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039 平穏と終焉と

 変化というのは、どんなものでも突然だ。

 しかし、中でも平和や平穏が失われるのはあっという間だ。

 例えば、ある日突然通り魔に襲われるかもしれない。

 例えば、ある日突然職を失うかもしれない。

 例えば、ある日突然交通事故に遭うかもしれない。

 例えば、ある日突然(やまい)に倒れるかもしれない。

 例えば、ある日突然天災に見舞われるかもしれない。

 そして例えば。

 ある日突然戦争が始まるかもしれない。


「大変だ! おい、アーク! 起きてるか!?」


 僕が士官学校に来てからなんだかんだと三ヶ月ほどがたったある日のことだった。

 早朝、起き出して間もない僕がいつものように寝室で呆けていると、そんな声とともに激しく扉がノックされた。

 のそりのそりと起き上がった僕は、扉に手をかけ、開いた。

 その先にはカーターが立っていた。手には紙のような何かを握りしめている。

 その顔色は教官の課すキツい訓練や、リールとの死闘ですら見なかったほどまで青ざめている。


「こんな朝早くにどうしたのさ、一体……」

「戦争だ!」

「なんだって?」

「戦争だよ! クリルファシートがウェルサームに宣戦布告した! 戦争が始まるぞ!」


 彼のその言葉こそが、僕らの日常が崩れ去り絶望がやって来る、その狼煙となったのだった。


  ◆◇◆◇◆


「お前らも知っているだろうが、戦争が始まった。士官候補生であるお前たちも当然に動員される。士官ではなく、兵卒としてだ。配備場所、配備部隊などはおっての通達を待つことになるが、戦場に出る覚悟だけは決めておけ。それと、一時限目は自習だ。以上!」

「敬礼!」


 級長の号令で敬礼の形をとる。

 フレッド教官が教室を去ると、みんなはにわかに騒ぎ出した。


「おい、どうなっちまうんだよ、俺たち」

「知るかよ! ああクソ、よりにもよって候補生の間に戦争になるなんて!」

「こうなったらクリルファシートの連中を一人でも多くぶっ殺してやる!」


 自らの行く末を案じ、不安に飲み込まれるもの。

 自らに降りかかった不幸を嘆き悲しむもの。

 未だ見えぬ戦場に気炎を上げ、戦意を滾らせるもの。

 いずれも、平常な精神の状態ではない。小規模なパニック現象だ。

 その中でも、比較的冷静なものはいる。


「戦争か……。実際のところ、どんなもんなんだ? カーターとベイムは親が軍人だろ?」

「俺も知らんよ。ここ十年くらいはナローセルとの国境も安定してたし、クリルファシートだって内側で手一杯だった。エリルの水神どもとか、山脈の向こうのティーリアとかとも揉めてない。こんなことは初めてだ」

「俺は……父さんから聞いた戦争の話はどれもいい話ではなかったってくらいかなぁ……」

「そっかぁ……。バークラフトはなんか知らないか?」

「俺も大したことはわかんねぇけど……ま、言うほど心配いらないんじゃないか?士官候補生を前線に送りはしないだろ」


 バークラフトの意見はやや楽観的ではあるが、的を射ている。

 育成のために時間と金をつぎこまれている僕ら士官候補生は、国にとっては守るべき資産だ。士官候補生を兵卒のように殺していては軍隊はいずれ崩壊してしまう。

 だから、戦場に送られるとはいっても、後方、あるいは戦略的価値の低い場所だろう。僕らの動員も、机だけでなく現場も知っておけ、くらいのものなはずだ。


「それは一理あるかもな。アークはどう思う?」

「うーん……バークラフトの言う通り、大丈夫だとは思うけど、輜重(しちょう)部隊とかに配属されるとちょっと危ないかもね」


 輜重兵とは補給物資の管理・輸送を専門にする兵のことだ。

 とはいえ、後方で兵站の管理をさせてもらえるわけではない。現場を知るのが目的なのだから、前線と後方を行ったり来たりだ。

 前線にいる時間自体は短いが、しかし兵站は戦争の根幹。

 敵も馬鹿じゃないし、前線を突破させた特殊部隊で襲撃、なんてありそうな話だ。あるいは、【英雄】に狙われすらするかもしれない。流石に前線よりはマシだとは思うが。


「あーあ、どーせ貴族科のやつらは安全なところなんだろうなぁ」

「あいつらは司令部だろうな。警備は厳重、撤退は真っ先、まあ安全は安全だろうが……いざというときは、一気に危険になるのも確かだぞ」


 平民出身の士官が尉官やせいぜい佐官止まりなのに対し、貴族の士官は最終的には将官までの道が開かれている。

 その将来のために彼らは軍の司令官について広範な視点を養う、ということらしい。今回の動員でも彼らは兵卒扱いの僕らと違い、士官のように扱われる

 戦線が崩壊すれば最優先で狙われるリスクはあるものの、司令部というのは前線の中でもトップクラスに安全な場所だ。もちろん、戦線の安定しない最前線の司令部など危険な場所には配備されない。平民科(ぼくら)と比べれば安全なのは間違いないだろう。

 ただ、今回に関しては実はその限りではない。

 というのも、平民科五組には僕がいる。

 僕の派兵先に関してはアイシャとミリルが取り計らってくれることになっている。僕と一緒、ないしは近い部隊になるであろうクラスメイトたちも安全地帯への派遣となることだろう。

 もちろんみんなにはこんな事情は話せないが。


「まあ……個人的にはそんなに心配することないと思うよ。まったく心配しないのは良くないけどさ」

「だな。俺もアークとバークラフトに賛成だ。第一、心配しすぎで参ったら元も子もない」

「だとよ、ベイム」

「そうだな……。何事もほどほどだよな……」

「で、来る戦争で生き残るために俺たちは今なにをすべきなのかね?」

「決まってる。自習だ」

「えぇ!?」

「まあできることって意外とないよねぇ。体を鍛えるか頭を鍛えるか、だよ」

「もっとなんかこう、ねぇの? 持ってるだけで生存率アップのマル秘アイテムとか! ほらそこの軍人の息子二人!」

「だから俺は知らんって」

「ん……あ、大きな手拭いあると便利って聞いたな……」

「手拭い?」

「縛ったり圧迫して止血できるし、血と脂で鈍った剣を拭けるし、逃げるときも水とか食べ物詰める即席の鞄になるって。ホントにちょっとした便利グッズ程度だけど」

「なるほど、風呂敷みたいなもんか。アークとバークラフトは?」

「商人の息子にそんなん期待すんな」

「うーん……マサキが欲してるのとは違うかもしれないけど、心の持ちようは大事だよ」

「心……敵に気持ちで負けない的な?」

「違う。大事なのは生きるのを諦めないことだ。絶対に生き残る、って気持ちを捨てないこと。どんなに絶望的な状況でも、絶望しないで諦めなければ、意外と生き残れるよ」


 生き残る、という一点に関して言えば、僕は正直自信がある。

 セリファルスの知略も、ゴルゾーンの軍才も、クラシスの欲望も、ケリリの【(ギュルスアレサ)】も、その全てを出し抜いて僕はあの王宮を生き延びた。

 理由は様々だ。僕がセリファルスの裏をかいたこともあるし、ゴルゾーンより多くの戦力を利用したこともある。クラシスの欲深い取り巻きどもは操りやすかったし、ケリリのギュルスアレサから逃げるために多くの犠牲を出した。運が良かった、と思うことも多々あるが、それも力のうち。およそ、生きることで僕に勝るものはそういない。


「ほー……。諦めない、か。ちょっと夢見がちかもだけど、いいなそれ」

「ま、今は気持ちよりももっと実利的なことをね?」

「自習?」

「自習」


 マサキは憂鬱そうなため息をつきながら、机の中から教本を取り出した。


  ◆◇◆◇◆


「おかえりなさいませ、若様」

「ただいま。なにか変わったことはあったかい?」


 寮の自室に帰宅して一番、シェーナに訊ねる。


「変わったことといいますか……学校に【化鳥の英雄】という【英雄】がいらっしゃっている、と聞きました。戦争の準備でしょうか?」


 ……なるほど。先ほどからリューネが気配すら現さない理由はそれか。【英雄】を警戒しているのだろう。

 あるいは、絶大な魔法能力と感覚を誇る夜のリューネならば監視の有無くらい簡単に分かるはずだ。その彼女がこの態度ということは、本当にその【英雄】に監視されている、という可能性もある。


「そうかもしれないね。……ああ、そんな顔しないでよ。戦争っていっても、前線には配置されないはずさ。ちゃんと無事に戻ってくるよ」

「そう……ですね」

《レウ、シェーナ。ちょっといい?そのまま喋らず聞いてちょうだい》


 念話。

 誰からのものかは言うまでもない。


「……寝るにはまだ少し早いかな」

「お茶をお淹れしましょうか?この時間なら調理室からお湯が頂けると思いますから」

《悪いけれどこの場にいて欲しいわ。万一のことがないとは言いきれないから》

「そこまでしてもらうことはないな。また次の機会に頼もう」

「かしこまりました」

《単刀直入に言うけれど、【化鳥の英雄】とやらに監視されてるわ。この部屋内の魔力は感知されないように細工したけれど、挙動は見られてて音も聞かれてると思って頂戴》

《監視というのはつまり、レウ様がここにいることがバレたということですか?》

《いえ、それはたぶん違うわ。私たち以外の部屋も監視されているようだから。楽観はできないと思うけれど》

(学園全体の監視?それは……この学園内で何か、もしくは誰かを探している、か?)


 その『誰か』がレウルート=スィン=ウェルサーム──要は僕──というのは十分ありうる。あるいは、ユリウスの取り巻きの貴族二人が殺された事件の手がかりや犯人、というのもあるか。一応、一連の事件の犯人はユリウスということになっているようではあるが、誰かが疑問を抱くこともあるだろう。

 どちらにせよ、行き着く先は僕だ。戦争関連とか、僕にまったく関係ない調査と言う可能性もありえなくはないが、リューネも言う通り、こういうときは楽観より悲観するべきだ。


《そこで相談なのだけど、【化鳥の英雄】を殺す?(いま)なら殺れるわ》


 監視は鬱陶しいし、消しておきたいのは事実だ。そいつが僕のことを探っているなら後々面倒なことになる恐れもある。

 しかし……、


《あ、貴方は喋れないわね。『念話』を繋ぐわ》

《……ここで殺すのはまずい。学園(こんなところ)で【英雄】が死んだり行方不明になったりすれば、間違いなく怪しまれる。隠蔽は難しいだろう。新しくまた【英雄】が調査に来るだけだ。しかも、今回以上の規模でね》

《なら、殺しはなし?》

《ああ。代わりに、その【化鳥の英雄】のところから情報を引き出せないかな? そいつの狙いでも、背後関係でも、戦争のことでもなんでもいい》

《わかったわ。少し潜入してみましょうか》

《くれぐれも……》

《バレないように、ね。ええ、わかってるわ。見つかったら元も子もないもの》

《無理は決してしないで、できないと思ったら素直に退いて構わないから》

《ええ。私がいなくなったら、この部屋に張った魔力探知妨害は消えるから、魔法は使わないでね》

《了解。頼んだよ、リューネ》

《任せなさい》


 それを区切りにリューネの気配が消える。

 シェーナがさりげなく僕に目配せをする。探知妨害の魔法が消えたということだろう。


「よし、僕はそろそろ寝よう。君ももう休むといい」

「はい。お休みなさいませ、若様」


 寝室に向かい、ベッドに横たわる。

 ……しかし、監視があると思うとどうにも眠れない。


(……いや、そもそも昔は、王宮にいたころはまともに眠れた日の方が少なかったな)


 王宮にいたころは僕はまだ幼かったし、兄たちに居場所も割れていた。状況が今と同じとは言いがたいが、しかしやはり僕は変わった。その良し悪しはわからないが……。

 十年前の僕なら、あるいは僕が王宮で十年をすごしていたら。

 今、眠るだなんて発想からして出なかっただろう。よく言えば幸福な、悪く言えば平和ボケした考え。だが、僕はかつてに戻りたいとは決して思わない。

 シェーナ。リューネ。ルミスさん。ばあや。もっと言えばアイシャやミリルに村のみんなも。彼女たちのおかげで、僕はこんなに幸福で平穏に物事を考えられる。

 改めてそんな感謝を頭に浮かべているうちに、僕は眠りについていた。

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