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034 仲間たちと日常と

 グラス子爵邸襲撃から一週間ほどが経った。このころには一連の事件の話や、それにユリウスが関わっていたらしいこともあくまで噂のレベルではあったが平民科まで伝わっていた。

 ダリウス=グラス子爵が殺され、屋敷が全焼したあの事件は─僕にとっては幸いなことに─血迷って家督を簒奪しようとしたユリウスによるもの、という見方が世間的には強かった。状況的には微妙なところではあったが、直前の連続殺人の犯人がほぼユリウス=グラスで間違いないというのが効いたようだ。

 実際の捜査のレベルではどうなっているかわからなかったが、まあ大きく違うことはないだろう。こういった話は大抵、調査官がうっかり漏らした情報なんかがもとになっているものだ。

 いざという場合でも迅速に対応できるよう、ここ一週間はずっと気を張っていたのだが、そろそろ枕を高くして眠れそうだ。


「……ーク!おい、アーク!」

「っ!あ、ああ、マサキ。どうかした?」

「どうかした?じゃねぇよ。ボーっとしてたぞ。大丈夫か?」


 危ない、危ない。学校の実技授業の途中で朦朧とするなんて。

 少し緊張しすぎていただろうか。


「うーん、このところちょっと睡眠が足りてないからかなぁ」

「ランニングの最中に寝れるってのは器用だな」

「いやいや、器用でいったらあのフレッド教官の目を盗んで座学で寝てる君には全然及ばないよ、バークラフト」

「いやぁ、午後にやる座学って眠くならねぇ?」

「わかるわかる。いや、実技でくったくたに疲れてりゃ、寝ちゃってもしょうがないよな!」

「だよなぁ!」


 走りながら肩を組んで、はっはっは、と笑いあうマサキとバークラフト。やっぱり器用だろう、二人とも。

 そんな僕らに後ろから恨めしそうに声がかかった。


「ぜぇ……おれから、すりゃあ……はぁ……こんな、ずっと走ってんのに……ぜぇ……そんだけ、喋れる、お前らみんな、器用だって……」

「カーターに……はぁ……はぁ……同じ……ぜぇ……はぁ……」


 カーターとベイムは喋るのもつらそうなくらい呼吸を荒くし、息も絶え絶え、といった様子だ。


「お前らいっつも実技バテてんなぁ」

「でもカーターもベイムも座学はクラスでも上位の成績だよね。誰にも得意と苦手があるものだって」

「なあ、実技も座学もトップクラスのやつがなんか言ってるぞ」

「強者の余裕だな」

「くそぅ……ぜぇ……腹立つのに、シメるだけの体力がない……」

「カーターに……おな、じ……ぅぁ、もぅむり……」

「あ、ベイム倒れた」


 効果音にすれば、べちゃ、という感じ。路上に崩れ落ちた。

 とりあえず、全員立ち止まる。


「あっちゃあ、こいつ、俺らに着いてこようと無理してたな」

「はぁ……はぁ……。俺も、限界だし、ベイム見とくから、お前ら先行って、教官に報告だけしといてくれ」


 息を整えながらカーターが言う。

 確かにそれが賢いかもしれない。


「ん、わかった。じゃあ行こうか」

「ちょっとペースあげるか。いけるか?」

「おう」

「うん」

「すげぇなお前ら……」


 すごいのは僕以外の二人だ。

 僕は【魔】なのだからこのくらいはできて当然。日々の農作業のお陰で体力はある方なはずなのだが、本来の僕はカーターやベイム寄りだ。

 先程よりいくぶんハイペースでランニングを続けていると、コースにいくつか設置された給水ポイントに差し掛かった。


「……やっぱちっと心配だな。俺、水持ってベイムんとこ戻るから、教官への報告はお前ら二人で頼めるか?」

「りょーかい、任せろ」


 リーダー気質で面倒見がいいバークラフトが、そう言って引き返していった。


「おし、行くか、アーク」

「うん。あ、マサキこのままのペースで大丈夫?落とさなくていい?」

「ほう……?アークさんはそろそろ限界ですかな……?」

「いや、僕は全然。でもマサキはキツいかなって思って」

「くっ、シレッとこいつは……!その発言、この錦木柾への挑戦と受け取ったぞ!ゴールまで競争だ!」


 ランニングもほとんど終わりに近く、ゴールまではもうあと幾ばくもない。

 このくらいの距離ならばお互いヒートアップしてペースを見失っても潰れはしないだろう。


「うん、いいよ。じゃあ、先にゴールについて教官への報告を済ませたほうの勝ち、で。スタートは─」

「よーいドン!」

「あ、ちょ、ズル……!こんの、待て、マサキ」

「待てと言われて待つ奴がいるかぁ!」


 ……ヒートアップしてペースを見失うどころか、初っぱなからデッドヒートの臭いがするけど、うん、まあ……なるようになれ!


  ◆◇◆◇◆


「「ぎょうがん……!ぜぇ……ぜぇ……ぼうごぐずりゅごどが……」」

「聞き取れん」

「「あぎゅ!」」


 ごん、と教官から軽い拳骨を食らった衝撃で勝負の熱に浮かされていた状態から正気に戻る。

 ……結局、勝負は引き分けといったところだった。僕もかなり熱が入ってしまい、人間としてのギリギリ限界ぐらいまで力を出したのだが、驚くことにマサキはそれに食らいついてきた。恐ろしい根性だ。

 ゆっくりと息を整えていると、先に落ち着いてらしいマサキが話しはじめた。


「教官に報告です。ベイムが途中で潰れちゃったんで、カーターとバークラフトが面倒みてます。給水もしてるはずなんで、大丈夫だとは思うんですけど」

「そうか。あいつらがついていれば問題はないだろう。次の授業までに戻ればかまわん。報告ご苦労。お前たちは教室に戻って自習を……いや、やっぱり待て。体育倉庫が荒れていたのを思い出した。この授業時間中だけで構わんから片付けをしておけ」

「え、俺らもう体力使い果たしてクタクタ……」

「あん、何か言ったか?」

「いえ、やります」


 教官に睨まれマサキが態度をひっくり返す。

 僕も不満がないではなかったが、あの目で睨まれたら他の返答はできない。

 教官に聞こえないよう小声でぶつくさ言いながら体育倉庫へと向かう。

 目的地へ付き、鍵の開いた重苦しい鉄の引き戸を引くと、古臭いカビとホコリの臭いが僕らの鼻を襲った。


「うわ……。こりゃ中々だな」

「ホントに荒れてるね。誰も掃除とかしてなかったのかな」

「俺らみたいな憐れな生徒が時々やらされてたんだろうなぁ……」


 愚痴りながらも、マサキは体育倉庫の中に入り作業を始めていく。

 僕も後に続いた。


「そういやさ」

「ん?」

「お前、前俺の家に来たときに檀をナンパしてただろ」

「ああ、お茶誘ったね」


 マユミ、というのはマサキの妹の名前だ。

 艶やかな黒髪が印象的な美人な女の子。シェーナと同い年で、僕からみると二つ下だ。

 初対面のとき、僕は彼女をお茶に誘い、感触も悪くなさそうだった。


「あれ、本当に行ったのか?」

「残念ながら、まだ。マユミに会う機会がなくてね」

「家知ってるだろ」

「行く暇が無いんだよ。昼間はこうして一緒に授業受けてるでしょ。夜に訪ねるのはあまり良くないだろうし、ついでに君もいるわけだし」

「それもそうか。うんうん、俺はアークの魔の手から妹を守れてるわけだな」


 まさしく【魔】の手、というわけか。いや、マサキは僕が【魔】だと知らないんだからそんな意図はないだろうけど。


「失礼な。人をまるで色情魔か何かのように」

「いや、そこまでは言ってねぇけど……」


 しまった。普段からシェーナやリューネにそんなことを言われているからつい。


「……お前、もしかして普段から周りのやつにそんな感じで言われてるのか?」

「い、いやぁ、まさか、そんな」

「言われてるのか。これはますます檀に近づけるわけにはいかないな」

「ひどい!僕は清廉潔白なのに!」

「悪いけど、イケメンの言う清廉潔白は信じないようにしてるんだわ」

「差別だ!差別主義者め!」

「それで結構。妹のためなら鬼にも悪魔にも差別主義者にもなるぜ」

「くぅ!」


 予想外だったのは、マサキが結構なレベルのシスコンだったことだ。一分の隙も無いとはこのことだ。

 くそぅ、僕はただ軽薄な気持ちから友人の妹に手をつけようとしているだけなのに!

 ……いや、うん、まあ、ここで自分の発言を冷静に振り返ると自己嫌悪が酷いので、それはいったんさておくとして。

 仕方なく、話題を打ち切って作業に戻る。


「っと、よし、大体こんなもんか?」

「だね。完全に片付いたとは言いがたいけど、時間的にもそろそろ限界でしょ」

「教官も次の授業時間まででいいって言ってたしな。教室戻るか」


 体育倉庫の扉を元通り閉め、二人広い学園内を歩く。


「ベイムは大丈夫だったかね」

「うーん、教官もいないみたいだし、戻ってこれたんじゃないかな」


 あの人はあれで、というと失礼なようだが、面倒見のいい人だ。具合を悪くした生徒がいれば、その安否も確かめずいなくなることはないだろう。

 ベイムがまったく戻ってこれず、拾いに行った可能性もあるはあるが……。


「ん?あれ、ウィシュナじゃないか?」

「ああ、本当だ。や、ウィシュナ。こんなところでどうしたの?」


 クラスメイトの一人が道の途中で立っていた。ウィシュナは僕らが所属する平民科第五組に三人しかいない女子生徒のうちの一人だ。やはり女性の士官候補生は珍しいらしい。

 ウィシュナはマサキが彼女を見つける前から僕らを見ていたことは『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』で感知していた。僕らを待っていたのだろうか。


「教官からあんたらに伝言頼まれたんだよ。ランニング、あたしが最後だったかんね」

「伝言?」

「『ベイムは無事に戻ってきたから心配するな』だってさ。あいつ、倒れたんだって?どの辺で?」

「最後の給水所の少し手前」

「ふぅん。あたしが走ってたときはもういなかったから、ホントに大したことなかったんだろ」

「そっか。よかったよかった。伝言サンキューな」

「いいってことよ」


 そのまま三人で駄弁りながら教室へ向かう。

 教室へ近づいたとき、わずかに異変の気配を感じた。


「これは……」

「あん?いきなり止まって、どうしたい、アーク」

「なんか、変な感じしない?ちょっと……騒がしい?」

「言われてみりゃ……。なんか落ち着きがない雰囲気だな」


 いつかのユリウスが僕らの教室にやってきたときを彷彿とさせるが、あの時のような喧喧囂囂(けんけんごうごう)といった風情ではない。

 それこそマサキの言うように落ち着きがないという言葉がしっくりくる。


「なぁにさ、大の男が二人して。そんなん見に行けばいいだけの話だろう!あたしたちの教室なんだから!」

「まあそれもそうか」

「荒事って感じでもないし、そうしようか」


 教室に一歩足を踏み入れた瞬間、教室中の視線が僕ら……いや、僕に集中した。


「おい、アーク戻ってきたぞ!」


 一番出入り口に近い位置に立っていた一人が叫ぶと、人波がさぁっと割れた。

 その先に居たのは、予想外のひと。一方で、ここにいてもおかしくないひと。

 十年前から見慣れた美貌。いまだ見慣れぬ茶髪。そして素敵なメイド服。


「うわ、美人……」

「アキバ以外でメイドなんて初めて見た……」


 揃って感嘆の声をあげるウィシュナとマサキ。


「な、なんで……」

「アーク?」

「お前、まさか知り合いか?」

「なんで、君が教室(こっち)に!?」


 それはまさしく、シエラヘレナ=アルウェルトその人だった。


「アークくぅーん?……後で話聞かせろよお前?」


 人垣の中から現れたバークラフトが僕の肩を組み、脅しつけるように小声で囁く。

 なんとも答えあぐねて口をぱくぱくさせていた僕の背中を彼は容赦なく押し出した。

 もうこうなってはにっちもさっちもいかない。

 周囲からの羨望と嫉妬がこもった無言の圧力に気圧されながらも、僕はシェーナの元までたどり着いた。


「や、やぁ。どうして君がここに?」

「勉学のお邪魔をしてしまい申し訳ありません。寮のお部屋に若様がお忘れものをなさっていたので、届けに参りました」

「そ、そうか、ありがとう」


 彼女が手にしていた教科書らしき物体を受けとる。

 するとシェーナは、それと、と言い添えてから僕の耳元にその可憐な唇を寄せた。

 ……クラスメイトの圧力が増した気がする。ていうかたぶん気のせいじゃない。


「お姉様からお手紙が届いております。今お渡ししたものの中に挟みましたので、ご覧になってください」

「!!」


 シェーナに姉はいない。あえて言えばリューネがそれに当たるが、いま彼女が僕に手紙を出す理由がない。シェーナが来るなら伝言でも頼めばいい。

 つまり、シェーナの言った『お姉様』は彼女の姉ではなく、僕の姉。すなわち、アイシャのことだ。……これまたリューネではない。念のため。

 アイシャからの手紙ということは、継承位争いに関わるものかもしれない。シェーナが一刻も早く僕に届けようとしたのも理解できる。


「そうか、わかった。用件は以上かい?」

「はい」

「わざわざありがとう。戻っていいよ」

「お忙しいところをお邪魔して申し訳ありませんでした」


 そう言ってシェーナは礼をするとしずしずと教室を出ていった。

 彼女が退室してからちょうど十秒の間を置いて。


「おいどういうことだアーク!」

「誰だあの美人は!どういう関係だ!」

「クールメイド……!いい……!」


 教室が爆発した。

 ていうか最後。僕は聞き逃さないぞ、マサキ。

 いや、今はそれよりいまにも暴徒と化しそうな彼らの対処が先だ。


「えっと、彼女は……」

「お前のメイド。名前はシルウェさん。それくらいはお前が来るまでに聞いたさ。だが、シルウェさん、決してそれ以上のことを語ろうとしない。となれば……あとはもうお前に聞くしかないよなぁ!」

「あ、ちょっと僕、急にお腹が」


 これは収まらないやつだ。

 察した僕はきびすを返して教室から逃げる。

 すぐにでもアイシャからの手紙を読むためにも最適な方便、だったのだが。


「逃がすな!追えぇぇぇぇぇぇぇ!」

「みんなランニングの後のくせに元気だな!?」


 クラス総出で追いかけてきた。

 結局、このときの僕は授業が始まるギリギリ限界まで追い回されたものの、かろうじて逃げ切ったのだった。

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