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038 建前と本音と

「なあ、アーク。明日暇か?」

「明日?まあ授業もないし暇だけど……」


 リール『ベリー』から警告を受けて数日。今のところまだ僕らの周りに戦争の影はない。

 マサキが唐突にこんな質問をしてきたのは、そんないつもの日常の一コマだった。

 僕が答えると、マサキは明らかに面白くなさそうに表情を歪め、さらにはけっ、と汚く吐き捨てた。


「えぇー……。そっちから聞いといてなにさ……」

「……檀が、その日なら大丈夫だからアークさんに聞いてみて、って」

「マジで!?っしゃっ、キタキタキタァァァ!!」


 状況を掴みかねていた困惑から一転、歓声をあげる僕。

 以前、僕がマユミをお茶に誘ったことがあった。その際は社交辞令程度の返事を貰ったのだったが、今回はまさにそのときの約束の話だろう。あれが生きたということだ。


「お前、ちょっとキャラ変わってねぇ!?くっれぐれも、檀に変なことするんじゃねぇぞ!?」

「ははは、大丈夫、大丈夫。待ち合わせ即ベッドインとかは避けるようにするよ」

「そんなん当たり前だろぉぉぉおおお!オマエの恋愛観どうなってんだ!?」


 待ちに待った好機にテンションアゲアゲの僕と対照的に、前々から僕とマユミの接触を避けたがってたマサキはお世辞にも機嫌がいいとはいえない。

 そんな僕らを横で見ていたバークラフトが呆れたように口を開いた。


「いやアークがアレなのはまあそうだけど……マサキもちょっと過保護が過ぎねぇ?いーじゃん、マユミがいいって言ってんだろ?」

「いーや、妹を守るのは兄の努めだ!変な男に檀はやらんぞ!」

「変な男って……ひどいなぁ」

「いや、そこは同意できるぞ。ベイムはどう思う?」

「個人的にはアークには大失敗してほしいからマサキ寄りだけど。客観的にはバークラフトが正しいと思うかな」

「なんか盛り上がってんな。なんの話だ?」

「カーター。いや、それがさ……」


 ちょうど登校してきたカーターが、僕らが騒がしいのが気になったのか話しかけてきた。

 かくかくしかじか、と話の経過を把握していない彼に説明する。


「え、マジ?マユミ、アークの誘いオーケーしたのか!?」

「茶飲むだけだぞ!それ以上はお兄ちゃん許さねぇからな!」

「それだけでも通ると思ってなかったんだよなぁ。くそぅ、俺も声かけときゃよかったか?」

「なにィ!?カーター、お前まで裏切るか!」

「いや、あんなかわいい子そうそう居ねぇしさ……。一応、友人(マサキ)の妹ってことで遠慮してたんだが。友達の妹って付き合うとかにも気ィ使うよな」

「そう?僕は気に入ったら人妻でも手に入れにいくけど」

「うっわぁ……」

「人間のクズ……」

「今からでも檀を説得するべきか……」


 ぽろりと溢した本音にバークラフト、ベイム、マサキから総スカン。

 おかしいな、昔似たような、欲しいものは絶対に手にいれたいんだ!みたいなことを言ったら、シェーナやリューネは笑って誉めてくれたような気がするんだけど。

 言い方の問題だったのだろうか。


「つーか、貴族(あんた)がそういうこと言うとちょっとシャレになってねぇぞ」

「なに、そんなつまらない手は使わないさ。女性は僕自身の魅力で手にいれなきゃ意味がないからね!」

「そこはマトモか。……マトモか?」

「コイツ、中身はこのザマだけど外見いいからなぁ……。普通にモテそうなのがムカつく」

「まあまあ、そんなに誉めないでくれよ。で、本題に戻るけど、明日僕はどこに行けばいいのかな?」

「誉めてねぇけど……。明日の集合場所は特に檀から指定はない。おまえがよけりゃあ、朝に俺の家に来てくれりゃいいんじゃねぇの?」

「うん、了解。僕はそれで問題ないよ」

「見るからにウッキウキだな……」


 そりゃあそうだ。

 このところ、学園で殺人をしたり、ダリウス=グラスを殺しに出かけたり。一段落ついたと思えばリールがやって来たりと、遊んでる(・・・・)暇なんて無かった。

 まさしく待ちに待った機会なのだ。


  ◆◇◆◇◆


 翌日。


「あら、珍しい。休みなのにレウがこんな朝早くに起きてるなんて」

「おはよう、リューネ。今日はちょっと用事があってね」

「用事……ですか?それは一体、どういう?」

「大したことじゃないよ。今日中に終わるくらいの些細なものさ」

「……危ないことじゃないんですよね?」

「もちろん。そういうことは君たちにちゃんと相談するよ」

「そ。ならいいわ。何かは知らないけど、いってらっしゃい」

「ありがと。でもまだ時間は……」

「あ。念のため確認しておくけれど、女遊びじゃないわよね?」

「おっと!そろそろ時間が迫ってるな!いってきます!」


 逃げるように部屋を出ていったレウを私は呆れたような視線で送り出した。

 明らかに怪しい。追いかけたいが……シェーナにも聞いてみよう。


「つける?」

「それは…………いえ、でも、流石に。レウ様にも自由な時間を得る権利がありますし」

「そうね。けど、(わたし)には(レウ)が変な女に引っ掛かってないか、心配する権利があると思わない?」

「……リューネ」


 咎めるようにシェーナが私の名を呼ぶ。

 ……まあ、彼女がそう言うならば、私が無理に押すこともない。気になるのが本音のところではあるが。


「わかったわ。今日のところはよしておきましょう。……でも、気にならないの?」

「……ノーコメント、です」


 躊躇うように、彼女はか細く答えた。


  ◆◇◆◇◆


「や、おはよう、マユミ」

「おはようございます、アークさん。今日はよろしくおねがいしますね。……もう、お兄ちゃんったら、いつまでふくれてるの」

「ふくれてない」

「もー……ごめんなさい、アークさん」

「あはは、マサキ昨日からこんな感じだからね。慣れた慣れた」

「本当にすみません……。それじゃあ、行ってくるね、お兄ちゃん」

「おう、楽しんでこい」


 微塵もそんなこと思っていなさそうなふくれ面のマサキに送られて僕とマユミは歩き出した。


「予定では、以前話したケーキ屋に行くつもりなんだけど、マユミは他に行きたいところとかあるかな?」

「いいえ、アークさんにお任せします」

「そっか。じゃ、エスコートさせて頂きましょう、お姫様」

「ふふ、なんですか、それ」


 マユミはけらけら笑いながらも、気取ったように差し出した僕の右手に自身の左手をゆっくりと重ねてくれた。

 僕らは手を繋いで歩き出す。

 マサキに本気で恨まれても嫌だし、そんなに軽薄な真似をするつもりはないが、せっかくのデートなのだ。このくらいの雰囲気づくりはむしろ必須だろう。


「そのお店ってどの辺りにあるんですか?」

「そこそこ近くだよ。ここから歩いて十五分ってところかな」


 王都と一口にいっても広い。通常のデートで回れるのは学校やマサキの家が位置する東側の区画だけだろう。

 そういう意味では昔から知っている店が近くにあってラッキーかもしれない。

 目的の店は僕が王都にいた十年前から有名なところだったが、抜かりはない。十年たってもちゃんと営業しているのか、現在の評判はどうなのか、予約は必要そうかそうでないか、エトセトラエトセトラ。もろもろ、全部調査済みだ。


「十五分ですか」

「あまり歩くのは好きじゃない?それなら乗り合い馬車か人力車で行くけど……」

「あ、いえいえ、そうじゃないんです。このところ、お買い物とかも近所ばかりで、その程度も歩いてなかったなって。歩くのは好きですよ。お散歩とか、あまり知らない道を歩くのは楽しいです」

「そう?なら、裏道でいくかい?ショートカットすれば十分で着くよ」


 半ば冗談のつもりで言ったことだったのだが、マユミは瞳を輝かせて、それもいいですね、なんて言う。

 僕は慌てて前言を撤回することになった。


「冗談だよ、マユミ。王都の裏道はあまり安全じゃない。君みたいな子が不用意に歩くべきじゃないよ」

「そうなんですか?」

「知らないのかい?マサキから何か聞いてたり」

「あー……その、私たち、ウェルサームの出身じゃないんです。実は王都の事情にもあまり明るくなくて」


 そういえば、彼らは異国からやってきたのだったか。この王都に住んでいるのもまだ長くないようだ。


「王都の裏路地は治安が良くないんだ。大通りは衛兵の目があるから平気だけど、一本裏に入るだけで浮浪者みたいなのがうろうろいる。外壁の外のスラムほどではないけど…………マユミ?」

「あ……。すいません。アークさんはいろんなことをご存じなんですね!」

「ごめん、喋りすぎたかな?つまらなかった?」

「全然!あの、もっといろいろ教えてもらえませんか?この街のこととかこの国とか!」


 僕の話にぼーっとしているようだったから、退屈させてしまったかと思ったが、逆だったらしい。むしろ夢中で聞いていたのだろう。

 僕に話をせがむマユミはとても興奮しているようで、若干気圧されすらする。


「う、うん……。構わないけど、どんな話が聞きたい?」

「なんでも!なんでも知りたいです……って、これじゃ、何を話したらいいかわかりませんよね。ええと……」

「あはは、わかったわかった。いろんな話をしよう」


 マユミは宣言通り、どんな話にも興味を持った。王都の裏通りがいかに危険かという話に始まり、王宮が浮浪者にどんな対策をしているのか、あるいはその他の政策なんかも。

 普通であればデートでするような話ではないかもしれないが、彼女は政治談義なんかも楽しそうに付き合ってくれた。


「っと、ここが目当ての店だよ。話の続きはケーキを食べながらにしない?」


 マユミは素直に頷いて、店の中に入っていく。

 予約通りに席に座り、二人ともおすすめのチーズケーキと紅茶を注文する。


「わ、すごい、本当においしい!」

「はは、気に入ってくれた?」

「はい!正直、びっくりしました!以前住んでいたところでも、食べたことないくらいおいしいです!」

「そういえば、マサキとマユミは東の方の国の出身って聞いたけど、クリルファシート王国じゃないんだよね?」

「は、はい。もっと東だと、思います……。たぶん……」


 自分がどうやって来たのかわかっていないかのようなマユミの言い方には若干の違和感を覚えたが、クリルファシートよりさらに東となると、オリエンタル都市同盟だろうか。さらに東には神話教会と対立する宗教国家があると聞いたことがあるが……まさかそこだなんてことはないだろう。


「そ、そんなことより、ウェルサームのことをもっと知りたいんです!さっき、王都の裏通りの話をしてましたけど……」

「ああ。一人の時は絶対に入っちゃダメだよ。人さらいとかもいるからね」

「ひ、人さらいですか……」

「そ。奴隷として売り払われたり。ウェルサームでは奴隷は非合法だけど、違法奴隷はいるし、外国に売られる場合もあるし」


 昔実際に拐われかけた人間のセリフだ。

 あれは結局兄の息がかかった者だったが、そうでなくとも普段から人さらいをしていた人間のようだった。


「怖いですね……」

「あはは、まあ人通りがあるところは平気だよ。っと、そろそろ行くかい?」

「そうですね。この後の予定とか……」

「お昼の予約はしてあるよ。少し時間があるね。散歩でもするかい?」

「はい!案内していただけますか?」

「もちろん。王都のスポットは何も物騒なところだけじゃない。それを教えてあげるよ」


 喫茶店の会計を済まし、店をあとにする。

 雑談しながら歩いていると、違和感を感じた。

 目や耳に感じたものではない。

 『支配する五感』(のうりょく)に反応があったのだ。

 視覚でもって僕を捉えている反応。もちろん、町中であるのだから見られていることそれ自体はなにもおかしくない。しかし普通、町をいく人々の視線は通り過ぎては去っていくものだ。

 それなのに、さっきからいくつかの視線が僕を捉え続けている。

 まさか刺客か、と思ってこっそりと視線の元を探る。

 そこにいたのは、数人の男たち。

 ……ていうか、マサキにバークラフトにカーターにベイム。いつものメンバーだった。


「あいつら……」

「アークさん?どうしました?」

「いや……。あ、そうだ。マユミ、ちょっと耳かして」


 彼女の耳元に口を寄せ、作戦(・・)を囁く。


「……?どうして、そんなこと……?」

「まあまあ、いいからいいから」

「はあ……」


 そのまま数メートル歩き、角に差し掛かったところで、


「今だ、マユミ!走れっ!」

「はいっ!」


 二人で手に手をとり走り出す。

 背後からは聞き覚えのある声がする。


「あっ、逃げた!」

「くそ、気付かれてたか!?」

「追うぞっ!」

「了解!」


 先手はとったがただ逃げていても仕方ない。それではただのおいかけっこでデートではなくなってしまう。


「っ!マユミ、こっち!」


 彼女の手を引いて脇道に隠れる。

 数秒ほど息を潜めていると、真横をやつらが駆けていった。


「今の、お兄ちゃんたち……?」

「つけられてたみたいだ」

「えっ!?まったくもう……!すみません……」

「こうして撒けたからよしよし!さ、デートの続きを楽しもう!」


 そのあとはなんら邪魔も入ることなく、レストランでの昼食に舌鼓を打ち、噴水広場で大道芸を見て、王都のレパートリー豊かな店でウィンドウショッピングを楽しんだ。


「ふぅ。大分遊んだね。そろそろお開きにしようか」

「そうですね……。日も沈みそうですし」

「ああ、最後に一ヶ所だけ。ちょっと歩くけどいい?」

「はい」


 それを聞いた僕はマユミの手を引いて高台へと登る。

 ここ東側地区には王都で唯一、高さのある地形がある。この街で最も高いのは王宮の尖塔だが、次に高いのはこの丘だ。王都中央の貴族区もここからなら見下ろせる。


「いい眺め!あ、あそこ!朝の喫茶店ですね!」

「あは、そうだね。それと、もう少し上を見てごらん」

「上……?」


 少し視線を上げれば、そこに見えるのは地平線。それと、そこに沈んでいく真っ赤な夕陽。

 紅に染まる、大地と街並み。


「わあ……!」


 そのまま二人で沈む夕陽をただただ静かに眺める。

 会話はなかったが、気まずさはない。心地よい沈黙。

 だが、長くは続かない。数分のうちに太陽は地の底へ沈みきってしまった。


「……沈んじゃいましたね。じゃあ、今日は─」

「今日はありがとうね。僕が貴族だからわざわざ付き合ってくれたんでしょ?」

「っ!……どうして」

「ああ、ごめん。言い方が悪かったかな。怒ってるとか、詰ってるとか、そういうことじゃないんだ。言葉通り、感謝してる。それと、ごめんね。無理に付き合わせちゃって」


 マユミは俯いてなにも言わない。

 一言だけでも謝っておこうと思って言ったことだったが、余計なことだったらしい。


「……帰ろうか。家まで送るから─」

「違います」

「え?」

「最初は、確かにそうでした。アークさんの言う通り、貴族だから。機嫌を損ねたらお兄ちゃんに危害が及ぶかもしれないから。そう思って、お誘いに乗りました」

「…………」

「でも。楽しかったんです。今日は本当に楽しかった!アークさんは物知りだし、話は上手だし、王都の楽しい場所をいっぱい案内してくれて、エスコートは完璧で、段取りとか雰囲気作りも抜かり無くて、常に私を楽しませようとしてくれて、ちょっと女の子の扱いに慣れすぎなのは気になりましたけど、それでも!」

「……それでも?」

「楽しかったんです!心の底から、とっても!」

「マユミ……」

「だから、今日は楽しい時間をありがとうございました!それと、ごめんなさい。私は最初、失礼なことを考えていました。許してください」

「え、それは、もちろん許すけど……」

「ありがとうございます。……今日のデートでありがとうを言うのは私。ごめんなさいを言うのも私です。アークさんが言うことじゃありません」


 マユミは、とても真摯に心の内を打ち明けてくれた。

 彼女の言葉は僕の罪悪感を和らげ、自尊心を満たしてくれた。

 ……しかし、僕は、そこにつけこむ。リューネに悪い男だとか言われるのも否定できない。

 僕は、出来る限り悪辣な笑みを作り、言った。


「そうか。ならマユミは僕に借りがあるね。またデートに付き合ってもらわなくちゃいけないと思わない?」


 僕のある種とぼけたような、芝居がかったセリフにマユミはくすりと笑うと、


「いいですよ。またこうやって一緒にお出かけしましょう」

「なら─」

「けど!」


 彼女の肩に手を置き抱き寄せるために距離を詰めようとした僕の胸元を掌が押さえる。突っ張り棒のように突き出されたマユミの右腕だ。


「友達として、ですよ!アークさんはすばらしい人だと思いますが、男性としては正直信用できません」

「えー!ひどいこと言うなぁ」

「ふふ、こういうことを言えるのもアークさんに気を許してるからですよ」


 ズルい言い方をする。

 そんな風に言われてしまったら僕はもう何も言えないじゃないか。


「じゃあ今日のところはこのくらいにしておくよ。さ、帰ろう。あまり遅くなるとマサキに怒られる。僕が」

「あはは。あ、お兄ちゃんといえば、今朝つけられてたんですよね。思い出したらちょっと腹立ってきました」


 僕らはとりとめのない話をしながら、ゆっくりと帰路についた。

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