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033 復讐と異常性と

 ユリウス=グラスを操り、三人の人間を殺させたあの日から四日後の夜。

 今日こそは、ダリウス=グラスを殺すまさしくその予定の日だった。


「さて……準備はいいかな、二人とも」

「ええ。ばっちりよ」

「……はい、大丈夫です。いけます」


 結局、あの日から授業は全然なかった。

 貴族寮には王都の治安を守る王都警邏隊が常に捜査をしていて、教員もしばしば事情聴取なのかそっちに駆り出されていた。フレッド教官は特にその頻度が高く、僕らは授業どころではなかったのだ。


「じゃあ跳ぶわよ。私の近くに寄って」


 リューネの指示に従い、彼女のそばに寄り、その体の一部に触れる。


「行くわね……。……『転移』」


 景色が一転する。

 それはいままで何度か経験したことのある『転移』の感覚。

 ぐわんと視界が歪み、思わず目を閉じた僕が再び目を開けたとき、そこは確かにいつか訪れた空き地だった。


「すごい、流石リューネ。本当に跳べるなんて」

「そうね。上手くいってよかったわ。でもここから先は私はわからないわよ」


 言外に、貴方がなんとかしなさい、というメッセージを受けとる。


「わかってるよ。グラス子爵領の場所は頭に叩き込んである。ついてきて」


 そこからの手順に誤りはない。

 あの日、ユリウスから聞き出した情報と僕が旅の途中で集めていた情報を合わせて地図を作った。

 この四日、百やニ百じゃきかないくらいそれを眺め、記憶し、いまや僕の頭のなかには完璧に地図が叩き込まれていた。


「シェーナは走れる?」

「大丈夫だと思います。『高速』の魔法ならレウ様と大差ないくらいの速度で移動できるはずなので」

「向こうで戦いになるかもしれないんだからその分の魔力も計算して残しておかなきゃダメよ?」

「そうですね。もし魔力が足りなさそうならリューネに抱っこでもしてもらいましょうか?」

「なんなら、最初から抱っこでもいいわよ!」

「こらこら、リューネ!」


 冗談混じりにそんなことを言ったシェーナに、庇護欲でも刺激されたのか、わりと本気の調子でリューネが応えた。

 過保護はどうこう言っていたのはどこにいってしまったのか……。

 あ、でも。


「町の外壁を越えるのは……」

「抱っこね!」

「いえ、『浮遊』の魔法を試してみるので」

「そう……」


 しゅんとしたリューネはひとまず置いておく。そのうち戻るだろう。


「じゃあ行こう」


 結果から言って、僕やリューネはもとより、シェーナもまるで心配には値しなかった。

 外壁を優雅に飛び越え、大地を普段の何倍もの速度で走破する。

 彼女が【神】としてますます強大になっているのを実感する。

 そうして走ることかれこれ三時間ほど。

 今はまさしく草木も眠る丑三つ時。

 グラス子爵の館が見えてきた。

 僕は最悪ユリウスの洗脳が解けたりして待ち伏せされている可能性まで想定していたが、どうやらそれはなさそうだった。

 とりあえず館を一周していると、裏手でランプを持って立つ一人の男を見つけた。


「お待ちしていました、アーク様」


 それはまさしくユリウス=グラスその人だ。


「どうだい、首尾は」

「手はず通りに。どうぞ、私の後についてきてください」


 ユリウスの後を追いながらも、警戒は緩めない。常に『支配する五感(ルール・ザ・フィフス)』に何か引っかからないかと神経を研ぎ澄ますが、シェーナとリューネ、ユリウス以外には反応はない。僕を視覚、聴覚、その他の感覚で捕捉してるものはいないようだ。

 そうこうするうちに、庭を超え屋敷本体へとたどり着いた。

 勝手口から中に入り、廊下を進んでいく。

 誰一人としてすれ違ったりはせず、深夜であることを考慮しても人気がない。人払いをするようユリウスに指示したためか。

 ユリウスはある部屋の前で立ち止まると、


「父上、ユリウスです。入ってもよろしいですか?」


 しばらく部屋の中からごそごそと音がし、


「ユリウス?こんな時間になんだ!」


 ダリウス=グラス子爵。声の主はそれだろう。僕の目的の人物。シェーナを害そうとした怨敵。

 今すぐにでも飛びかかって殺したいが……扉を破壊すると証拠になってしまうだろうか。


「どうしても父上にお話ししたいことがございます。中に入れてはいただけませんでしょうか」

「なんなんだ、いったい……。施錠はしていない!いいから入れ!」


 その言葉を聞いた瞬間、僕は扉を開いていた。

 不用心な行動ではあったが……結果的に問題はなかった。

 燭台の灯りだけが部屋を仄かに照らす中、小太りの中年男性が一人、そこにいるのがわかる。

 やはり僕の能力にその男性─ダリウス=グラス以外の新たな反応はない。

 事前にユリウスから聞いていた話では、グラス子爵家には【英雄】はいないようだし、ここで出てこないようならダリウス=グラスはこの襲撃を知らないとみて間違いない。ユリウスの裏切りや計画の漏洩の心配はもはやない。


「っ!?貴様、なにも……っ……。……ぁぎっ……!」


 すぐさま魔力を流し込む。

 なんの抵抗もなく支配を完了した。

 すぐさま殺しにかかってもいいが……最低限の確認はしておこう。


「ダリウス=グラス。ルミスヘレナの村へシエラヘレナ=アルウェルトを殺害するように命じて私兵を派遣したのはお前か?」

「はい。私がラーネ=ハウリー伯爵からの命令を受けて実行しました」

「……そうか。お前の配下に【英雄】などの超常存在はいるか?」

「いいえ、私の私兵は全て人間です」


 やはり。これで横槍が入らないことが確定した。もう憂いはない。

 あとは少しばかり情報を引き出したらこの男を殺すだけだ。


「ラーネ=ハウリー伯爵から今回の命令に関してなんと聞かされていた?」

「第五王子、レウルート=スィン=ウェルサームを威嚇するため、ルミスヘレナ=アルウェルトの娘、シエラヘレナ=アルウェルトを惨殺するように、という指示でした」

「全容を聞いてはいるのか。では、ラーネ=ハウリー伯爵の背後に誰かいるとしたら、心当たりは?」

「アンラ=セイス=ウェルサーム王子で間違いないかと」


 予想通り、といったところか。

 僕の弟にあたる(らしい。直接会ったこともないけど)アンラは【岩石の英雄】ツトロウス『メイ』や【風の英雄】ログラン『キョーガ』を派遣して僕を殺そうとしたやつだ。

 タイミング的にまず間違いないと思ってはいたが、これで確定というわけか。

 その他にも、アンラやラーネ伯爵などダリウス=グラスと関係があり、僕が対立することになるであろう貴族たちの情報も聞き出したが、これといった話はなかった。

 ……これだけ聞けば、もう十分だ。


「リューネ、『音声阻害』この部屋に張れる?」

「……ほどほどにしなさいよ。『音声阻害』」


 僕の意図を一瞬で読みきったリューネは、忠告しながらもお願い通り魔法を使ってくれる。

 これでこの部屋中でどれほど音をたてようが外に漏れることはない。

 僕はダリウス=グラスにかけた支配を緩めた。


「っ……!だ、誰か!誰かおらんのか!お、おい、ユリウス!なにをしている!早く助けを呼んで……」

「やかましい。黙れよ」


 部屋の壁に飾ってあった宝飾剣を適当に一本手に取り、ダリウス=グラスの掌に突き刺した。


「っ!ぎゃぁぁぁああああ!」

「っ!?レウ様!?なにを……」

「シェーナは見ないほうがいいかもしれないわね。見て気持ちいいものではないと思うし」

「リューネも、なにを呑気に……!必要なことならまだしも、不必要な暴力は止めないと!」

「そうね。不必要な暴力は良くないわ。私もそう思う。……でもね。必要性のある復讐なんてきっと存在しないのよ」

「復讐……?」

「アレは貴女を殺そうとした人間たちの一人なんでしょう?レウにしてみれば殺したいほど……いえ、殺すのはどっちみちね。なぶり殺したいほど憎くても、不思議ではないでしょう?」

「そんな……!私はそんなこと望んでないのに……!」

「でしょうね。そして、レウもそのくらいわかってると思うわよ。でも残念だけど、憎悪って理屈じゃないのよ」


 リューネのいう通りだ。これはシェーナの望むことではない。それは知っている。

 シェーナは、一歩間違えれば筆舌に尽くしがたいような残酷な目にあっていたであろうというのに、報復をするべきじゃないなんて言うほど心優しい子だ。

 しかし、僕は我慢できない。納得できない。

 この男には、しかるべき報いを与えなければ。


「ああ、そうだ。せっかくなら僕じゃなくて……ユリウス。お前がダリウス=グラスを斬れ。殺さないように、丁寧にね」

「ひっ!や、やめろ、ユリウス!なぜ私に剣を向ける!?やめろ!やめてくれ!」


 僕の命令になんの感情も示さず剣を抜き放ったユリウスを見て、ダリウスはその顔を恐怖と驚きに歪める。

 慌てて後ずさろうとするが、その体はぴくりとも動かない。

 僕が能力による支配を緩めたのは自意識の表出のみ。ダリウス=グラスの肉体は変わらず僕の支配下にある。

 緊急事態に体が意思に従わない、という状況にダリウスはパニックを起こして泣き叫ぶ。


「な、なぜだ!なぜ体が動かない!?やめ、やめてくれ、ユリウス!親子じゃないか、私たちは、い、あぎぃ、ぎゃぁぁあああああ!」


 ユリウスの振るった刃はダリウスの右肩を貫いた。


「あ、ひぃ、ぐぎぃ……!い、嫌だ、し、しにたくな、がぁ、あああああぁぁあああああ!」


 次は左足。右の太股。耳を削ぎ。口を裂き。片目を抉り。指を落とし。露出した骨を削り。脇腹を切る。腹を開く。臓物を引きずり出し、踏みにじる。切り取った手足の指を無理矢理食わせ。邪魔な肋骨を剣をノコギリのようにして切り外す。心臓……は下手に遊ぶと殺してしまうな。肺の片方に大きな穴を開ける。そろそろ手足を取ってもいいだろう。簡単にはやらない。切れ味の悪い儀礼用の剣で何度の何度も切りつけさせる。……どうにも冷めてきた。もう終わろう。臓腑を一つ一つ剣で突いて潰す。ダリウス=グラスは虫の息だ。


「そろそろいいや。ユリウス、首を刎ねろ」


 僕がそう命じたのは、ダリウス=グラスが叫び声すら上げなくなったころだった。弱々しく心臓が鼓動しているし、かろうじて生きてはいるようだが。

 実父へのこの仕打ちすら拒めなかったユリウスが今さら僕の命令を違えるはずもなく、ダリウス=グラスの首は一息に切り落とされた。

 さらに続けてユリウスに命令を下す。


「屋敷に火を放ち、自死しろ」

「はい、わかりました」


 ユリウスはすぐさま手に持っていたランプを叩き割り、ベッドシーツだのカーテンだのの燃えやすいものを集めて燃やす。火がある程度大きくなったのを確認し、ダリウス=グラスの命を奪ったその剣で喉を突いて死んだ。

 感情にかまけて惨殺したが、不用意だっただろうか。この炎が証拠を燃やしてくれることを願おう。


「さ、僕らも早く逃げないとね。流石に人が起きてくる」


 振り返り、彼女たちに言う。

 そこではじめてシェーナの顔が目に入った。つらそうな、悲しそうな顔。

 つい激情に駆られてダリウス=グラスを惨殺したが、少しばかり軽率だったかもしれない。せめてシェーナの目の届かないところでやるべきだったか。

 いくらシェーナが優しいといっても、今回ばかりは怒るだろう。我ながらひどいことをした自覚はある。もしかしたら、軽蔑して僕の【神】なんかやめてしまうかもしれない。

 そう思っていたのに。


「すみません……レウ様。私のせいで。私が弱いから、こんな」

「は……?な、何を言ってる?どうして君が謝る?君のせいって、一体君は何を言っているんだ?」

「私が自分の身も守れないほど弱かったから、あのときレウ様に助けていただけなければ死んでいたほど弱かったから。だからレウ様はここでその人をそんな風にして殺さなければいけなかったんです。だから、これは全部私のせいなんです」


 思わず絶句した。はじめ、本気で何を言っているのかわからなかった。聞き直し、ようやく意味を理解して、正直……シェーナの正気を疑った。だが、心にもないこと言っているわけでも、惨状に錯乱したわけでもないことはすぐにわかった。

 異常なまでに自罰的。唖然としてしまってなんと言葉をかければいいかもわからない。

 固まっている僕の袖をリューネが強く引いた。


「思うところもあるでしょうけど、後にしなさい!今は逃げるのが先決よ!」

「っ!あ、ああ、そうだ!シェーナ、大丈夫?」

「はい、いけます」


 幼馴染みの思いもよらぬ一面に面食らったが、彼女の調子はいつもと変わらなそうだ。

 リューネ曰く、『転移』の魔法ですぐさまここを離れると『転移』の痕跡を消すことができず、魔法に長けた【英雄】や【神】が調査に来た場合、魔法を使ったことが知られてしまうのだそうだ。仮にも貴族の殺人事件だ。まさか【英雄】や【神】が動かないだろう、なんて楽観はできない。

 そして、魔法の痕跡はすぐさま僕らの正体につながる類いの手がかりではないが、一連の事件の犯人をユリウスに仕立てあげたい僕にしてみれば超常存在の関与が明るみになるのは避けたい。

 そのため、いったんここから歩いて離れ、ある程度距離をとったところで『転移』する手はずになっていた。

 僕らはいつものようにリューネに『隠形』をかけてもらい、燃え盛るグラス子爵邸から逃げ出したのだった。

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