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031 覚悟と殺人と

≪三番目、三番目、っと……。あ、ここかな?うん、ドアプレートにも名前がある。ここがユリウスの部屋だ≫

≪で、どうやって入るの?ドアを破壊する……のは無しよね?≫


 目的の部屋の前の廊下で私たちは念話で相談をしていた。

 まだ夜もそこまで深くはない。

 廊下をときたま人が通りすぎていくが、リューネのはもとより、さすがに私の『隠形』も一般人に暴かれはしないようだった。


≪そこはほら、リューネの便利魔法で≫

≪要は無計画じゃない、それ……。まあいいわ、やってあげる。『念動』≫


 かちり、と鍵が回る音がした。


≪おお、すごい。どうやったの?≫

≪『念動』は触れずに物を動かす魔法よ。対象物の場所を把握してる必要があるけど、『探知』の魔法で調べてもいいし、鍵なら鍵穴の位置から判断できるわ。遠くのものとか重いものを動かすのは大変だけど、鍵開けくらいならレウでも練習すればできるんじゃない?≫

≪それは大変魅力的な話だけど、今はやることやらないとね≫


 そう言って、レウ様はなんのためらいもなく、ドアノブに手をかけ扉を開いた。

 中にいたのは、一人の貴族の男性。年のころはレウ様と同じくらいだろう。

 彼はひとりでに開いたドアをいぶかしむように見つめる。


≪それじゃ、リューネ。『隠形』解いて≫


 パチン、とリューネが指を鳴らすと、みるみる間にレウ様の姿が現れる。


「っ!貴様は、昼間の!いったい何を……」

「お前が知る必要はない」


 問いを大上段に切り捨てる言葉と同時、レウ様からユリウス=グラスへ(まりょく)が流れ込んでいるのを感じる。

 いくら貴族といえど所詮はただの人間。【魔】の魔法に抗える道理はない。なんなく支配に成功したようだ。

 いきなり現れた不審者への驚愕や不安に彩られていたユリウス=グラスの表情から感情がすとんと抜け落ちる。


「さて、ユリウス=グラス。君にはいろいろ聞きたいことがある。まずは……そうだな、昼間君が僕らの教室に来たとき。二人、一緒に来た奴が居ただろ?あれ誰だ?」

「イール=ドバとネイト=カールスキー。どちらも男爵令息です」

「男爵家なんて全然覚えてないから嘘だと断言はできないけど……ま、あとは本人たちに聞けばいいか」


 【侵奪の魔】の能力支配下にあるユリウス=グラスはそもそも嘘をつくことはできない。

 レウ様が言ったのは、その取り巻きの二人の貴族がユリウス=グラスを欺いている可能性だろう。ユリウス=グラスの取り巻きが上位貴族がユリウスに着けた監視役ではないかという予測はすでに聞かされていた。


「よし、そうと決まれば先にそっちを済ませてしまおう。ユリウス、イール=ドバの部屋に案内しろ。ああ、剣を持ってくるのを忘れるなよ」


 レウ様の命令にユリウス=グラスは唯々諾々と従う。

 不満の欠片すら見せないが、ユリウス=グラスの意識や自由意思が消滅したわけではない。ユリウス=グラスはこの状況を認識しているだろうし、心底では恐怖や怒りを感じているに違いない。

 いずれもレウ様の支配下にあるために表面化できないだけだ。

 リューネが再びレウ様に『隠形』を付与する。

 ユリウス=グラスに導かれるまま、私たちは貴族寮の中を歩いていく。廊下では幾人かの生徒とすれ違ったが、やはり誰も私たちに気づくことはない。

 やがて、一枚の扉の前でユリウス=グラスは立ち止まる。ここが目的の部屋なのだろう。

 レウ様から微弱な魔力がユリウス=グラスに流れる。おそらく命令を乗せたものだ。

 命令を受けたユリウス=グラスはドアをノックする。


「イール、私だ、ユリウスだ。話がある。開けてくれ」

「ユリウス卿。こんな時間に、何のご用で?」


 イール=ドバは何を疑うこともなく扉を開けた。彼からしたら顔見知りが部屋に訪ねてきただけであって、迂闊な反応と言うのは酷だろう。

 ユリウス=グラスが部屋に招かれるのに便乗して私たちも部屋に入り込んだ。

 ドアが閉じられたとたん、さっき同様レウ様の『隠形』が解かれた。


「っ、な!?」

(まりょく)よ、侵せ」


 ユリウス=グラス同様、イール=ドバも一瞬で支配された。助けを呼ぶ暇すら与えたない。万が一呼べたとしても、この部屋はリューネの施した『音声阻害』の魔法が施されている。声は外部には届かない。


「イール=ドバ、単刀直入に聞こう。お前、なんの目的があってユリウス=グラスに近づいた?」

「ラーネ=ハウリー伯爵からグラス子爵家を取り込むため、今のうちからグラスの跡取りと繋がりを持つのを目的として派遣されました」

「……まあそれは予想通り。けど、そうなると……。イール、ユリウス。レウルート=スィン=ウェルサームという名に聞き覚えは?」

「レウルート……?いえ、ありません。王族の方ですか?」

「もしや、十年前に失踪したという第五王子のお名前では?」


 ユリウス=グラスはまったく知らないようだったが、イール=ドバは引っかかる部分があったようだ。

 しかしこの言い方はレウ様を知っていたというよりは、問われて予想した、というように聞こえる。

 実際、それが正しいのだろう。レウ様の能力に支配されれば欺瞞も駆け引きも不可能だからだ。

 これはつまり、この二人は私たちにとっての『敵』と繋がりこそあれ、直接何か害を及ぼしたことはない、ということを意味する。

 しかし。


「なるほどね。ならもうひとつ。今日、僕がユリウスと揉めたこと、あるいはそれ以外の理由で僕のことをラーネ伯爵や上司に報告したか?」

「いいえ、していません」

「それは重畳。本当はもっと根掘り葉掘りいろいろ聞きたいとこだけど、もう一人いるし、時間もないし。よし、ユリウス─」


 レウ様はふんふんと頷いて、そのままいかにも軽々しく、なんでもないことのように命令を下した。


「─イール=ドバを殺せ」

「はい、かしこまりました」


 ユリウス=グラスの声や表情には、動揺の色も嫌悪の感情も見えない。いや、それどころか殺されるイール=ドバすら、恐怖や怒りを見せることはない。

 だが、やはり彼らが自意識を喪失した訳ではないのだ。表面に出せない内心では、来る死と殺人を嫌悪し恐怖しているに違いない。

 しかしレウ様は、彼の能力はその感情を表出することすら許さない。

 ぐしゃ、と。

 それは私が想像していたよりも鈍い音だった。

 ユリウス=グラスの振り降ろした刃は、イール=ドバの肩口から正確に肉を裂き深く胴体まで切り裂いた。心臓も肺も断ち切られている角度と深さだ。

 どばどばと血が溢れ、ユリウス=グラスの服を真っ赤に染める。

 ──まさしく、それは命が失われる瞬間だった。

 その覚悟は、あったはずだった。

 さらに、初めてというわけでもない。

 村の人が賊に襲われたとき、その賊をレウ様が殺したとき、【風の英雄】のとき、『シルウェルの(とうさま)』が暗殺者を殺したとき。

 人の死を見るのも人の死に関わるのも決して初めてではないのだ。

 しかし。

 殺すと決めて、覚悟をして殺すのはまったくの別物だった。

 命を絶つことが恐ろしかった。

 実際に殺したのはユリウス=グラスで、命令したのはレウ様。

 私は何もしていない。

 何もできていない。

 それなのに、これほどまでに恐ろしい。

 足が震える。

 立っていられず、思わず膝をつく。


≪シェーナ≫

(っ!)


 うずくまった私に降り注いだのは、優しい義姉(あね)の声だった。


「大丈夫、大丈夫です……!私は、大丈夫ですから……」


 念話をするのも忘れて呟く。

 自らに言い聞かせるように何度も何度も同じ言葉を繰り返す。


「そうね……」


 ぎゅっ、と。

 リューネは私を抱きしめる。


「ええ。貴女は大丈夫。そう言えるなら、大丈夫よ」


 慰めるように、あるいは諭すように。

 彼女は柔らかく私に語りかける。


「だからそんなに自分を追い詰めるのはやめなさい。気にすることはないのよ。それ(・・)は貴女の覚悟が足りなかったわけでも心が弱いわけでもない。人が人を殺すのは容易じゃないんだから」

「リューネは、怖くありませんか……?」

「最初は怖かったわ。貴女のようにね。でも、今は……麻痺、してしまったのかしら。それに、私は【魔】になって、ニンゲンを逸脱して永いから」


 私も【神】として完成すれば人を殺せるようになるんだろうか。

 ……いや、そんないつになるかもわからない『覚醒』には頼れない。

 今の私はただでさえレウ様の【神】としては力不足にすぎるのに。


「でも、人だって人を殺せるはずです……」

「そうだね。【魔】や【神】でなくとも人は殺せる」

「レウ様……」

「慣れだよ。たくさん殺せばいい。慣れるのはすぐだ。リューネの言葉を借りるなら、麻痺するのは、ね」

「っ!それは……」

「そうだ。それは唾棄すべき悪徳だ。正しい行いからはほど遠い。狂っていると言ってもいい。でもね、シェーナ。そもそも僕が王になるっていうのは、そういうことなんだ。国のため、民のためを思うなら僕は王になってはいけない。セリファルスかゴルゾーンにでも任せるべきだ。それが正しいんだ。けどそれじゃあ僕の大切な人たちを守れない。僕が王を目指すのはそのためだ。僕は僕自身のエゴのために多くの正義を、大義を踏みにじって邪悪として君臨するんだ。だから、シェーナ。君が正しくありたいなら、これ以上僕についてきちゃいけない。今ならまだ引き返せる」

「私は……」

「大丈夫。君がどんな選択をしても僕は怒らないし、止めもしないから」


 驚くべき事に。

 彼のその思いやりを受けた私の中で膨れ上がったのは怒りだった。

 何に対しての怒りかはわからない。

 私の気持ちを理解しないレウ様の機微?自身の望みを正義だの大義だのと比べて軽んじるレウ様の自虐?これほど私を慮ってくれる彼に応えられない自分自身?あるいは、その全て?

 わからない。

 わからなかったが……私のしたことは一つだった。

 そう、逆ギレして八つ当たり、だ。


「っ、ふ、ざけないでください!またそうやって私を侮って軽んじて!」

「へ、え?い、いや、僕はそんなつもりは……」

「あります!それに、レウ様は、私の事を何もわかってない!私は、貴方の【神】でありたいんです!貴方にとって欠かせない誰かでいたいんです!なのに貴方は私を必要としてくれないじゃないですか!」

「シェーナ……」

「ぁ…………」


 驚きのような、呆然のようなどちらともつかない表情での名を呟くレウ様を見て、熱がさっと引くような錯覚とともに正気に戻った。

 私は何を言っているのか。

 内容以上に、時と場所を考えなければいけなかった。目の前には洗脳したとはいえ敵の一人と死体、何をするにも時間の足りない隠密行動の最中だというのに。


「……すみません、今のは忘れてください。先にやるべきことを……」

「シェーナ」

「っ!……いえ、その……申し訳、ありません。場所も時間も弁えずに……」

「違う。謝るのは僕だよ。ごめん、シェーナ」

「レ、レウ様が謝ることなんてなにもありません!」

「あるさ。君の言ったことだよ。ごめん。僕は、君の気持ちがわかってなかったんだね」

「…………」

「そのことは、僕が悪かった。でも。でもね、シェーナ。君にも、僕の気持ちを知ってほしいんだ」

「レウ様の、気持ち……?」


 それは私がいま一番知りたいことだった。

 結局のところ、私の悩みは全部レウ様の気持ち次第なのだ。


「僕はさ、力のない王子だ。一方で君は優秀な【神】。正直、君の力は喉から手が出るほど欲しいよ。……だけど、僕にとっての君は優秀な【神】ってだけじゃない。僕は君が大切なんだ。何よりも、君を守りたい。だから、僕は君に一緒にいてほしいけれど、それと同じくらい……いいや、それ以上に。君に傷ついてほしくない。君に苦しんでほしくない。そう思ったからああ言った。それだけは、わかってほしい」


 彼が語ったのは、私が何よりも聞きたい言葉だった。

 彼を見る。

 真摯な瞳。痛いくらいきつく握られた手。緊張して棒のように固まった足。迷うようにさらに何かを言いかけ、しかし何事も紡がない唇。

 ああ──彼の言葉に嘘はない。

 彼が私を望んでくれているなら、それ以上の喜びはない。しかも、その気持ちが妨げられていたのは私が大切だからだというのだ。

 これより嬉しいことがあるだろうか。

 私の気持ちは、初めから決まっている。

 だから、これはちょっとしたイジワルだ。


「何よりも守りたい、ですか。それは……リューネより、ですか?」

「へっ!?え、い、いや、それは、その……」


 さっきまでの毅然とした態度はどこへやら、とたんにしどろもどろになるレウ様。

 それを見て、私はくすりと笑った。

 怒りはしない。そこに順位はつけてほしくない。大切なものはあれもこれも全部欲しがる欲張りなレウ様が私は好きなのだから。


「冗談です。いじわる言いました。…………私も、同じです。何よりも、貴方の力になりたい。だから、私を連れていってください。この先、つらいこともあると思います。苦しいこともあると思います。でも、レウ様と一緒にいられないのはきっともっとつらいし苦しい。私が欲しい、なんて言ったからには、返品は許しませんから」

「ああ。それなら僕についてきてくれ、シエラヘレナ=アルウェルト。僕の【神】。僕は君がいなくちゃやっていけない」

「はい。お望みのままに、我が王」

「…………………………で?この空気で私はどうやって発言すればいいの?」


 横合いから聞こえてきたのは完全放置されて冷えきった私たちの頼れる義姉(あね)の声。

 びくーん!と私とレウ様の肩が同時にはねあがった。

 レウ様が慌てて言い訳に回る。


「リ、リューネ!ええと……!」


 が、予想に反して、慌てふためくレウ様をしばらく眺めたリューネは大きくため息をつくと、


「いいわよ、別に。あなたたちがそれで整理がついたのなら、いまこの時間を使うだけの価値はあったわ。心の揺れは戦いでは致命的だもの」

「リューネ……!」

「でも使った時間は取り戻しなさい!ほらてきぱき動く!」

「はいっ!よ、よし、もうここには用済みだ!次に行こう!」


 レウ様はそう言って、いくつかの命令をユリウス=グラスに飛ばす。

 私は『隠形』を発動し、再びイール=ドバの屍に目を向ける。

 ……恐怖はある。おぞましさも、嫌悪もある。

 しかし、不思議なことにさっきまでの心の奥底まで蝕むほどのものじゃない。

 私はもう彼の【神】を名乗ることになんの負い目もない。私が望み、彼が欲してくれた。

 なら……私は、そのために戦える。

 きっと、そういうことなのだ。

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