029 揉め事と結束と
バークラフトが教室の中へ入っていって数分。
しかし、やはり教室の喧騒は収まる気配を見せない。それどころか、激しくなっている気さえする。
次第に僕も落ち着かなくなってくる。ついに、我慢できずにこっそりと教室の様子を窺いに行くことにした。
扉の端から少し顔を覗かせて中を見る。
マサキとユリウス=グラスは教室の中心で揉めているようで、その周りにはクラスメイトが人垣を作っていて、その姿は見えない。
しかし、声はさっきよりよく聞こえる。
「ふん、下民らしいかばい合いは結構だが、身分を弁えろ! 貴族である私が要求しているのだ! いいから転入生とやらを出せ! ここでの正しい態度というものを躾けてやる!」
意外にも、というか。
ユリウス=グラスの目的は転入生、つまりは僕だったらしい。マサキがかばっているのは他ならぬ僕だということだ。
ユリウス=グラスのそれが単なる新入りへの洗礼のようなものなのか、あるいは僕がレウルート=スィン=ウェルサームだと知ってのことかはわからないが。
「はっ、貴族がナンボのもんだよ! 正しい態度? 冗談じゃない! お前に都合のいい態度の間違いだろ!」
「貴様……! 下民風情が、貴族を愚弄するか! 血を見ることになるぞ……?」
……っ!
これはまずい。
この学園では貴族科の生徒のみ普段から帯刀が許されていたはずだ。
もちろんそれは、実際的に使うものというよりは儀式的な用途のものだ。
それに、ユリウス=グラスにとってみれば、ここは平民科の教室で完全にアウェーだ。ここでマサキを傷つけでもしたら、他の生徒たちにどんな目に遭わされるかわかったものではない。
一方で、ユリウス=グラスが冷静なようには見えない。
貴族としての特権を振りかざすことを厭わないユリウス=グラスと、身分差に対して驚くほど鈍感なマサキはまったく相性が悪い。
誰かが仲裁に入れなければ、まさかの事態は起こりうる。
……ここで僕が出るのは論外だ。
ダリウス=グラス子爵を粛清するのは規定事項だ。しかし、子爵を暗殺したときにダリウスやユリウスとの関係は可能な限り薄くなければならない。
貴族が殺されたとなれば、その捜査はかなり上まで話が上がるだろうし、そこで僕の姿が出てしまえば、そこから兄たちに僕の居所が割れる可能性は高い。
しかし。
しかし、だ。
ああ、僕はいかにも愚かな人間だ。
「まあ、落ち着きなよ、ユリウス=グラス同輩」
「っ! アーク……!?」
クラスメイトの人垣をかき分け、僕は彼らの前に姿を現した。
こうして出てきて初めて気づいたが、ユリウス=グラスは一人ではなかった。すぐ後ろに同じような金髪の少年が二人控えている。さっきから一言も発していなかったから声を聞いていただけの僕はわからなかったのだ。
だが、たかが子爵子息程度に取り巻きがつくはずもない。
であれば、この二人はユリウスの個人的な友人か、あるいは……上位貴族のつけた監視役。もう少しマイルドに言うなら指南役、か。
「君は……? 失礼ながら、初めてお会いするな。先輩……というわけではないようだが」
ユリウス=グラスは僕の胸元の徽章を見て僕の発言通り同級生であることを確認して疑問を投げかける。
どうやら、彼は僕が貴族だと誤解しているようだ。
「ああ、初めまして。僕が君の探していた転入生だよ。アークという」
「……何か、勘違いをなさってはいないかな? 私が言っているのは平民科の転入生のことで……」
「ああ。だから、僕がその平民科の転入生だよ。ユリウス=グラス」
「なんだと?」
彼は驚いたように僕の髪色と表情を見比べる。
「……冗談にしてはたちが悪いぞ。我々貴族がこのような下民どもと同輩であるかのような言いぐさをすれば、下民は増長して……」
「増長しているのはお前だろう、ユリウス=グラス。たかが子爵子息程度の三流貴族が何様のつもりだ?」
「なっ……!?」
僕の悪罵にユリウスは顔を真っ赤にして怒る。
そのまま何かを叫ぼうとしたユリウスの肩を監視役の一人が軽く叩き、
「ユリウス卿。フレッド教官が来た」
ユリウスは大きく舌打ちをして、目障りな下民教官か、と吐き捨てて踵を返した。
そのまま去るのかと思いきや、僕の方へ目だけを向け、
「下民に尻尾を振る貴族の恥さらしめ。貴様にはいずれ目に物見せてくれる」
「吠えてろ、三流貴族」
ユリウスは再び顔色を豹変させたが、ここが軍の一部である以上、貴族身分よりも階級が優先する。上官に当たるフレッド教官に捕まる前に逃げることを優先したようで、今度こそ去っていった。
ユリウスが消えてから、一瞬の間をおいてわっと教室が歓声に溢れた。
「すげぇよ、アーク! 見たか、あのユリウスの顔!」
「ははは、俺も今度ユリウスの奴に三流貴族って言ってやろうかな! いやぁアーク様様だな!」
「止してくれ。僕がやったのは結局ユリウスがやってたのと同じことなんだから」
盛り上がるマサキやベイルたちから向けられる称賛は手放しには受け取れなかった。
そう、ユリウスがああして大人しく引き下がったのは、僕が正体不明とはいえ貴族だとわかっていたからだ。
僕自身、それを予想して仲裁に入ったのだから、それは要は貴族の身分を振りかざしたということだ。
「仮にそうだとしても、そういう風に言える時点でお前はユリウスとは違うよ」
バークラフトがそう言ったのはあくまでその場の熱狂した雰囲気を壊さないためだとわかってはいたが、それでも僕には彼の言葉に仲間だと認められたような気がして、不覚にも嬉しくなってしまっていた。
「けど……ユリウスの野郎、仕返ししてきたりはしねぇかな?」
不安げにそう呟いた彼の名前はカーターと言っただろうか。マサキと仲がいいクラスメイトの一人だ。
「仕返しって、例えば?」
「それは……闇討ち、とか」
カーターの意見に、一瞬しんと場が静まり返る。
さっきまでの興奮と打って変わってみんな神妙な顔だ。
「……まあ、無いとは言えないな。俺たちみたいな寮組は多少気を付けてさえいりゃあ平気だとは思うが……。寮じゃないやつって、どのくらいいるんだっけか?」
バークラフトが呼び掛けると、マサキを含めて計八人の手が上がった。
「なら寮組をそれぞれ何人かつけてこいつらは送っていくか。いいよな、お前ら?」
全員迷いもなく頷く。
もちろん僕も異論はない。そもそもユリウスをあれだけ挑発した僕がここで尻込みはできないだろう。
「それじゃあ、班決めを……」
「おい」
バークラフトの言葉を塗りつぶすように低く無感動な声が響いた。
ぞわり、と背筋が粟立つ。
クラスメイト全員が、おそるおそる声の源である教室の入り口の扉へ目を向けた。
そこに立っていたのは、予想通りの、しかし予想通りであってほしくなかった人物。
そう、フレッド教官だった。
「もうとっくに始業の鐘は鳴ったが…………」
教官は声を荒げるのではなく、低く低く沈み込むように深く昏く呟く。
彼はそのまま凄惨に微笑み、
「そうかそうか。貴様たちがそこまで俺のしごきを受けたいと言うのなら仕方ないな。今日の座学と銃の実地訓練はキャンセルだ。全員、第三訓練場に集合。一人も死ななければ誉めてやる」
教官のセリフにみんなの顔が青ざめる。
「第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ第三は嫌だ……」
「ベイムー! 戻ってこい!」
「くっ……、前回のがトラウマに……! こうなってはもう……」
「え、なに、この雰囲気。え?」
みんなの筆舌しがたい異様なテンションに置いていかれて困惑する僕の肩に、マサキがぽんと手を置く。
彼は悲しげな目で黙って首を小さく横に振った。
「いや、だからなんなのさ……」
「聞くな、アーク。お前もすぐわかるさ……」
「バークラフトまで……」
結局、誰も細かいことは教えてくれず、僕は彼らに先導されるまま第三訓練場とやらに向かうのだった。
◆◇◆◇◆
「授業がわりにあんな訓練とか、あの教官バカじゃないの!?」
「あ、フレッド教官」
「って、バークラフトが言ってました! ……なんだ、誰もいないじゃん。まったく、そういうのよくないよ、マサキ」
「おいこら、アーク。人に冤罪押し付けといてあっさり流そうとしてんじゃねえ」
地獄の重装備耐久トライアスロン訓練(教官の死人が出なければ誉めてやるとかいうセリフは誇張でも冗談でもなかった。【魔】の僕でも死にかけたのに人間のクラスメイトが一人も死ななかったのは本気で不思議でならない)を終えた僕らは、昼間に話していたように寮組でないクラスメイトを班に別れて送っていた。
僕が入れられたのはマサキを送っていく班で、マサキ、僕、バークラフト、ベイム、カーターの五人だ。僕はカーターとはまだあまり面識がないが、なんとなく普段から親交の深いグループらしい。
「で、マサキはどの辺に住んでるの?」
「そんな遠くはないぞ。学園から歩いて十分ってところか。普通の長屋だな」
「学園自体が広いから実際はもっとかかるけどな」
「ああ、カーターはマサキの家行ったことあるのか」
「そう言うバークラフトは?」
「無いな。こん中じゃカーターだけじゃないか?」
「だな。バークラフトもベイムも、もちろんアークも呼んだこと無いし」
「マサキの家、何か面白いものあった?」
「マサキの家はザ平民って感じだからあんたが見て面白いものは……あ、妹いるぞ、こいつ」
「へぇ。可愛い?」
「かなり」
「なるほどなるほど……」
「アークの目の色が変わったんだが」
「檀はやらんぞ」
やだなぁ、そんな警戒しなくても今日はまだ手を出したりしないさ。まだ、ね。
内心の邪心を表面の笑顔で取り繕っていると、不意にベイムが、
「そういや貴族の女性事情ってのはちょっと気になるな。やっぱアレ? 酒池肉林?」
「あ、それ俺も気になる。婚約者とかいるんだろ?」
僕的にはちょっと答えづらいベイムの好奇心に、便乗するようにカーターも聞いてくる。
ベイムの方はともかく、カーターの質問はあんまり突っ込まれるとマズイ方向に行きそうだ。僕はあくまで貴族であること以上の情報は出さないつもりなのだから。
話題の矛先をわずかに逸らす。
「婚約者はみんなこそどうなのさ。みんなそれなりに良いとこの出なんだろ?」
「俺たちの中だと家がスゴいのは大商会のバークラフトだけだぞ。俺とベイムは親父が軍人だから士官学校に入れてるだけだし、マサキは……マサキはなんなんだ?」
「俺はなんでもないさ。しがない平民だ」
「いや、本当になんでもない平民が士官学校に入るのは大変だぞ。あるんだろ? 何かカネとかコネとか」
「なんもねぇよ。ああ、じゃああれだ。神さまにお願いしたら入れてくれたってことで」
「【神】?」
マサキの口から出てきた思わぬ単語につい口を挟んでしまった。
「あー、マサキちょくちょく言うよな、その『カミサマ』っての」
「……ん、ああ、俺の故郷には【神】は居なかったからな。神さまっていうのは願いを聞いてくれる架空の存在なんだ」
「じゃあ、マサキは別に【神】の知り合いがいるとかじゃないんだ?」
「そりゃそうだろ。普通の人間は【神】とか見たこともないって。あんたは違うのかもしんないけどさ」
「いやいや、僕だってそうだよ。【神】の知り合いがいるのなんて王族とか大貴族とか、そんな一握りの人たちだけだよ」
まさかとは思ったが、マサキに本当に【神】の知り合いがいたとしたら【魔】の僕としてはどう考えてもまずい。
そう考えて少し焦ってしまったようだ。迂闊なリアクションをとった僕にツッこむカーターに慌てて取り繕った。
と、不意に先頭を歩いていたマサキが立ち止まった。
「着いたぞ。ここだ」
指し示されたのは、先述の自己申告通りまさしく普通の長屋だった。
僕にとっては、かつて王都にいた頃は王宮から出ることなどほとんどなかったし、村ではみんな持ち家だったため、こういうのは新鮮ではあったが。
「おし、じゃあ着いてこい」
……それにしても、異国育ちの美人らしいマサキの妹とやら。
うん、とっても楽しみだね!




