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025 本能と煩悩と

「姫様、ただいま戻りました」

「あら~、お帰り、リール。どうだった~?」

「無事、入学を許可されました。レウルート様、入学に際しての留意事項などこちらの紙にまとめましたので」

「うん、ありがとう。日にちは……あ、結構空くね。一週間後か」

「申し訳ありません。そればかりはどうにも……」

「ああいや、責めてる訳じゃないんだ。早いに越したことはないけど、無理をして他の王子に嗅ぎ付けられたらことだからね」


 士官学校に紹介状を持っていってくれていたリールが戻ってきたため、僕は彼女から話を聞いていた。


「一週間も空くなら、その間はここにいるのかしら?」

「それが無難だろうね。前日くらいに王都に入れば十分だろうし」

「そうしてくれるとミーちゃんも喜ぶわ~」

「そういえば、ミリル様とシエラヘレナ様のお姿が見当たりませんが……」


 かくかくしかじか、とリールの疑問に答える。


「メイドの修行ですか。それは、なんというか……」


 なんとも微妙そうな顔でリールは言葉を濁す。

 リールはあまりメイドが好きではないのだろうか。


「も~、リールもメイド服着てるのに~」

「姫様、あくまで護衛であってメイドでもなんでもないこの私がこのような服を着ているのはなぜだかお忘れでしょうか?」

「可愛いから~?」

「姫様がそうせよとおっしゃるからです。姫様の許可さえいただければ、今すぐにでも着替えて……」

「ダメよ~」


 即答で却下され、リールは露骨に不満げな様子を見せるが、アイシャは華麗にスルーする。


「ていうか、リールも戻ってきたし、シェーナとミリルも一旦こっちに戻ってくるはずだよね?」

「来てるわね。ミリルはわからないけど、シェーナは感じる(・・・)わ」


 と、リューネが言う。そういうことらしい。

 そういう類いのものではないとわかってはいるが、【神】と【魔】の相互感知はなんとも便利なものだ。


「なんで僕にはシェーナがわかんないんだろ」

「ルミスヘレナはわかったのよね?」

「そうだね。でも、敵意とか殺意とかを抱くってことはなかったなぁ」

「ふぅん。そうなると、貴方けっこう才能あるのかもね」

「才能?」

「【神】と仲良くする、よ。【神】と【魔】がお互いに抱く敵愾心っていうのはまさしく本能みたいなものなのよ。例えば、赤ちゃんは空腹になったらすぐ泣くでしょう? あるいは子供ならずっと騒いでるものだわ。でも、大人になれば多少の空腹は知らん顔して我慢できる。貴方は【魔】としては赤ちゃんと大差ないけど、【神】への敵意を大人のように普通に我慢できる。才能って言って間違いはないと思うわよ」


 食事と違って、【神】と殺し合わないと死ぬわけじゃないから、むしろ性欲なんかに近いだろうか。

 覚えたてのころは自制なんてまるで利かないが、ある程度慣れればどうとでもできる、みたいな。

 僕はその辺のコントロールが生まれつきできる【魔】だった、と。


「でも、そうなるとシェーナは? 彼女が僕やリューネに敵意を感じてないのはどうしてさ? 僕と同じで才能があるってこと?」

「これは私の想像だけど、シェーナが【神】としてまだ不完全だからじゃないかしら。神性が【魔】を敵視するほど育ってないのよ」


 なるほど、と納得する一方で。

 それはすなわち……将来的にシェーナが【神】として成熟したら、僕らの敵になるかもしれないということじゃないのか?


「先のことは先のことよ、レウ。そうなってみないとわからないことを今から心配してもしょうがないわ」


 僕の心を読んだかのように、リューネが優しく僕を慰める。

 と、ちょうどそのタイミングでドアがノックされた。


「ミリルですわ」

「どうぞ~、入って~」


 ミリルと、彼女に付き従うようにして茶髪のシェーナが入ってきた。

 いつもの淡白な表情の中に軽い憂いが覗いている。練習とやらはあまりうまくいかなかったのだろうか。


「あにさまの出発はいつになりましたの?」

「一週間後だね。それまではここにいるよ」

「あら、それは好都合ですわね! わたくしは長くあにさまと一緒にいられますし、シエラ様は特訓の続きができますし」

「一週間、ですか。決して長くはありませんが……絶対にものにしてみせます」


 どうやらシェーナはメイドとしての技能習得にずいぶん燃えているらしい。思い起こせば、シェーナはばあやから色々と教わっていたようだったし、シェーナ自信それを楽しんでいた。


「それで、その、レウ様。一週間、お暇を頂けませんか?」


 ややためらいがちにそんなことをお願いしてくる。この離宮にいる間はメイドとしての修行に集中したいということか。

 もちろん僕の返答はイエスだ。シェーナがやりたいというのを僕が止めることもない。それに、ここにいる間は僕の【神】としての仕事もない。

 こちらの様子を伺うシェーナにそう伝える。


「ありがとうございます、レウ様」

「うん。頑張ってね。ミリル、シェーナをよろしく」

「はい。シエラ様はわたくしが責任を持って預からせていただきますわ。では、呼びつけたメイドを待たせてますので、わたくし達は失礼しますわ」


 ぺこり、と僕らに頭を下げてから退出するミリルの後に続いてシェーナが出ていった後も、アイシャはその扉をじっと見つめている。

 不審に思ったのか、リールが彼女に水を向けた。


「どうかなさいましたか?」

「………ミーちゃんとシエラヘレナ様、なんだか仲良くなってなかった~?」

「そうでしょうか? 私にはなんとも」

「レッくん!? どう思う~!?」

「うん、まあ、アイシャの感覚は正しいと思うよ」


 確かに、ミリルとシェーナの距離は詰まっているように見えた。

 珍しいことだ。シェーナは人見知りするわけではないが、表情が若干乏しく初対面の相手には何かと誤解されやすい。さらには、相手があのミリルだ。僕のことをちょっと異常なくらい好いているあの子が、僕と親しい女の子とあっさり仲良くなるというのは、ほとんどないことだった。


「羨ましいぃ~……」


 本当に悔しそうにアイシャは言う。

 歯を食いしばったその表情は淑やかで通っている王女としてどうなのかというレベルだ。


「まあまあ。まだ一週間もあるんだから、機会はいくらでもあるはずさ」

「う~……それもそうねぇ。気長にいきましょうか~」

「お話の続きは昼食を召し上がられながらではいかがでしょう?」


 リールの言葉を聞いて、くぅ、と小さくお腹が鳴った。久々にアイシャたちに会えた懐かしさですっかり忘れていた空腹を思い出した形だ。

 隣に座っていたリューネにはお腹の音が聞こえたらしく、くすりと笑われてしまった。恥ずかしさから意識を逸らそうと、話題を出す。


「昼食っていうなら、シェーナとミリルは? 行っちゃったけど」

「先ほど、こちらに来る前に廊下でミリル様にお会いしまして。ミリル様とシエラヘレナ様はお二人とも昼食は別におとりになられると伺いました」

「そっか。じゃあ僕らだけで」


 はい、と頷くと、リールは部屋の端に置いてあった呼び鈴を鳴らした。

 するとすぐに、ノックとともに、お呼びでしょうか、と部屋の外から声がかかった。


「姫様といらしているお客様、合わせて三人前の昼食を用意してください」

「リールの分もお願い~。四人前ねぇ」


 アイシャが部屋の外に控えるメイドに追加の注文をする。かしこまりました、と返事が聞こえ、人の気配が遠ざかっていく。

 リールは困ったような、遠慮するような目で僕を見た。真面目な彼女のことだ、自分の立場をことさらに気にしているのだろう。


「構わないよ。今は身内しかいないんだ、気にすることはない。一緒に食べよう」


 僕がそう言うと、彼女は小さく頭を下げた。旧交を温めていれば食事はすぐに届いた。

 とりとめのない雑談を続けながら食事に舌鼓を打つ。さすが、仮にも王女の口に入るものというわけか。とても美味しい。


「そういえば~。レッくんとリューネ『ヨミ』さんに部屋を用意しておいたから~、ここにいる間はその部屋で寝泊まりしてちょうだい~。後で案内させるわね~」

「ああ、ありがとう」


 とりあえずそういうことらしく、一応の予定はできたが、それが終われば僕は暇をもて余してしまう。

 さて、僕もシェーナみたいになにかやることがあればいいんだけど。


  ◆◇◆◇◆


 結局、特に用事も暇つぶしも見つからないまま夜になってしまった。夕食の時間だとリールに呼ばれ、昼間と同じ部屋に集まる。

 昼と違うことには、リールが席にはつかずアイシャの後ろに控えているのと、昼にリールが座っていた席には代わりにミリルが腰かけていることだ。しかし、シェーナの姿はなかった。


「ミリル、シェーナは?」

「すぐにいらっしゃいますわ」


 そう言って微笑むミリルの笑顔にはわずかに含みがある。

 疑問に思う前に扉が開いた。入ってきたのは、見慣れた美貌の少女。しかし見慣れぬ茶色い髪に、見慣れぬメイド姿。シェーナだった。

 声をあげかけ、思いとどまる。入ってきたのはシェーナだけではなく、他にも数人のメイドが一緒に入室してくる。シェーナも彼女たちも料理らしき皿を抱えている。おそらくこれは、シェーナの言っていたメイドの訓練の一環なのだろう。であれば、僕が口を挟まない方が良いような気がする。

 彼女たちはてきぱきと配膳を済ませていく。その中では確かにシェーナの手際は若干良くない。かといって、殊更に咎めることはせずスルー。貴族が使用人の不手際を認めたときでも、客分であればよほどのことでもない限り何も言うものではないからだ。

 全員が仕事を終え、退出しようとする背中にミリルが声をかけた。


「シルウェさんは残ってくださいまし」


 言われたシェーナは、振り向いて僕らに一礼するとその場で立ち止まり壁際に立ってて控える。

 ここまで、特筆するほどの失敗はない。シェーナの教育をしたこの離宮のメイドたちはかなり優秀な教師のようだ。

 僕らが食事をしながら談笑している間もシェーナは身じろぎもせず控えている。


「それじゃあ~、そろそろ解散しましょうか~?」


 全員が食事を終えしばらく、アイシャがそう言う。


「ん、そだね。そろそろ部屋に戻ろうかな」


 僕が立ち上がろうとすると、機先を制してミリルが、


「ではシルウェさん、あにさまをお部屋まで送って差し上げてくださいませ」

「はい、かしこまり……」

「いや、いいよ。昼のうちに部屋の場所は確かめてあるし、君にも仕事があるだろ?」

「……承知いたしました。では……」


 シェーナはやや迷うようなしぐさを見せたものの、食い下がったり明け透けにミリルの指示を仰ぐことなく引き下がる。模範解答は『(ぼく)に悟られないよう主人(ミリル)の指示を仰ぐ』だが、それが無理なら引き下がるでも十分正解だ。

 僕の道を塞がないように脇に逸れたシェーナの横を通りすぎざまに、思い出したように、


「あ、そうそう、シェーナ。前菜のマリネ、美味しかったよ。いつもありがとね」


 僕の言葉に驚いた様子なのはシェーナとミリル。リューネとアイシャはきょとんとした顔をしている。


「シエラ様がお料理に自信があると仰っていたので、コックに言って一品だけ作ってみて頂きましたが……。どうしてわかりましたの? あねさまでも気づかないくらいのクオリティでしたのよ?」

「昔から食べてるからね。そりゃ気付くさ」

「なんかちょっと悔しいわね……」


 憮然とした表情でリューネが言う。この中でシェーナの料理を一度でも食べたことがあるのは僕とリューネだけだ。

 にもかかわらず、気付けなかったことが悔しいのだろう。


「なら明日からもシエラ様に一品作っていただきます? シエラ様がよろしければ、ですけれど」

「私はかまいません。姫殿下と若様(・・)とコックの方のお許しが頂けるのでしたら」

「決まりね~。レッくん、余裕ぶってられるのも今のうちよ~?」

「はは、楽しみにしておくよ。じゃ、また明日、おやすみ」

「おやすみなさいませ、若様(・・)


 律儀に僕を送り出すシェーナにひらひらと手を振りながら部屋を出て、あてがわれた自室へ向かう。

 その道すがら思い起こすのはシェーナのこと……ではなく、彼女と一緒に食事の配膳をしてくれたメイドたちだ。王女に仕える侍女だけあってどの娘もとても可愛らしかった。

 と同時に、なにかこの離宮でやることが欲しい、なんて考えていたことをふと思い出した。


「離宮の滞在が一週間で、夜は六回……。一晩に一人で六人……。メイドは相部屋らしいけど……」


 ぶつぶつとひとりごちる。

 シェーナやリューネはもとより、アイシャやミリルに見つかるのも良くない。いろいろと考え、決める。


「……よし、名付けて、『レウルートの夜這い大作戦』。開始だね!」

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