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028 友人と火種と

「おかえりなさいませ、若様」


 士官学校初日、一通りの授業をやりきって、あてがわれた寄宿舎の部屋に向かった僕を、先に部屋にいたシェーナが迎えてくれた。

 姿こそ見えないが、リューネの気配もする。二人で僕を待ってくれていたのだろう。

 それにしても、シェーナの慇懃な態度はどうにも慣れない。正直言って、居心地が悪い。

 僕の能力で確認する限り、僕らへの監視の形跡は見えない。それでも絶対完璧な保証とは言えないが、


「僕の見た感じ、普段と変わった様子はないけど、君はどう思う?」

「私もさっきから探っているけれど、監視はなさそうよ」


 僕の言葉はシェーナに向けたものではない。僕の意図を正しく受け取ってくれたリューネが返答する。

 夜の彼女の索敵を逃れられる刺客など居はしない。二人の【英雄】や『シルウェルの顎』が殺した暗殺者たちを放っていた黒幕の目からは逃れられたと思って大丈夫だろう。


「そっか。じゃあ、シェーナもいつもどおりにしてよ」


 僕の言葉に、シェーナは髪にかけた『幻影』の魔法こそ維持したものの、肩から僅かに力を抜いた。


「わかりました。ところで、レウ様。晩御飯はもう召し上がりましたか?」

「いや、まだだよ。もしかして、用意してくれてる?」


 はい、とシェーナはそう言って、奥のキッチンに引っ込んでいく。料理を温めてくれているみたいだ。

 料理はすぐに食卓に並んだ。

 シェーナとリューネは自身の食事をすでに済ませているようで、食事をとる僕をじっと見つめている。ちょっと食べにくいので、僕は意識を逸らすために喋り始めた。


「僕がいない間、二人はどうだった?」

「どうもこうもないわよ。すこぶる暇。迂闊に部屋から出て【英雄】に見つかりでもしたらことだし、それどころか監視の可能性を考慮したら喋ることすら危ういし」

「そうですね……。レウ様が戻られる前に掃除をしようと思っていたんですが、私たちが入る前にかなり丁寧にされたようで……。私の出番はありませんでした」


 片や憮然とした様子で、片や幾分しゅんとしたように不満足を主張する二人。どうにもこの部屋での生活は彼女らには退屈だったようだ。


「それより、レウこそどうだったのよ? 今日のこの日は貴方の目的の第一歩になるわけでしょう?」

「まあ上々かな。僕は完全にハブられるくらいまで想定してたんだけど、こんな見た目の新入生と仲良くしてくれる奇特なやつが何人かいてさ。僕の存在はおおむね受け入れてもらえたよ」

「あら、それは本当にラッキーね。貴方みたいな怪しい人間と親しくしてくれるなんて」


 ずいぶんな評価だが、客観的に見ても自称平民の貴族なんてどう考えてもろくなものじゃないのは事実。

 バークラフトやベイムはともかく、マサキはどうやら僕が貴族だと気づいてもいないようだった。バークラフトが言っていたバカは言い過ぎにしても、世間知らずなのは間違いない。異国の出身なら仕方ない……のか?


「レウ様は明日も学校ですから、すぐにお休みになられますか?」

「うーん、本当は夜は少しやりたいことがあるんだけど……」

「やりたいこと?」

「調べもの。シェーナを拐った傭兵の雇い主を辿っていけば、いつか王子に着くはずだ」

「でも……その雇い主って貴族でしょう? 王都じゃなくて領地にいるかもしれないし、仮に王都の城下町にいても、そんな所に行ったら王宮の【神】に見つかるかもしれないわよ」

「そうなんだよねぇ……。そこどうしようかなぁ……」

「……どうにかなるかもしれません」

「え?」

「【魔】の気配を隠蔽する方法です。昔、リューネと母さまが対峙したときのこと、覚えてますか?」


 もちろん覚えている。

 四年前のあの事件は、リューネが死んだと思っていた当時の僕にとってそうそう忘れられることではない。


「では、あのとき母さまがリューネのことを、雑魚だと思っていた、と言っていたのは?」


 ……正直言って、覚えてない。

 覚えてないが……、


「それはおかしな話じゃない? 昼のリューネならともかく、ルミスさんは夜のリューネの気配も感じてたはずだろ?」

「はい。ですから、リューネ。タネを教えてください。魔法じゃありませんか?」

「……鋭いわねぇ。でも、無理よ」

「無理?」

「教えることはできるわ。『隠蔽』の魔法。【神】から【魔】の気配を隠すための私のオリジナルの魔法よ。でも、レウには使えない。魔法を使う能力も、魔力も足りないわ。使えてせいぜい、ほんの少し気配を減じる程度よ」


 リューネに言われ、落胆する。そこまでうまい話はないか。

 が、シェーナのリアクションは僕とは少し違った。彼女はリューネの言葉を受けて少し考え込んだあと、


「わかりました。でも、念のためその魔法を習っていただけますか?」


 と、僕に言った。

 やや不可解ではあったが、僕としてもいい加減固有能力以外の魔法を扱えるようになりたかった。いい機会といえる。


「わかった。やろう」

「え、やるの? 別にいいけど……効果のほどは保証しないわよ」

「構わないよ。夜に調査に出向けないとなれば、できることは僕自身の力を磨くことくらいだ」

「そ。貴方がそう決めたなら私からは言うことはないわ。じゃあ始めましょうか」


  ◆◇◆◇◆


「よっ、マサキ」

「よー、バークラフト。アークもおはよ」

「……おはよう、マサキ」

「アーク、なんか疲れてるか?」

「まー昨日が初めての授業だったからなしゃーないだろ」


 マサキの疑問に、バークラフトが言う。

 疲れているのは事実だが、理由は授業の疲れがとれないのではなく、昨日の夜の魔法の練習だ。どうしてシェーナはあれが普通に出来るんだ……?


「っと、そういえば、マサキは寮じゃないんだね」

「まぁ珍しいよな。なんで寮に入らないんだ?」

「妹がいるんだよ。今は一緒に暮らしてるんだけど、やっぱ俺がいないと一人になっちゃうからさ」

「へぇー……」


 コネを使って無理矢理シェーナを寮に住まわせてもらっている僕としては若干心の痛む話だ。

 今のところは一応隠してはいるが、シェーナの存在がバレる日はそう遠くないだろう。その時の説明を考えながら、相づちをうつ。

 しばらく雑談をしていると、始業の予鈴がなった。フレッド教官の怖さは昨日一日でわかるほどだ。すぐに席につく。

 席についてしばらく、先生が教室に入ってくる。授業が始まった。


  ◆◇◆◇◆


「そういやぁ、さっ!」

「っ、なんだい?」


 格闘技の時間。

 組手の相手になったバークラフトが話しかけてきた。

 彼の拳を捌きながら、答える。


「お前、貴族の知り合いとかいる?」

「……いないことも、ないけど」


 その質問の意図を少し考え、答える。

 すっとぼけても良かったが、僕が貴族だというのは髪を隠していない時点で暗黙の了解みたいなものだ。意味は薄いだろう。

 左拳のフェイントで誘導しながら、本命の蹴りを狙う。


「それが、どうしたの!」


 バークラフトは必死に、しかし危なげなく攻撃に対処しながら、


「っ、わ、た、っと! あっぶっねぇ……。……ああ、いや、なんかこのところ貴族科のやつらがキナ臭くてさ。折衝できるやつがいるといいな、って思ってたんだけど」


 それは、僕では役に立てそうになかった。なんと言っても正体を明かせないのだ。コネも知り合いもあったものじゃない。

 話を逸らすように答えるしかない。


「あー、ごめん、それだとちょっと力になれそうにないな。……じゃあ、そろそろ本気でやろうか!」

「ぅえ!? まだ本気じゃなかったのかよ!?」


 バークラフトが驚いてみせるが、僕の攻撃を捌きながら会話できるのだから、彼だってまだ余力はあるのだろう。

 学級トップクラスの格闘術の使い手は伊達じゃないというわけだ。

 と、力強く右足を踏み出したところで。


「そこまで! よし、解散してよし! 次の授業に遅れるなよ!」


 教官の号令が響いた。

 僕はぴたりと動きを止めた。


「ちぇっ、上手く時間使わされちゃったな」

「あっぶねー。お前に本気でこられたら無理だって」


 確かに僕が【魔】としての全力でかかればそうかもしれないが。今見せている範囲くらいの身体能力ならバークラフトはまだまだ対応できそうだ。今でも人間だった頃の僕よりはかなり盛ってるんだけど。


「そういえば、さっきの貴族の話だけどさ」

「なんだ?」

「どんな人がいるの? 爵位が高いのだと、どの辺までいるのかな?」

「お、仲裁してくれるのか?」

「ってわけにはいかないけど。何て言うかな……僕、今家出状態だから。家の繋がりがある知り合いとは会えないんだ」


 これは前々から考えていた言い訳だ。現状に一応の説明がつき、さらに詮索されづらい。とりあえずは十分だろう。

 バークラフトも納得した様子で頷く。


「そうだなぁ……貴族科の中で一番偉いのはあいつだと思うな、グリムブル軍部大臣の息子。レーベン=グリムブルつったっけ」


 なるほど、なんて神妙な顔をして頷く裏で、僕は内心考えを巡らせる。

 ヨーレン=グリムブル軍部大臣は僕が王子として暮らしていた頃から有力者だった。それどころか、ついこの間、ルミスさんと王宮に言ったときに会っているのだ。僕の顔は十分知っているだろう。

 一方で、グリムブル大臣は王派の大臣で兄弟の支援者ではない。それに、大臣はともかく、そのレーベン子息とは一切面識がない。学校で偶然顔を合わせたとしても、僕がレウルートだと気付かれはしないだろう。


「じゃあ、よく顔を合わせるのはどんな人かな?」


 バークラフトは、貴族科の生徒相手だと“よく顔を合わせる”ってのはイコール“よく揉める”ってことなんだけど、などと前置きをし、


「一番“顔を合わせる”のはユリウスのやつだろうな」

「ユリウス? 家名は?」

「グラス。ユリウス=グラス子爵令息だ。……ど、どうしたんだよ、アーク。いきなりそんな……笑ったりして」

「ん? ああ、僕笑ってる?」


 バークラフトに指摘され、初めて気づいた。目立った態度を見せたくない僕だったが、いやしかし、それもやむを得ないだろう。

 グラス子爵。

 正確には、ダリウス=グラス子爵。大当たりだ。

 シェーナを誘拐したあの傭兵団に直接の指示を出していた人間だ。

 僕の排除すべき最優先目標の一人。まさかこんなすぐに出会えるとは。


「……もしかしてアーク、ユリウスと仲良かったりするか?」

「え? あはは、ああ、いや、全然。そういうのじゃないよ。君たちの嫌いなやつは僕の嫌いなやつさ」

「そっか。ん、なんか悪いな。平民科でもここに来る前から貴族と付き合いがあったやつとそうじゃないやつがいるからさ。俺はどっちかってーと後者だから、その、どうにも気を張っちまって」


 平民科の生徒といえど、ここは王国軍の士官を育成する学校だ。そこに集まっている以上、本当にただの平民ということは少ない。大抵は豪商や、貴族に仕える騎士の家の次男三男だったり、あるいは現役の軍人の子息、まれに名の知れた兵法者だったり。

 騎士はともかく、他の場合は貴族との付き合いがあるかは人それぞれだ。

 バークラフトの実家であるネイルトン商会は付き合いがない方らしい。僕としては素性がバレる可能性が少しでも減って良かったが。


「俺たちは貴族に偏見持ってるって自覚してるけどさ、頭ではちゃんとわかってんだよ。言い奴か悪い奴かなんて個人の差だ、ってさ。実際、学校の貴族でも別に俺たちに絡んでくる奴らばっかじゃないんだ。それどころか俺たちに良くしてくれる人も少しはいる」

「うん、わかってるよ。わざわざありがとうね」


 などと雑談をしているうちに教室にたどり着いた。

 喋りながらだったせいか、他のみんなより遅れてしまっている。次の授業の準備が間に合わないほどではないが、急いだ方がいいかもしれない。

 と、思っていると。


「……なんだか、教室騒がしくない?」

「……みたいだな。なんだ?」


 教室の方から聞こえる喧騒に耳をひそめる。

 これは……揉めてる?


「だから! お前らに教えることなんて何も無ぇつってんだろ!」

「なんだと、貴様! 下民風情が!」


 二つのどなり声が続けて聞こえた。


「今の、マサキの声だ」

「くそ、ユリウスの声だ」


 偶然重なった僕らのセリフがそれぞれ別のものを指しているのは明らかだった。


「アーク、お前はここで待ってろ!」

「あ、ああ。ありがとう」


 先程話した僕の事情を慮ってくれたのだろう。僕を教室の外に残し、バークラフトはユリウス=グラスのいる教室へと入っていく。

 それを僕は、感謝と申し訳なさ、無力感の入り交じった悔しさを抱きながらただ見ていた。

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