026 王都と士官学校と
アイシャ達の離宮に来てから今日で一週間。
ついに王都に向かう出発の日がやってきた。
大々的に見送ってもらうわけにはいかないため、地下の抜け道につながるアイシャの部屋で僕らを送り出してくれるということになった。
「はあ……。レッくんとシエラヘレナ様ももう行ってしまうのね~」
一週間かけてようやく『どれがシェーナの料理でショー』が的中するようになってきたアイシャが名残惜しげに言う。
僕としては、一日一人なんてきれいにはいかなかったものの目標の六人はバレることなく食べられたから満足してるけど。
などと彼女たちを思い返していると、アイシャがシェーナに向き直り、
「餞別、などというのもなんですが、シエラヘレナ様にはメイド服の替えや小物など用意させておきましたので、是非お使いください」
「はい、ありがとうございます」
「レッくんには、これね~」
「これ……お金?」
「そ~。入り用でしょ~?」
「ん、ま、そりゃね」
「王都の関所を通るための通行証や士官学校に提出する書類なども一緒に入っておりますので、どうぞお使いください」
「うん、ありがとう」
「それと~、リューネ『ヨミ』さんにはぁ……」
「え、私にもあるの?」
「もちろんです~。シエラヘレナ様と同じ、私とミーちゃんデザインのメイド服を用意しました~。サイズはもちろんリューネ『ヨミ』さんに合うようにしてありますので、ご心配なく~」
「……いろいろと言いたいことはあるけれど、私の体のサイズなんてどうして…………あ、レウ!?」
睨まれ、つい、と目を逸らす。
鋭い。
リューネのサイズをアイシャにリークしたのは確かに僕だ。まさかメイド服を用意していたなんて思わなかったけど。
と、ここまで静かだったミリルが僕にぎゅうと抱きついて、
「あにさま……また会えますわよね?」
「……ああ、もちろん。十年前とは違うんだ。王都とここなら、会う機会があればいつでも会える距離なんだから」
今の僕の立場ではその『会う機会』というのが言葉ほど簡単なことではない、などと野暮なことは言わない。それがわからないミリルではないからだ。
その彼女がそれを言わないでくれるのなら、僕の方から余計な口をきくべきではない。
「そうですわね。また会える日を楽しみにしていますわ、あにさま」
僕の体を強く抱いたまま、けなげに微笑んだミリルはすっと離れていった。
「では、こちらにいらしたとき同様、外までは私が案内させて頂きます」
「ああ、よろしく、リール」
リールに先導され、入り組んだ地下道を進む。
一週間前に僕らが放置してきた馬車はあのあとリールが回収して世話までしておいてくれたらしい。
歩くこと数分、ついに洞窟の出口が見えた。
「では、私はここで失礼させていただきます」
「ああ。一週間、いろいろとありがとうね。君にもアイシャにも、十年前から世話になりっぱなしだ」
「姫様が殿下とともに往かれるとお決めになられた以上、私も殿下にご協力するのは当然のことです」
ともすれば突き放すようにも聞こえるリールのセリフ。いや、むしろ本人はそのつもりで言ったのだろう。
しかし、これはリールが冷たい人間だということではない。むしろ逆だ。【花の英雄】リール『ベリー』は情に篤い。彼女自身自覚があるからこそ、こうやってわざわざ一線を引くような言い方をするのだ。そうしなければ僕に入れ込んでしまうから。
不器用な【英雄】をくすりと笑うと、僕はもう一度リールに礼を言った。リールは黙礼を小さく一つして応えた。
◆◇◆◇◆
「はぁ……。いよいよ、ね」
「なに、緊張してるの? リューネらしくもない」
「私だって緊張くらいするわよ。昼の私は【神】に見つかったらその時点でおしまいだもの」
「でも、【神】の探知能力はそこまで気にする必要はないと思いますよ。大した距離は効きませんから」
「そうだね。王都にはそれなりの数の【神】がいるのは事実だけど、どいつも王や王子につきっきりだからね。王宮自体かなり広いし、感知能力が働くほど近づくことはそうないんじゃない? ……っと、見えてきたよ。王都の関所だ」
関所は王都の中でも王宮や貴族たちの邸宅がある城下に次ぐ警備の固さだ。流石に【神】が居ることはないが、【英雄】くらいなら普通に詰めている。
すでに『隠形』の魔法で姿を消しているリューネや、『幻影』で自身の外見を偽っているシェーナから緊張が伝わる。もし魔法を施していることがバレれば追及は免れないだろう。
が、
「……次。身分証は?」
僕の髪を見て貴族だと気づいても淡々と事務的に仕事をこなす衛兵に、アイシャからもらった身分証を見せる。
彼は乱雑にそれに目を通すと、投げやりに、入ってよし、とだけ言って、次の訪問者の応対を始めていた。
僕も彼を振り返りもせずに門をくぐる。視界が開けて真っ先に目に飛び込んできたのは、やはり街の中央にそびえ立つ王宮だ。この位置から見上げる王宮は、ただ忌々しさだけではなく、懐かしさも僕にもたらした。
ああ、そうだ。
これが王都だ。
と、僕は一人感慨に耽っていたのだが、同行者たる二人の少女はむしろ、関所がその名の通り僕らにとっての関門になると思っていたのか、あっさりと通り抜けてしまえたことの方に気をとられているようだ。有り体に言って、拍子抜けした、といったところか。
「ずいぶんあっさりしてるのね」
「ま、彼らも暇じゃないしね。僕らだけにそんな時間も割けないんだから」
とはいえ、別にあの場で身分証を改められた程度で困ることもなかったが。正規の手続きに則ったものでないという意味では偽造品だが、証書に信頼を与える押印や署名は間違いなく本物だ。相当詳しく調べなければバレるものではない。
「まずはどうなさいますか?」
「何はともあれ学校に行こう。全てはそれからさ」
◆◇◆◇◆
「止まれ! 士官学校の生徒か!? 見慣れない馬車だが……」
士官学校に馬車のまま乗り入れようとすると、校門で門番に止められた。
僕は、新入生だ、と言って、リールが用意してくれた書類を見せる。
今度の門番は書類を丁寧に確認している。が、こっちは正真正銘本物だ。すぐに彼らの態度が柔らかくなった。
「お待ちしておりました、アーク様。校長室にお連れするよう承っておりますので、どうぞこちらへ」
衛兵に案内されるまま、シェーナと『隠形』状態のリューネを伴って歩いていく。
校門で馬車から降りて歩くこと数分、校舎にたどり着く。
そのまま校舎の中に連れていかれる。教室らしき部屋は全てスルーして上階へ。最上階の三階のある部屋の前で立ち止まった。表札には校長室とある。
「校長先生、新入生の方をお連れしました」
扉を叩き、中の人物に声をかけると、彼は一礼して元の持ち場に戻っていった。
彼はこの部屋に入る権限がないらしい。
「中に入りたまえ」
そうこうしているうちに、中の人物に促された。
シェーナやリューネと一緒に部屋に入る。
「王立士官学校にようこそ、アーク君。……。まさか、あの【花の英雄】殿から紹介状をいただくとはね」
部屋の中では初老の男性が一人、立派な椅子に腰かけている。
僕の姿を認めたこの校長先生(のはずだ)は、わずかに目を細めたが、特段僕に関して何かを言うことはなく、紹介状の出どころ──アイシャではなくリールの紹介ということになっている。影響力としては十分だ──の話に言及した。
士官学校の教師と言うことは、現役か退役かはともかく、それなりの立場の軍人であるはずだ。同じく立場ある軍人のリールと繋がりがあってもおかしくはない。
「ええ。親族に偶然リール『ベリー』様と親しくさせていただいている人間がおりまして。そのツテをどうにか辿って今回はお世話になりました。ええと……」
「ああ、名乗りがまだだったね。私が当校の校長を勤めている、アルゴス=ファールムだ。軍での階級は少佐。よろしく、アーク君」
「ファールム子爵家の方でしたか! はい、こちらこそ、お世話になります」
男性の名乗りを聞いて、驚いた風に装う。当然、誰が校長を勤めているかなんて事前にリールに聞いていたが、一種の演出だ。
僕のリアクションにアルゴス校長は再びわずかに目を細めてみせ、
「ふむ、詳しいね。……ところで、君は貴族科ではなく平民科での入学を希望しているとリール大佐から伺っているが、これは……」
大佐。大佐とは。偉いだろうとは思っていたが、予想以上だ。いや、元帥相当の立場のアイシャの直属の部下と考えればそれでも足りないかもしれないが。それに、権限の上ではともかく、実際に大佐相当の作戦指揮を行うわけではないのだろう。彼女の仕事はアイシャの護衛とメイド服を着ることだけだ。
ともかく、内心の驚きと思考はおくびにも出さず、なるたけ呑気に聞こえるように、と気を使いながら、
「はい。私は平民科での入学を希望しています。私は平民ですから」
ことここに至って、アルゴス校長の僕を見る目──正確には僕の金髪を見る目は胡乱げな色を隠そうともしていない。
しかし、先程同様、彼がそれに関して何かを言うことはなかった。リールほどの人物と知り合いの親戚がいる僕を上位貴族だと思って余計な首を突っ込むのを避けたのか、はたまた軍では貴族も平民もないと考えているスタンスの人なのか。いずれにせよ、僕の目的は達せられそうだ。
「……そうか。誤りでないのならかまわない。では、君の担任になる教官を呼んでいるから、彼が来るまでしばらく待ちたまえ」
「はい。わかりました」
結局、僕のそばに静かに控えるシェーナに関しては最後までスルー。リールから話はいっているはずだし、何も言わないと言うことはむしろ何も問題ないのだろう。
直立不動のまま、教官とやらを待つこと少し。
ノックの音と共に、
「平民科第五組担任フレッド少尉です。ただいま参りました」
「入りたまえ」
筋骨粒々の男性が入室してくる。身長もかなり高い。僕も男性平均くらいは普通にあるが、それより頭一つ分近く高いんじゃなかろうか。いかにも軍人然としている。しかも、非常に目付きが悪い。不機嫌なのかそう言う顔なのかは知らないが、この男にこの顔つきで睨まれたら相当怖いだろう。
そのフレッド少尉に入ってきた瞬間睨み付けられた。背筋が凍る。
「……校長、私は私の担当になる新入生が来た、と聞かされてここまできたのですが」
「ああ、その通りだ。彼だよ。アーク君だ」
「アークといいます。フレッド少尉、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
「校長、もちろんご存知のこととは思いますが、私は平民科の教官です」
「フレッド君、もちろん知っているよ。彼は平民科の生徒だ」
アルゴス校長の紹介に便乗してした挨拶は完璧に無視された。
それどころか、校長の言葉を聞いて、再び僕を睨みつける。
「……これが、平民? それはなんの冗談ですか?」
「なんの冗談でもない。文句はそれだけかね?」
「…………フレッド少尉、確かに承りました。アーク、だったな? 俺の学級に入るというなら説明をする。ついてこい」
露骨な舌打ちの後、フレッド少尉──フレッド教官、の方がいいだろうか──は僕にそう告げて足早に部屋を退出した。
僕も校長に挨拶をして慌てて後を追う。
と、彼は部屋のすぐ外で待ってくれていた。
わずかに遅れてシェーナも出てくる。
「さっきから気になってたんだが……そのメイドはお前の使用人か?」
「はい。シルウェといって、僕が子供の頃から一緒に……」
「ああ、そういう話はいい。邪魔だから、どっか行かせろ。お前たちが入ってきた昇降口から出て右手に五分ほど歩くと寄宿舎がある。お前たちには三階の五番って部屋が与えられてるから、そこででも待ってろ。いいな?」
部屋の鍵を渡しながらされた最後の確認は僕ではなくシェーナに向けられたものだったが、彼女は反応しない。
僕のメイドである彼女は僕以外の命令に従う必要はないから、正しい対応なのだが、これも離宮の教育の成果だろうか。
「そういうことらしいから、部屋で待っててくれるかな?」
「かしこまりました、若様」
フレッド教官から受け取った鍵を彼女に渡し、お願いの形をとった命令を下す。
シェーナは素直に受け取って従ってくれた。
彼女が離れていくのに合わせて、リューネの気配も遠ざかっていく。シェーナについていってくれるようだ。
改めて教官の方を振り返ると、彼は苦々しげに僕を睨んでいる。
「あの、どうかしましたか?」
「お前、本当に平民科に入るのか?」
「教官が何を仰っているのか、僕には。僕は平民ですので」
フレッド教官は再び露骨に舌打ちをして、
「なら覚えておけ。俺は貴族が嫌いだ」
「記憶しておきます。理由をお伺いしても?」
「ここでの奴らをみればすぐにわかる」
教官は吐き捨てるようにそう言って、何処かへ向かって歩いていく。
言われたことの意味を考えながら、僕も彼を追って歩き出した。




