれまでだ。死んで階級が上がって嬉しいか?そんなことに意味があるわけがない。だから、もう一度言うぞ。生きて帰ってこい!」
いつになく必死な様子の教官に、クラスメイトみんなが圧倒される。
僕もそうだ。教官がこれほどまで感情を出すとは思わなかった。
「……朝の伝達はこれで全部だ。先述の特別授業は通常授業と同様の時間割りで行う。以上」
「け、敬礼!」
級長の号令に従い、敬礼。
教官が教室を去ってからも、みんなはお互いに顔を見合わせて黙っていた。
「……なんか、意外だったな」
最初に、そう口にしたのは誰だっただろう。
「教官がさ、あんなこと言うなんて」
「そうだな。国のために死んでこい!とか言われると思ってた」
「でもさ、教官って案外面倒見よくない?あたし、落ち込んでた時に励ましてもらったりしたことあるし」
「え、マジ?」
「あ、俺も似たようなことあるわ」
「はー、知らなかった。意外といい人なんだな、教官」
「……生きて、帰らなきゃな」
「……そうだな」
それは、僕ら平民科五組、全員が思っていることだっただろう。
「そろそろ、一限目が始まるぜ。大人しくしてようぜ」
「おっと、そうだな!」
言葉とは裏腹に、みんな気炎万丈、今にも教室を飛び出して訓練場に行ってしまうんじゃないかというほどだ。
ちなみに、戻ってきた教官が、なぜかテンション高めの僕らを胡乱げに眺めていたのは、なかなか珍しいシーンだった。
◆◇◆◇◆
「ただいまー」
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさい」
「あれ、リューネ?ってことは……」
「ええ。【化鳥の英雄】は学園を去ったみたいよ」
「みたい?」
「昼の内に起こったことはわからないから。ただ、今この学園には【英雄】も【神】も【魔】も居ないのは確かよ」
もちろん私たち以外はね、とリューネは付け足す。
監視の心配ももはや要らないということか。
ならば次は、昨日の調査の話だ。
「何かわかった?」
「結論から言って、【化鳥の英雄】は王子派の【英雄】ではなさそうよ。彼はレーベン=グリムブル軍部大臣の配下で、今回学園に来てたのは戦争についての用件があったみたい」
「戦争について、って部隊配置とか?そんなことを【英雄】自ら?」
「【化鳥の英雄】が学園の生徒の指揮官として従軍するからじゃないかしら。貴族科の生徒と前線で、ってことらしいから、貴方には関係無さそうだけど」
「流石に【英雄】を遊ばせる余裕はないだろうからね。でも、そうなるとどうして生徒を監視してたんだ?」
「それは明確に何か言ってた訳じゃないから断片からの推測になるけれど……貴方が殺した貴族三人。その真相の調査だと思うわ」
「ふむ……やっぱりそれ?理解できなくはないけど、ちょっと違和感があるな。軍部大臣配下の【英雄】が、学園の事件の調査?繋がりがわからないっていうか……」
「ああ、そのことなら。貴方の担任の先生いるでしょう?」
「え、フレッド教官?あの人がどうしたの?」
「彼、警邏隊の出身だって知ってた?しかも、隊長」
意外な名前の、意外な経歴。
警邏隊、というのは、この王都の治安を維持する警察機構の名前だ。
この広い王都全域の治安維持を行う警邏隊は数百人規模の大組織で、警邏隊隊長というのはその名前の響きに反して相当な地位といえる。警邏隊は軍属ではないため単純比較はできないが、佐官相当なのは間違いない。
どういう理由で教官が警邏隊を退職して軍籍を得たのかはわからないが、少尉という現在の地位は役不足だろう。貴族が幅を聞かせる国軍と、大多数が平民で構成される警邏隊の差だろうか。
「いや、全然知らなかった」
「で、人望なのかなんなのか、今でもずいぶん警邏隊に影響力があるみたいなのよ。警邏隊動かして【英雄】に働きかけられるくらいにね」
なんと。
灯台もと暗し、と言えばよいのだろうか。
ここで重要なのは、フレッド教官が実働的な力を持つこと……ではない。
教官と、教官に賛同する警邏隊員、さらには【化鳥の英雄】と、あの事件の犯人がユリウスではないと疑っている人間が多くいる、ということだ。
これが【化鳥の英雄】からグリムブル大臣へと話がいけば、さらなる捜査が行われることだろう。
それはどう考えても僕に都合が悪い。
「しかし……警邏隊が疑ってるのに、どうしてユリウスが犯人なんて話が流れてるんだ?」
「それは話してたわ。圧力がかかったらしいわよ。貴族から」
「圧力?……ああ、そうか。イール=ドバとかネイト=カールスキーをユリウスの監視につけてたハウリー伯爵からしてみたら、グラス子爵家への一種の内政干渉になるから、事件をきっかけにそれが明るみに出ないよう隠蔽に動いたのか」
ふと、教官と初めて会ったときのことを思い出した。数ヵ月が経った今でこそ、厳しいものの邪気なく接してくれるが、初めの頃はあの人は僕を嫌っていた。
あれは、警邏隊時代に今回みたいに捜査に圧力をかけられることが多かったからなのかもしれない。ただの想像でしかないことだが。
まあ、それを表に出すまいとしていたあたりはやはりいい人なのだろう。
「だから警邏隊の公式会見はユリウス=グラスが犯人、でも内心では他に真犯人がいるんじゃないかと疑ってる、ってなるわけね」
「ややこしい話ですね……」
「一応、平民科よりは貴族科の生徒を疑ってた風だったわね。だからって楽観はできないけれど」
「レウ様はその教官の方と面識がありますから、貴族として扱われる……つまり容疑者の中に入ってしまうのでは?」
「それが不思議なのよねぇ。話を聞く限り、そのフレッド教官? はレウについての情報共有をしていないみたいなのよ。なんでかしら?」
リューネに問われた僕の脳裏をよぎったのは、朝の必死な様子の教官の姿だった。
僕ら生徒に、生きろ、と説くその姿は、彼の死生観を推察させると同時に、彼が生徒をどう思っているのかが伝わるものだった。
「……きっと、あの人は自分の教え子を疑ったりできないんだと思う。だから警邏隊にも、【英雄】にも僕のことを話せなかったんだ。いや、話すって選択肢から思い付かなかったのかも。……ただの僕の想像だけど」
想像というか、もはや妄想に近い。
僕は教官の人となりを細部まで把握している訳ではないし、プロファイリングとしては信用に値するものではない。
しかし、リューネは興味深そうに頷き、
「ふぅん。レウみたいなタイプの人なのかしら」
「え、僕?」
「ええ、貴方。一度身内と認めるとダダ甘になる感じとか」
「えー、僕そんなに身内に甘い?」
「甘いわね」
「甘いですね」
二人揃って言われてしまった。
「貴方、私やシェーナが裏切ったとき、他の敵にするみたいに容赦なく殺せる?」
「いや、それは……」
「できないでしょう?あるいは、ルミスヘレナが裏切ったらとか、アイシャが裏切ったらとか。貴方はきっと誰も殺せない」
「……それは、例えが悪いよ。君たちやルミスさんとかアイシャに裏切られたら、僕がどうするとか関係なく僕はオシマイだ」
綱渡りのような、あるいは薄氷を踏むような。今の僕の状況はそんな絶妙なバランスの上にある。
身内に裏切られたら、なんてことを考える自由すら今の僕にはないといえる。
「……ま、いいけれど。【化鳥の英雄】に関してはこんなところね。後は……戦争の話かしら」
「あ、そういえば言ってなかったけど、僕の配置は……」
「ヤリア山地でしょ?」
「知ってたんだ」
「【化鳥の英雄】が話してたのを聞いたの。安心したわ、激戦地じゃなくて」
「そうだね。アイシャたちのおかげかな」
「かもね。ヤリアには、士官学校からは、平民科第一組から第五組まで全員で二百五十三名が派兵されるそうよ。軍からは千二百名。合わせておよそ千五百。これは純粋な戦闘要員だから、兵站要員、医者とかもろもろ全部合わせたら倍くらいって試算らしいわよ。ウェルサームだと一個連隊相当でいいのかしら?」
「僻地に三千人の人員ですか……?私は軍事はよくわかりませんけど、ずいぶん多いのでは?」
「そうね。私の肌感覚で言えば三分の一もいれば十分。過保護なお姉さんと妹さんね?」
……否定はできないが、自分の命の危険を冒してまで僕の王位継承争いに噛んできたリューネがそれをいうのだろうか。
「他には?」
「ヤリアの総指揮官はクントラ中佐。平民出身の中じゃ出世の星らしいわよ。知ってる?」
「昔は軍のことは興味なかったしなぁ……」
「で、その他に同じく平民派閥の佐官を数人。そうとう期待されてるわね、貴方たち」
確かに、平民出身の佐官などそうはいない。それをこんなにまとめて割り振ってくるのは、期待と言えばそうなのだろう。
平民科だけで固まったヤリアの士官候補生と貴族出身の指揮官がトラブルにでもなったらまずい、という配慮の結果でもあると思う。
「けっこうな規模だけれど、【英雄】や【神】はヤリアには一人も動員されてないわ。まあそこは流石に主戦場に、ってことね。おかげで潜入しやすくて助かるわ」
「ああ、そうだ……え?潜入って?」
「私たちが軍についてヤリアに行くのには潜入しなきゃ無理でしょう?」
「ヤリアに?君たちが?待った待った待った!なに言ってるの!?わかってる!?激戦地じゃなくとも戦争だよ!?」
「貴方こそなに言ってるの?戦争だからよ。貴方が危険な時にそばにいないなら、私がここにいる意味はないわ」
「私は、レウ様の【神】です。レウ様を守って、助けて、支えるためにいるんですから。レウ様も認めてくださったことですよね?」
それを言われてしまうと弱い。僕はもうシェーナの保護者でも擁護者でもないと決めたのだ。
彼女たちを危険に曝したくないのはもちろんそうだが、それで僕が死ぬわけにもいかない。シェーナもリューネも立派な戦力であり、そういう意味ではいるに越したことはない。
「……オーケー、わかった。僕らは運命共同体。一緒にいるべきだ。そうなると、次は、どうやって、っていうのが問題だ。リューネは一日中『隠形』してるつもり?魔力はもつ?」
「そもそも今の私が一日中『隠形』じゃない。私は夜になれば魔力が回復するから、実質的には半日もたせればいいだけ。その辺りのやりくりは慣れたものよ。なんなら『隠形』一つくらい百年だって維持してみせるわ」
「それはすごい。シェーナは?」
「私はリューネみたいにはいかないので。民間人の医療助手公募で潜り込もうかと。ヤリアへの募集希望が通れば、ですが……」
「シェーナは読み書きどころか計算までできるんだから、どこでも要望通るでしょ」
「あああ、それすごく心配だなぁ!飢えたオオカミの群れに小鹿を放り込むみたいな……」
「レウ様は私をなんだと思ってるんですか……」
「大丈夫よ。なんなら私もついてるし」
呆れたようなシェーナとリューネだが、僕はもう今から心配で心配でならない。
軍人なんてどいつもこいつもならずものに決まってるし!
シェーナは可愛いし!
くそぅ、できるだけついててやる!ついててやるぞ!
先日、なろうでいわゆる「小説の書き方」系作品を拝読したのですが、そこで挙げられていた良くない書き方の一種に私の書き方のある部分が該当していました。
一応、今後も今のような書き方を続けるつもりではありますが、読みにくい、気持ち悪い等ありましたら遠慮なく伝えていただけると嬉しいです。
その他、誤字脱字報告などもよろしければお願いしたいと思います。




