003 王と王子と
「……ル君。……ウル君! ……間よ! ……きなさーい!」
声がする。
きっと、僕を起こそうとする声だ。
いつもの癖で、シェーナ? と言いかけ、否定する。
「……ルミス、さん?」
「あら、てっきりシエラちゃんと間違えてキスでも迫るとばっかり。ほら、お母さん、シエラちゃんに似てとっても可愛いでしょ?」
なんで僕が昨日シェーナにキスを迫ったことを知ってるのか、とか、ルミスさんがシェーナに似てるんじゃなくてシェーナがルミスさんに似てるんでしょ、とか、いくら本当に美人でも自分をとっても可愛いとか普通言いませんよ、とか突っ込みどころは多数あったものの、朝が弱い僕にそこまでテンションを上げる余裕はなかった。
寝ぼけ眼をこすりながら寝台から上体を起こしてルミスさんを見る。王宮なんてところに行くわりに、ルミスさんの格好は普段着と大差ない。
「……おはようございます、ルミスさん」
「もー、テンション低いー!」
「ルミスさんは朝から元気ですね……。というか、シェーナは?」
「シエラちゃんは今日もお寝坊さん」
「へぇ、珍しいですね」
「ねー。なんか疲れることでもあったのかしら?」
「うーん、昨日も一昨日も、これといったことはなかったと思いますが……、っと、それより急いだ方がいいですよね。すぐに支度するんで待っててもらえますか?」
「そんなに焦らなくてもいいわよ。どうせ『転移』で一瞬なんだから」
そうはいっても、行く場所が場所だ。決して好きなところではないが、万一にも遅刻などして行くべきでもない。
支度をするが、ルミスさんが普段着な以上、従者の僕が着飾るわけにもいかない。もしかしたら、気負う必要もないように、とルミスさんなりの配慮なのかもしれない、と思いつつ僕も普段着同然の格好で居間へ下りる。
ルミスさんがシェーナに残していく書き置きに僕も追記をして、準備はおしまいだ。
「それじゃあ、行くわね。『転移』」
景色が一変する。
四年前のあの日に初めてこれを味わってからもちょくちょく使ってもらっていたが、何度経験しても馴れない。
「さって、上手くいったわね。じゃ、行きましょうか」
目の前にそびえ立つ王宮。
その威容はあの頃と寸分違わないが、それを見上げる僕の心はあの頃とは違ってまるで穏やかだった。
「……十年ぶり、か」
「懐かしい?」
「まさか。でも、今更忌々しさも感じませんね。別になんとも、って感じです」
「そう。いいことね」
「ばあやとルミスさんとシェーナのお陰です」
それと、リューネ。彼女のお陰だ。
「そう言ってもらえるとお母さん冥利に尽きるわ! じゃ、面倒はさっさと済ませて帰りましょ」
「あはは、そうですね」
一応ここからは僕は【光輝の女神】の従者だ。それに恥じないように、と心の中で気合いをいれてルミスさんの後を付き従って目的地へと向かった。
◆◇◆◇◆
「【光輝の女神】ルミスヘレナ=アルウェルト様。ようこそ、我が宮へお越しくださいました」
僕やルミスさんより一段高い位置に座りながらしかし、深々と頭を下げ丁寧に挨拶をする老爺。
この人物こそ、
「久しぶりね。ウェルサーム王国第二十一代国王、アークリフ=セロ=ウェルサーム」
まさしくこの国の王その人だった。
しかし互いの言葉遣いからもわかるように、この場で立場が上なのはルミスさんの方だった。
建前的な地位でも、実質的な力でも、ルミスさんはこの国の王さえもはるかに上回る。
もちろん御前であっても平伏などしていないし、その従者という立場の僕も今はルミスさん以外に膝を折る必要はない。
「貴方もニンゲンの中じゃもういいお年でしょ? 体は大丈夫?」
「おお……ルミスヘレナ様からそのような御言葉を頂けるとは。この老いぼれもまだもう少し王としての役目を果たせとの天命のようで、大きな病も得ておりませぬ。そちらは……ルミスヘレナ様の従者の方ですか? たしかお子様は御息女であられたと記憶していましたが……」
「数年前に身寄りがなくなってしまった村の子よ。私が引き取ったの。血の繋がりはないけど、私の大事な息子ね」
「っ! それは、まさか……! もし、従者の方。お名前を教えては頂けませんかな」
ルミスさんから急に僕へ王の相手がシフトした。
愚王のくせに余計な勘ばかり鋭い、と内心で悪態を吐くが、もちろんそれは口には出せない。
「……私はルミスヘレナ様の従者に過ぎません。陛下に名前を申し上げる程の者ではございません」
「そう仰らず。どうか従者殿とも親交を深めさせていただきたい」
やんわりと拒否したのだが、面倒なことに食い下がってきた。
ルミスさんが、止めようか、と心配そうに目で問うが、そんな迷惑はかけられない。今の王は別段変なことを言っているわけでもないのだ。
(諦めるしかない、か)
「……レウルート=オーギュストと申します、陛下」
「おお……! おお……! やはり、お前か、レウルート! 我が息子よ! 大きくなった……」
僕が名乗ったとたん、王は涙をぼろぼろ溢しながら言った。我が息子、と。
しかし、それを聞く僕の方は淡白を通り越して薄情なものだ。
(だからお前は愚かだと言ったんだ、アークリフ)
内心で再び毒づく。
そう、僕の公式の名前は、ウェルサーム王国第五王子、レウルート=スィン=ウェルサーム。この男の、実の息子だ。
けれど、僕はそんな大層な名前はいらない。
母が遺したらしいレウルートという名前とばあやと同じオーギュストの名字。それだけあれば十分だ。当然、目の前の男に肉親の情など欠片もない。
この男のたちが悪いのは、僕にいっぱしの父親としての愛情があることだ。
なのにその愚かさゆえに、それが何をもたらすかを知らない。
出生の時の不幸のせいで、僕はどの貴族からも助力を得られない弱い王子だった。
それだけですでに格好の狙いの的だというのに、それをこの愚王は愛してると言ってはばからない。
何が起きるかなど、明白だというのに。そう、継承位の奪取を怖れた兄たちからの迫害だ。
一応言っておくと、アークリフは僕だけを特別目にかけていた訳ではない。僕に注ぐのと同じだけの愛を他の兄弟にも注いでいた。
その中で僕だけが執拗に狙われたのは、単に後ろ楯がなく弱かったからだ。
……あるいは、五才にも満たないような年にもかかわらず兄たちの放つ刺客を尽くかわし続ける僕に恐怖した、というのも理由のひとつかもしれないが。我ながらあの頃の僕は天才に過ぎた。
閑話休題。
目の前で泣く老人を冷ややかな目で見る僕。もちろんその返答だって決まっている。
「陛下のお言葉、恐悦至極にございます。しかし今の私は恐れ多くもルミスヘレナ様に息子と呼んでいただいております」
ルミスさんの名を盾に、王権になどまるで興味が無いのだ、と遠回しに言い切る。
アークリフが僕を息子と呼んだとき、居並ぶ家臣団の反応は大きく分けて三つ。
一つ目は驚愕。彼らは僕がこの王宮から逃げ出した十年前は大した地位になかった者たちだろう。つまりは、単純に知らなかった人たち。
二つ目は警戒。彼らのほとんどは兄たちの支援者だろう。つまり、一応僕の敵。
三つ目は無関心。彼らはこの国にのみ身と心を捧げる、政争に興味のない人たち。僕が王宮での数年を生き残るときに最も使った『道具』だ。
そして、僕が先の拒絶を発した時の反応は二つ。
一つに、安堵。これは主に『驚愕』の人と『警戒』の人。余計な動乱が生じないことへの、安堵。
二つに、無関心。これはそのまま『無関心』の人たちだ。理由は上述。
結果、
≪無難な所に落ち着いた、かしらね≫
唐突に脳内で響いた声に、驚いて思わず悲鳴をあげかける。
が、なんとかその衝動を抑え込めたのは、声の正体を知っていたからだ。
これはルミスさんの便利魔法の一つ、『念話』だ。
その名の通り、声を介さず思念で会話ができる。
≪急に話しかけないでくださいよ! びっくりするじゃないですか!≫
≪あら、ごめんね。でもお母さん、レウル君に母親として認めて貰えてとっても嬉しいわ!≫
≪あー、すいません。ルミスさんの権威を笠に着たみたいで……≫
≪そんなこと言わないの! お母さんなんだから、そのくらい甘えてもいいのよ≫
「そう、か……。レウルートよ。お前がその道を選んだのなら、父から言うことは何もない」
ルミスさんと僕が『念話』しているなど知るよしもない王が言った。
僕としては、今更父親面すんなハゲ、とでも言ってやりたかったが流石に無理というものだ。
陛下が寛大なご配慮、レウルートは感激の極みでございます、とかなんとか適当なことを言って誤魔化した。
「ルミスヘレナ様。それで本題の国境の様子ですが……」
と、ここからは王ではなく実際に政治に深く携わる大臣たちがルミスさんと本来の用件を話し始める。
実は、ルミスさんは村のすぐそばの国境の警備を仕事にしている。結構な報奨金もあるが、【神】の国境警護というものの価値を考えればボランティアのようなものだ。
しかも隣国との摩擦回避のためにルミスさんは多少だが『誓約』とかいうルールまで背負っているらしい。
ルミスさんがそこまでこの国に肩入れするのは、今は亡きルミスさんの旦那さん──すなわちシェーナのお父さん──がこの国の出身だったから、ということらしいが、本音のところは僕もよく知らない。
ともかく事実としてそういうことがあり、今のように平和な時代でも一定期間ごとに王宮まで定期報告をしに来ている。
「別にいつも通りよ。不穏なことはなにもなし。ここのとこ十数年はとても平和ね」
「そうですか……。そのお言葉を聞かせて頂いて安心致しました。ありがとうございます」
彼は国防を担う大臣だ。心の底からの安堵を見せる。
「さて、これで仕事も終わったし、私たちは帰るわね」
「もうお帰りになってしまわれるのですか! 折角お越しくださったのですから、よろしければこの宮や都の案内でもさせていただきたかったのですが……」
王の視線はルミスさんだけでなくこちらにもちらちらと飛ぶ。
十年ぶりの親子のふれあいを、とでも考えているのか。
お断りだ。
「今日のところは遠慮しておくわ。折角、なんて言うほど来るのに手間取る場所でもないし」
僕の気持ちが『念話』で流れたのか、あるいは偶然意見が一致しただけか。ルミスさんの返答は僕の希望通りのものだった。
謁見の間を去り、ルミスさんにお願いして王宮の裏の庭園に寄り道させてもらった。
ここも、懐かしい場所だ。
僕にとっては王宮は端から端まで全部が敵の領域でしかなくて、この庭園で命を狙われたのも一度や二度ではなかったけれど、ここはばあやが好きだと言っていた王宮では数少ない場所だ。
そういう意味でここは少しだけ特別な場所だった。
「ねぇ、レウル君」
「はい?」
「父親の……アークリフのことは、嫌い?」
「僕の主観で言えば、大嫌いです。個人的にいい思いをしたことがありませんから。ただ……そうですね、客観的に言えば、彼が王でなくて僕や兄が王子でさえなければ彼はいい父親だったのかな、とは、思います」
唐突なルミスさんの質問にありのままの本心で答える。
その答えがルミスさんにとって、望んだ通りのものだったかはわからないけれど、僕にはルミスさんの笑みは満足げに見えた。
「そ! それじゃあもう帰りましょうか。お昼は大分過ぎちゃったけど、今ならまだシエラちゃんにお願いすればしぶしぶでもご飯作ってくれるかもしれないわ!」
「あはは、なんかすっごい想像つきますね!」
僕としては今日の王宮行きの成果は素晴らしかった。
確執、と言う点ではもっとも深い兄たちとは顔を合わせる程度もできなかったけれど、実質的な継承位の放棄ができたことと、それへの重臣の反応から僕が村に引き籠っている限りはわざわざつついてくる気はなさそうだというのを確認できたことは、あらかじめ予想していたよりかなり上手くいったと言えた。
それ以外にも、僕がルミスさんの庇護下にあることを王宮に示せたし、なにより僕自身が最早王位になんの未練もないことが確認できた。
だから、この時の僕の気分はまさしく最高だった。
帰ったら真っ先にシェーナに今日の成果を報告しよう、とうきうきしていた。
「行くわよ? 『転移』」
そう、僕の気分は最高潮。
の、はずだった。
それなのに。
一体どうして。
こんな。
僕がその気分を保てたのは、村に『転移』で戻ってくるまで。
最初に僕に絶望をもたらしたのは、かつて嗅ぎ慣れたあの匂いだった。